三浦小太郎に突っ込む(2022年4月18日分)(追記あり)

【最初に追記】
 そんな話は、称賛したり自慢したり嬉々として紹介するようなものではない - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で、この拙記事をご紹介頂きました。いつもありがとうございます。
【追記終わり】
【報告】出雲市での講演会「南モンゴルは負けない!」 | 一般社団法人 アジア自由民主連帯協議会(文責・三浦)

 参加者は約40人でした。

 随分と数が少ないと吹き出しました。わざわざ【4月9日 島根県 出雲市(会場変更しました!)】南モンゴルは負けない!島根県集会 「異形の大国 中国への抵抗と気概」 | 一般社団法人 アジア自由民主連帯協議会と「参加募集記事」をサイト掲載した意味があったのか。
 というかこれほど少ないと「実はサイト掲載した時点では会場は既に満杯。最初からお仲間以外を参加させる気はなく、『参加希望』が仮にあっても『会場が満杯』で断る予定。にもかかわらず、オープンな集会だとアピールするためにサイト掲載」という「詐欺行為ではないのか」と疑いたくなります。

 石飛さんは若いころから、頭山満内田良平*1玄洋社*2などのアジア主義に共感しており

 予想の範囲内ですが完全に石飛氏はプロ右翼活動家ですね。

 石飛さんによれば、当時バングラデシュでは、亡命チベット人部隊がインドから出撃し、バングラデシュ独立運動*3にかかわったことは、あちこちでうわさになっていたとのことです。事実、インドに亡命していたチベット人たちは、1960年代、ゲリラとしてしばしば中国国内に潜入していました。その彼らが、バングラデシュ独立戦争にも参加していたのでした。

 それは完全にインドによる「パキスタンへの違法な内政干渉」でしょうよ。三浦らが敵視する国(例えば旧ソ連や中国)が同じ事をやったら「違法な内政干渉」と批判するでしょうに、よく躊躇なく文章にできるもんです。
 つうか、ここで三浦が紹介するインドの行為は、ロシアがウクライナで現在やってる、そして三浦らウヨも非難する*4「自称独立国*5であるドネツク共和国、ルガンスク共和国(親ロシア派)への軍事支援」とどこが違うのか(まあ、当時のバングラデシュは『ウクライナの親ロシア派』よりはインドから自立していたでしょうが)。
 しかも「インド人」ではなく「チベット人部隊」。果たしてそれは本当にチベット人の意思だったのか?。「亡命を受け入れたんだから俺たちの言うことを聞け」とインドに押しつけられた可能性をどう思ってるのか?。
 ちなみに、楊海英『モンゴル騎兵の現代史:チベットに舞う日本刀』(2020年、中公文庫)において楊(静岡大教授)は「チベット解放において、内モンゴル人部隊が投入された」として「漢民族毛沢東中国共産党執行部)が汚れ仕事を少数民族に押しつけた」と非難し、それに三浦らウヨも同調していました(例えば【書評】「チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史」楊海英著 文藝春秋 | 一般社団法人 アジア自由民主連帯協議会(三浦小太郎)参照)。それとの整合性は全くどうなっているのか(呆)。「インドがチベット人部隊をバングラデシュに投入するのは問題ないが、内モンゴル人部隊を中国共産党チベット解放に投入するのは問題だ*6」なんてそんなバカな話はない。あえて言えば、むしろインドの方がもっと問題でしょう。当時、東パキスタンだったバングラデシュは明らかにインド国内ではないが、内モンゴルチベットは「中国国内」だからです(三浦らウヨはチベットなどを独立国だというのでしょうが、バングラデシュと違い、それは国際的に認められた話ではない)。

 バングラデシュはパール判事の生まれた地域*7でもあり、判事の解説書を出された田中正明*8自民党早川崇*9など、多くの日本の有識者がこの独立を支持し、日本は最も早い段階でバングラデシュを国家として承認した国の一つでした。当時、インドはむしろソ連に近かった*10ため、アメリカはこの独立戦争に冷淡であり、むしろパキスタンに好意的だった中、戦後日本の独自外交としてこのことはもっと評価されていいことです((ボーガス注:中ソ対立や中印国境紛争で当時ソ連やインドと対立していた)中国はもちろんパキスタン支持)

 「南京事件否定論のデマ右翼」田中に支持されてもねえ(苦笑)。それにしても、「バングラデシュ」云々が延々続くって、講演タイトル「南モンゴル*11内モンゴル自治区)」はどこへ行ったのか?(呆)。
 南モンゴルについての記述は

 南モンゴルのダイチン氏が、基調講演でモンゴル*12の現状を報告し、(ボーガス注:中国政府の同化政策によって内モンゴル自治区で?)モンゴル語が滅ぼされようとしている現実を語りました

と「たったこれだけ」で石飛氏のバングラデシュ話より分量が少ない上に、具体性に乏しいのだから呆れます。
 本来、逆でしょうよ。何でダイチン氏の基調講演の説明が全然ないのか。「ウヨ仲間の石飛氏に変な義理、しがらみがある」のかもしれませんが、何で石飛氏のバングラデシュ話がやたら多いのか(そもそも南モンゴルについておそらく知識がないであろう彼を呼ぶこと自体がおかしいですが)。俺がダイチン氏なら「馬鹿にしてるのか」とマジギレしてるところですが、多分ダイチン氏は三浦たち日本ウヨに何も言えないんでしょうね。そんなんでええんか(呆)。 
 なお

大学倶楽部・東京外国語大:バングラデシュ独立50周年記念イベントを開催 | 毎日新聞2022.4.19
 東京外国語大学は、3月30日、バングラデシュ独立*1350周年を記念し、在日バングラデシュ大使館との共催で、セミナー「国際社会におけるボンゴボンドゥとバングラデシュ」を対面とオンラインで開催した。
 冒頭で、シャハブッディン・アーメド駐日大使が開会のあいさつをしたのち、林佳世子*14学長が祝辞を述べた。同大の元非常勤講師でバングラデシュの代表的な日刊紙「プロトム・アロ」の日本支局長であるモンズルル・ハック氏が基調講演を、また同大でメディア翻訳の授業なども担当していた渡辺一弘氏(元NHK国際放送局)もベンガル語でスピーチした。
 バングラデシュ本国からも大臣の参加があり、会場に集まった学生らが熱心に耳を傾けた。
※ボンゴボンドゥとは、バングラデシュ独立運動を率い、初代大統領となったシェイク・ムジブル・ラーマンの愛称。「ボンゴ」は「ベンガル」、「ボンドゥ」は友を意味する。

「日・バングラデシュ外交関係樹立50周年」に際しての岸田総理大臣によるビデオメッセージ及び本田外務大臣政務官の式典出席|外務省令和4年2月10日
 2月10日、都内において、駐日バングラデシュ大使館主催で「日・バングラデシュ外交関係樹立50周年記念式典」が行われ、岸田文雄内閣総理大臣及びシェイク・ハシナ*15バングラデシュ人民共和国首相がビデオメッセージを寄せるとともに、本田太郎外務大臣政務官が主賓として出席しました。なお、2月8日にはバングラデシュの首都ダッカでも式典が行われ、両首脳のビデオメッセージが放映されました。
[参考1]
 バングラデシュは1971年12月16日に独立戦争に勝利し、日本は1972年2月10日にバングラデシュを国家承認しました。

ということで今年はいろいろと「バングラデシュ独立(あるいは日・バングラデシュ国交樹立)関係イベント」があるようです。

*1:黒龍会主幹、大日本生産党総裁

*2:頭山満内田良平らによって結成された右翼団体

*3:バングラデシュは当初は東パキスタンでしたが「西パキスタンに差別されてる」という反発からパキスタンから独立します。そしてパキスタンと対立するインドは「敵の敵は味方」でバングラデシュ独立を支援したわけです。

*4:まあ、よほどの親ロシア派でない限り擁護する人間はほとんどいませんし、俺も批判しますが

*5:とはいえ国家承認してるのはロシアだけ、そのロシアすらも『ウクライナ戦争開戦直前』の国家承認ですが

*6:ここではこうした石飛氏や楊の主張(チベット人部隊や内モンゴル人部隊の投入)が事実かどうかはひとまず置きます。

*7:ラダ・ビノード・パール - Wikipediaには「インドのベンガル州に生まれた」と書いてあるので「?」ですね。

*8:1911~2006年。著書『パール判事の日本無罪論』(1963年、慧文社→2001年、小学館文庫)、『南京虐殺の虚構』(1984年、日本教文社)、『「南京事件」の総括』(1987年、謙光社→2001年、展転社→2007年、小学館文庫)。しかし展転社から出た「南京事件否定本」を文庫化とは小学館は正気なのか?(呆)

*9:1916~1982年。池田内閣自治相・国家公安委員長、佐藤内閣労働相、三木内閣厚生相など歴任。日本バングラデシュ協会会長を務めた(早川崇 - Wikipedia参照)

*10:今もインドとロシアのしがらみは強く、このことが今回の国連総会ロシア非難決議で「インドが棄権した」理由とされます。

*11:勿論モンゴル国北モンゴルです。

*12:正確には南モンゴル内モンゴル自治区

*13:バングラデシュ独立戦争勝利は「1971年12月16日」

*14:著書『オスマン帝国の時代』(1997年、山川出版社世界史リブレット)、『オスマン帝国500年の平和』(2016年、講談社学術文庫) など

*15:初代大統領ムジブル・ラフマンの長女