賀茂道子『GHQは日本人の戦争観を変えたか:「ウォー・ギルト」をめぐる攻防』(2022年6月、光文社新書)

 新刊紹介:「歴史評論」2021年5月号(追記あり) - bogus-simotukareのブログで紹介した賀茂道子氏(現在、名古屋大学特任准教授)が「ウヨのWGIP批判論」をデマとして批判する新書を2022年6月*1に出していたことに「6月の刊行から4ヶ月経ってから今頃偶然気づいた(アマゾンの「閲覧履歴*2に基づくおすすめ商品」に入ってた)」のでメモしておきます。内容的にはおそらく歴史評論論文『「ウォー・ギルト」とは何か:江藤淳「ウォー・ギルト」論に対する批判的考察』や賀茂『ウォー・ギルト・プログラム:GHQ情報教育政策の実像』(2018年、法政大学出版局)と大きくは変わらないでしょうが。
 新刊紹介:「歴史評論」2021年5月号(追記あり) - bogus-simotukareのブログ

id:Bill_McCrearyさん
>「ウォー・ギルト」とは何か:江藤淳『ウォー・ギルト』論に対する批判的考察


 これもなんだかよくわかりませんよね。そんなものが続いたのはほんの数年にすぎないし、そういったものの影響が今日まで続いているのなら、それはその件でそれ相応の真理があると言うことでしょうに。それで米国万歳、しかしGHQ大っ嫌いなんていういいとこ取りをしていて恥ずかしくないんですかね(苦笑)。まあ連中も、自分たちの言っていることが世間でまともに相手にされていると考えるほどのキチガイじゃないでしょうが。


>ただし賀茂氏の指摘に寄れば「真相はこうだ」などが専ら暴露したのは「侵略戦争」云々よりもむしろ1)「満州事変・中国犯行説」、「大本営発表の戦果」などに見られる日本政府の虚偽宣伝、2)「バターン死の行進」などに見られる国際法違反、残虐性とのことです。


 先週(10日放送)の「報道特集」で、巣鴨プリズンで最後に死刑になった戦犯*3を特集*4していましたが、その戦犯は石垣島で捕虜を虐殺*5した兵士だったそうで、さすがに米国はそういったことへの激怒はすさまじかったようですね。で、江藤にしてもほかの連中にしても、現同盟国の米国の捕虜を殺して申し訳ないなんて、多分考えていないんでしょうね。

という「好意的コメントを頂いたid:Bill_McCrearyさん」にもIDコールでお知らせしておきます。
 なお未読なので評価できませんが賀茂著書についての書評記事とアマゾンレビューを紹介しておきます。

賀茂道子『GHQは日本人の戦争観を変えたか』(光文社新書) 7点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期
 目次は以下の通り。
◆第1章『なぜ「ウォー・ギルト」なのか』
◆第2章『戦争の真実が知りたい:「ウォー・ギルト・プログラム」第一段階』
◆第3章『戦争から日常へ:「ウォー・ギルト・プログラム」第二段階』
◆第4章『 「ウォー・ギルト」の本質に向き合う』
◆第5章『映像の中のBC級戦犯:戦後の「ウォー・ギルト」を追う』
 なぜ、GHQは「ウォー・ギルト・プログラム」が必要だと考えたのか? それは降伏当初の日本側の姿勢にあったと言います。
 日本はポツダム宣言を受け入れて無条件降伏するわけですが、日本ではこれを第一次世界大戦における休戦協定のように捉える向きもありました。ポツダム宣言受け入れ後も一定の交渉が可能だと考えていたのです。
 そのため、例えば、終戦連絡事務局の鈴木九萬(ただかつ)*6は占領軍を東京に来させないように政府から命令を受けていました。
 また、9月2日の降伏調印式のあとにGHQから出された軍票の使用や英語公用語を含む布告が、(ボーガス注:東久邇宮内閣)外相・重光葵*7の抗議で撤回されたこともあって、日本はさまざまな要求をGHQに出していくことになります。
 もう1つGHQを苛立たせたのが日本側の捕虜虐待問題に対する感度の鈍さでした。
 日本軍の捕虜になった連合国軍兵士の3割近くが死亡しており、アメリカなどはこれを大きな問題と見ていましたが、日本国内ではこの問題はあまり知られていませんでした。
 GHQは日本の残虐行為を日本国民に知らせるために、マニラの虐殺事件について新聞で報じるように命じましたが(載せない場合は新聞の発行を抑えると脅した)、国民の反応は「信じられない」「進駐軍の暴行をカムフラージュするマッカーサーの一策」「戦争中に当然有る事だ」といったもので(52−53p)、GHQの狙い通りにはいきませんでした。
 また、日本が原爆の人道的な問題をとり上げようとすることにもGHQは苛立っていました。
 外国の公使などからは原爆の非人道性をアピールしてアメリカ側に対抗すべき後行った声が寄せられ、日本側は外国人ジャーナリストを使って原爆の惨状を世界に訴えようとします。ところが、この公使らからの電報はGHQによって解読されており、GHQは『同盟通信』を業務停止にしてこれを阻止しようとします。
 こうしたことからアメリカ側は日本人の「再教育」が必要だと考えるようになります。
 ここで登場するのが「ウォー・ギルト」概念です。45年9月8日に初めて登場したとされ、同じ頃、マッカーサーの副官であったボナー・フェラーズは次のような提案をマッカーサーに行っています。
◆日本国民に彼らの戦争責任、彼らの関わった残虐行為、彼らの「ウォー・ギルト」について知らせる。
◆日本の敗戦の事実を明確にする。(62p)
 このように、アメリカ側は日本人の敗戦や残虐行為に対する認識を問題視しており、何らかの対策が必要だと考えたのです。
 この日本人の意識改革を担ったのがGHQ民間情報教育局(CIE)です。戦時中に陸軍情報教育部で米兵に日本人捕虜の取り扱いを教えていたケネス・ダイクが局長に就任し、日本人の意識改革の司令塔となりました。
 「ウォー・ギルト・プログラム」の推進役となったのが、日本の大学で英語や英文学の教師もしたことがあるブラッドフォード・スミスでした。
 スミスは42年から米国戦時情報局で対日心理作戦に従事していましたが、スミスは主に宣伝ビラの作成に携わっていたといいます。宣伝ビラの狙いは天皇や軍の上層部と一般の兵士の間にくさびを打ち込むことで、それによって投降を促そうとしていました。
 スミスは言論弾圧こそが日本が戦争に至った原因だと考えており、スミスとともに「ウォー・ギルト・プログラム」に取り組んだアーサー・ベアストック大尉も同じ考えを持っていました。そこで2人は「思想の自由」キャンペーンと「ウォー・ギルト」キャンペーンに取り組みます。
 前者に関しては自由主義者などにラジオに出演して語ってもらうことにし、ラジオ番組『出獄者に聞く』では志賀義雄をはじめとした共産主義者が出演しています。日本政府はこれを苦々しく思いましたが、スミスはあえて彼らが公に発信しても罰せられないことを示そうとしました。
 さらに日本軍の非人道的行為を外地からの引揚者が語った記事などを新聞に掲載させるようにしています。
 スミスはこうした日本軍の残虐行為を明らかにするとともに、「太平洋戦争史」の執筆を始めていました。これは米軍の記録などを参考にしたもので1945年10月17日の時点で第10章まで完成していたといいます。スミスは日本国民が戦争の実態を知り、軍国主義者たちの責任を知ることが重要だと考えていました。
 江藤淳はこの「太平洋戦争史」が日本の歴史記パラダイムを規定した、戦争が侵略戦争であったことを規定したとしていますが、スミスの力点は戦争の加害者として軍国主義者たちを置くものでした。
 「太平洋戦争史」は10月末には完成し、スミスはそれを置き土産にして日本を去ります。
 「太平洋戦争史」でスミスは軍国主義者たちの国民に対する権力濫用や捕虜や占領地住民に対する残虐行為を問題視しましたが、掲載を求められた新聞社は、例えば『読売新聞』は華北侵略や南京虐殺の部分は一部削除しましたし、「マニラの虐殺」の写真はすべての社が使いませんでした。この時期のCIEは新聞社の自主性を尊重する姿勢を見せています。
 江藤は「太平洋戦争史」と東京裁判史観を連続したものとして捉えていますが、「太平洋戦争史」と東京裁判の考えには違いもあります。
 例えば、東京裁判に用いられた「共同謀議」の考えは登場していませんし、東条英機*8の責任も強く追及されてはいません。また、広田弘毅*9も好意的に描かれています。
 「太平洋戦争史」は教材として使用されることも想定され10万部を売り上げたとされていますが、実際はあまり使われなかったようです。
 一方、この時期にベストセラーとなったのが毎日新聞記者の森正蔵*10とその部下らが執筆した『旋風二十年:解禁昭和裏面史*11』です。内容的には「太平洋戦争史」と似ていますが、当時の人々にはGHQの手によるものよりも日本人の書いたもののほうが信頼できるという感覚があったのでしょう。
 また、CIEはラジオでの情報発信にも力を入れました。まず最初に放送したのが『真相はこうだ』です。これは少年が文筆家との対話を通じて戦争の真相を知るという形式で、戦争責任や残虐行為についてその真相を明かすという内容です。
 効果音などを派手に使い、「真相」を印象づけるという形の番組でしたが、このようなスタイルに慣れていなかった当時の人々からは抗議が殺到したといいます。
 それでも同時期に雑誌の『真相』が大きく部数を伸ばすなど、戦争の「真相」を知りたいという需要は確実にありました。
 スミスと違って、ダイクは日本国民に軍国主義への支持を容認する雰囲気をつくった責任というものを自覚させたいと考えており、また、東京裁判の進行と都合を合わせるかのように、『真相はこうだ』でも東条の責任を追求するような回も登場しています。
 また、ダイクは新聞懇談会を通じて新聞を統制しようとしました。
 当初、ダイクは山下奉文*12の裁判などで新聞社が山下に同情的な報道をすることに苛立ち、かなり厳しく新聞に対して厳しい姿勢で臨みましたが、ほぼ毎日、新聞記者たちを懇談を行うことで新聞を統制するというやり方に変えてきます。
 日本側にとっても、GHQやCIEの考え方や方針を知る機会となり、またGHQの政策について質問できる機会となったので、このスタイルは定着していきます。
 GHQにとって都合の悪いことはノーコメントだったりオフレコだったりしたのですが、それでも日本側にとっては貴重な質疑応答の機会でした。
 CIEは自らの役割について次のように説明しています。
 我々は、サイドラインを引き、ゴールを設け、ボールをトスするところまでは行うが、彼らがボールを拾い上げ、それを持って走るのである。彼らがボールを落としたり、倒れたりした時に我々は助ける。しかし我々は特別プレーに加わるわけではないのだ(131p)
 こうしたスタンスによって、CIEは「言論の自由」とメディアの統制という矛盾の両立を図ったのです。
 CIEのやり方も徐々に日本人の反発を考慮に入れて穏和なものになっていき、『真相はこうだ』も派手な音楽や音響などを抜いて寄せられた質問に答えるという『真相箱』という番組に変わっていきます。この『真相箱』には日本人から多くの手紙が寄せられました。
 1946年5月末にCIEの局長はダイクからドナルド・ニュージェントへと交代します。ニュージェントは教育学と歴史学を学び、日本の和歌山高商*13で教えた経験があるなど、教育に関心があり、「ウォー・ギルト」への関心はあまりなかったともいいます。
 『真相箱』ではアメリカに対する質問がとり上げられることが増え、中国戦線のものは減少していきます。『真相箱』に対する関心も減少し、46年12月からは戦争以外の質問も受け付ける『質問』にリニューアルしました。
 『質問箱』でも、例えば原爆投下の正当性についての質問がとり上げられることはありましたが、戦争関連の質問は次第に減っていくことになります。
 一方、映画ではCIEの関与が続いていました。CIEは「日本ニュース」の映画ニュースを通じて、自らのプロパガンダを広めようとしますが、これに呼応したのが日本ニュースの左翼思想を持った社員の存在でした。
 日本の軍国主義を攻撃する日本ニュースの報道には観客からの批判もありましたが、CIE映画課のデヴィッド・コンデがそれをバックアップしたと言われます。
 コンデは映画を通じて「ウォー・ギルト」の考えを広めようとしており、46年2月に公開され大ヒットした木下惠介監督『大曾根家の朝』では、コンデの指示によって思想犯として捕まっていた長男がマッカーサーによって釈放されるシーンが追加されたといいます。
 また、1946年8月公開の黒澤明監督『わが青春に悔なし』も「ウォー・ギルト」関連映画とされていますが、黒澤明はもともと左翼的な思想を持った人物でもありました。
 コンデは黒澤明のような左翼的な映画人の活躍を後押しましたが、のちにGHQの方針転換とともに追放されています。
 1947年末、東京裁判東条英機が最終陳述を行うと、日本の正当性を堂々と主張する東条を評価する声が現れます。
 これに危機感を覚えたCIEは1948年2月に「ウォー・ギルト・プログラム」を第三段階に引き上げることを決定し、東条への称賛や原爆批判を抑え込もうとします。江藤淳が注目したのもこのときの覚書になります。
 1948年4月にはCIEの週報に新たな「ウォー・ギルト・プログラム」が認可されたことが報告されていますが、実はこれ以降「ウォー・ギルト」は失速していきます。
 この理由として、この時期にGHQ占領政策の転換があったこと(いわゆる「逆コース」)、東条への称賛が一過性のものであり広がりを持たなかったこと、原爆投下批判も広がりを持たなかったことをあげています。
 さらにCIEのはたらきかけがなくてもメディアがCIEの意向に従った報道を行う体制はすでに出来上がっていました。
 実は江藤も「ウォー・ギルト・プログラム」の効果が薄かったことは気づいていたのですが、それにも関わらず「ウォー・ギルト・プログラム」による洗脳説を打ち出しています。
 著者は、1982年の教科書問題*14などを受けて、江藤がその憤懣やるかたない気持ちを偶然手にした資料にぶつけたと推測しています。
 第4章では、「ウォー・ギルト・プログラム」についてのまとめがなされていますが、著者はこのプログラムが日本軍の残虐行為を明らかにし、新聞をGHQの望むような論調に誘導したことに触れつつ、「「ウォー・ギルト・プログラム」の最も大きな功績は、人々がもともと持っていた「軍国主義者が悪い」という実感にお墨付きを与えたことではないか」(207p)と述べています。
 内容的にはここで終わってもいいのですが、本書ではドラマや映画などの映像作品におけるBC級戦犯の描かれ方を分析した第5章が続きます。
 BC級戦犯を描いた映像作品というと『私は貝になりたい』を思い浮かべる人が多いかと思いますが、本書でも中心的にとり上げられています。
 BC級戦犯は捕虜虐待の罪などで裁かれた人たちですが、特に2007〜08年に集中的につくられた戦犯を扱ったドラマ(『私は貝になりたい』も映画として中居正広主演でリメイクされた)は、「人間ドラマ」が強調されていたり、敵との「和解」が描かれているといいます。
 一方、日本人の加害性を正面から捉えようとしたものもあります。NHKで2008年に放送された『最後の戦犯*15』や2021年に放送された『しかたなかったと言うてはいかんのです*16』はそうした作品です。
 第5章については興味深いところもあるのですが、もう少し研究を進めてから世に問うても良かった気はしますね。
 ただ、「ウォー・ギルト・プログラム」という「陰謀」が、GHQ占領政策の中で行った試行錯誤の1つにすぎないということを明らかにしたのは本書の良い点です。
 もちろん、「ウォー・ギルト・プログラム」は無力ではありませんでしたし、GHQが日本のメディアを統制したことも事実ですが、だからといって「ウォー・ギルト・プログラム」に日本人のほとんどを洗脳するような、力や体系性はなかったということは理解できると思います。

◆Rob Jameson
 本書の眼目は「虚実入り乱れて語られる」“ウォー・ギルト・プログラム”(以下GWPとする)の実像=正体を明らかにすること、また作家・江藤淳がその著『閉ざされた言語空間*17』で引用した文書の検証の二点である。論点はメモに取っただけでも多数になりここでは紹介しきれない。
 全体は5つの章から成り(1)なぜ「WG」なのか、(2)戦争の真実が知りたい:「WGP」第一段階、(3)戦争から日常へ:「WGP」第二段階、(4)「WG」の本質に向き合う、(5)映像の中のBC級戦犯:戦後の「WG」を追う、となっている。しかし構成は1から3章で164ページだが書下ろしの4章は16ページ、5章は46ページと不均衡に見える。とくに第4章は標題に対しては追究不十分ではないかとの感想である。いささか残念でもある。
 他方、十分に予想できるのは本書に対していわれなき非難、暴言が浴びせられよう。例えば「諸君*18SAPIO、正論などの雑誌を読め」とか(そう言えば『新潮45』は廃刊になったな)。それは逆に言えば本書が的を得ていることの証明でもあろう。
 巻末の「主要資料」に“GHQ/SCAP資料”以下米国国立公文書館NARAの史資料が並んでいるのが壮観。仕事とはいえNARAを訪れ、そのマイクロ版を日本で販売していた身として感無量である。
◆zelda
 しばらく前にSNSでも少し吹き上がり、いつの間にか消えてなくなっていた(?)WGIP論。
 よくある右翼陰謀論と片付けてしまうのもどうかと思いつつ、いつの間にか記憶の彼方に消えてしまっていた、その程度のもの。
それがたまたま、本書に触れる機会を持ち、頭の引っかかりが一つ解消することとなった。
 右翼陰謀論の一つと片付けて良さそうなものをあえて研究するというだけでももう面白いのに、当時のWGIP担当者、日本政府・新聞社等といった各関係者の思惑、そして実際のWGIPの実績が、歴史的資料に基づきながら織り交ぜられ、生き生きと描かれている。
 私自身は歴史学には門外漢だが、日本戦後メディア史の入門書としても優れているかもしれないと思わせるものがある(参考文献や用語解説もついている!)。
 ただ、第5章の収まりがいささか悪いように思う。私は半ば無理矢理、第4章までの議論を例証する(=WGIPの失敗の結果を示す)章として理解したが、これは私の勝手な読みであって、おそらく筆者の意図したものではない。
 また、歴史の描き方自体は説得的なのだが、筆者自身の主張に当たる部分に多少根拠の薄さを感じる点もある。けれども、これはこれで「あくまで筆者自身の主張だ」ということがわかるような書き方になっているため、大きな問題ではなかろうと思う。
 この著者の前著も、同じくWGIP論のようで、それには有馬哲夫*19が言及し、批判を加えている。本書は有馬の名を出しているわけではないが、読めば彼の批判に十分耐えうるものであることがわかる。
 これはあくまでも私の読みだが、もしも賀茂と有馬のどちらがWGIPを正確に捉えているかと問われたならば、私は迷わず賀茂と答えよう*20
 有馬はWGIP関連の公式文書のみを用いて「形式的な」WGIPのみを語るが、賀茂は公式文書のみならず、当時の実際の記録(報道・広告実績など)を検討することで、WGIPの「実像」に迫っているからだ。
◆松山組幹部
 本書は、気鋭の歴史学者によるウォー・ギルト・プログラム検証の書である。本プログラムに触れた著作の多くが、著者自身による2018年の前著(『ウォー・ギルト・プログラム:GHQ情報教育政策の実像』)を除けば、右派論壇からのものがほとんどであり、研究上の偏りがあったことを考えると、本書の意義は大きい。また、本書は、研究書である前著を敷衍した形で一般読者にも分かりやすく伝えるものであると同時に、著者の研究のその後の拡がり(e.g. BC級戦犯の戦後映像作品の検証)を示すものでもあり、そうした点にも価値を見出しうるだろう。
 本書のタイトルにして問いは、「GHQは日本人の戦争観を変えたか」である。だが、本書の分析は、GHQの政策すべてを包括的に検討するというより、基本的にウォー・ギルト・プログラムに焦点を絞ってのものだと考えられる。よって、「ウォー・ギルト・プログラムは日本人の戦争観を変えたか」の方がタイトルとしてより正確であろう。
 さて、それではこの問いに対する著者の答えは何か?。それは端的には次のとおりである。
「人々は残虐行為の事実や東京裁判判決は受け入れたが、必ずしもCIE〔=民間情報教育局〕の思惑通りに『ウォー・ギルト』を受け入れたわけではない。それでも、占領期にCIEが(ボーガス注:南京事件バターン死の行進などの)日本軍の残虐行為をはじめとする戦争の隠された事実を明らかにし、それに日本のメディアが追随したことは、人々にある程度の影響を与えたことだろう。/しかし『ウォー・ギルト・プログラム』の最も大きな功績は、人々がもともと持っていた『(ボーガス注:東京裁判で死刑となった東条英機元首相などの)軍国主義者が悪い*21』という実感にお墨付きを与えたことではないか。それにより人々は(ボーガス注:自分を『中国、東南アジア侵略の加害者』ではなく『軍部(特に陸軍)の被害者』として扱い)戦争を主体的に考えることを避けてきた。」(本書p.207)
 従来の右派論壇の典型的な主張(e.g. 江藤淳)によれば、ウォー・ギルト・プログラムという強力な洗脳プログラムによって、誇り高き日本人は洗脳され、自虐的な軟体者になってしまった、ということになる。それに対し、著者は、歴史学的に実態を検証すれば、ウォー・ギルト・プログラムにそれほどの力はなく、日本人の持つ元々の実感を後押しした程度にとどまる、と結論付ける。
 右派と著者の間の、こうした本プログラムの<強さ>に対する所感の差異を決定づける最大の争点は、<ウォー・ギルト・プログラムの第三段階が実施されたのか否か>という点であろう。右派は、第三段階が実際に実施され、現在に続く強力な洗脳効果を持ったと考えるのに対し、著者は、第三段階は(ボーガス注:計画された物の、いわゆる逆コースによる米国の政策変更によって?)「幻」に終わったとする(本書第3章3節)。その主張が果たしてどれほど説得的であるか、ぜひ本書を手に取って、ご自身で検証してみてほしい。

 BC級戦犯の戦後映像作品の検証ですが、『BC級戦犯の戦後映像作品』の多くは

【内容については私は貝になりたい - Wikipedia明日への遺言 - Wikipedia参照】
私は貝になりたい
 テレビドラマではフランキー堺(1958年)、所ジョージ(1994年のリメイク版)が、映画版ではフランキー堺(1959年)、中居正広(2008年のリメイク版)が主役を演じた。
 このドラマに対する批判としては『私は貝になりたい』を反米プロパガンダのファンタジーと断罪する者だけが『鬼郷』に石を投げよ - Apeman’s diary(2017.3.18)、『私は貝になりたい』―― 戦後日本人の被害者意識を正当化した「不朽の名作」 - 読む・考える・書く(2020.7.22)を紹介しておきます。
明日への遺言
 2007年公開。原作は大岡昇平『ながい旅』(新潮文庫、角川文庫)。
 第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官(陸軍中将)の岡田資*22(映画では藤田まこと)は、名古屋大空襲の際に撃墜され、脱出し捕らわれたB29の搭乗員を、ハーグ条約違反の戦争犯罪人として略式命令により斬首処刑する。
 戦後この行為に対し、「捕虜虐待」の罪(B級戦犯)として横浜法廷(軍事裁判)で裁かれ岡田に死刑判決が下る。
 なお、B29搭乗員の処刑は、同様な問題を抱える軍管区司令官が東京に集まって対策会議が開かれたこと、岡田が(おそらく実際には、軍中枢に累を及ぼさず、東海軍だけで問題の責任を被って処理すると言って)下村定陸軍大臣に感謝されたことを生前語っていることから、実際には、岡田個人の判断ではなく、東京の陸軍中枢からの指示で殺された可能性が極めて高い。

など「戦犯を被害者的に描いており、彼らの戦争責任に向き合ってない(岡田の死刑判決についてはそもそも名古屋大空襲が違法攻撃ではないのかと米軍を非難)」と言う批判は既に林博史関東学院大教授などがしていますが、おそらく賀茂著書も同様の批判をした上で「ウヨのWGIP論の虚構性」を主張しているのだと思います。
 話が脱線しますがもともとは『てなもんや三度笠』『必殺仕事人(まあ必殺も藤田が年を取るにつれシリアスな面が強まったとは思いますが)』などでコミカルな役を演じていた藤田まことも、このように晩年は「シリアスな役」が多くなっていきます。
 こういう「年を取るとシリアス方面に行くコメディアン」は藤田以外にも多いですよねえ(すぐに俺が思いつくのでは『ドリフターズいかりや長介、『てんぷくトリオ』『ベンジャミン伊東』伊東四朗、『クレージーキャッツ植木等、『小松の親分さん』小松政夫などがあります)。
 やはり

東八郎 - Wikipedia
 志村けんは子供からバカにされることに内心憤慨していた時期があったらしく、その際『バカ殿』シリーズで家老役で共演していた東に「東さんはその歳になっても、なぜバカな演技ができるのですか?」と尋ねたところ、東から「子供にバカにされるのは芸人として当然のことで、怒っても仕方がない。分かる人は、演者がバカではないとちゃんと分かってくれている。むしろ芸人が利口面をしたがったり、文化人ぶったりするようになったらおしまいだよ」と諭され、大いに感激したという。志村はことあるごとにこのエピソードを披露し、東に対する敬意を表している。

というように多くのコメディアンには「笑われてること」への抵抗が内心あり、東のようには言えないのでしょう。
 勿論「年を取る」と笑いを取りにくくなるというのもありますが。

*1:歴史評論論文が2021年4月、新書が2022年6月なので歴史評論論文を読んで共感した光文社新書編集者が新書執筆を依頼したということですかね?。この種の「日本の戦争批判本」が良く出る岩波新書でないことが少々意外です。

*2:まあ、歴史認識問題でのウヨ批判をするときに「そういえばあの件(慰安婦南京事件、徴用工等)てどんな本があったっけ?」と言う「閲覧の結果」でしょう。

*3:1950年4月に死刑が執行された藤中松雄のこと。藤中については「父は何故死んで逝かねばならないか」巣鴨プリズン最後の死刑囚 遺書に託す願い | 毎日新聞(2019.8.14)、28歳のBC級戦犯が死刑囚に…家族に宛てた7千字の遺書|【西日本新聞me】(2020.5.22)、「戦争」問うBC級戦犯の遺書など保存 福岡・嘉麻市(1/2ページ) - 産経ニュース(2021.8.13)、「22枚目の遺書」が訴える“世界永遠の平和”BC級戦犯として命を奪われた藤中松雄さん | RKBオンライン(2022.8.15)も紹介しておきます。

*4:最後の処刑から71年、スガモプリズンBC級戦犯の真実』(2021/04/10放送)のこと

*5:石垣島事件 - Wikipediaのこと

*6:戦前、外務省儀典課長、駐エジプト公使などを、戦後、終戦連絡地方事務局横浜事務局長、日本ユネスコ国内委員会事務総長、オーストラリア大使、イタリア大使など歴任

*7:戦前、東条、小磯内閣外相。戦後、東久邇宮内閣外相を務めるがその後戦犯として訴追され、禁固7年。公職追放もされるがいわゆる逆コースで公職追放が解除。政界に復帰し改進党総裁、日本民主党副総裁(鳩山総裁時代)、鳩山内閣外相を歴任

*8:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*9:斎藤、岡田、第一次近衛内閣外相、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*10:毎日新聞東京本社社会部長、出版局長、論説委員長などを歴任

*11:現在は2009年、ちくま学芸文庫

*12:陸軍省軍事課長、陸軍省軍事調査部長、歩兵第40旅団長、支那駐屯混成旅団長、北支那方面軍参謀長、陸軍航空総監兼航空本部長、関東防衛軍司令官、第25軍(マレーシア)司令官、第1方面軍(満州)司令官、第14方面軍(フィリピン)司令官など歴任。戦後、マニラ虐殺事件の責任者として死刑判決

*13:旧制高校「和歌山高等商業学校」のこと。現在の和歌山大学経済学部の前身

*14:この結果、いわゆる「歴史教科書」に関する宮沢内閣官房長官談話が発表され、この談話に基づき、いわゆる近隣諸国条項が作成された。近隣諸国条項については例えば赤旗教科書検定基準の近隣諸国条項とは?(2001.11.12)参照

*15:小林弘忠『逃亡:「油山事件」戦犯告白録』 (2007年、中公文庫)のドラマ化。「最後の戦犯」については例えば死の恐怖におびえ…「油山事件」3年半の逃亡、最後の戦犯の手記|【西日本新聞me】(2020.12.8)参照。

*16:熊野以素『九州大学生体解剖事件・70年目の真実』(2015年、岩波書店)のドラマ化。『しかたなかったと言うてはいかんのです』については例えば「しかたない」で片付けたらどんどん後ろ向きに…終戦ドラマで妻夫木聡が憂う「今」 : 読売新聞オンライン(2021.7.20)参照

*17:1994年、文春文庫

*18:諸君も「事実上の廃刊」になっています(建前は休刊ですが)。

*19:早稲田大学教授。勿論賀茂氏とは逆に有馬『日本人はなぜ自虐的になったのか:占領とWGIP』(2020年、新潮新書)などで「ウヨのWGIP批判」を支持するトンデモ極右学者。『歴史問題の正解』(2016年、新潮新書)、『こうして歴史問題は捏造される』(2017年、新潮新書)、『NHK解体新書:朝日より酷いメディアとの「我が闘争」』(2019年、ワック文庫)、『一次資料で正す現代史のフェイク』(2021年、扶桑社新書)、『「慰安婦」はみな合意契約をしていた:ラムザイヤー論文の衝撃』(2021年、ワック文庫)などトンデモ極右著書多数

*20:そりゃ、有馬の主張は高橋史朗『「日本を解体する」戦争プロパガンダの現在:WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の源流を探る』(2016年、宝島社)、『WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と「歴史戦」:「日本人の道徳」を取り戻す』(2018年、モラロジー研究所)等と同じ「ウヨのプロパガンダでしかない」ですからね。この人でなくてもまともな人間は有馬なんか支持しません。

*21:これとセットになってるのが「終戦聖断論(昭和天皇平和主義者論)」「陸軍悪玉・海軍善玉論」です。

*22:岡田は歩兵第8旅団長時の南昌・武漢攻略戦において国際法違反の毒ガス使用を行った過去があり「そんな人間が自分を棚上げして米軍空襲を違法と批判するのはご都合主義だ」と言う批判があることについては岡田資 - Wikipedia参照