「民衆とともにあれ」と中村哲医師は言った - 高世仁のジャーナルな日々
珍右翼・高世仁に悪口する(2022年12/6日分) - bogus-simotukareのブログで批判した中村哲医師の「共に生きる」哲学 - 高世仁のジャーナルな日々の続きです。
「民衆とともにあれ」
ですが
山本宣治 - Wikipedia
『山宣独り孤塁を守る! だが僕は淋しくない、背後には多くの大衆が支持しているから』
「私は何ものをも恐れない、ただ大衆のみを恐れる」(三木武夫) | <陸中宮古> 荒田正信のひとりごと
三木氏*1の遺した好きなことばがある。
「私は何ものをも恐れない、ただ大衆のみを恐れる」
など似たような言葉(三木、山宣の場合は大衆ですが)はあります。というか、中村氏がこうした言葉を知った上で「自らの人生経験上も真理だと思った」つう話ではないか。
中村さんはつねづね、人は家族一緒に三度三度メシをちゃんと食えれば、争いごとなど起こさないと言っていた
そんな中村氏を称える高世が「三度三度メシをちゃんと食えれば、争いごとなど起こさない(北朝鮮が経済発展すれば戦争の脅威は減る)」という認識の元に行われた「金大中、盧武鉉、文在寅*2の太陽政策」を敵視し、北朝鮮打倒を叫ぶことと、この中村礼賛はどう整合性があるのかと言えば高世はおそらく何も考えてないでしょう。
「中村を礼賛し、ペシャワール会(中村が創設者)にすり寄って取材ができればいい」位のことしか恐らく考えてない。
もっとも気になっていた、タリバン政権に変って、活動に支障が出ていないかということについては、中村さんと「緑の大地計画」の立ち上げのときから一緒に活動してきたディダール技師がこう答えた。
「ドクター中村は言っていた。『政府は変る。しかし民衆は変らずにそこにいる。政府がどうであるかに気をとられるな。民衆とともにあればよいのだ』と。この言葉を守って、政府が変わっても私たちは活動を変えません。」
「前の政権も今回の政権もPMSを尊重してくれています」とも言う。
前政権のガニ大統領は、中村さんに勲章を授与して活動を賞賛した。亡くなったとときには、中村さんの遺体をみずから担ぎ、国葬に近い配慮を見せた。
現タリバン政権も、ジャララバード*3の中心部に、中村さんの記念公園を10月オープンするなど、その偉業を高く評価し、PMSの活動には協力的だという。
それは経済省が私たちのPMS取材にタリバン兵2名を護衛につけてくれたことにも表れていると思う。
赤字部分には「おいおい(呆)」ですね。中村氏の功績に関係なく「経済大国日本の国民」には護衛をつけるでしょう。日本国民がテロなどで死んだら、日本国民のアフガンへの感情が悪化したり、日本政府のODAが減ったり、日本企業の進出が減ったりする恐れがあるからです。
また、護衛は単なる護衛ではなく「北朝鮮のいわゆる監視人」的性格(高世らにタリバンにとって都合の悪い取材をさせないようにする)も持ってるでしょう。
なお、中村氏に功績がないとは言いません。しかし「中村氏が日本で評価されてるようだから、日本政府の経済支援や日本企業の進出を促進するために中村を称えよう」というスケベ心はガニ前政権にもタリバン政権にも明らかにあるでしょう。
以上のことは高世も「分かってる」であろうに、中村礼賛に都合が悪いからか、そうしたことに触れない高世にはいつもながら心底呆れます。
中村さんの権力に右顧左眄しない姿勢は、今後もPMSに引き継がれていくだろう。
「NPO活動(中村氏のペシャワール会が行っている医療支援など)の妨げになる恐れがあるから、時の政権からできる限り距離を取る」「できる限り批判もしないし、礼賛もしない」というのは「右顧左眄しない(信念がなく、単に勝ち馬に乗りたいが故に右に行くか、左に行くか決断が就かず、ぐずぐずしていること:右の維新にすり寄りながら、左の共産、社民、れいわとの野党共闘は辞めるとはっきり言えない泉立民の醜態がまさにこれ)」と言うのとは違うと思いますが。
かつこうした「中村的な態度」を「高世が嫌ってる中国や北朝鮮相手」にとれば「政府批判から逃げてる」「そんな人道支援に意味があるのか」と非難するのが高世ではないのか?。高世も全くインチキでデタラメな男です。そんなことだからジンネットが倒産したのではないのか。