今日のしんぶん赤旗ニュース(2023年1/8~11日分)

馬毛島基地あす着工か/「首相訪米の手土産だ」住民憤り/鹿児島・西之表
 地元の反対意見を無視して着工というのだから全く無茶苦茶です。


きょうの潮流 2023年1月11日(水)

「いま、中国を念頭において軍事力を強化するみたいなことを政治家が平気で言っているけど、はっきり言ってそんなことはおかしい」。
 福田康夫元首相が『世界』2月号で、中国と敵対することの愚かさを強調しています

 『男は黒豹(例えば赤旗女性べっ視発言/福田長官は公式釈明を/野党3党女性議員が申し入れ(2003.7.8)参照))』などの過去の問題発言を割り引いても、今の自民党内ではまともな方と言っていいでしょう。
 この点は

能川元一
 福田康夫は「男は黒豹」発言という決定的な瑕疵があるので肯定的に言及することはしないよう心がけている*1が、(ボーガス注:モリカケ桜の安倍、ナチス暴言の麻生など)最近の首相たちの中では飛び抜けて常識人だったことは間違いないのでは。やはり世襲以外の人生を本気で送っていた経験がある*2のとないのでは大違いなのだろう。

と言う指摘に全く同感です。「安倍ほどの不祥事がない(勿論普通は無いですが)」のに福田氏が短命政権に終わった一方で「モリカケ桜の安倍」が歴代最長とは理不尽さを禁じ得ません。
 なお赤字部分は

福田康夫 - Wikipedia
 1959年(昭和34年)丸善石油(現:コスモ石油)に入社し、1962年(昭和37年)3月から2年間、米国ロサンゼルス支店に赴任。帰国後に石油製品の輸入課長を務めた。
 1966年(昭和41年)に元衆議院議長桜内義雄*3の姪である嶺貴代子に、「政治家の女房にはしない」と誓い結婚。政界入りはしないとしていた福田だが、父の後継者とされた次男で養子に出した横手征夫が病気となり、母三枝が康夫を後継者に推したこともあって、政治家を志す。1976年11月に会社を退社し、父・赳夫の議員秘書となり、1977年12月から1年間、赳夫首相の秘書官を務める。1990年2月に衆議院議員総選挙で、群馬3区から出馬して当選(小選挙区制導入後は群馬4区選出)

ということですね。安倍も神戸製鋼にいた時期もありますが、あれは完全に「腰掛け」ですからね。
 この福田氏が「タカ派&台湾ロビー・岸信介の側近だった福田赳夫(岸内閣で農林相や自民党幹事長、岸の実弟・佐藤の内閣で蔵相、外相や幹事長、また岸から派閥を禅譲)」の息子であり「安倍と同じ派閥(森派)」で「小泉政権を安倍と共に支えた(安倍は官房副長官、福田氏は官房長官)」一方、「リベラル政治家、親中国派(日中国交正常化の大平外相、天皇訪中の宮沢首相、日本国際貿易促進協会会長の河野氏)を輩出してきた宏池会」の岸田が軍拡&反中国極右というのは「何だかなあ」感があります。
 首相就任前は福田氏は「その出自(安倍と同じ清和会、しかも父・赳夫は清和会ボス)」から安倍的なウヨと見なされ、一方、岸田は「その出自(宏池会)」から「安倍よりはマシ」と見なされたモノの実際は逆だったわけです。
 勿論、岸田は「第二次、第三次安倍内閣外相」でしたがこれは「池田(岸内閣蔵相、通産相)」「宮沢(中曽根内閣蔵相)」のように理解されていた。池田(ちなみに池田も、最終的には安倍の支援を受けた岸田同様、岸からの禅譲です)や宮沢が首相就任時に「岸や中曽根よりはましになるだろう」と思われていたように「安倍よりはマシだろう」と思われていたわけです。


生活保護停止処分取り消し求める裁判/車は生活用品 認めて/三重・鈴鹿/原告が訴え
 都市部ならともかく田舎では、自宅から何キロも遠く離れた場所に郊外型スーパーがあるなんて事は珍しくないので車は必需品です。
 「タクシーを使え」なんてのは無茶苦茶です。


大阪知事選/たつみ氏が出馬表明/カジノより命と暮らしを/「明るい会」と確認書
 勿論、共産党としても「辰巳氏でなければダメ」と言うほどのこだわりはさすがにないでしょう。
 本来、立民が最大野党として早期に候補を擁立すべき所、あまりにも動きが鈍いので「元参院議員、党中央委員」を擁立することで「本気度を示した」ということでしょう。
 いずれにせよ、「府知事当選」でも「国政復帰」でもどんな形でもいいので辰巳氏の政界復帰を早期に果たして欲しいところです。

*1:能川氏が「心がけている」と書いていること(安倍や麻生なら心がける必要も無いでしょう)と、にもかかわらず最近の首相たちの中では飛び抜けて常識人だったことは間違いないと書いていることが興味深い。

*2:とはいえ世襲ではない政治家が当然にまともかと言えばもちろんそうではないわけですが。

*3:池田、佐藤内閣通産相自民党政調会長(田中、三木総裁時代)、福田内閣建設相、幹事長(大平、鈴木総裁時代)、鈴木内閣外相、衆院議長など歴任。立憲民政党幹事長、第2次若槻内閣商工相、平沼内閣農林相、米内内閣蔵相、枢密顧問官を歴任した櫻内幸雄は父。民政党議員の櫻内幸雄が入閣してることで分かるように、平沼、米内内閣は首相が議員で無い(平沼は司法官僚、米内は海軍軍人)とは言え、政党と内閣が激しく対立していたわけでは必ずしもありません。