今日の朝鮮・韓国ニュース(2020年11月27日分)

日本の市民団体、三菱重工業に「強制動員解決を求める」はがき千通送る : 日本•国際 : hankyoreh japan
 本来こうした方向性で菅政権が三菱重工や日本製鉄など日本企業に働きかけるべきですが、逆に「和解に応じるな」などと言い出すのだからげんなりします。


朝鮮大生に公平な給付を 除外は政治的と教員7百人:東京新聞 TOKYO Web
 こうした運動も、こうした運動を報じる東京新聞も高く評価したい。


マラドーナが亡くなった – イオWeb

 マラドーナの腕には、同じアルゼンチン出身の革命家チェ・ゲバラの顔のタトゥーが入っている。脚には、ゲバラらとともにキューバ革命を主導した、のちの同国の指導者フィデル・カストロ*1も彫られていた。
 現役引退後、体調を崩し、いっときは危険な状態だとも伝えられたマラドーナが治療のために足を運んだのがキューバだった。キューバと同じく、米国に異を唱えたベネズエラチャベス大統領ら中南米の国家指導者たちとの親交に加えて、マラドーナ自身の反米スタンスや発言も大いに注目された。
 このようなマラドーナのサッカー以外の一面は、2008年に公開されたドキュメンタリー映画マラドーナ」(エミール・クストリッツァ監督)でうかがい知ることができる。

 日刊イオは「朝鮮新報の記者のブログだ」ということで「今日の朝鮮・韓国ニュース」に入れてみました。
 「反共主義」の日本のメディアが触れたがらないマラドーナの一面として紹介しておきます。

参考

ディエゴ・マラドーナ - Wikipedia
フィデル・カストロとの関係
 1987年7月28日にフィデル・カストロと初めて対面して以来、友人関係を築いており、1989年のマラドーナ自身の結婚式にはカストロを招待した。キューバへの敬愛の印として左脚にカストロ、右肩にチェ・ゲバラの刺青を彫り込んでいる。
 2000年にウルグアイ滞在中に心臓発作を起こした時にはカストロを頼ってキューバの医療施設に入所し、その後数年間はカストロの世話になった。

マラドーナ氏、中南米左派と交流 フィデル・カストロと同じ命日:東京新聞 TOKYO Web
 25日死去したサッカー元アルゼンチン代表のスーパースター、マラドーナさんは左派思想に傾倒し、キューバベネズエラの首脳らと深い交流があった。「第2の父」と慕うキューバの故フィデル・カストロ国家評議会議長の命日は、くしくも同じ11月25日だった。中南米左派は大きな後ろ盾を失った。
 ブエノスアイレスの貧困地域に生まれたマラドーナさんは平等主義を目標に掲げたキューバ革命に心酔。薬物中毒治療のためキューバに滞在した。「アルゼンチンでは扉を閉ざす病院もあったがフィデルは扉を開いてくれた」と感謝。カストロ氏のタトゥーを入れるほど慕っていた。

マラドーナさん死去 母国の貧困層支援に尽力 左派と親交「政治的偏り」批判も - 毎日新聞
 25日に死去したサッカー元アルゼンチン代表、ディエゴ・マラドーナさん(60)は貧しい家庭に生まれた。世界最高峰の選手に上り詰めると、その生い立ちをバックに貧困の軽減に力を入れた。貧富の格差が深刻な中南米の左派政治指導者と親交を深めた一方、「政治姿勢の偏り」から批判も絶えなかった。
 「この国には金持ちと貧乏人がいる。富裕層はすべてを奪い、国民のために何もしなかった」。
 マラドーナさんは2020年5月、地元テレビ局のインタビューでそう語り、左派のフェルナンデス*2政権が進める富裕層への課税強化に賛同した。新型コロナウイルスの不況に直面する貧困層を支える慈善事業にも取り組んだ。

*1:キューバ共産党第一書記、キューバ国家評議会議長(大統領)、閣僚評議会議長(首相)を歴任

*2:夫のネストル・キルチネル大統領(1950~2010年。リオ・ガジェゴス市長(1987~1991年)、サンタクルス州知事(1991~2003年)を経て、2003~2007年まで1期4年大統領を務めた)の後継候補として2007年大統領に当選。2007~2015年まで2期8年大統領を務めた。三選を目指した2015年大統領選挙で落選するが2019年に大統領選挙に出馬し、返り咲き当選。2020年現在、アルゼンチン大統領(クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル - Wikipedia参照)。