「珍右翼が巣くう会」メンバー・黒坂真に突っ込む(2020年12月10日分)

黒坂真リツイート
 中野顕さん。丸木位里さんは、ソ連との関係で日本共産党を除名になっていたかと思いますが。最近の日本共産党反党分子、という人物把握法をやめた*1のでしょうか。それなら、筆坂秀世さんと対話*2なさったらいかがですか。
◆中野顕
 「原爆の図」で有名な丸木位里さんは、南京大虐殺の絵も描いていたんですね。故高畑勲さんの言葉を思い出しました。自民族*3の戦争「被害」の告発だけでは、「戦争反対」にならない。それだけでは民族主義、報復主義にからめとられる。真の戦争反対は、「加害」の告発を伴わなければならない。

 中野氏が共産党支持者であることによる「嫌がらせのつもり」なんでしょうが、黒坂らしい話のすり替え、くだらない揚げ足取りで吹き出しました。中野氏が共産党支持者だという「前提」がなければ成立しない「嫌がらせ」ですからね。そしてこうしたツイートは共産党支持者に限らず、他野党(立憲民主、社民、れいわなど)支持者は勿論、「自民党支持者(もちろん宮沢喜一*4河野洋平*5のような穏健保守派ですが)」ですらしてもおかしくないツイートです。何せ共産主義が関係ないですから。
 一応「左派の丸木氏」と「公然と河野談話否定論を放言するまでに落ちぶれたデマ右翼の筆坂」とでは全然違うでしょうに。
 丸木氏はともかく筆坂は疑う余地なく「立派な(?)反党分子」です。
 そもそも丸木氏の除名は「政治的見解の違い(除名の是非については置きます)」ですが、筆坂の離党はそんな立派な物ではなく「セクハラ処分への逆ギレ」というふざけた代物ですし。
 そもそもここでの中野氏の主張「被害の主張だけでは片手落ちだ。丸木氏や高畑氏が言うように加害の反省も必要だと思う」という指摘に対する返答には黒坂リツイートは全くなっていません。
 しかし黒坂に「で、あなたは丸木氏の南京事件についての絵をどう評価するんですか?」「そもそもあなたは南京事件を事実と認めるのですか?。産経新聞などは否定論ですが?」と聞いたらどう答えるのやら。
 なお、

真の戦争反対は、「加害」の告発を伴わなければならない。

とはいえ、その高畑氏が戦争映画としては「火垂るの墓」しかつくっておらず、その「火垂るの墓」が「ストレートな加害の告発」でなかったことはやや残念です。「火垂るの墓」においては主人公の兄妹を「日本社会が見すてて餓死させた」と言う面があるので「加害性が全く描かれてない」とはいえませんが。
 ちなみに、高畑氏の

真の戦争反対は、「加害」の告発を伴わなければならない。

については以下の記事を紹介しておきます。

「火垂るの墓では戦争は止められない」高畑勲監督が「日本の戦争加害責任」に向き合うため進めていた幻の映画企画|LITERA/リテラ
 生前、高畑監督は「『火垂るの墓』では戦争を止められない」と発言していたことは、本サイトでも何度か紹介してきた。
「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」(神奈川新聞2015年1月1日付)
 一方、その高畑監督が『火垂るの墓』の次に撮ろうとしていた“まぼろしの作品”については、あまり知られていない。
 「国公労新聞」2004年1月1・11日合併号のインタビューで監督自身がこう語っている。
「(『火垂るの墓』は)戦争の悲惨さを体験したものとして、平和の大切さを訴える作品をつくることができたことはよかったのですが、一方で、日本のしかけた戦争が末期になってどんなに悲惨だったかだけを言っていてもいけないと思っています。
 じつは『おもひでぽろぽろ』をつくる前に、しかたしんさん原作の『国境』をもとにして、日本による中国への侵略戦争、加害責任を問う企画を進めていたのです。残念ながら、天安門事件の影響で企画が流れたのですが、日本が他国に対してやってきたことをきちんと見つめなければ世界の人々と本当に手をつなぐことはできないと思っています」
 高畑監督が『火垂るの墓』の次に取り組もうとしていたテーマは、日本の「侵略戦争」と「加害責任」を問うことだった。ついに日の目を見ることのなくなった“まぼろしの高畑映画”。その原作となるはずだった『国境』とは、どういった作品なのか──。現在、絶版となっている同作を読んでみた。
 『国境』(理論社)は、児童文学作家、劇作家のしかたしん氏が、1986年から1989年にかけて発表した小説3部作。1冊にまとめられた1995年版は全600ページを超える長編である。日中戦争、太平洋戦争時の朝鮮・中国・満州・モンゴルを舞台に、ソウル生まれの日本人青年が、死んだはずの幼馴染みを探すなかで、反満抗日や朝鮮独立の地下独立運動に参加していくというのが物語の大枠だ。
 第一部「大陸を駈ける」の時代背景は、盧溝橋事件から2年後の1939年。主人公の「昭夫」は京城帝大の予科生だ。学友たちとやがて戦地に駆り出されることを意識しながら飲み会をしていた初夏の夜、密かに好意を寄せる「和枝」から、満州での訓練中に事故死したとされた和枝の兄で幼馴染の「信彦」が生きていることを聞かされる。日本が1932年に樹立した「満州国」。昭夫はふと、信彦が満州の軍官学校行きを決めたときに「天皇陛下のためには死ねそうもないが、満州の未来のためなら死ねる」と言っていたのを思い出していた。昭夫はその意味を考えながら、(少しばかりの下心をもって)満州まで信彦探しの旅に出る。しかし、その背後を「白眼」(しろめ)と呼ばれる冷酷で残虐な満州公安局の諜報員がつけねらっていた。
 実は、信彦は関東軍がさらったモンゴルの将軍の子孫で、軍官学校*6を脱走して地下工作運動に加っていたのだ。信彦の“帰路”を辿る過程で諜報員から命を狙われた昭夫は、地下運動に関わるモンゴル人「秋子(ナムルマ)」たちに助けられながら、満州国が「五族協和」の美辞を建前にした侵略に他ならないことに気がつく。
 続く第二部は太平洋戦争中の1943年。軍属の技師として独立を願う朝鮮人たちと交流しながら武器製造に携わる昭夫は、日本軍人の卑劣な暴力支配、大本営発表の欺瞞を再び目の当たりにして、朝鮮の独立運動に身を捧げる決意をし、信雄や秋子らとの再会を果たす。そして第三部では、独立活動家として1945年8月15日の敗戦を生まれの地・京城で迎え、白眼との戦いにもピリオドがうたれたところで、物語は幕を閉じる。
 高畑監督は前述の「国公労新聞」インタビューで「天安門事件の影響で企画が流れた」と多くを語っていないが、調べていくと、しかた氏がその裏側を雑誌『子どもと読書』(親子読書地域文庫全国連絡会)1989年12月号のなかで記していたのを見つけた。
 『国境』第三部が完結した1989年に天安門事件が起きて、配給会社から「あの事件のために日本人の中国イメージが下がり販売の自信がなくなったから」との理由でキャンセルを申し入れられたという。

幻の高畑勲戦争映画 | 合同通信オンライン 2018.08.27
 8月20日付の東京新聞夕刊1面トップ記事は「幻の高畑戦争映画」という大見出しが踊っている。さる4月に82歳で亡くなった高畑勲監督が企画書を書き上げ、映画化を熱望していた「戦争アニメ映画」があったとスクープ記事を掲載。「国境BORDER 1939」で、題名の上に「劇場用アニメーション映画」とある。原作は名古屋市在住だった児童文学作家の故しかたしん(本名四方晨)さん。第二次世界大戦前の中国大陸を舞台に、わが国(当時は大日本帝国)の侵略に抵抗するアジアにいる若者たちの連帯を描いたもの。東京新聞の林啓太記者はスタジオジブリから入手した映画の企画書を写真で紹介している。
 企画書によると、主人公は京城(けいじょう=現在の韓国ソウル特別市帝国大学予科生。失踪した親友を探すため、当時の満洲国秘密警察に追われながら、謎の美少女と一緒に蒙古(モンゴル)まで2万キロを駆け抜ける物語は壮大そのもの。企画書の完成は1989年4月中旬。2か月に天安門事件が起き、日本が批判的な情勢下では映画化後の興行として成り立たないと判断、断念した。高畑監督は前年の88年に「火垂るの墓」を発表、歴史に造詣が深いことから戦争ものを連作するつもりだったのではないか?今後も高畑監督に関する資料の発掘があることを期待したい。

*1:「黒坂も分かっているでしょうが」、やめたわけではないでしょうね。筆坂、萩原遼(故人)だのは立派な反党分子でしょう。1)除名理由が意見の違いに過ぎず、除名当時はともかく現在においては除名が適切かどうか議論の余地がある、2)共産党と方向性は違うが萩原、筆坂のようなデマ極右などではなく左派やリベラル保守、3)本業で一定の業績がある、などがある「丸木氏のようなケース」は「除名が不当だった」と撤回や謝罪はしないまでもそんなことを今更あげつらわないと言うことです。

*2:そもそも筆坂の方も対話なんかする気は無いでしょう。「誹謗中傷や悪口雑言」は対話とは言いません。

*3:一瞬「自民党」と見間違えましたが「自民族(自分の民族)」ですね。まあ『自民党の(自民党による)』、原爆やシベリア抑留などへの非難と言った日本人に対する『戦争「被害」の告発』だけではダメだという意味で「自民党」でもそれなりに意味は通りますが。まあ、ただ、日本の場合「沖縄集団自決や特攻」など「自民族の被害=日本国の加害」という場合もありますが。

*4:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*5:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官自民党総裁、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長など歴任

*6:関東軍満州に設置した軍官学校については、楊海英『日本陸軍とモンゴル:興安軍官学校の知られざる戦い』(2015年、中公新書) という著書があります。