「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年2/9日分:荒木和博の巻)

威力偵察としての「しおかぜ」(R4.2.11): 荒木和博BLOG
 6分27秒の動画です。
 動画説明文

 北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」には北朝鮮は妨害電波をかけ続けています。しかしそれは相手の状況を探ることにもつながります。

威力偵察とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書
 軍事作戦における情報収集の手段の一つ。 敵の勢力や装備などを把握するために、実際に敵と交戦する事。 あるいは、敵の位置がわからない場合に、怪しい場所に制圧射撃を加える事。

から『威力偵察としての「しおかぜ」』の意味は動画を見なくても分かるかと思います。拉致における陽動作戦(R4.2.10): 荒木和博BLOGの「陽動」といい荒木が戦争用語を使いたがる理由が意味不明です。「軍事オタクぶりたい」のかもしれませんが、それはさておき。
 いつもながら実に馬鹿馬鹿しい。
 本物の戦争でも当然ながら「威力偵察」それ自体には意味はありません。「威力偵察」で得た情報を元に「実際の戦争」で相手を打倒しなければ意味が無い。
 「威力偵察としてのしおかぜ放送」とやらも話は同じです。その「威力偵察」とやらで「どんな北朝鮮に関する情報が得られて」、荒木の「建前上の目的」である「拉致被害者救出」につながるのか。荒木はこじつけですらまともに説明できません。
 「妨害電波を出すのは我々の放送が北朝鮮の弱点を突いてるからだ」と自画自賛したり、「妨害電波を停止した*1のは電力不足や政治的混乱*2など北朝鮮に何か問題が起こったことの証明だ」などと北朝鮮に悪口したりするだけです。
 そんなことが「仮に事実だとしても*3拉致被害者救出に何の関係があるのか。何の関係もない。拉致被害者の居場所が分かるわけでもない。小泉訪朝のような「日朝交渉」の進展につながるわけでもない。心底呆れます。
 それにしても「とても本気とは思えません」が、荒木が「威力偵察をどう拉致解決につなげるかが問題→拉致解決には平壌宣言(国交正常化時の経済支援を約束)のようなアメも必要かもしれない」とこの動画で言い出したのには呆れました。だったら荒木は
1)「蓮池透氏」のように「一部帰国でも帰国があれば制裁解除すべきだ」と言ったら、
あるいは
2)「家族会は蓮池氏除名を撤回し、彼と和解すべきだ」と言ったらどうなのか。
 荒木も完全に迷走してますね。


東京三多摩地域の拉致・失踪【調査会NEWS3563】(R4.2.10): 荒木和博BLOG

●昭和48年(1973)11月頃 東京経済大(国分寺市)の学生・塚越義正さんが旅行中のパキスタンで消息を絶つ
●平成12年(2000)9月 府中市の佐藤順子さん*4が旅行中スイス・ツェルマットで失踪

 荒木のバカさには慣れてきた「つもり」でしたがさすがに吹き出しました。「北朝鮮の隣国・韓国や横田めぐみ、蓮池夫妻、曽我親子拉致などが起こった新潟ならまだしも」北朝鮮から遠く離れたパキスタンやスイスの失踪が「北朝鮮拉致」だそうです。
 勿論「よど号グループの拉致(有本恵子など)」は「北朝鮮から遠く離れた場所(ヨーロッパ)にいた人間」の拉致ですが「だまして北朝鮮に連れてきた」という「有力な証拠(八尾恵証言など)」がありました。
 単に「ヨーロッパでの失踪」を根拠レスで「北朝鮮拉致」と放言していたわけではない。
 しかしこの「パキスタンやスイスの失踪」には勿論「そのような、まともな根拠」は何もないでしょう。「有本さん拉致」などを口実に根拠レスで放言してるだけです。

 このルートは中央線をさらに甲府・松本と行って大糸線*5につながる、いわゆる「大町ルート」の線上にあります。

 大町ルートなどと言うのは荒木が放言してるだけまともな根拠は何もありません。


拉致における陽動作戦(R4.2.10): 荒木和博BLOG

 主たる作戦を成功させるために別の地域で作戦を行い敵を引きつけるのを陽動と言います。拉致でもこれが使われたのではないかというお話しです。

 5分48秒の動画です。説明文だけで見る気が失せます。
 第一に荒木の言う「陽動作戦」は勿論「根拠レスの放言」です。第二に百歩譲って「根拠がある」としましょう。
 そんなことが拉致被害者救出と何の関係があるのか。何の関係もない。
 なお、陽動作戦の例としては、荒木が動画内で「長沙上陸作戦」を紹介していたのでメモしておきます。
【参考:長沙上陸作戦】

長沙里9.15 - Wikipedia
 2019年の韓国の戦争アクション映画朝鮮戦争中、仁川上陸作戦を成功させるために陽動作戦として実施された「長沙上陸作戦」の顛末を描く。
【あらすじ】
 1950年夏、北朝鮮軍に対して敗走を重ねた国連軍(米軍)は、朝鮮半島南東端の釜山橋頭堡にまで追い詰められていた。戦局を一挙に打開するため、マッカーサー国連軍司令官は「仁川上陸作戦」の実施を決定した。この作戦を成功に導くべく、韓国軍は、北朝鮮軍を欺くため、日本海側の慶尚北道盈徳郡南亭面長沙里(チャンサリ)の海岸に陽動部隊を上陸させることを決め、イ・ミョンジュン大尉(キム・ミョンミン)に陽動作戦の決行を命じた。しかし、陽動部隊の内実は、平均年齢17歳、訓練期間2週間の未熟な学生兵たち772人であり、しかも、支給された武器弾薬は乏しく、食料も僅かであった。それでも、彼らは、敵軍が待ち構える長沙里に向かうのだが。
【キャスト】
◆マギー(ミーガン・フォックス
 朝鮮戦争で女性従軍記者として活躍し、ピューリッツァー賞を受賞したマルグリート・ヒギンズ(1920~1966年)をモデルとしている。

長沙上陸作戦に参戦した船員に花郎勲章 : 東亜日報2019.6.28
 韓国戦争で、民間人の身で長沙上陸作戦に参戦して戦死した文山(ムンサン)号の船員10人に、69年ぶりに花郎ファラン)戦闘功労勲章が授与された。沈勝燮(シム・スンソプ)海軍参謀総長は27日、忠清南道・鶏龍台(チュンチョンナムド・ケリョンデ)の海軍本部で、遺族約30人を招待し、勲章を授与した。

【参考:マルグリート・ヒギンズ】

マルグリート・ヒギンズ - Wikipedia
朝鮮戦争
・1950年、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン東京支局長に就任。ヒギンズの来日直後に朝鮮戦争が勃発し、ヒギンズはすぐに朝鮮半島へ向かった。1951年に彼女はピューリッツァー賞(国際報道部門)を受賞した。
朝鮮戦争休戦後】
・1955年、トリビューン社はソ連にモスクワ支局を設立し、ヒギンズを支局長として派遣した。ヒギンズは、スターリンの死後初めてソ連に駐在したアメリカ人特派員となった。
ベトナム戦争
・1963年、ヒギンズは『ニューズデイ』紙に移籍し、特派員としてベトナムに赴任した。ベトナムでは、『ニューヨーク・タイムズ』紙の特派員デイヴィッド・ハルバースタム*6との間に確執が生まれた。ヒギンズは、反共主義者であり南ベトナム政府(ゴ・ディン・ジエム政権)に対する仏教徒による数多くの抗議行動についても、ヒギンズは共産主義者により仕組まれたものだと考えていた。一方、ハルバースタムはヒギンズのことを「反共主義プロパガンダの域にまで高めた、過去の売れ残り」と考えていた。


「日本海側」という思い込みはやめましょう(R4.2.9): 荒木和博BLOG
 6分の動画です。説明文だけで見る気が失せます。
 荒木らの「特定失踪者認定」がマトモに相手にされないのは「まともな根拠がないから」です。
 「新潟など日本海側の失踪でないから(例えば、静岡など太平洋側の失踪や、埼玉、群馬など海なし県だから)」ではない。
 勿論「そうしたこと」を「特定失踪者認定の怪しさ」として指摘する人間もいますが、「日本海側の失踪でない」ということだけで「特定失踪者認定」を批判しているわけではない。
 そもそも「日本海側の失踪」だって荒木らの特定失踪者認定など、まともに相手にされてない。繰り返しますが「まともな根拠がないから」です。

*1:そういうことが過去にあったそうです。

*2:例の「北朝鮮崩壊するする詐欺」です。

*3:事実だという根拠はありませんが

*4:佐藤さんの場合「小泉訪朝(2002年)の2年前」なので時期的に北朝鮮拉致の可能性は皆無です。まあ、荒木だと「小泉訪朝後の失踪」すら平然と特定失踪者認定していますが。

*5:長野県松本市松本駅から新潟県糸魚川市糸魚川駅に至る鉄道路線松本駅南小谷駅間はJR東日本南小谷駅糸魚川駅間はJR西日本

*6:1934~2007年。1964年にベトナム戦争報道によりピューリッツァー賞を受賞。著書『メディアの権力』(1999年、朝日文庫)、『ザ・コールデスト・ウインター:朝鮮戦争』(2012年、文春文庫)、『ザ・フィフティーズ:1950年代アメリカの光と影』(2015年、ちくま文庫)など