【最初に追記】
この拙記事が「ハニートラップ」なんてことで、そのような歴史の話を解釈するのはよろしくない(半藤一利氏って、こんなトンデモだったのという気がする)(上) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)、「ハニートラップ」なんてことで、そのような歴史の話を解釈するのはよろしくない(半藤一利氏って、こんなトンデモだったのという気がする)(下) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で紹介頂きました。いつもありがとうございます。
【追記終わり】
◆荒木のツイート
荒木和博がリツイート
◆レブラくん(RBRA)予備役ブルーリボンの会
拉致被害者・有本恵子さんの母嘉代子さん。愛娘に会えないまま昨年逝去された。先週御神前に御供した折、父の明弘さんは「安倍前総理が前提条件なしに北朝鮮と会談すると言ったので、家内は希望を持ったまま天国に旅立った」と語った。
本気で言ってるというのではなく、今更「安倍支持の愚かさ」が認められず自己欺瞞してるだけでしょう。しかも安倍の首相退陣で奴の言葉「前提条件なしに北朝鮮と会談」は完全に空手形になったわけです。有本明弘も全く無様です。
底なし沼【調査会NEWS3449】(R3.6.2): 荒木和博BLOG
今日警察は2人の特定失踪者が国内で所在確認されたと発表しました。1人は昭和47年(1972)に京都で失踪した木村秋男さん、もう1人は昭和53年(1978)に同じく京都で失踪した非公開の男性です。どちらも調査会リストに公開・非公開で載っています。
北朝鮮拉致で無いどころか、事件性なし。つまり自発的失踪だったわけです。
普通に考えて荒木らの信用性を大きく失墜させる一大不祥事なのに「人間誰しも間違いはあるから気にしてない」「こんなことで我々救う会を攻撃して拉致解決に役立つのか」「北朝鮮を利したいのか」「むしろ我々が騒いだから見つかったのでは無いか」「とにかく見つかって良かった(内心では『俺たちのデタラメさが露呈されるから一生出てくるな』『今頃出てくるな』と思ってるでしょうが)」などの詭弁で片付ける荒木のデタラメさにはいつもながら呆れます。
もっと呆れるのはこんな荒木とつきあい続ける拉致被害者家族会や特定失踪者家族会ですが。
荒木和博
令和3年6月3日木曜日のショートメッセージ(Vol.426)。変な期待をしている方には期待外れになる話です。
5分20秒程度の動画です。動画説明文だけで呆れますね。「変な期待」とは何なのか。
「イヤー、(旧民社党職員時代に、民社党に近づいて利益を得ようとする女から?)ハニートラップ(いわゆる色仕掛け、美人局)に掛かって美味しい思いをしたんですよ」という「荒木のセックス武勇伝」でも期待してると思ってるのか?
「するか、バカ」ですね。
まあ、それはともかく。
拉致問題で「ハニートラップ」と言えば、
1)「訪朝した金丸氏*1、小泉氏*2」など荒木ら救う会が「親北朝鮮」とみなした人間にハニートラップ云々と誹謗
まあ、北朝鮮じゃないですが
橋本龍太郎 - Wikipedia
「諸君!」1998年6月号で、加藤昭*3は橋本が総理在任中に、工作員と見られる中国の女性官僚と関係があったと報じた。これについて橋本側は、女性は中国大使館に勤務する通訳であり、職務上接点があっただけと反論した。なお、「諸君!」記事発表当時、橋本は日中友好団体である日本国際貿易促進協会会長を務めていた。
谷垣禎一 - Wikipedia
週刊文春(2005年12月8日号)で1988年に中国訪問中に女性を買春し、中国公安当局に尋問されたと報じられた。これを受けて谷垣は名誉を棄損されたとして、謝罪広告の掲載と2200万円の損害賠償を求めて週刊文春の発行元である文藝春秋側を提訴。1審(東京地裁)は名誉棄損の成立を認めて文藝春秋側に330万円の支払いを命じ、2審(東京高裁)では1審判決を支持した上で賠償額を220万円に減額。その後最高裁は文藝春秋側の上告を棄却し、2審判決が確定した。
ということで、右翼マスコミが橋本龍太郎氏*4や谷垣禎一氏*5に対して「中国のハニートラップ」云々と書いて抗議され、谷垣氏に至っては週刊文春を民事提訴し、文春側が敗訴するなんて事もありました。
あるいはハニートラップではないですが、例えば『いわゆる親中派(二階*6幹事長など)』に対して荒木らウヨが「弱みを握られてる」「利権(中国人観光客の訪日旅行利権など)で買収された」などと悪口するのはいつものことです。
もちろん政治家がらみでこういう話が出てくる理由の一つは「宇野*7首相の醜聞」のように実際に政治家の女性醜聞はあるからです。
政治家に近づいて利益を得ようとする人間は当然いるでしょうし、その人間が女性ならば「色仕掛け」ということもありうるでしょう。
2)よど号グループが海外で拉致した男性
まあ、実際、どうか知りませんが、色仕掛けで北朝鮮に連れていかれた、なんて説がありますね
といったところでしょうか(荒木が動画でどんな話をしてるのかはあえて説明しません)。
どっちにしろばかばかしいですね。根拠もなしに1)なんて言ったところで名誉毀損、誹謗中傷でしかないし、拉致の解決とも関係ない。
2)だって今更「色仕掛けについて行かなければ良かったのにねえ」といっても無意味です。もちろん今後「北朝鮮が色仕掛けで拉致」なんてこともありえない。
まあ、「結婚詐欺」あるいは「会社の金を横領して、愛人女性につぎ込む(三越事件での岡田茂と愛人の関係なんかもその一例でしょう)」などという「色仕掛け」なら「多くの人間が今後も被害に遭う可能性がある」わけですが、それはもはや拉致と全く関係ない。
【参考:ハニートラップ】
ハニートラップ - Wikipedia参照
「ハニー・トラップ」という言葉は、映画『寒い国から帰ったスパイ』(1965年)の原作者として知られるイギリスのスパイ小説家ジョン・ル・カレの造語であり、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』(1974年:邦訳はハヤカワ文庫)で用いられてから一般に広まった。
【エピソード】
◆『日独伊三国軍事同盟に反対した米内光政*8、山本五十六*9、井上成美*10(いわゆる海軍三羽烏、海軍左派)』など一部を除き、日本海軍がナチス・ドイツに傾斜したことを疑問に思った半藤一利*11は、ある取材で元海軍中佐・千早正隆*12に質問したところ、千早はその原因の一つが『ナチスドイツのハニートラップである』と答えたという(半藤一利『歴史に「何を」学ぶのか』(2017年、ちくまプリマー新書))。千早によると、日本軍人が駐在武官としてドイツに滞在している間にナチスは美人のメイドを派遣して来て、色仕掛けで篭絡していたという。
2004年(平成16年)に在上海日本国総領事館の電信官が遺書を遺して自殺した事件が当時、「中国のハニートラップでは無いか」と週刊文春など「反中国・右翼マスコミ」によって騒がれたことがある。
日本海軍へのハニートラップ: ガンジーブログ:日本とアメリカ、そして世界を想う
宮崎駿と半藤一利の対談本を読んだ。
『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』(文藝春秋、2013年)で、映画『風立ちぬ』を半藤氏が見る前後の2回にわたって行われた対談を基にしている。
その中で「へー」と思ったのが、半藤氏が語った表題の件。
半藤氏は、「なぜ海軍軍人が親ドイツなのか」聞いて回ったところ、ある海軍士官*13が「ハニートラップだよ」と漏らしたという。ドイツ留学や駐在の海軍軍人たちは、ナチスドイツから女性をあてがわれていたが、イギリスやアメリカでは同様のことはなかったらしい。*14
いやいや
◆大日本帝国憲法がドイツ憲法をモデルにしていること(ちなみに民法、刑法、商法、刑訴法、民訴法にもドイツ法の影響があるとされる)
◆(憲法がドイツを模範にしている事とも関連しますが)上杉慎吉はドイツ留学し、法学者イェリネックの弟子となったこと
◆北里柴三郎*15がドイツ留学して医学者コッホ*16の弟子になったこと
◆小説『舞姫』で知られるように森鴎外(本業は陸軍軍医)もドイツ留学していること
◆獨協大学はもともと独逸(ドイツ)学協会学校という名前でドイツの学問を専ら教えていたこと
など「明治以降のドイツとの関係」を考えれば「ドイツシンパ」は別に不思議でもないと思いますが(例えば日独関係 - Wikipedia参照)。
また日本がドイツと手を組んだ理由も「英米は日本が目論んだ蒋介石政権打倒を認めなかったがドイツは容認した」「英国のチェンバレン政権がヒトラー相手に宥和外交を取ったことで『ヒトラーはスゴイ、それに比べて英国は腰抜けだ。英国など恐れるに足りない』と評価してしまった」「ドイツは速攻でフランスを降伏させたので、ドイツが英米への牽制に使えると思った」などで充分、合理的に説明可能です。「ハニトラの影響」が「余程固い証拠で証明できる」のならともかく、日独提携にハニトラなんか持ち出す必要はどこにも無い。
ちなみに豆知識ですが「和仏法律学校」という名前で専らフランス法を教えていたのが今の法政大学で、「英吉利(イギリス)法律学校」という名前で専ら英国法を教えていたのが今の中央大学です。
『半藤一利と宮崎駿の腰抜け愛国談義』を読む - mmpoloの日記
◆半藤
私、「日本海軍はなぜ親独になったのですか?」とずいぶん関係者に聞いたんです。するとみなさん「どちらもほぼ単一民族だし、規律正しいし、後進国家であったし」などととってつけたようなことばかり言う。ところがあるとき某海軍士官*17がポロッと漏らしたんです。「ハニー・トラップだよ」と。つまりドイツに留学をしたり、駐在していた海軍士官に、ナチスは女性を当てがったと言うんです。
ナチスのハニトラが「日本軍人相手」に仮にあったとしても、さすがに親ドイツが「それオンリー」てことはないでしょう。「アンチナチス」で「いわゆる海軍三羽烏のシンパ」である半藤という御仁が「そういうことにしたい(海軍のドイツシンパは女好きのクズにしたい)」気持ちは分かります。自分にとって「理解不能な行動を取るバカ(半藤の場合は海軍のナチスシンパ)」を「ハニトラで丸め込まれたり、金品で買収されたりしたのに違いない、まともな人間はあんな馬鹿なことはしない」などと人格を貶めたくなる気持ちは良く分かります。俺も含めて大抵の人間は「嫌いな人間」に対しては大なり小なりそんなもんです。
しかし、まあ「ドイツと組むことが日本にとって美味しい」という合理主義の観点があったことは当たり前の話です。
とはいえ「ドイツは速攻でフランスを降伏させた*18。いずれ英国もドイツに降伏する(もちろん現実には英国は降伏しなかった)」というドイツへの過大評価で「そうなれば米国は日独連合軍とたった一国で対決する羽目となる、充分、日本には勝ち目がある」と対米戦争までやらかすのは明らかに無謀ですが。
正直、半藤によるハニトラ話って「金丸氏などをハニトラ呼ばわりする荒木和博ら救う会右翼」などとレベル的にはあまり変わらない与太話でしょう(もちろん言うまでも無く半藤は荒木や島田洋一なんぞよりはずっとまともです)。
そもそも「ナチスのハニトラ」があったかどうか自体怪しいですし、「駐在武官」のような「国を代表するエリート」は将来、出世し軍幹部になることが期待できる。駐在武官 - Wikipediaを見ても日本の駐在武官の多くが後に「大臣、参謀総長、軍令部総長」など、軍中央の幹部になったことがわかります。
余程酷い国でない限り「ナチドイツ」に限らず「後のことを考えて」国を挙げて歓待するでしょう(さすがに女はあてがわないにしても)。で歓待されれば「世辞だと分かっていても」誰だって気分は良い。
「他の軍人はともかく」少なくとも駐在武官なら「シンパになる方がむしろ自然」なわけです。
大体、「親米派」とされる山本五十六は「駐米大使館の武官経験」があるわけで、その半藤説なら、山本についても「ハニトラで米国びいきなのでは?」といえてしまう。
ちなみに駐在武官 - Wikipediaによれば駐独大使館武官の経験がある海軍軍人としては
駐在武官 - Wikipedia
【1933年のナチス政権誕生前】
◆野村直邦(1885~1973年)(野村直邦 - Wikipedia参照)
1922年(大正11年)から1924年(大正13年)まで駐独大使館付武官。連合艦隊参謀長、呉鎮守府司令長官、東条内閣海軍大臣(嶋田繁太郎*19・東条内閣海軍大臣の後任。ただし、内閣改造での大臣任命後、東条が東条おろしに耐えられず首相を辞任したので大臣在任期間はたった6日間)、横須賀鎮守府司令長官、海上護衛司令長官などを歴任。
【1933年のナチス政権誕生後】
◆遠藤喜一(1891~1944年)(遠藤喜一 - Wikipedia参照)
1931年(昭和6年)~1934年に駐独大使館付武官。横須賀鎮守府参謀長、第1遣支艦隊司令長官、第9艦隊司令長官など歴任。第9艦隊司令長官在任中に「ホーランジアの戦い」で戦死。
◆横井忠雄(1895~1965年)(横井忠雄 - Wikipedia参照)
1932~1936年、1940~1943年に駐独大使館付武官。横井はドイツ駐在経験がある親独派として知られ、軍令部員在職中(1936年)は日独伊三国軍事同盟賛成の急先鋒であった。しかし2度目の在勤では反ナチスに考えが変わり、その意識を隠そうともしなかったため、やがてドイツ側から『好ましからぬ人物(ペルソナ・ノン・グラータ)』としてドイツ外相リッベントロップ*20から大島浩*21駐日大使を通じ、暗に横井の交代を求めるメッセージが届けられ、横井は駐在武官を交代させられ帰国した。後任武官は小島秀雄。帰国後は横須賀鎮守府参謀長、田辺海兵団長(第6特攻戦隊司令官兼務)など歴任。
なお大島とは不仲であり、三国同盟軍事委員としてドイツに滞在した野村直邦(ドイツ駐在武官経験がある)とは大喧嘩を演じている。
◆小島秀雄(1896~1982年)(小島秀雄 - Wikipedia参照)
1923~1925年、1936~1938年、1943~1945年に駐独大使館付武官。自他共に認める親ドイツ派の海軍軍人として鳴らし、そのため海軍では、「ドイツ小島」と呼ばれた。ドイツ駐在は3回に及んだが、同じくドイツとの関係が深く、1938年(昭和13年)からは駐ドイツ大使も務めた陸軍軍人で親ナチスの大島浩とは犬猿の仲だった。一方、反ナチス派としてヒトラー暗殺未遂事件(7月20日事件)に連座し大戦末期に処刑された「ドイツ海軍諜報部長」ヴィルヘルム・カナリス(1887~1945年)との仲で知られた。晩年には日独協会副会長を務め、日独友好に尽力。その功績を評価した西ドイツ政府から功一級連邦功労大十字章を授与されている。
◆藤村義朗(1907~1992年)(藤村義朗 (海軍軍人) - Wikipedia参照)
1940年(昭和15年)10月から駐独大使館付武官補佐官(当時の駐在武官は横井忠雄→小島秀雄)。後にフィンランドやフランスの武官補佐官も兼務。1945年4月にスイス公使館付海軍顧問輔佐官。これ以降、ドイツ人フリードリヒ・ハックを介してアメリカのアレン・ウェルシュ・ダレス(後にアイゼンハワー、ケネディ政権でCIA長官)を通じた対米和平・終戦工作に奔走するも失敗。西村京太郎の小説『D機関情報*22』の主人公・関谷中佐のモデルとされる。
がいます(彼らがナチスびいきだったかどうか迄は、必ずしも分かりませんが)。ちなみにウィキペディアを信じれば横井忠雄なるドイツ駐在武官は「反ナチス言動がたたって事実上国外追放」だそうですが、こういうのは「半藤理論」ではどう解釈されるのか。彼にはハニトラはしなかったのか、はたまた「ハニトラが効かなかった」のか。
また小島秀雄なるドイツ駐在武官は「戦後、日独協会副会長を務め、日独友好に尽力。その功績を評価した西ドイツ政府から功一級連邦功労大十字章を授与」ですから彼のドイツびいきは「ハニトラ」なんてゲスな話では明らかにないでしょう。
【参考:日独関係色々】
ベルリン:チロル山中に脱出 最後の特派員電打つ(江尻進*23)1995年8月
日米開戦の際に、ベルリン特派員だったが、真珠湾攻撃の数日後の一九四一年十二月十日の大島浩駐独大使の祝賀会の席上のことである。公の席に初めて顔を見せた新任の海軍武官・横井忠雄中佐の「今は勝った勝ったと浮かれているが、この戦争で日本は負ける」との、ハッキリした断言に驚かされた。輝かしい戦勝を報じる号外戦の最中である。その発言の根拠は、潜水艦で日本から欧州へ出発する直前に、日米戦争を予測した陸海軍参謀の図上作戦を三度繰り返したが、いずれも「日本敗戦」の結論になったというのである。
横井という人間が「まるきり空気を読まないタイプの人間らしい」ことはよくわかります。そりゃ「ヒトラーびいき」大島浩とも不仲になるでしょう。
藤村義一(ふじむらよしかず) スイス和平工作の真実 (第一部)
高木惣吉*24少将のメモによれば、横井は帰国した日本で、欧州戦争について悲観的見通しを述べた。
「ドイツから帰朝した横井少将の話を聞くと、開戦前長くて三ヶ月でソ連を片づけると公言していた独ソ宣戦も、意外にソ連の抵抗が強く、陸軍側や大島大使らの見積もりのように短期に片付くまい。対英上陸作戦も、やはり独海軍の慎重論が当っていて、ゲーリング*25や陸軍側が予想したように簡単にゆかなかった状況を詳しく聞いた」(高木『私観太平洋戦争*26』)
朝日新聞デジタル:(133)駐独大使・大島浩、晩年の言葉 - 神奈川 - 地域2018年11月10日
訪ねると話を聞かせてくれた。「私は失敗した人間だ。何を言っても弁解ととられる。だから私の語ったことは外に出さないでほしい」との条件がついた。通ううちに録音を認めてくれた。そうしたインタビューテープを三宅さんは大切に保管してきた。大島が亡くなった後、「お好きにして結構です」と夫人の了解を得ていたが、これまで発表したことはなかった。
興味深いのは独ソ戦だ。39年に不可侵条約を結びながら、41年にドイツはソ連に攻め込んだ。
◆大島浩
「ヒトラーはソ連の軍事力を低く見ていた。39年にフィンランドに攻め込んだソ連軍がさんざんな目に遭ったのを見て、その戦力はたいしたもんじゃないと見くびった」
大島の父(ボーガス注:大島健一)は(ボーガス注:ドイツに留学し)ドイツ陸軍の制度を日本に導入したことで知られ、(ボーガス注:第二次大隈、寺内内閣で)陸軍大臣までつとめた。その父のもと、大島は小さい時からドイツ語を学んだ。録音にはしばしばドイツ語が登場する。34年に駐在武官としてベルリンに赴任し、38年に大使に昇進。39年に辞任するが40年に三国同盟が誕生すると再び大使に任命され、45年までその職にあった。
大使としての仕事も述懐している。日本軍がソ連軍と戦った39年のノモンハン事件では、東京から「ドイツに仲介を依頼しろ」との指令を受けた。「日本が勝っているという話ばかり聞いていたので、仲介なんておかしいじゃないと思ったが、独外相に頼んだ。それをソ連のスターリンに伝えると、〈勝っているのはこっちだ。こちらから戦争はやめない〉と言われ、恥をかいたと独外相にこぼされた」と述べている。
40年に日独伊三国同盟ができると、41年に外相の松岡洋右が欧州を訪問し、日ソ中立条約を結ぶ。ドイツはソ連攻撃の準備を進めていた。「ドイツに不利になるので、ソ連との条約を結ぶな」と大島も独外相も説得したが、松岡は聞かなかった。
「松岡は独ソ開戦の機運を信じていなかった」と大島は振り返っている。
「自分の責任は痛感するが」としたうえで、大島は37年の盧溝橋事件を「最大の失策」と指摘している。日中戦争がなければ、独ソ戦が始まった時に異なる選択肢があったとの思いをにじませている。中国への敬意を失ったことが戦争の原因だったとも述べている。
録音されたのはベトナム戦争の時期。「米国は大国で鎧袖一触だと思った。ベトナムを簡単に倒せると思った。日本と同じことをした」とも語っている。
https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2020/11/1119.html2020年11月19日(木)
大島は戦前から戦中にかけてドイツ大使を務め、太平洋戦争への道を開いた「日独伊三国同盟」を強力に推し進めた人物として知られています。しかし、(中略)みずからの果たした役割についてほとんど語ることなく1975年、89歳で亡くなりました。
その大島の肉声を記録した未公開の音声テープを、今回NHKは入手しました。テープは全部で7本、12時間分にも及びます。証言からは、1人の日本人がナチスドイツに傾倒し、国をミスリードしていった実態が見えてきました。
大島の証言を音声テープに記録していた、歴史学者の三宅正樹さん*27です。大島が亡くなる2年前の1973年、神奈川県にある大島の自宅に足しげく通い、会話を録音することを許されたといいます。
◆明治大学名誉教授 三宅正樹さん
『あなたには全部しゃべるけれども外へ出さないでくれと、自分はもう失敗した人間なんだから弁明したくないと。』
しかし、大島が世を去ったのち、妻の豊子夫人から「音声の使い道は任せる」と伝えられたといいます。
◆明治大学名誉教授 三宅正樹さん
『大島は公開するなと言ったけれど、あの録音はどうぞ自由にお使いくださいと。』
大島の貴重な証言を、後世に残すことが大切だと考えた三宅さん、今回初めて音声を公開することにしたのです。
◆大島浩 元駐ドイツ大使
『あれは私が言い出したんですからね、三国同盟。至急松岡洋右外相に会ってくれと、おれが電話するからと。』
1940年に締結された「日独伊三国同盟」。当時、ヨーロッパで勢力を拡大していたドイツやイタリアと手を組むことで、アメリカをけん制するねらいがありました。しかし結果的にアメリカとの対立を深め、太平洋戦争への道を決定づけました。
当時、三国同盟に対しては大国アメリカを敵に回すことになるとして、海軍を中心に国内に反対意見もありました。しかし、強力に同盟締結を進めた大島。証言からはナチスドイツの力を過信していたこともうかがえます。
◆大島浩 元駐ドイツ大使
『私は2回、ドイツ軍を視察しているんですよ。実に立派な航空隊を作ったものだと、爆撃の装置もよし、射撃の装置もよし。これはもう(日本)軍のパートナーとして不足はないと。』
さらに、ヒトラーに心酔していたことも打ち明けていました。
◆大島浩 元駐ドイツ大使
『ヒトラーの頭がいいこと、天才であることは疑いのないことでしょうからね。』
東京裁判で終身刑の判決を受けたあと、1955年に釈放された大島。その後、ほとんど公の場に姿を現すことなく、晩年を過ごしたといいます。大島は自らの過ちを率直に認める言葉も口にしていました。
◆大島浩 元駐ドイツ大使
『私はもちろん自分の責任を痛感する、非常にそういうことを感じますね。いま考えるとドイツが勝つだろうという前提に立ってやったわけなんですよ。』
当時は、政治指導者だけでなく、世論も三国同盟を歓迎していました。(ボーガス注:フランスを速攻で降伏させた)ドイツの快進撃を見て、世論は「バスに乗り遅れるな」とドイツとの提携を熱狂的に後押ししていたのです。同盟に反対する声は、大島のような推進派の運動と世論によって、かき消されてしまいました。現代でも、このようなことが起きないとは言い切れません。大勢に流されず、冷静に物事を判断する眼を持つことの大切さを感じました。
まあ海軍主流派も、基本的には『いま考えるとドイツが勝つだろうという前提に立ってやったわけなんですよ。』という大島と同じで「彼らなりの合理主義」でしょう。普通に考えてハニトラ云々ではない。
なお、「大島の責任が重いこと」を認めた上での話ですが「ハルノートさえ飲めば」、つまり「蒋介石政権打倒さえ諦めれば」大島のやった「三国同盟締結」に関係なく対米戦争は回避できたし、そもそも「ドイツと手を組んだ最大の目的」は「蒋介石政権打倒」を米国に飲ませることでした。
結局「蒋介石政権打倒を日本が諦めるかどうか」が一番大事な問題だったわけです。
素人は「戦略」を語り、プロは「兵站」を語る:日経ビジネス電子版
ドイツ軍のクルト・フリッケ海軍軍令部長は1942年春に、当時の野村直邦海軍中将に共同作戦を打診している。連合国の補給ルートを一緒に断とうという作戦だった。
当時のヨーロッパにおける連合国の主力は、イギリスが中東に置いた65万人の部隊だった。地中海を枢軸国が抑えていたため、その補給ルートは大西洋側からアフリカ大陸をぐるりと回るほかなかった。
この補給ルートを潰せば、中東のイギリス軍は孤立する。そこで大西洋側のルートをドイツが叩くので、インド洋側を日本が叩いてくれという要請だった。
(中略)
しかし、この共同作戦の申し入れを日本は断っている。
当時の日本はもちろん、ドイツにも北米大陸を占領する力はなかった。従って、第2次世界大戦で枢軸国が連合国に勝つ可能性はなかった。枢軸国の狙いは当初から「短期決戦・早期講和」だった。
日本とドイツの共同作戦が実現していたなら、そのチャンスはあったのかもしれない。
まあ共同作戦なんか申し込まれても、日本の国力的に無理ですよねえ。とはいえ、「英国がドイツに降伏してくれない」と日本として困るし、これでドイツにも恩が売れるのに「国力的に何も出来ない」というあたり「そんなんで対米開戦して良かったのか(勿論良くない)」つう話です。
上海総領事館員自殺事件 - Wikipedia参照
自殺から2年余り過ぎた、2005年12月27日発売の週刊誌・週刊文春(2006年1月5/12日新年特大号)が「中国ハニートラップ疑惑」を報道。これに対して駐日中国大使館は、12月31日に、大使館の公式サイトにおいて、中国当局は事件に何ら責任が無いとした上で、週刊文春が、このような報道をするのは、故意に中国のイメージを落とそうとする意図があるからだ、と反論した。
「 上海領事自殺で再び中国の嘘 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト(『週刊新潮』'06年1月19日号)
『文春』の報道は、日本の外交官が中国の公安当局に脅迫され、「国を売ることは出来ない」との遺書を残して04年5月6日に自殺したこと、その事件を外務省は官邸にも報告せず、中国政府の責任も追及せずに放置し、事実上事件の隠蔽をはかってきたことを詳報したものだ。
12月27日、中国外務省の秦剛報道副局長は『文春』の報道自体を「事実に基づいたものではない」と非難した
対する日本側は翌28日に外務省の鹿取克章*28報道官が記者会見し「中国側公安当局関係者により、ウィーン条約上の義務に反する遺憾な行為があった」と発表。
すると29日、中国側の秦剛副局長は、日本政府は「事実無根のことを言い立てて、中国のイメージを著しく損ねており、そのことに強い憤慨と抗議を表明する」と断固たる調子で述べたのだ。
さらに31日には在日中国大使館が反論声明を出した。
【追記その1】
長くなるのでコメント欄のご指摘にこちらで応答します。
id:Bill_McCrearyさん
この半藤氏のハニートラップの話面白いので記事にすることにしました。
半藤一利『歴史に「何を」学ぶのか』(2017年、ちくまプリマー新書) は入手した(図書館から借りた)ので、宮崎駿との本を入手したら、記事を書いてみたいと思います。いつもながら面白い情報ありがとうございます。
いえいえこちらこそ記事を楽しみにしています。正直、ネット上の半藤本紹介を引用しただけで、まだ未読なので恐縮です。
それにしても未成年を対象とする新書で、ハニートラップの話なんか書きますかねえ、半藤氏も(苦笑)。編集者ほかも注意するとか、読者から「まずいんじゃないんですか」という反応はなかったのか。
ご指摘を受けてから気づきましたが、そうですよねえ。「ちくまプリマー新書(ちくま新書のジュニア版)」て「岩波ジュニア新書(岩波新書のジュニア版)」の系統ですよねえ(しかしヤング向けの新書をはっきり謳ってるのってこの2つぐらいでしょうか)。
その種のセックス話&陰謀論*29はヤングに語るべきではないという意味で少なくとも編集者が注意してしかるべきではないか。そもそも、こういう話をすると、下手すると歴史上の事実を何でも「ハニトラや金品による買収じゃないか」と歪んだ見方をすることにもなりかねない。
そもそも論として、ハニートラップって、個々人を落とすときに活用することはありえても、そういう風に継続的にやっていて、しかも効果があるってものではないんですけどね(苦笑)。
ハニトラって、こっそりやるのならともかく、そんな堂々とやるもんじゃないと思いますが(苦笑)。
まだ半藤本のその件を読んでいないのでめったなことはいえませんが、たかだか一個人のそんな話からこんなことを書くなんて、それこそ私が先日記事にした沖縄の交通事故や南京祈念館の写真の撤去についての産経のデマ記事並みのひどさじゃないですか。半藤氏が周辺取材をしているのか、そのあたりも確認してみます。
ちょっとねえ、そんなハニトラで日独連携って普通に考えてあり得ないですよねえ。
「ムソリーニがヒトラーと手を組んだこと」「ヒトラーのスペイン内戦介入が事実上黙認されたこと(宥和政策の一つ)」など、ドイツがらみの話は全部そうなりかねないですよねえ(苦笑)。
しかしこれでは、私も半藤氏に対する評価がた落ちですね。まるっきりトンデモじゃないですか。私は、彼が昭和天皇に対して大変好意的な背景には、彼なりの戦略があると思っていましたが、これではどんなもんかいなです(笑)。
半藤氏は好きな人間はベタベタに褒めて、嫌いな人間は「ハニトラ」云々と評価するようなかなり問題のある御仁かもしれませんね。まあ、それでも文春社内において、半藤氏の対極に位置したという「ウヨの田中健五(現在も存命。元文春社長)」等と比べればずっとましではあるのでしょうが。
ともかく「ハニートラップ」なんていいだすと、なんでもありになっちゃいますからね。よほど堅い証拠がなければそうそうとりあげられるものではないでしょう(当たり前)。
ですよねえ。
だいたいご指摘のように戦前の日本は、法律や統治体系にいたるまでドイツ帝国に強い影響を受けていたし、自然科学(特に医学*31)もご同様。エリートの医者は、まずはドイツに留学したものです。文学だって、ゲーテとかの影響は、今など比較にならないくらい高いし、現在の大学でも第二外国語でドイツ語が筆頭*32なのもその名残です。海軍武官たちがドイツに好意的、憧れを抱くのは、きわめて自然でしょう。
ですよねえ。
上の件とは別ですが、(中略)けっきょくめちゃくちゃな方針に固執して、それを批判する人間を遠ざけてばかりいて、仲間すら迷惑するということになるんでしょうねえ。世の中ここまで迷惑な存在もめずらしいのではないか(呆れ)。
ですよねえ。横田早紀江など拉致被害者家族会も「小泉訪朝(2002年9月17日)から既に18年以上も経って拉致解決の見込みがないどころか世間の関心も薄れている」のにいつまで、救う会のウヨ連中(西岡力救う会会長、島田洋一救う会副会長、荒木和博特定失踪者問題調査会代表など)と付き合っていれば気が済むのか。
ふと思いついたんですが
2002年 - Wikipedia参照
【2002年】
◆9月28日
濱岸ひより(日向坂46メンバー)
◆9月30日
作間龍斗(ジャニーズJr.(HiHi Jets)メンバー)
◆10月8日
伊藤理々杏(いとう・りりあ)(乃木坂46メンバー)
◆11月20日
掛橋沙耶香(乃木坂46メンバー)
◆12月17日
佐藤龍我(ジャニーズJr.(美少年)メンバー)
◆12月19日
幸阪茉里乃(こうさか・まりの)(櫻坂46メンバー)
2003年の日本 - Wikipedia参照
【2003年】
◆1月4日
諸橋姫向(もろはし・ひなた)(NGT48メンバー)
◆1月12日
本郷柚巴(ほんごう・ゆずは)(NMB48メンバー)
◆1月16日
深井ねがい(SKE48メンバー)
◆2月1日
野村実代(SKE48メンバー)
◆2月21日
岩田陽菜(いわた・ひな)(STU48メンバー)
◆2月25日
武田智加(たけだ・ともか)(HKT48メンバー)
◆3月3日
柴田柚菜(しばた・ゆな)(乃木坂46メンバー)
◆3月11日
門脇実優菜(STU48メンバー)
◆5月3日
ヴァサイェガ渉(わたる)(ジャニーズJr.(少年忍者)メンバー)
◆6月28日
長瀬結星(ながせ・ゆうせい)(ジャニーズJr.(少年忍者)メンバー)
◆7月10日
水上凜巳花(みずかみ・りみか)(HKT48メンバー)
◆8月1日
清宮レイ(乃木坂46メンバー)
◆8月3日
佐藤美波(AKB48メンバー)、嶋﨑斗亜(ジャニーズJr. (Lil かんさい)メンバー)
◆8月7日
梅山恋和(うめやま・ここな)(NMB48メンバー)
◆8月9日
信濃宙花(しなの・そらは)(STU48メンバー)
◆8月21日
古川夏凪(ふるかわ・なづな)(AKB48メンバー)
◆9月14日
今村麻莉愛(HKT48メンバー)
◆9月27日
髙橋未来虹(たかはし・みくに)(日向坂46メンバー)
◆10月2日
林瑠奈(乃木坂46メンバー)、檜山光成(ひやま・こうせい)(ジャニーズJr. (少年忍者)メンバー)
◆10月7日
小林蘭(AKB48メンバー)
◆10月11日
石黒友月(SKE48メンバー)、清水梨央(HKT48メンバー)
◆10月22日
相川暖花(あいかわ・ほのか)(SKE48メンバー)
◆10月24日
伊藤優絵瑠(いとう・ゆえる)(HKT48メンバー)
◆10月25日
西川怜(AKB48メンバー)
◆10月27日
織山尚大(おりやま・なお)(ジャニーズJr.(少年忍者)メンバー)、千葉恵里(AKB48メンバー)
◆11月10日
浅井裕華(SKE48メンバー)
◆11月20日
久保怜音(くぼ・さとね)(AKB48メンバー)
◆11月28日
甲斐心愛(かい・ここあ)(STU48メンバー)
◆12月12日
田口愛佳(たぐち・まなか)(AKB48メンバー)
◆12月20日
道枝咲(AKB48メンバー)
2004年の日本 - Wikipedia参照
【2004年】
◆1月3日
松尾美佑(乃木坂46メンバー)
◆1月9日
鈴木愛菜(すずき・えな)(SKE48メンバー)
◆1月27日
上村亜柚香(かみむら・あゆか)(SKE48メンバー)
◆2月2日
岩本蓮加(乃木坂46メンバー)
◆2月9日
金指一世(かなさし・いっせい)(ジャニーズJr. (美少年)メンバー)
◆2月23日
森本茉莉、山口陽世(やまぐち・はるよ)(どちらも日向坂46メンバー)
◆2月28日
北川拓実(ジャニーズJr. (少年忍者)メンバー)
◆3月13日
寺田陽菜(てらだ・ひな)(NGT48メンバー)
◆4月12日
上村(かみむら)ひなの(日向坂46メンバー)
◆6月23日
芦田愛菜(あしだ・まな)
2005年の日本 - Wikipedia参照
【2005年】
◆5月9日
岡村ほまれ(モーニング娘。メンバー)
◆5月16日
三宅ゆりあ(NMB48メンバー)
◆6月2日
久保廉(ジャニーズJr. (少年忍者)メンバー)
◆6月11日
中坂美祐(SKE48メンバー)
◆6月28日
倉島杏実(くらしま・あみ)(SKE48メンバー)、山﨑愛生(やまざき・めい)(モーニング娘。メンバー)
◆7月22日
石橋颯(いしばし・いぶき)(HKT48メンバー)
◆9月28日
山﨑天(櫻坂46メンバー)
◆10月19日
稲葉通陽(いなば・みちはる)(ジャニーズJr. (少年忍者)メンバー)
◆12月15日
塩月希依音(しおつき・けいと)(NMB48メンバー)
◆12月22日
岡本怜奈(NMB48メンバー)
ということで(ウィキペディアの引用が長くなりましたが)、「当たり前の話」ではありますが、「高校生、大学生ぐらいの年代の若い芸能人」(小生はこの辺りは芦田愛菜など一部の若手芸能人を除き、AKBグループやジャニーズなどについては無知なので全く知りませんが)なんかはもう「小泉訪朝(2002年9月17日)以降の生まれの訳」です。そういうことに横田早紀江なんかは空しさを感じないんですかねえ。
【追記その2】
長くなるのでコメント欄のご指摘にこちらで応答します。
id:Bill_McCrearyさん
素人さんの放言じゃあるまいし、この本の著者である坂本多加雄*33とか秦郁彦*34あたりはずばり大学教授だし、保阪正康、半藤といった人たちは、学者ではなくても近現代史に造詣の深い人たちです。失礼ですが、この人たちこんな愚劣なことをほざいていて、恥ずかしくないんですかね(笑)。
俺からすれば「この中では半藤が一番マシだからなあ(苦笑)」ですね。
まず、坂本。彼は元「新しい歴史教科書をつくる会理事」です。
次に秦。
秦*35と言えば「河野談話否定論」を主張した功績によって「産経の正論大賞」を受賞(秦同様、河野談話否定論の西岡力*36とのダブル受賞)している歴史修正主義者であり、吉見義明*37中央大名誉教授、林博史*38関東学院大学教授などから批判されています。まあ、秦と違うまともな人間はそもそも、「正論大賞」なんか受賞拒否するでしょう(それ以前に正論大賞側が候補にしませんが)。それも単独受賞でも屈辱なのに「西岡とダブル受賞」て(呆)。
また、秦は、曾野綾子(著書『ある神話の背景:沖縄・渡嘉敷島の集団自決 (1992年、PHP文庫)で軍強制否定論を主張:曽野綾子 - Wikipedia参照)、藤岡信勝*39(現在、つくる会副会長)らとの共著で『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(2009年、PHP研究所)という著書も出しています。読んだことはありませんが共著者の顔ぶれや版元から見て明らかに『軍の自決強制否定』の立場でしょう。
なお、沖縄戦については
◆林博史『沖縄戦と民衆』(2001年、大月書店)
◆林博史『沖縄戦 強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)
◆林博史『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)
◆林博史他『沖縄戦を知る事典』(2019年、吉川弘文館)
等の著書が定評あるところでしょう。言うまでも無いですが林氏は「軍強制肯定」の立場でこれが通説です。
最後に保坂ですが、拙記事新刊紹介:「歴史評論」2021年5月号(追記あり) - bogus-simotukareのブログで以前触れましたが、保坂には
という著書があります。読んだことはありませんが題名から見て
◆櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』(2002年、小学館文庫)
◆山村明義『GHQの日本洗脳』(2014年、光文社)
◆ケント・ギルバート『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(2015年、PHP研究所)
◆関野通夫『日本人を狂わせた洗脳工作:いまなお続く占領軍の心理作戦』(2015年、自由社ブックレット)
◆水間政憲『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』(2015年、PHP研究所)
◆高橋史朗『「日本を解体する」戦争プロパガンダの現在:WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の源流を探る』(2016年、宝島社)
◆高橋史朗『WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と「歴史戦」:「日本人の道徳」を取り戻す』(2018年、モラロジー研究所)
◆有馬哲夫『日本人はなぜ自虐的になったのか:占領とWGIP』(2020年、新潮新書)
等と同様のデマ本でしょう。それにしてもこういうデマ本を作ったり読んだりする連中の気が知れません。
なお、「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」については拙記事新刊紹介:「歴史評論」2021年5月号(追記あり) - bogus-simotukareのブログや拙記事で紹介した眞相はかうだ - Wikipedia、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム - Wikipedia等を参照下さい。要するにウヨ連中の居直り、デマでしかない。
正直、
◆坂本
つくる会理事として南京事件否定論などのデマ垂れ流しに加担
◆秦
慰安婦違法性否定や「沖縄集団自決軍強制」否定を主張
◆保坂
WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)というデマの垂れ流しを実行
という「日本の戦争犯罪の否定or矮小化」に比べたら、「横井忠雄 - Wikipedia(最終的には反ナチスの立場)や小島秀雄 - Wikipedia(戦後も親ドイツ)」等、ドイツ駐在武官経験者に対して非常に失礼とは言え、半藤の「ハニートラップ」のほうがまだマシです。
さて半藤についてid:Bill_McCrearyさんは
「ハニートラップ」なんてことで、そのような歴史の話を解釈するのはよろしくない(半藤一利氏って、こんなトンデモだったのという気がする)(下) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
『半藤さんは、仮にあなたがそのときドイツでの海軍駐在武官であったとしたら、ドイツ側から女を世話してもらったら、国益よりもドイツに対する恩を優先させるの』ってきいたら激怒するんじゃないんですかね。でも彼に、そういわれて激怒する資格があるのかあと思いますね。ないでしょ、そんなもの。こんな当てにならんデマほざいていてはどうしようもないでしょうに。
と書いてますが俺的には
半藤さんに、『米国駐在武官経験がある山本五十六が米国びいきだったのも、駐在武官時代に米国に女を世話してもらったからですか?』って(勿論本気ではなく、半藤の『ドイツ・ハニートラップ』話への皮肉、嫌み、当てこすりとして)きいたら、山本ファン*40らしい彼は『山本を侮辱するのか!』『山本に謝れ!』『ナチドイツと米国は違う!。山本とドイツ駐在武官は違う』などと激怒するんじゃないんですかね。でも彼に、そういわれて激怒する資格があるのかあと思いますね。ないでしょ、そんなもの。こんな当てにならんデマほざいていてはどうしようもないでしょうに。
ですね。
それにしても「慰安婦違法性否定論」の秦がこういうハニートラップ話を容認するのは
◆秦に「男は下半身に人格がなくても仕方が無いんだ」つう「女性差別意識」があるからだ
◆慰安婦やハニートラップ話での秦の態度はそういうことだ
と秦批判派に言われても文句は言えないと思います。
*1:田中内閣建設相、三木内閣国土庁長官、福田内閣防衛庁長官等、自民党国対委員長(大平総裁時代)、総務会長、幹事長(中曽根総裁時代)、中曽根内閣副総理、自民党副総裁(宮沢総裁時代)などを歴任
*2:宇野内閣厚生相、宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相などを経て首相
*3:著書『闇の男:野坂参三の百年』(共著、1993年、文藝春秋)、『鈴木宗男研究』(2002年、新潮社)など
*4:大平内閣厚生相、中曽根内閣運輸相、自民党幹事長(宇野総裁時代)、海部内閣蔵相、自民党政調会長(河野総裁時代)、村山内閣副総理・通産相などを経て首相。首相退任後も、森内閣で行革相
*5:小泉内閣国家公安委員長、財務相、自民党政調会長(福田総裁時代)、福田内閣国交相、自民党総裁、第二次安倍内閣法相、自民党幹事長(第二次安倍総裁時代)等歴任
*6:小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相、自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)などを経て現在、幹事長
*7:田中内閣防衛庁長官、自民党国対委員長(三木総裁時代)、福田内閣科学技術庁長官、大平内閣行政管理庁長官、中曽根内閣通産相、竹下内閣外相などを経て首相
*8:戦前、連合艦隊司令長官、林、第一次近衛、平沼、小磯、鈴木内閣海軍大臣、首相を歴任。戦後、東久邇宮、幣原内閣で海軍大臣。
*10:海軍省軍務局長、海軍航空本部長、海軍兵学校長、海軍次官など歴任
*11:週刊文春編集長、月刊文春編集長、文春専務など歴任。著書『山県有朋』(1996年、PHP文庫)、『日本海軍の興亡』(1999年、PHP文庫)、『レイテ沖海戦』(2001年、PHP文庫)、『ノモンハンの夏』(2001年、文春文庫)、『ソ連が満洲に侵攻した夏』(2002年、文春文庫)、『遠い島 ガダルカナル』(2005年、PHP文庫)、『聖断:昭和天皇と鈴木貫太郎』(2006年、PHP文庫)、『それからの海舟』(2008年、ちくま文庫)、『日本国憲法の二〇〇日』(2008年、文春文庫)、『荷風さんの戦後』(2009年、ちくま文庫)、『昭和史 1926-1945』、『昭和史戦後篇』(以上、2009年、平凡社ライブラリー)、『15歳の東京大空襲』(2010年、ちくまプリマー新書)、『幕末史』(2012年、新潮文庫)、『荷風さんの昭和』(2012年、ちくま文庫)、『安吾さんの太平洋戦争』(2013年、PHP文庫)、『あの戦争と日本人』(2013年、文春文庫)、『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2014年、文春文庫)、『「昭和天皇実録」にみる開戦と終戦』(2015年、岩波ブックレット)、『戦う石橋湛山』(2019年、ちくま文庫)、『アメリカはいかに日本を占領したか:マッカーサーと日本人』(2019年、PHP文庫)、『B面昭和史 1926-1945』(2019年、平凡社ライブラリー)、『世界史のなかの昭和史』(2020年、平凡社ライブラリー)など
*12:1910~2005年。戦前、第四南遣艦隊作戦参謀、連合艦隊作戦参謀など歴任。戦後は、東京ニュース通信社に入社し常務取締役を経て顧問。著書『日本海軍の戦略発想』(1995年、中公文庫)、『連合艦隊興亡記』(1996年、中公文庫)、『日本海軍の驕り症候群』 (1997年、中公文庫)、『元連合艦隊参謀が語る日本海軍失敗の本質』(2008年、PHP文庫)など(千早正隆 - Wikipedia参照)
*13:おそらくハニートラップ - Wikipediaに名前が出てくる千早正隆のこと
*14:半藤の対談相手が日本近代史やドイツ近代史を専門とする歴史学者やジャーナリストならともかく、歴史素人の宮崎では、池上番組での「池上彰と雛壇タレント」という「生徒(池上番組の場合は雛壇タレント、半藤の場合は宮崎)が先生のご意見拝聴」という形にしかならなかったでしょうね(仮に『本当にそんなハニトラがあったんですか?』と疑問表明したとしても、半藤に「あった」と言われれば宮崎もそれ以上は突っ込みづらいでしょう)。それが「対談の名に値するのか」は甚だ疑問です。
*15:「ペスト菌の発見」「破傷風の血清療法」で知られる。慶応技術大学医学部初代学部長、日本医師会初代会長、北里研究所初代所長など歴任(北里柴三郎 - Wikipedia参照)
*16:炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者として知られる。(ロベルト・コッホ - Wikipedia参照)
*17:おそらくハニートラップ - Wikipediaに名前が出てくる千早正隆のこと
*18:正直「フランス相手に敗北or敗北しないまでも非常に苦戦してれば」日本の親ドイツ派もあそこまでドイツに肩入れしたかどうか。「ドイツってでかい口叩いてるけど見かけ倒しじゃん、がっかりしたわ」になったことが予想できます。
*19:1883~1976年。軍令部次長、呉鎮守府司令長官、横須賀鎮守府司令長官、東条内閣海軍大臣、軍令部総長など歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放(嶋田繁太郎 - Wikipedia参照)
*20:1893~1946年。ヒトラー内閣外相を1938年から1945年にかけて務めた。戦後、ニュルンベルク裁判により死刑判決(ヨアヒム・フォン・リッベントロップ - Wikipedia参照)。
*21:1886~1975年。陸軍出身。駐独大使館付武官、駐独大使など歴任。日独伊三国軍事同盟締結に動いたため、戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放(大島浩 - Wikipedia参照)
*22:1966年に発表。1988年に『アナザー・ウェイ :D機関情報(もちろんDとはダレスのこと)』の題名で東宝が映画化(主演:役所広司)。なお松本清張にも似たような筋立ての『球形の荒野』(1960~1961年に発表、1975年に松竹で映画化)がありますね(D機関情報 - Wikipedia参照)
*23:戦前、同盟通信(共同通信、時事通信の前身)ベルリン支局長。戦後、共同通信論説委員、日本新聞協会事務局長、専務理事、日本著作権協議会理事長、日独協会副会長など歴任。著書『ベルリン特電』(1995年、共同通信社)
*24:舞鶴鎮守府参謀長、海軍省教育局長など歴任(高木惣吉 - Wikipedia参照)
*25:プロイセン州首相、航空相、ドイツ空軍総司令官など歴任。戦後、戦犯裁判で死刑判決が出た後に服毒自殺(ヘルマン・ゲーリング - Wikipedia参照)。
*27:明治大学名誉教授。著書『ヒトラーと第二次世界大戦』(1984年、清水新書)、『日独政治外交史研究』(1996年、河出書房新社)、『スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想』(2007年、朝日選書)、『スターリンの対日情報工作』(2010年、平凡社新書)など
*28: ミュンヘン総領事、駐韓国公使、外務省領事局長、外務報道官、駐イスラエル大使、ASEAN担当大使、駐インドネシア大使等を歴任(鹿取克章 - Wikipedia参照)
*29:根拠がある話でも、セックス話はヤング相手にどうかと思いますが、たぶんまともな根拠はないでしょう。
*30:保健相、財務相などを経て首相(ネヴィル・チェンバレン - Wikipedia参照)
*32:小生の母校(中央大学)もそうですが大抵の大学では第二外国語は伝統的に「フランス語かドイツ語」ですよね。最近は中国語、韓国語(勿論隣国なので)、スペイン語(南米で多く使用される)、アラビア語(中東で多く使用される)など他の言語も増えてるようですが。
*35:秦の慰安婦関係の著書(慰安婦以外を取り上げた物も含む)としては『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮選書)、『現代史の争点』(2001年、文春文庫)、『歪められる日本現代史』(2006年、PHP研究所)、『現代史の虚実:沖縄大江裁判・靖国・慰安婦・南京・フェミニズム 』(2008年、文藝春秋)、『慰安婦問題の決算』(2016年、PHP研究所)
*36:西岡の慰安婦問題の著書(慰安婦以外を取り上げた物も含む)としては『日韓「歴史問題」の真実 :「朝鮮人強制連行」「慰安婦問題」を捏造したのは誰か』(2005年、PHP研究所)、『よくわかる慰安婦問題(増補新版)』(2012年、草思社文庫)、『朝日新聞「日本人への大罪」:慰安婦捏造報道徹底追及』(2014年、悟空出版)、『歴史を捏造する反日国家・韓国』(2019年、ワック文庫)
*37:吉見氏の慰安婦関係の著書として『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(2010年、岩波ブックレット)、『買春する帝国:日本軍「慰安婦」問題の基底』(2019年、岩波書店)
*38:林氏の慰安婦関係の著書として『日本軍「慰安婦」問題の核心』(2015年、花伝社)。林氏の公式サイトWelcome to Hayashi Hirofumi'
*39:著書『「自虐史観」の病理』(2000年、文春文庫)、『教科書採択の真相:かくして歴史は歪められる』(2005年、PHP新書)、『教科書抹殺:文科省は「つくる会」をこうして狙い撃ちした』(2020年、飛鳥新社)、『教科書検定崩壊!』(2021年、飛鳥新社)
*40:半藤『山本五十六』(2011年、平凡社ライブラリー)、『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2014年、文春文庫)と言った著書がある。