今日の産経ニュース(2022年10/6分)

安倍派、「塩谷派」への衣替え案に不安と不満 - 産経ニュース
 「下村(安倍政権下で文科相自民党選対委員長)や萩生田(安倍政権下で文科相)に比べれば安倍色が薄い」とされる塩谷氏(安倍政権下で自民党選対委員長)が会長になれば勿論ですが、下村や萩生田が会長になるにせよ、その時点で安倍色が薄れることは恐らく間違いないでしょう。
 こういうときに「岸信夫会長」とならない辺り「岸の無能さ」を示しているかと思います。何せ岸の大臣就任は「菅内閣防衛相」が初で、実兄の安倍ですら岸を「外務副大臣」にはしても大臣にはしませんでした。確かに岸の当選回数は少ないのですが、「同様に当選回数の少ない稲田」を安倍は「防衛相」「自民党政調会長」に重用してるのだから「当選回数」だけの問題でもないでしょう。岸も自分を評価してくれなかった「実兄・安倍」に対する感情は複雑な物があるのではないか。


【正論】英王室の神と日本皇室の神々 東京大学名誉教授・平川祐弘 - 産経ニュース

 日本では、天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫である天皇国葬の際にも、鳥居を建てるのは憲法違反だなどという者がいた。だが古代以来の神道文化の伝統を消し去ろうとする憲法なら、廃止するがいい。英国の王家がキリスト教儀礼を重んじるのと同様、日本の天皇家が自国の宗教儀礼を尊ぶのは当然ではないか。

 「昭和天皇など戦前世代はともかく」、今の皇室にとってはこの種の「国家神道支持」はありがた迷惑でしかないでしょう。
 なお、コメント欄に指摘があるように「英国国教会」ではあるし、それに対する「政教分離の観点からの批判」も当然あるわけですが「国教」といっても「もはやかなり形骸化している英国」と「靖国問題で分かるように形骸化しているとは言いがたい日本」では話が大きく違います。

 国体護持とは神道を重んずる皇室の永続だが、降伏に際し、日本はそれを条件とした。それで終戦を成し遂げた鈴木貫太郎*1首相、米内光政*2海相阿南惟幾*3(あなみこれちか)陸相東郷茂徳*4外相などにお礼申したい。

 勿論ポツダム宣言は「無条件降伏」なのでデマも甚だしい。そもそも陸軍タカ派ポツダム宣言受諾に反対し、一部の人間に至っては映画『日本のいちばん長い日』(1967年の岡本喜八版と2015年のリメイク版)で有名なクーデター未遂事件・宮城事件まで起こしたのは「皇室維持」の保障がどこにもなかった*5からです。また鈴木や米内、東郷はともかく「阿南は受諾を渋々承諾した」のに良くもデマが飛ばせたもんです。
 阿南が内心不服だったことは
【1】自決したこと
【2】自決時に「米内(降伏派の鈴木内閣海軍大臣)を斬れ」と部下に口走ったことでも明白でしょう。
 なお、「米内を斬れ」については

阿南惟幾 - Wikipedia
 この言葉を阿南から直接聞いたと証言した竹下正彦陸軍中佐*6によれば、阿南は終戦に関して米内と散々議論してきた直後でもあり、母親の死後絶っていた酒を久々に口にして酔っていたことや、自決前の気持ちの高ぶりもあって、この言葉には深い意味はなく、つい興奮のあまりに口走った感じだったという。その証拠として、この発言のあとに米内に関する話を続けることはなく、すぐに他の話題に移ったことをあげている(半藤一利*7『決定版・日本のいちばん長い日:運命の八月十五日』(2006年、文春文庫))。阿南の秘書官であった松谷誠*8陸軍中佐も竹下と同じ見解で「意味のない言葉だったんでしょう」と証言しているが、その根拠としては、「日頃から阿南さんは、深く考えてものをいう人ではなかった。自分の言葉の影響も余り考えず、瞬間的に頭にひらめいたことをすぐに口に出す人でした。それだけに、無邪気な、気のいい人だったと思います。」と阿南の普段の人柄を挙げている(角田房子*9『一死、大罪を謝す:陸軍大臣阿南惟幾』(1980年、新潮文庫→2015年、ちくま文庫))。

との評価がされています。当然「米内暗殺未遂」は起きませんでした。

*1:海軍省人事局長、海軍次官海軍兵学校長、呉鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長、枢密院議長、首相を歴任

*2:横須賀鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官、林、第一次近衛、平沼、小磯、鈴木内閣海軍大臣、首相など歴任

*3:陸軍省兵務局長、人事局長、陸軍次官、陸軍航空総監、鈴木内閣陸軍大臣など歴任

*4:東条、鈴木内閣外相を歴任。戦後、禁固10年で服役中に病死。後に靖国に合祀

*5:米国において「日本に早期降伏を促す」ため宣言に「皇室護持を書くべき」というグループと「中国、ソ連が皇室護持に否定的であること」「もはや米国の勝利は動かないこと」「皇室を護持するかどうかは終戦後にフリーハンドで判断したいと考えたこと」から「皇室護持を書くことに否定的なグループ」の意見対立が結局「解消できなかった」ため宣言には何も書かれませんでした。

*6:宮城事件の首謀者の一人で阿南の義弟。同志の畑中健二少佐、椎崎二郎陸軍中佐が自決したのに対し戦後も生き残る。戦後は第4師団長(福岡県、佐賀県長崎県大分県が管轄)、陸上自衛隊幹部学校長などを歴任

*7:『戦士の遺書:太平洋戦争に散った勇者たちの叫び』(1997年、文春文庫)、『レイテ沖海戦』(2001年、PHP文庫)、『ノモンハンの夏』(2001年、文春文庫)、『ソ連満洲に侵攻した夏』(2002年、文春文庫)、『ルンガ沖夜戦』(2003年、PHP文庫)、『「真珠湾」の日』(2003年、文春文庫)、『遠い島ガダルカナル』(2005年、PHP文庫)、『聖断:昭和天皇鈴木貫太郎』(2006年、PHP文庫)、『15歳の東京大空襲』(2010年、ちくまプリマー新書)、『安吾さんの太平洋戦争』(2013年、PHP文庫)、『山本五十六』(2013年、平凡社ライブラリー)、『聯合艦隊司令長官・山本五十六』(2014年、文春文庫)、『「昭和天皇実録」にみる開戦と終戦』(2015年、岩波ブックレット)などアジア太平洋戦争に関する著書多数

*8:戦前、参謀本部戦争指導課長、杉山陸軍大臣秘書官、阿南陸軍大臣秘書官などを、戦後、陸上自衛隊第4管区総監、西部方面総監、北部方面総監などを歴任

*9:著書『甘粕大尉(増補改訂)』(2005年、ちくま文庫)、『責任:ラバウルの将軍今村均』(2006年、ちくま文庫)、『いっさい夢にござ候:本間雅晴中将伝』(2015年、中公文庫)など