高世仁に突っ込む(2021年2/11日分)(追記あり)

都合悪い時だけ人事不介入 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 森氏(元首相)は五輪組織委員会会長を辞任すべきだし、菅政権も、山下JOC会長も、とにかく東京五輪関係者は森氏をかばうべきではないという「高世の結論」には今回は特に異論は無いです。

【追記】
 コメント欄で指摘がありますが、国内外の批判(特に五輪スポンサー)に耐えきれず森氏が会長を辞めるようです。 
 後任の名前には川淵三郎2020年東京五輪選手村村長。2020年東京五輪評議員会議長。Jリーグ初代チェアマン。日本サッカー協会JFA)相談役)の名前が挙がっています。川渕が適任かどうかはともかく、森氏が辞めたことは「ひとまず良かった」と思います。
 批判が無ければ、森氏は居座ったでしょうから、批判の成果ですね。
 もちろん「川渕が適任かどうか(もちろん森氏のような差別暴言が無いかも含めて)」は今後議論すべき事です。
)ネットでの指摘に寄れば「女性差別」と言う点ではどうも川渕も「森氏と似たり寄ったりの時代錯誤な老害」で今から失言が危惧されてるようですが(追記:結局、川渕は「森氏を相談役として残したい」発言への批判などから恐れをなしたのか、辞退しました)
 なお、コメント欄にも書きましたが、森氏が辞めたところで、当初、菅政権やJOCが彼をかばったことを「ちゃらにしてはならない」と思います。


「日本政府はその強さをきちんと使ってほしい」(在日ミャンマー人) - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 「朝日新聞」のGLOBEに懐かしい顔が載っていた。
 旧知のドキュメンタリー監督の竹内亮さんだ。

 竹内氏については

竹内亮 - Wikipedia
 ドキュメンタリー番組の制作会社に入社、ディレクターとして、テレビ東京ガイアの夜明け」「未来世紀ジパング」やNHK世界遺産」「長江 天地大紀行」等のドキュメンタリーを制作。2007年テレビ東京ガイアの夜明け」でディレクターを務めた「あれから10年 山一・拓銀の社員たちは今」で第45回ギャラクシー賞テレビコンペティション奨励賞を受賞。
 2010年にNHK「長江 天地大紀行」撮影の際、「山口百恵は元気か、高倉健は今何してる?」と地元の人たちに聞かれたことで、中国で現在の日本が知られていないことに衝撃を受け、中国向けに日本を伝える映像を制作することを決意。

「僕がここに住む理由」で監督務める竹内亮さん「日中友好の前提となるのは相互理解」--人民網日本語版--人民日報2017年11月17日
 インターネットドキュメンタリー「僕がここに住む理由」(中略)で監督を務め、南京に暮らして5年になるディレクターの竹内亮さんをインタビューした。
 「僕がここに住む理由」は現在までにすでに90話近く配信されており、その主人公として北京で日本の漫才に相当する「相声」を学ぶ日本人男性、2人の子持ちながら東京でロリータファッションのデザインをしている中国人女性、湖北省武漢市でカレーを売っている日本人高齢男性、忍者になりたくて真剣に修行を積む山東省の男性などが登場してきた。同作品は視聴者の視点からごく普通の人が異国の地で暮らすさまざまな様子を記録し、彼らが「そこに住む理由」に迫っている。
 「僕がここに住む理由」の製作のきっかけは2010年にまで遡ることができる。当時、竹内さんはNHKのドキュメンタリー「長江・天と地の大紀行」の監督を務め、旅人役の阿部力さんと共に、1年かけて長江の源流から上海まで6300キロを旅し、長江に沿って人々の生活をカメラに収めた。竹内さんはその当時、「高倉健*1山口百恵はまだ元気なのか」とよく聞かれたのだという。
 そして、「2010年なのに、(ボーガス注:都市部はともかく田舎では)中国の人々がいまだ高倉健山口百恵しか知らないことに本当にびっくりした。その時、中国人に今の日本を紹介しなければと思い立った」のだという。

「僕は日中友好という言葉は嫌い」中国で活躍するドキュメンタリー監督・竹内亮さんインタビュー | 東大新聞オンライン2019年1月14日
 株式会社ワノユメを立ち上げ、中国でドキュメンタリー番組『我住在这里的理由』(『私がここに住む理由』)を制作する竹内亮さん。かつて日本で『未来世紀ジパング』や『ガイアの夜明け』の制作に携わっていた竹内さんは、中国に住む日本人や日本に住む中国人に密着し、異国の地で頑張る彼らを等身大に描いている。
◆インタビュアー
 竹内さんは日本にいた時から中国に関する番組を制作しています。そもそも中国に興味を持ったきっかけは何でしょうか。
◆竹内
 中国人の妻がきっかけですね。番組制作時に通訳として雇ったときに出会いました。もともといろんな国に行って番組を作りたいという夢はありましたが、中国に特化していったのは完全に彼女のおかげです。やっぱり好きな人がどんなところで生まれて、どんなところで育ったのか知りたいじゃないですか。
◆インタビュアー
 なぜ中国で『私がここに住む理由』を制作するに至ったのでしょうか。
◆竹内
 2010年にNHKで『長江 天と地の大紀行』という番組を制作するために、1年間かけて長江流域に住む人々の生活に密着しました。そこで、現地の人が現代日本について何も知らないという現実を知ったんです。僕が日本人だと分かると「小日本」「日本鬼子」(中国人が日本人に対して使う蔑称 )と言われたり、「高倉健山口百恵は元気か」と聞かれました。
 もともと、1980年代には日本ドラマが中国に入ってきて、日本ブームが起こったんです。しかし1990年代の愛国教育や2000年代の日中関係の悪化などを背景に日本の情報がそこで止まってしまいました(ボーガス注:現在起こっている『訪日した中国人観光客による爆買い』『中国の都市部での日本アニメブーム』などを考えると話はもう少し複雑でしょう。「貧乏人と富裕層」「都市部と田舎」といった差異も大きいでしょう)。そんな事情があって2010年当時の時点でも(ボーガス注:中国の田舎では)1980年代の日本の話しかされないことにショックを受けました。
 そこで「現代の日本文化や日本人のあり方を中国人に伝えたい」と思い、中国人向けに日本を紹介する番組を作ることを決意して2013年に南京に引っ越したんです。当時は中国語が片言しかできなかったので、まずは南京大学に入学して中国語を学びました。
◆インタビュアー
 これまでの回の中で、特に視聴者からの反響が大きかったものを教えてください。
◆竹内
 一番再生回数が多かったのは、中国で乃木坂46齋藤飛鳥さんやGENERATIONS from EXILE TRIBE片寄涼太さんに密着したスター編ですね。
 中国人が日本に行く大体の理由はお金儲けのためか夢を追いかけるためのどっちかです。それに対し、日本人が中国に住む理由は本当にバラバラなんです。例えば、定年退職後に大してもうからず中国語もできないのに武漢*2でカレー屋をやっているおじいちゃんとか。中国人からすると理解不能ですよね。このように、日本人が中国に住む理由は、中国人の想像をはるかに超えてくるんです。それが面白くて、視聴者に受けたのではないかと思います。
◆インタビュアー
 竹内さんは中国のどのようなところに魅力を感じていますか。
◆竹内
 中国はスケールが大きくて楽しいです。やることがとにかく大胆で、発想が面白いんですよ。例えば、最近中国のある大手メディアから、10世帯の家族を10年間追うドキュメンタリー番組の企画を持ちかけられました。そんなにスケールの大きい話はそれまで聞いたことがなかった。まず、日本ではあり得ません(笑)
 ただ、「本当にそれをやるの?」という眉唾ものもありますし、途中で投げ出すものもあります。
◆インタビュアー
 今後の日本と中国の関係を考える上で、どのようなことに心がければいいのでしょうか。
◆竹内
 まず、僕は「日中友好」という言葉が嫌いです。元々はいい言葉で言葉自体に何の罪もないと思うのですが、あまりにも安易に使われすぎていると思います。大して日本や中国が好きでなくても、表面的に「日中友好」をうたってイベントを行ったり利益を得ようとしたりする人が多いように感じます。そういう人には、「本当に日中友好を考えているの?」って思ってしまいますね。
 そして、「日中友好」を前提に人付き合いをしたくないです。僕だって、嫌いな中国人はいます。好きな人とは付き合うし、そうでない人とは付き合わなくていいのではと思います。
 「中国」をひとくくりにして嫌いになるのではなく、個人同士で関係を築けばいいと思います。
◆インタビュアー
 竹内さんは東大の体験活動プログラムの一環としてワノユメを訪れる東大生と交流しています。東大生との交流を通じて感じたことをお聞かせください。
◆竹内
 一番衝撃的だったのは、数年前に訪れた東大生たちの8割くらいが南京大虐殺のことをほとんど知らなかったことです。知らない彼らが悪いというよりは、日本の教育に問題があると思います。授業や教科書でしっかり教えていれば、東大生はちゃんと覚えているはずなので。
 一方で、東大生から積極的に質問が出て、中国について知りたいという思いはすごく伝わってきて良かったと思います。ただ、あくまでも興味を持っているだけという人が多く、実際に中国で何かをしたいという人は予想より少なかったですね。どうするかはそれぞれの自由ですが(笑)
◆インタビュアー
 最後に、東大生に向けてメッセージをお願いします。
◆竹内
 世界と本気で向き合って欲しいですね。経済や政治、社会におけるパワーバランスでいうと、世界での日本の地位なんてどんどん下がっています。中国の若者がどんどん世界に出ているのに対し、日本人は日本のルールで、日本人同士だけで生きている人が多いことに危機感を感じています。

ありのままの武漢を撮影し世界を感動させた竹内亮監督--人民網日本語版--人民日報2020年7月3日
 6月30日、日本のテレビ局の朝のニュースで、ロックダウン解除後の湖北省武漢市の現状を紹介するドキュメンタリー「お久しぶりです、武漢」が紹介された。同ドキュメンタリーを制作したのは、今年3月にショートフィルム「緊急ルポ・新規感染者ゼロの街:新型コロナ封じ込め徹底する中国・南京を歩く」を制作して、中日両国で大きな話題となった竹内亮監督だ。

竹内亮監督の新作「中国 アフターコロナの時代」 中国の経験とパワーを発信--人民網日本語版--人民日報2021年1月6日
 ドキュメンタリー「中国 アフターコロナの時代」では、日本の竹内亮監督が、自分の視点で、「新型コロナの抑え込みに成功し、急速に経済復興を進める中国」の様子を、リアルに世界に伝えている。
 「緊急ルポ・新規感染者ゼロの街:新型コロナ封じ込め徹底する中国・南京を歩く(南京抗疫現場)」や「お久しぶりです、武漢(好久不見、武漢)」などの作品に続き、江蘇省南京市*3に住む竹内監督は、中国のアフターコロナ時代の経験やパワーを日本やその他の国に伝え、参考にしてもらい、希望を与えるために、新作「中国 アフターコロナの時代」を製作した。

中国外交部が竹内亮監督を称賛 「偏見なく中国を記録」--人民網日本語版--人民日報2021年1月7日
 日本の竹内亮監督が制作したドキュメンタリー「中国 アフターコロナの時代(The Post-pandemic Era)」が中日のソーシャル・メディア・プラットフォーム上で大きな話題を集めている。
 外交部(外務省)の華春瑩報道官は6日午後の定例記者会見で、「私はこの作品を真剣に見た。また、この作品が『緊急ルポ 新規感染者ゼロの街 新型コロナ封じ込め徹底する中国・南京を歩く(南京抗疫現場)』、『お久しぶりです、武漢(好久不見、武漢)』に続き、竹内監督がこの1年の間に撮影した、中国の新型コロナとの戦いをテーマとした新たなドキュメンタリーの力作であることにも注目している。作品は南京マラソン無人配送、ライブコマースなどを切り口に、新型コロナとの戦いや経済活動の再開において中国の成し遂げた重大な成果をありのままに記録するとともに、『目下、中国が感染防止と経済復興を同時に成し遂げているのは、14億人の努力による賜物』と指摘している。我々は竹内監督が偏見を持たずに中国の歩んだこの非凡な道程をありのままに記録したことを称賛する」とした。

を紹介しておきます。
 なお、「中国での山口百恵(というか、中国での『赤い疑惑』)」については

「赤い疑惑」の宇津井健死去 中国でも高い人気--人民網日本語版--人民日報2014年03月18日
 中日国交正常化に伴い、日本のドラマやアニメが中国で放送されるようになった頃、山口百恵主演の日本ドラマ「赤い疑惑」(中国名:血疑)が、多くの中国の人々を感動させた。中国の無数の人々がヒロイン幸子の病状を気に掛ける一方、宇津井健演じるクールな外見に反する慈愛に満ちた「良き父親」のイメージが視聴者から高い人気を博した。中国人にとってなじみ深いこの父親・大島茂役を演じた日本のベテラン俳優、宇津井健がこのほど病気のため亡くなった。享年83歳。人民網が伝えた。
 宇津井健山口百恵三浦友和が共演したドラマ「赤い疑惑」(1975年)は、日中平和友好条約が締結された後、中国で放送されて一躍大ブームを引き起こし、当時中国人の間で最も人気のドラマとなった。80年代に中国で放送された日本の映画・ドラマの中で、中国の人々が最もかっこいいと評した2大中年俳優が、映画「君よ憤怒の河を渉れ」(中国名:追捕/1976)の高倉健宇津井健だった。
 1984年に「赤い疑惑」が中国で放送されるやいなや、たちまち大人気となった宇津井健は、その後中国に招かれ、当時の中国指導部と接見したり、中国中央テレビ局(CCTV)の番組に出演したりして大きな話題を呼んだ。当時の中国側の歓迎ぶりや宇津井健の人気はめったに見られないほどのレベルだった。
 1985年には、宇津井健は「赤い疑惑」で「中国のエミー賞」と称される第3回「金鷹電視芸術賞」の最優秀外国人男優賞に選ばれた。これ以降、同部門は金鷹賞から姿を消したため、宇津井健は、今でも金鷹賞における唯一の最優秀外国人男優賞受賞者となっている。

第48回 中国人に深い印象を残した日本のテレビドラマ_中国国際放送局2018-05-08
 山口百恵三浦友和主演の「赤い疑惑」は、白血病の17歳の幸子が闘病生活を送りながら、互いにひかれあった光夫との本当の関係が明らかになっていく物語です。美しくも悲しい恋物語は、当時の中国人視聴者の心を打ちました。そのテーマ曲「ありがとう あなた」は中国全土で大流行し、日本語ができない人も、日本語の歌詞を覚えて歌えるほどです。
 放送からおよそ30年後の2007年、このドラマは、上海教育テレビで、夜10時の「懐かし劇場」という番組で再放送され、視聴者の思い出を呼び起こしました。
 幸子役の山口百恵さんと光夫役の三浦友和さんは、中国で一躍大スターとなり、二人が結婚し、山口さんが引退といった話は中国でもファンたちから注目される出来事となりました。

日本ドラマに再び注目、中国で80年代懐古ブーム【洞察☆中国】:時事ドットコム
 心に深く残り、現在50歳以上の人であれば、知らない人がいないほど有名な日本のテレビドラマが、TBS系列の「赤い疑惑」(中国名「血疑」)(中略)である。
 「赤い疑惑」の山口百恵三浦友和は当時、(ボーガス注:中国で上映され大人気となった映画『君よ憤怒の河を渉れ』主演の)高倉健と並び、中国で一番有名な日本人となり、今でも伝説のように語り継がれる存在である。

を紹介しておきます。
 なお、もちろん「今後、竹内氏がどうなるか」はわかりませんが、竹内氏のような存在(ドキュメンタリー会社社長として活動)は会社を潰した高世にとっては「複雑な思い」でしょう。

 アウンサンスーチー氏の父親のアウンサン*4将軍は、「建国の父」の英雄だが、日本軍の「南機関」のもとで反英独立戦争を開始、現在のミャンマー国軍の前身の「ビルマ国民軍」を日本軍の指導下で作っている。

 最終的には、1)日本が独立を認めるか怪しいこと、2)日本の敗色が濃厚となったことで、アウンサンが日本に反旗を翻し、連合国側(英国側)についたことを高世が書かないのは「何だかなあ(苦笑)」ですね。アウンサンはあくまでも「マキャベリズム」から日本軍の力を利用したにすぎません。独立を認めてくれさえすれば共闘相手が日本軍だろうが英国軍だろうが構わない。

 日本政府は、軍事政権時代も欧米とは一線を画して、関係を切らずに関与政策を続けてきて、国軍とのパイプもある。
 一方、将軍の長女のアウンサンスーチー氏は、父の歴史を研究するため、2年間かけて日本語を習得し、1985年10月から翌年7月までの約9か月間、国際交流基金の支援で京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として日本に滞在していた。日本人の知己も多い。
 つまり日本は、国軍側にも民主派側にも特別な関係を持っているわけだ。

 「国軍側にも民主派側にも特別な関係を持っている」と言っても「スーチー支持の日本人」と「ミャンマー軍とつながる日本人」なんて「一時、日本に亡命していた金大中氏(後に韓国大統領)を支援した左派、リベラル保守派(例:社会党共産党宇都宮徳馬氏)」と「朴正熙とつながる自民党右派(例:岸信介元首相)」みたいなもんで全然、性格が違うでしょうに。

 先週の「報道特集」に在日ミャンマー人のチョウチョウソーさんが登場して「日本政府は、自分の力をあまり使ってないと思う」と語っていた。
報道特集より)
「日本の企業がミャンマーに入っているのは、ミャンマー人は反対してない。
 中国なら、(入ってきたら)みんな嫌だって、そういう声が出てくる。
 日本は嫌だって一切聞いたことがない。それが日本の強さ。
 その強さをきちんと使ってほしい」

 日本のテレビ局相手に「在日ミャンマー人」がこんな「日本へのおべっか」を言ったからって苦笑するしかないですよねえ。これを「日本に対する本心」だと思うのはナイーブすぎる。しかしこういう「中国への悪口」をいうのはこの人が中国嫌いというより*5「中国への悪口を日本人が好む」と思われてるんでしょうね。それも「何だかなあ(苦笑)」という気がします。
 「あんたさ、ここでは中国に悪口してるけど、別の場所(欧米人相手など)では日本に悪口してるんじゃねえの?」「あんたさ、日本人が『中国への悪口を喜ぶ』と勝手に決めつけてないか?」と突っ込みたくなります。

 ミャンマーの人々の期待に応えられるのか。日本政府の外交力が試されている。

 「ミャンマーに進出した日本企業の利益」を重視する日本政府には「ミャンマー軍批判」はほとんど期待できないと思いますが、いずれにせよこうした問題は「欧米などとの連携」が必要であり、日本だけが厳しい態度を取っても意味は無いでしょう。

*1:1931~2014年。中国でも上映された主演映画『君よ憤怒の河を渉れ』(日本公開は1976年)は当時、中国人の半分が観たともいわれており、映画宣伝のために共演者の田中邦衛と訪中した時、宿泊先のホテルには高倉を一目見たいというファンが大勢詰め掛けたという。2005年には張芸謀監督の『単騎、千里を走る。』に主演。高倉の死去(2014年11月10日)後の11月18日の定例記者会見で、中国外務省の洪磊報道官は「高倉健先生は中国人民誰もが良く知る日本の芸術家であり、中日の文化交流の促進に重要かつ積極的に貢献した。われわれは哀悼の意を表す」と談話を出した。(高倉健 - Wikipedia中国人はなぜ高倉健さんを尊敬するのか?|日経BizGate【銀幕裏の声】健さん追悼 中国人の半数が見た「君よ憤怒の河を渉れ」…文革後の圧制下、主演の健さん「正義の象徴」に(1/5ページ) - 産経WEST日本と中国では異なる高倉健さんのイメージ--人民網日本語版--人民日報中国と縁の深かった高倉健さん --人民網日本語版--人民日報高倉健と中日関係の「蜜月期」--人民網日本語版--人民日報参照)。

*2:湖北省省都

*3:江蘇省省都

*4:ファシスト人民自由連盟議長。1947年に暗殺される。ウー・ソー前首相が「暗殺の黒幕」として逮捕され、1948年に処刑された。(アウンサン - Wikipediaウー・ソオ - Wikipedia参照)

*5:まあ、実際に「中国が嫌い」の可能性はありますが。