「どうしたら取り返せますか?」(R4.4.30): 荒木和博BLOG
7分16秒の動画です。「何を取り返すのか?」がタイトルに書いてありませんが、勿論「拉致被害者」ですね。「北方領土や竹島」など他のことではない。
本来、荒木の活動目的は「取り返すこと」が目的なのだから「毎回そういう話をすべき」なのにそうではないから呆れます。
さて荒木の回答に関係なく俺の考えをまずは書きます。
第一に「現実的な取り返す手段は外交交渉」というのは「言うのも馬鹿馬鹿しい当たり前のこと」ですがまず大事なことです。
荒木の場合「自衛隊での救出」も「選択肢の一つ」とバカなことを言い出すから呆れますが。
第二に「過去の成功体験(荒木らは成功扱いしないのでしょうが)」、つまりは「金丸訪朝での第18富士山丸船長帰国」「小泉訪朝での5人帰国」「米国国務省の交渉によるワームビア君解放」などから「教訓を得て、それを交渉に生かす」。
第三に「三党宣言(金丸訪朝)」「平壌宣言(小泉訪朝)」で約束した「国交正常化での経済支援」のような「ギブアンドテイク」「バーター取引」は不可避だろうと言うことです。
最後に荒木動画について「俺の興味関心のある部分」のみコメントします。
荒木曰く「曽我さんは日本帰国後、ガンが判明して治療して事なきを得た。もし帰国できなかったら医療が貧弱な北朝鮮ではガンで死んでいたかもしれない。だから拉致被害者があの国で死亡してたとしても私は驚かない。だから即時一括全員帰国なんてそもそも無理だと思う。そして拉致被害者が『病気が治療できずに死亡』なんて悲劇がないようにするために段階的帰国、一部帰国でもいいと思う」(この記事での俺が紹介する『荒木の言葉』は一言一句同じ訳ではなく俺の要約であることをお断りしておきます。正確に知りたい方は動画を視聴してください)
亡くなった認定拉致被害者・特定失踪者をどう考えるか(2021.10.19)(荒木和博・特定失踪者問題調査会代表)でも荒木は同様のことを書いてるので後で紹介しておきます。
正論ですが「なら、お前は『即時一括全員帰国』方針の撤回を救う会や家族会に呼びかけるのかよ?。荒木さんが方針撤回を呼びかけるかっこいいところ見てみたい、それイッキ、イッキ」ですね。
こういう突っ込みは荒木も予想してるでしょうになんでこういうことを言うのか。理解不能ですね。
なお、俺も無知なので知りませんでしたが「帰国後に曽我さんがガン治療」については後で記事をいくつか紹介しておきます。
荒木曰く「金正恩反対派が金正恩を打倒して、拉致被害者を帰国させるというなら応援すべきだ」。
「完全に違法な内政干渉じゃねえか(呆)」という問題もありますがそれ以前に「どこにそんな反対派がいるのか(呆)」。そして「そんないるか分からない物に期待するより金正恩との外交交渉に期待しろ」。
荒木曰く「オールジャパンという言葉が救う会や家族会に反対する人間を排除する言葉であってはならない」
正論ですが俺的には「なら、お前は蓮池透氏との和解を救う会や家族会に呼びかけるのかよ?。荒木さんが和解を呼びかけるかっこいいところ見てみたい(以下略)」ですね。
こういう突っ込みは荒木も予想してるでしょうに(以下略)
【参考:曽我さんのガン治療】
亡くなった認定拉致被害者・特定失踪者をどう考えるか(2021.10.19)(荒木和博・特定失踪者問題調査会代表)から一部引用
この際だから書きますが、石井一*1の与太話*2ではなく、本当に死んでいる人についてどうするのかにも、私たちは向き合う必要があります。(ボーガス注:寺越武志さんの親族である)寺越昭二さんと外雄さんはすでに亡くなっている可能性が高く、渡辺秀子さんについても日本国内で殺害されたという説はあります。私たちは3人について、本当に確認できない限りは生存を前提としてやっていきますが、それ以外の認定拉致被害者・特定失踪者でも亡くなった人は当然いるでしょう。政府認定拉致被害者だけ見ても(ボーガス注:1925年生まれの)久米裕さんは96歳、(ボーガス注:1937年生まれの)原敕晁さんは84歳です。
曽我ひとみさんも帰国直後に肺がんが見つかり手術で摘出しました。もし19年前に日本に戻ることができなければすでに亡くなっていたかも知れません。
政府は「全員の生存を前提として」と言います。確かにそれは当然ですが、一方で亡くなった人、殺害された人についてどうするかを考えておくことも必要です。
久米氏と同じ「1925年生まれ」では
1925年 - Wikipedia
【あいうえお順】
◆梅原猛(2019年死去、享年93歳)
京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。文化功労者。文化勲章受章者
◆大滝秀治(2012年死去、享年87歳)
俳優。劇団民芸・元代表。文化功労者。
◆大田昌秀(2017年死去、享年92歳)
元沖縄県知事。琉球大学名誉教授
◆金大中(2009年死去、享年83歳)
元韓国大統領
◆野中広務(2018年死去、享年92歳)
村山内閣自治相・国家公安委員長、小渕内閣官房長官、自民党幹事長(森総裁時代)など歴任。
◆橋田壽賀子(2021年死去、享年95歳)
脚本家。文化功労者。文化勲章受章者(『脚本家としては初』らしいことについては橋田壽賀子が文化勲章をもらえるのなら橋本忍だってもらうべきだと思うが、やはりあの映画がまずかった? - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)
などが、原氏と同じ「1937年生まれ」では
1937年 - Wikipedia
【あいうえお順】
◆笑福亭仁鶴(三代目)(2021年死去、享年84歳)
落語家。
◆モンキー・パンチ(2019年死去、享年81歳)
漫画家。本名は加藤一彦。代表作『ルパン三世』
◆柳生博(2022年死去、享年85歳)
俳優。元「日本野鳥の会」代表
などが既に死去しています(江崎玲於奈・元筑波大学学長、マハティール元マレーシア首相(1925年生まれ:今年で97歳)、元『てんぷくトリオ』の伊東四朗、河野洋平*3元外相 、森喜朗*4元首相、森祇晶・元西武ライオンズ監督、(1937年生まれ:今年で85歳)のように存命の方もいますが)。荒木が言うように「久米氏や原氏のような高齢拉致被害者」まで「全員帰国」に救う会や家族会が入れているのであれば無茶苦茶です(恐らく入れてるのでしょうが)。
朝日新聞曽我ひとみさん、肺がんで手術 経過は良好2003.3.18
中山恭子内閣官房参与は18日午後、記者会見を行い、拉致被害者の曽我ひとみさんが肺がんのため、東京都内で右肺の腫瘤(しゅりゅう)摘出手術を受けていたことを明らかにした。早期の肺腺(はいせん)がんで、同日午前中に都内の病院を退院、術後の経過は良好だという。
曽我さん、肺がん手術体験語る/「勇気を持って」と講演 | 全国ニュース | 四国新聞社2007.6.9
拉致被害者曽我ひとみさん(48)=新潟県佐渡市=が9日、都内で開かれた日本医学会主催の公開フォーラム「がんに挑む-肺がん」で講演。自らの肺がん手術の体験をもとに「勇気を持って病気と向かい合えば、最後には勝てる。絶対にあきらめないで」と約500人の参加者に訴えた。
曽我さんは北朝鮮から帰国後の2002年10月、健康診断で右肺に約9ミリの腫瘤が見つかり、再検査で悪性腫瘍の可能性が高まったため2003年2月に摘出手術を受けた。
告知されたときの心境について「自覚症状がなかったので驚いたが、向こうで1日1箱くらいはたばこを吸っていたので思い当たった」と振り返る曽我さん。
北朝鮮で共同生活し末期の肺がんで死亡した女性*5の顔が頭をよぎったといい「向こうは検診があまりなく早期発見が難しい。わたしは日本に帰ってきたから小さながんを見つけてもらい、今もこうして元気で働ける。つくづく幸せだし、ありがたい」と語った。
asahi.com(朝日新聞社):曽我ひとみさんの手記全文:2 - 北朝鮮関連(2012.9.20)から一部引用
日本滞在中に健康診断でも受けたらとのアドバイスもあり、特に悪いところはなかったのだが、せっかくなので人間ドックを受けることにした。その時、先生から「ちょっと肺に気になるものがあります。まだほんの小さな粒程度ですが、もし時間が経って大きくなるようなら手術した方がいいと思います。まずは、1年くらい様子を見ましよう」と言われた。私は、すぐに「肺がん」だと確信した。なぜなら、北にいたとき(ルーマニア人拉致被害者の)ドイナが肺がんで亡くなっていた。初期の症状からずっと見ていた私には、肺に何かがあるというだけで、理解することができたのだ。精密検査をするため組織を取ったが、ほぼ間違いなく悪性だろうと思われた。怖くなった。目の前に「死」が迫っていると感じた。だが、先生が「ほんの初期ですから心配いらないですよ」と言ってくれたので安心できた。これが北朝鮮だったら、私は確実に死んでいただろう。ドイナのように、死ぬ直前まで故郷を思い、二度と故郷の土を踏むことが叶(かな)わなかっただろう。未練を残したまま死ぬことを考えたら、日本に帰れたことを感謝した。