拉致をサポートしてきた人々【調査会NEWS3483】(R3.8.18): 荒木和博BLOG
密入国した北朝鮮工作員とは別に国内に「北朝鮮拉致をサポートした共犯者、犯行幇助者が(朝鮮総連メンバーなど在日朝鮮人に)いたに違いない」と言う与太話です。
何が与太か。まず第一に「そうした共犯者がいた」というまともな根拠が何もない。これでは逮捕や起訴どころか「逮捕、起訴の前段階」である「容疑者としてのリストアップ」すら無理です。
第二にこんなことは「拉致被害者の帰国」には何一つ関係ない。別に「拉致実行犯が誰かわからなくても」5人の拉致被害者は帰国できたわけです。
第三にここで荒木らが拉致扱いしているものには「既に国内で40人も発見されており、そのどれ一つとして北朝鮮拉致ではなかった特定失踪者」があるのだからお話になりません。
先日「1970年代以前に失踪した女性には、和裁・洋裁教室に通っていた方が多い」と述べた
まるで「和裁、洋裁教室の教師や生徒」に北朝鮮工作員がいたかのような失礼な物言いで呆れますね。そもそもこの失踪女性、いわゆる「特定失踪者」であり「政府認定拉致」ではないので話になりませんが。
そもそも百歩譲って「これらの失踪女性」が「北朝鮮拉致」で「和裁・洋裁教室に通っていた」と言う共通点があったとしてもそれは「和裁・洋裁教室と拉致に関係がある」と言うことには全くなりません。単なる偶然の可能性があるからです。例えば「例は何でもいい」ですが、彼女らに「朝食はパン食」、「沢田研二ファン(1977年の『勝手にしやがれ』等がヒット)」と言う共通点があれば「失踪」と「パン食」「沢田研二」に関係があるのか。まあ普通に考えてただの偶然でしょう。
特に「1970年代の日本は和裁、洋裁教室に通うことが若い女性の当然のたしなみ扱いされていて、ほぼ100パーの通学率(?)だった*1」のなら、「和裁、洋裁教室」云々など「失踪と関係がある」と考える方がおかしい。
女性の失踪は年代が下っても減ることはありません。これが北朝鮮による拉致だとしたら、北朝鮮は変わらず日本の女性を必要としてきたのでしょう。
呆れて二の句が継げませんね。これらの失踪を北朝鮮拉致扱いするまともな根拠は何一つありません。
いや北朝鮮拉致どころか「自発的失踪ではなく、犯罪や事故に巻き込まれた」と見なす根拠すらおそらくない。
今のままでも「拉致被害者17人」ではなく「拉致被害者19人+未遂2人」(R3.8.18): 荒木和博BLOG
令和3年8月18日水曜日のショートメッセージ(Vol.502)。政府は拉致被害者17人と言いますが実際には警察断定の高敬美・剛姉弟がいて19人です。そしてかつては「未遂2人」と言っていました。富山のアベック*2拉致未遂事件です。新たな認定をしなくても、これは今すぐ直すべきことだと思います。
5分29秒の動画です。
まあ、「警察断定の高敬美・剛姉弟『拉致』(これについては2児拉致事件 - Wikipedia参照)」が「拉致認定するだけの証拠がある」のなら認定してもいいでしょう。
ただし、そんなことは「高敬美・剛姉弟の帰国」を除けば「拉致被害者の帰国」とは関係ない。
いずれにせよ荒木がこんなことを言うのは「特定失踪者800人」が全く拉致認定されない中「蟻の一穴」狙いで言ってるに過ぎません。「高敬美・剛姉弟の帰国」を目指してるわけでは全くない。
こうした「荒木の要望」がかなえば次は「特定失踪者800人を拉致と認めろ」と言い出す気でしょう。だからこそおそらく「菅政権、外務省、警察庁など」はこんな要望に応じませんが。
「未遂云々」については「全く賛同できません」ね。何せ「未遂」です。「高敬美・剛姉弟」などと違い、救出しなければならない拉致被害者はいない。
あえて言えば「実行犯の処罰」がありますが、事実上「証拠がなさ過ぎて、逮捕、起訴どころか、犯人が誰か断定することすら無理。全国指名手配ができない状態」ですからね。荒木のように未遂を云々する理由は全くない。
*1:実際がどうなのか知りませんが
*2:どうでもいい話ですが、「蓮池夫妻、地村夫妻、増元るみ子、市川修一さん拉致といったアベック拉致(彼らが拉致された1970年代はアベックという言葉が普通に使われた)」、名古屋アベック殺人事件 - Wikipedia(1988年)などという形で昔は使われた「アベック」と言う言葉は今や「アベックホームラン」を除けば、ほぼ完全に死語かと思います(ただし、アベックホームランも「二者連続ホームラン」等と書かれることが多い)。カップルと言うんじゃないか。これについてはカップル - Wikipediaも「日本では一組の男女を呼ぶ時に、「カップル」という表現が使われる以前は、「アベック」という語が使われていた。ただし、フランス語のavecは『~とともに』という意味の前置詞(英語のwithに相当)で名詞ではないので、最近は使われることが減っている」と言う趣旨のことを書いています。