韓国・尹大統領「日本は100年前の歴史でひざまずく必要ない」…米紙インタビューに、野党は批判 : 読売新聞
小生とて日韓友好は大事だと思います。
とはいえ「日韓友好のためなら、歴史認識問題はどうでもいい」と言う態度の尹錫悦には呆れます。
この物言い、正直、櫻井よしこなどの日本ウヨの居直りと何処が違うのか。韓国の野党などから批判が出るのも当然でしょう。
誰も「ひざまづけ」なんて言ってない。「加害国として、日本は一定の反省の意思表示をして欲しい」と言うだけの話です。
徴用工問題で「ホワイト国除外」なんてやらかす自民党政権の無法な態度を容認していいのかという話です。
これが元検事と言うから呆れます。被害者の意思を踏みにじって「それでも元検事」なのか。
「名誉白人(南ア)」ならぬ「名誉日本人」称号を尹には贈呈したくなります。
なお、「100年前発言」の揚げ足を取れば、日本の朝鮮侵略の始まりである「江華島事件(不平等条約をおしつけた)」は1875年で約148年前。
朝鮮の保護国化を開始した日韓協約(第一次~第三次:韓国統監の設置など)は最初の「第一次」は1905年で約118年前。完全に植民地化した韓国併合が1910年で約113年前。
弾圧で多数の犠牲者を出した31事件が1919年で約104年前。日本の敗戦で植民地被害の悲劇が過去の物になったのが1945年で約78年前。
ということで100年前は「単に語呂合わせ」でしょうが、それに合致するには「31運動」だけです。他(例:太平洋戦争下での慰安婦や徴用工)は100年前とは言いがたい。
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「建前ではホワイト国除外とは関係ないはずの徴用工問題」で尹錫悦政府が自民党に同調するような言動をしたら突然これです。予想の範囲内とはいえ、そのデタラメさには心底呆れます。
金日成主席 自民党訪朝議員団と会談 山口淑子さんに語ったこと 1975年2023.4.14
団長は田村元*1衆議院議員。
竹内黎一さん*2、塩谷一夫さん*3、後ろ姿は石井一さん*4。
この自民党議員団、もともとは「自民党代表」としての訪朝を目指していましたがかなわず、それでも自民党「公認」の訪朝団という形にはなりました。
(中略)
(ボーガス注:金日成国家主席との)会談が実現しました。
この映像に、李香蘭の名で映画スターだった山口淑子さん*5は写っていませんが、山口さんが金主席に握手を求められ「あなたの映画を見たよ」と話しかけられたという逸話は、この日のことだったようです。
それ以前に「青瓦台襲撃事件」(1968年)、「文世光事件(朴正熙暗殺未遂)」(1974年)などがあったとはいえ、自民党が1975年当時は今ほど北朝鮮を敵視してなかったことはわかりますが、「それしか分からない」隔靴掻痒な記事です。
【報告】協議会主催講演会 金明俊氏「私の生きた北朝鮮と脱北」 | 一般社団法人 アジア自由民主連帯協議会
金氏は北朝鮮について、あくまで自分が生きていた範囲内だけれどと断ったうえで、次のように述べました。
「苦難の行軍」と言われた90年代でも、市場ではそれなりにモノがあふれていたし、裕福な人は飢えていたわけではない。
自分が商売にしていたビデオを買うような人は大体そういう階層で、特に困ってもいなかった。北朝鮮の食糧危機や飢餓というのは、本質的には政治や社会体制の問題だと思う。
発言者は脱北者なので「食糧危機や飢餓は分配機能が機能してないからで、きちんと分配すればそんな事態にならない→北朝鮮上流層のみが美味しい思いをしている」という「批判」をしたいために、「事実に反する発言」をしている疑いは否定できない。
その発言は割り引く必要がありますが、事実ならば「北朝鮮崩壊論」に対する反論ではあるでしょう。
*1:田中内閣労働相、福田内閣運輸相、自民党国対委員長(鈴木総裁時代)、中曽根、竹下内閣通産相、衆院議長など歴任
*3:衆院外務委員長、地方行政委員長を歴任したが、閣僚になることはなかった。当初は三木派だが、四十日抗争の際に離脱し無派閥。その後安倍派に加入。麻生内閣文科相、自民党総務会長(谷垣総裁時代)、選対委員長(第二次安倍総裁時代)等を歴任した塩谷立(安倍派)は息子
*4:海部内閣国土庁長官、羽田内閣自治相・国家公安委員長、民主党国対委員長、副代表など歴任
*5:山口淑子 - Wikipediaによれば『1975年に訪朝したとき、宴会の場で金日成から山口主演映画「支那の夜」(1940年公開)を観たことを告げられた。挿入歌である蘇州夜曲を歌うと、金日成が抱きつくようにして喜んだ』とのこと