「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年12/7日分:荒木和博の巻)

◆荒木ツイート

荒木和博 on Twitter: "令和4年12月6日火曜日「荒木和博のショートメッセージ」第966号。日韓の発想の違いについてお話ししました。 https://t.co/4SM6EyvlYi @YouTubeより" / Twitter
「シジャギ・パニダ」と「百里の道も九十里をもって半ばす」という日韓の違い(R4.12.6) - YouTube

 4分52秒の動画です。そんなことが拉致被害者の帰国と何の関係があるのかと荒木のバカさに心底呆れます。
 なお、俺個人はこの種の「民族性」云々についてはいかがわしさ、うさんくささを感じています。
 人間の価値観は同一民族でも多種多様だからです。
 さて荒木のいう「シジャギパニダ」ですが、以下のような意味です。「シジャギパニダ」でググってヒットするのだから「日本でも韓国語講座など韓国文化がかなり普及してきた」のでしょう。

草なぎ剛「シジャギパニダ」 興味があっても始めない海原やすよを“韓国の名言”で激励― スポニチ Sponichi Annex 芸能
 俳優の草薙剛(48)が4日放送の読売テレビ「草薙やすとものうさぎとかめ」(日曜後0・35)に出演。「プロに今習いたいもの」をテーマに、海原やすよ(46)、ともこ(50)とトークした。
 ともこは興味のあることにすぐ手を出すが、長くは続かないようだ。
 やすよは真逆のタイプで「宝石鑑定の資格とか、食器作ってみたい」と興味の対象はあるものの、「本気になった時しかあかんかなと思って」と習いに行くことはないという。
 草薙は「まずは始めることからだから」とやすよに助言。「始めちゃえば半分できてるようなもの、っていうことわざが韓国語にある。“シジャギパニダ”って言うんだけど。つまりは始めてみなきゃ何も切り開けないってこと」と話し、「どんどんやったほうがいい。時間って限られてるから。なんで先延ばしにすることがあるの」と激励した。

私が好きな韓国の諺に『시작이 반이다(シジャギパニダ)』があります。直訳すると「始まりが半分だ」なのですが、始める事が出来たら半分終わったのと同じだ、と言う意味だそう。何かを始めるのに躊躇う背中を押すと|ゆきうさぎ/由希|note

 「시작이 반이다」
 韓国語を始めた時に知った、大好きな言葉です。「シジャギパニダ」と読みます。直訳すると「始まりが半分だ」になります。思い立ったが吉日。「物事は始めさえすれば、半分成就したも同様だ」という意味です。自分の支えにしている大切な言葉のひとつ。

韓国語講座始まります! | 英理女子学院高等学校
 韓国のことわざで、「시작이 반이다(シジャギパニダ)」という言葉があります。直訳すると「始めが半分だ」という意味ですが、新しいことを始めるのは難しいということを表し、初めの一歩を踏み出すことで「始めたら半分は達成したようなものだ」という意味になります。
 興味があることは、まずは挑戦してみることが大事ですね!!

趙修賢【韓国語講師インタビュー】文化的背景と共に学ぶ、生きた韓国語レッスン | 海外赴任・留学・資格に強い韓国語教室・スクール - アイザック韓国語ニュース
 韓国語には、「시작이 반이다(シジャギパニダ):物事を始めたら、それは半分達成したようなものだ」ということわざがあります。韓国語は日本人にとって非常に勉強しやすい言語で、一度始めたら楽しさを発見でき、自分の視野も広がってくると思いますよ。

 「シジャギパニダ思い立ったが吉日」というのは上手い意訳かもしれない。
 「百里を行く者は九十を半ばとす」は説明する必要もないかと思います。「勝って兜の緒を締めよ」と言い換えてもいい(「百里」はもともとは中国の故事成語なので日本云々という荒木の物言いは違う気がしますが)。
 で、「シジャギパニダ」「百里を行く者は九十を半ばとす」は「主張するシチュエーション」が違うので「民族性の違い」というのとは違う気がします(そもそも「シジャギパニダ」の同義語は日本語にもあるでしょう。既に紹介した思い立ったが吉日もそうでしょう)。
 「シジャギパニダ」とは「成功するか分からない」などと尻込みする人間に向かって「始めれば何とかなるもんだ」と励ます言葉。
 「百里を行く者は九十を半ばとす」とは始めてから「終わりが見えてきてから」最後まで油断するなという警戒の言葉。
 「シジャギパニダ」と言うべき時(まだ仕事を始めてないとき)には誰も「百里を行く者は九十を半ばとす」とは言いませんし、逆に「百里を行く者は九十を半ばとす」と言うべき時(仕事に終わりが見えてきたとき)には誰も「シジャギパニダ」なんて言いません。
 どっちにしろそんなことが拉致被害者の帰国と何の関係があるのかと荒木のバカさに心底呆れます。
 いずれにせよ「シジャギパニダ」という言葉は「外交交渉したら北朝鮮に丸め込まれるだけだ」「一時帰国など認めたらダメだ。全員帰国出ない限り制裁解除はダメだ」「今制裁を辞めたら過去の制裁が無駄になる」等で「制裁路線に固執し、外交交渉を事実上否定し」変化を嫌う家族会に贈りたい言葉です。もはや「段階的帰国、部分的帰国容認」で「バーター取引路線」に切り替える以外に拉致解決の現実的な道はないでしょう。

【参考:海原やすよ・ともこ

海原やすよ ともこ - Wikipedia
海原やすよ
 ツッコミ担当(結成当時はボケ)。ともこの実妹
海原ともこ
 ボケ担当(結成当時はつっこみ)。やすよの実姉。
【略歴】
 漫才コンビ海原お浜・小浜*1」の海原小浜の孫で、漫才コンビ海原かける・めぐる(めぐるは後の池乃めだか)」の海原かける*2を父、マジシャンのワンダーのり子を母に持ち、母方の祖母にワンダー天勝がいる。親子3代で漫才師であり、親子3代で上方漫才大賞を受賞している上方お笑い界の名門一家である。
 1992年(平成4年)2月に当時やすよが中田カウス・ボタンのファンであったため、親交のあった父・かけるの紹介でボタンに弟子入りし正式にコンビ結成、本来ならば「中田やすよ・ともこ」となるはずだが、「女流漫才の名門である海原の屋号を名乗った方が良いと思う。お婆ちゃん(小浜)に海原の屋号を名乗っていいかどうか、相談しておいで」という師匠の計らいと、それを快諾した小浜のおかげで海原の屋号を名乗る運びとなった。従って、海原小浜の弟子ではなく、海原一門とも直接的な関係はない。また、コンビ名で妹・やすよの名が先にくるのは、ボタンへの師事がやすよが先、ともこが後であったことに起因する。

*1:1933年にコンビ結成。1967年、上方漫才大賞を、1975年には上方お笑い大賞を受賞。1976年、お浜が白内障による引退を正式に決意しコンビ解消、1978年5月17日のサンケイホール(現在のサンケイホールブリーゼ)にてサヨナラ公演を行った(海原お浜・小浜 - Wikipedia参照)

*2:1948年生まれ。1968年に三洋電機時代の同僚とコンビを組み「海原かける・めぐる」を結成。その後、1975年に上方漫才大賞新人賞を受賞するなど人気漫才コンビとなったが、1977年に突然解散し、芸能界を引退。相方のめぐるは池乃めだかに改名し吉本新喜劇に入団(海原かける - Wikipedia参照)