テロは日本でも起こり得る(R6.3.28)|荒木和博ARAKI, Kazuhiro
令和6年3月28日木曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1434号。ロシアのテロでは多数の方々が亡くなられました。心よりお悔やみを申し上げます。「テロは自分たちも無関係だ」と思うべきではありません。そう考えたとき拉致問題も違った見方ができると思います。
「ガソリンを使った放火はきわめて危険だ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が触れた京都アニメ放火殺人」のようなケース(組織犯罪ではなく、個人犯罪で政治的テロでもないが、多数が死亡)も「テロと見なせば」日本でもテロはあり得るでしょうが、「モスクワテロ」のような「組織的な政治テロ(特に無差別テロ)」は「銃の規制(猟銃と警官、自衛官の銃以外は保有不可)」「テロを起こすような団体の不存在」によってまずあり得ないでしょう。イスラム教徒の外国人が日本で増えてるので、今後は「イスラムテロの可能性がある」かもしれませんが、当面はありそうにない。
安倍暗殺(2022年)が社会に衝撃を与えたのは以下の通り、日本においてテロ、特に「政治家や政府高官に対する暗殺や襲撃」が「昔(明治維新直後や昭和戦前期等)と違い」ほとんど皆無になっていたこと(安倍暗殺以前に2007年の伊藤一長・長崎市長暗殺があるが例外的)が大きいでしょう。
テロ事件の一覧 - Wikipedia、暗殺事件の一覧 - Wikipediaなど参照
◆1878年:紀尾井坂の変(大久保利通内務卿暗殺)
◆1889年:森有礼文相暗殺
◆1921年:原敬*1首相暗殺
◆1929年:山本宣治衆院議員暗殺
◆1932年:515事件(犬養毅*2首相暗殺)
◆1935年:永田鉄山陸軍省軍務局長暗殺
◆1936年:226事件(斎藤実*3内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監を暗殺)
◆1960年:浅沼稲次郎社会党委員長(衆院議員)暗殺
◆1995年:国松孝次警察庁長官狙撃事件
◆2002年:石井紘基衆院議員(民主党)暗殺
◆2007年:伊藤一長・長崎市長暗殺
いずれにせよ、そんなことが拉致問題の解決と何の関係があるのか。何の関係もない。
拉致未遂事件について(R6.3.6)|荒木和博ARAKI, Kazuhiro
5分31秒の動画です。荒木の場合、「北朝鮮拉致か怪しい代物」まで拉致未遂に上げていますが、仮に「本当の北朝鮮拉致未遂」でもそんなことを云々して拉致被害者救出に何の意味があるのか。
それにしても動画内で荒木が「若人あきら(失踪当時、現在の芸名は我修院達也)の失踪」(失踪当時、北朝鮮拉致説が一部から出た)について「北朝鮮拉致の可能性が否定できない」と言いだしたのには呆れます。
第一にどうみてもあの失踪に北朝鮮拉致の可能性はないでしょう。そもそもそんなことを若人が認めていない。北朝鮮拉致どころか犯罪被害ですらなく、自発的失踪ではないか。
第二に仮に北朝鮮拉致だとしてもそんなことを云々して拉致被害者救出に何の意味があるのか。
参考
我修院達也 - Wikipedia
1991年、静岡県熱海市の海岸で釣りの最中突然行方不明となり、3日後に神奈川県小田原市で記憶喪失状態で発見された。事件の影響でダウンしたイメージを刷新すべく1993年に「我修院達也」へ改名。
事件から12年後の2003年になって「北朝鮮による拉致の可能性」を『週刊新潮』が警察庁警備局の関係者の話として伝聞調で伝えて、改めて事件がクローズアップされた。北朝鮮拉致説について、若人の反応は、『週刊新潮』の取材申し込みに返答はなく、『サンケイスポーツ』紙が匿名の関係者からの伝聞の形で「そんなこと、あるわけないじゃないですか」と一笑に付していたことを伝えている。
また荒木ですら一部の人間の「私は北朝鮮拉致未遂の被害者だ」「今も北朝鮮から狙われてる」について「さすがに北朝鮮でも未だに一人の人間をしつこく付け狙うことはあり得ないと思う」とし「失礼ながら精神に問題があるのではないか(全くその通りでしょうが)」としてるのには吹き出しました。
◆荒木ツイート
荒木和博
令和6年3月4日日曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1410号。「山下の1㎜*4」「三苫の1㎜」「源田の1㎜」*5、どれも執念がもたらした勝利です。ダメだと思ってあきらめたらいけないと、自戒の念も込めて。
当たり前ですが「執念」だけでは成果は出ません。山下らには「技術があった」。そもそも相手チームだって「勝利の執念はある」。
「例は何でもいい」ですが、「執念」だけで成果が出るなら、例えば「日本は太平洋戦争で米国に勝利」「毛沢東は大躍進を成功(実際にはその失敗から党主席の地位は保持した物の、国家主席を引責辞任し、劉少奇が後任主席に就任)」「荒木の在籍した民社党は今も存続していた(そして荒木も今も民社党職員だった?)」でしょう。
「執念」と言い出すこと自体、荒木に何の展望もないことが露呈しています。