今日の中国ニュース(2022年4月11日分)(副題:中国「100円均一の街」の変貌)

◆中国「100円均一の街」の変貌

中国“100均の里” 今昔物語 - クローズアップ現代 - NHK
 「100均の里」と呼ばれるその町の名は「浙江省義烏(ぎう)市」。
 私たちは、100円商品を手がける国内メーカーに手当たりしだいに取材交渉。すると「義烏のことを話してもよい」という人物に出会えました。
 滋賀県彦根市で、和雑貨や手芸用品の輸入製造を手がけるメーカー「ボンテン」の社長、若林矢寿子さん。100円ショップには主に手芸用品を卸しており、その大半を中国で作っています。義烏を頼るようになったのは23年前、1999年のこと。「世界で最も安く部材を手に入れられる」と聞き、義烏に工場を設け、商品を日本に輸入することにしたのです。
 安さの秘密はどこにあるのか。若林さんによると、1982年頃に義烏に大規模な卸売市場ができたのが、全てのきっかけだったと言います。それ以前の義烏はただの貧しい農村でしたが、農閑期に人々が日用雑貨品を作り、生活の足しにする習慣がありました。そのため1978年に始まった改革開放で市場経済に移行すると、義烏の人々は競って店を出し、市場が発展したのです。
 それを下支えしたのが、周辺地域の、安く豊富な労働力でした。若林さん自身も現地工場で従業員を募集したのですが、多いときで200人ほどがすぐに集まりました。その大半が貧しい出稼ぎ労働者で、中には読み書きができない人や、戸籍のない人すらいたと言います。義烏の発展ぶりを聞きつけて労働者が次々と流れ着き、義烏は「市場」と「工場」の両機能を兼ね備えた一大生産拠点へと変貌を遂げていきました。
 そんな義烏の「低価格」の噂が、90年代に入ると日本の100円ショップ関係者の耳に届き、大量の商品を注文するようになりました。義烏と100円ショップはウィンウィンの協力関係を築き、ともに成長してきたのです。
 「義烏の今を取材したい」。
 そう相談すると、ありがたいことに若林さんは、義烏の取引先工場を紹介してくれました。
 取材に訪れたのは、北京パラリンピックが終わった直後の3月16日。まずは、義烏の「市場」機能の中枢である「国際商貿城」に向かいました。約7万店が入居するという、世界最大級の日用雑貨卸売市場です。
 きっと驚きの格安商品がずらりと並んでいるのだろう…と思いきや、リボンを扱うある店を訪ねた時のこと。日本の100円ショップ関連の取材だと伝えると、女性スタッフが怪訝そうな顔をしました。
「私の店舗はハイエンド向けで、価格の安いものはないですよ」
 卸価格を聞くと、日本円で数百円以上のものばかり。他にもいくつかの店で単価を尋ねましたが、意外にも100円を超える商品が数多く見つかりました。
 予想を裏切る光景は、他にもありました。市内を歩くと高層マンションや巨大なショッピングモールが立ち並び、高級外車が数多く走っていたのです。横断歩道を歩く人々もどこかゆとりが感じられ、若林さんから聞いていた「貧しい農村」のおもかげはありません。
 そこで郊外に向かってみると、道路脇に大きな貨物ターミナル駅が見えてきました。ここは、義烏で作られた商品が鉄路で運ばれていく始発駅。ところがその行先の多くは日本ではなく、何とヨーロッパだと言います。習近平政権が推し進める巨大経済圏「一帯一路」に8年前から義烏も組み込まれ、近年はヨーロッパ行きの貨物列車が増えているというのです。
 かつては日本の100円ショップに向かっていた義烏の商品が、あらゆる意味で真逆の方向に向かい始めていました。取引が始まった90年代から30年の時を経て、義烏はめざましい経済発展を遂げていたのです。
 私たちは若林さんに紹介してもらった、100円商品を長年作ってきた工場を訪ねることにしました。衣料品のファスナーを作る「领航拉链有限公司」は、かつて農民たちが寄り集まって10人程度で創業したという工場。まさに“100均の里”を象徴するような存在です。
 しかし副社長の向飛燕さんは開口一番、最近はヨーロッパへの輸出に力を入れていると明かしました。その理由は利益率の差。100円ショップに輸出すると利益がほとんどない商品でも、ヨーロッパはより高値で買ってくれるため、3倍以上の利益が確保できるというのです。
 利益にシビアになる背景には、原材料費や輸送費など生産コストの上昇があります。特に近年、義烏では労働者の人件費が高騰。この工場でも15年前と比べ、従業員の賃金は2倍から4倍にまで跳ね上がりました。

 100人のうち、義烏出身者はほとんどがアルバイト雇用。現場を支えるメインスタッフは、今も貧しい出稼ぎ労働者たちが中心を占めています。ただしその出身地は、以前よりさらに遠方の、中国の経済発展の恩恵が届きづらい内陸部へと広がっていました。
 その一人、丁世華さんは、今年入ったばかりの52歳の男性。義烏から西へなんと600キロ以上も離れた湖北省の町から、子どもを残して出稼ぎに来ました。年収は日本円で200万円ほどですが、仕送りには十分な金額だと言います。
『100均の里』は今や、義烏から遠く離れた中国奥地の出稼ぎ労働者たちを雇用することで、かろうじて安さを維持していたのです。
 創業以来、重要な取引先であった日本の100円ショップには感謝しているという、副社長の向さん。しかしいつまでも利幅の薄い100円商品を作ってはいられず、最近は日本からの受注を減らしているとも打ち明けました。
「私たちはもう、ハイエンド向けの商品を作る最先端企業に発展したいのです」。
 そう語る表情には、かつてはよいパートナーだった日本の100円ショップに対する、複雑な思いがにじんでいました。
 他にもいくつか工場を回りましたが、いずれも、(ボーガス注:安く買いたたかれて儲けにならない)日本の100円ショップとの取引に後ろ向きな声が聞かれました。新たな輸出先はヨーロッパのみでなく、アメリカや東南アジア、オーストラリアなど。日本の100円ショップはもはや、主要な取引先ではなくなっていたのです。
 私たちは、共通してある質問をぶつけました。
 「日本の100円ショップや消費者は、今後どうすればよいパートナーであり続けられるか」。
 先ほどのファスナー工場の向さん、そして多くの工場のみなさんが、こう答えました。
「100円という安さだけにこだわらず*1、品質や価値に見合った価格を受け入れてほしいです。そうすれば私たちの工場は、これからも満足できる商品を届けられると思います」
 滋賀県の雑貨メーカー社長の若林さんは、円安の影響もあり、数年前に義烏から工場を撤退。しかも最近は100円商品の生産委託条件が折り合わず、いくら売っても利益が出せない商品まで出始めていました。ウクライナ危機の影響なども予想される中で、売り上げの大きな柱である100円ショップ市場からの撤退も、覚悟せざるを得ない状況に追い込まれています。今回若林さんは、こうした100円商品に携わるメーカーの苦労や葛藤を知ってほしいと、取材に協力してくれました。

 「中国の経済発展」を実感する話です。いずれは「貧しい内陸部」も「第二の義烏」として発展するのでしょう。
 なお年収は日本円で200万円についてですが『年収200万』でググる

◆松原惇子『年収200万円のハッピー生活術』(2011年、河出文庫)
◆横山光昭『年収200万円からの貯金生活宣言』(2017年、ディスカヴァー携書)
◆おづまりこ『おひとりさまのゆたかな年収200万生活』(2018年、KADOKAWA)、『おひとりさまのゆたかな年収200万生活2』(2019年、KADOKAWA)、『おひとりさまのゆたかな年収200万生活3』(2020年、KADOKAWA
森永卓郎『年収200万円でもたのしく暮らせます:コロナ恐慌を生き抜く経済学*2』(2020年、PHPビジネス新書)
◆坂本綾子『年収200万円の私でも心おだやかに毎日暮らせるお金の貯め方を教えてください!』(2021年、SBクリエイティブ

などという本がヒットすることでわかるように日本ですら今や「正規雇用はともかく非正規雇用においては」年収200万円(月平均17万円程度)は決して珍しくない(当たり前ですが年収200万円の人が相当数いるからこういう本が作られる)。むしろ「中国内陸部の物価(おそらく日本よりずっと安い)」を考えれば「日本の非正規」の方が丁世華さんよりずっと貧乏でしょう。改めて日本の現状に絶望的な気持ちになります。


【教えて!石平先生】ウクライナ侵攻 中国は「勝ち馬」乗ろうと加担も、苦境に - 産経ニュース

 中国の習近平政権はロシアのウクライナ侵攻が始まる前から、全面的にプーチン大統領の戦争を支援する姿勢をとっていました。

 有料記事なのでここまでしか読めませんが最初から完全なデマです。
 「是非はともかく」中国の態度は「ロシアの動き」を「いわゆる瀬戸際外交(軍事恫喝に過ぎない)」と見なした上で「ウクライナNATOプーチンの顔を立てて平和的に解決して欲しい」つうスタンスです。
 軍事侵攻があるとは中国は全く思ってなかったでしょう。
 なぜなら「第二のアフガン化」しかねないことは容易に想像がつくからです。だからこそ、侵攻後に賛成はしなかったものの国連総会ロシア非難決議で反対はせずに棄権した。おそらく「非難決議に反対票を投じた国(北朝鮮、シリアなど)」も含めて事前に「ロシアから侵攻計画を知らされていた国」はどこにもないでしょう。

*1:とはいえ「貧困者」は日本において低価格商品を求めざるを得ません。状況を変えるには「政治や企業など」が「貧困者を減らす」以外にはない。

*2:森永のそれ以前の著書が『年収300万円時代の「経済設計」ノート』(2005年、イーストプレス)、『新版・年収300万円時代を生き抜く経済学』(2005年、光文社知恵の森文庫)だったところ、著書名の年収が上がるどころか、減ってることにはげんなりします。