茂木外相、モンゴルを来週訪問へ 拉致解決巡り協力要請:東京新聞 TOKYO Web
日本とモンゴル両政府は、茂木敏充外相が来週末にモンゴルを訪問し、フレルスフ首相やエンフタイワン外相と会談する方向で調整に入った。両国外交筋が30日、明らかにした。モンゴルと北朝鮮の伝統的な友好関係を踏まえ、北朝鮮による日本人拉致問題の早期解決に向けた協力を要請する。
モンゴルと言えばここでウンギョンさんと横田夫妻が会ったことで知られるように北朝鮮とそれなりのパイプがあるようです。
あまり期待していませんが茂木*1外相のモンゴル訪問で、何か動きがあれば大変ありがたい。
正直「家族会や救う会が反発しても拉致被害者が一人でも帰国すれば国民は評価してくれる、解散前に小泉訪朝のような菅訪朝を仕掛ければ自民の勝利の可能性が高くなる」という思惑でも一向に構わないので、菅政権に「日朝交渉」の方向に大きく踏み出して欲しいところです。
逆転の一冊 村木厚子『名探偵コナン』が無罪の私を救った (1/4):日経ARIAをネタに色々書いてみる
◆インタビュアー
検察が有罪へのストーリーを作り上げる中、無罪判決への足掛かりを見つけたのは村木さんご自身だったそうですね。
◆村木(逮捕、起訴当時は厚生労働省雇用均等・児童家庭局長。無罪判決後に厚生労働省社会・援護局長を経て厚生労働事務次官に就任。退官後も大阪大学招聘教授、津田塾大学客員教授、SOMPOホールディングス監査役など歴任(村木厚子 - Wikipedia参照))
実は、この発見ができたのはアニメ『名探偵コナン』のおかげだと思っているんです。
コナン君は常に冷静で、思い込みで行動しません。誰かが殺されて、そばに血だらけのナイフを持った男が立っていても、「刺したところを見た人がいないのなら、彼が殺したとは証明されない」と言う。思い込みをなくして、常に新鮮な目で物事を見ようとするんです。
私もコナン君になり切って捜査報告書を読み込んだら、2度目に目を通した時に検察側の矛盾が見つかった。無罪判決はコナン君の教えのおかげです(笑)。
書き換えてみましょう。
和田春樹君*2は常に冷静で、思い込みで行動しません。救う会、家族会(特に横田一家)が『横田めぐみさんは生きている』と言っても、「生きていると言える根拠が無いなら、彼女が生きているとは証明されない」「ウンギョンさんは『母は死亡した』と言っている」と言う。思い込みをなくして、常に新鮮な目で物事を見ようとするんです。私(ボーガス)が「横田めぐみさん生存説には何の根拠も無い」「そんな根拠薄弱な話に固執するより横田夫妻は孫に会え」と救う会、家族会を批判できるのも和田春樹君のおかげです(救う会などへの皮肉のつもり)
しかし、「無罪判決後」とはいえ、村木さんもこういう冗談が言える辺りなかなか肝が太いですね。
「ヒステリーおばさん」横田早紀江とは偉い違いです。「たかが一主婦が、救う会にチヤホヤされて思い上がった」のと「有能なキャリア官僚」の違いですね。
◆村木
差し入れていただいた本を150冊ほど読みました。印象深いのは、それまで読んだことのなかった相田みつをさんの『にんげんだもの』(KADOKAWA)。この本のおかげで、偽の障害者団体を作った人や、私を有罪にしようとする検事たちと同じように「私にも弱いところがある」と思うと不思議と周りに腹も立たなくなったんです。
書き換えてみましょう。
印象深いのは、それまで読んだことのなかった相田みつをさんの『にんげんだもの』(KADOKAWA)。この本のおかげで、特定失踪者をでっち上げる荒木和博氏や、蓮池透氏を不当除名した家族会、拉致を悪用して首相に成り上がった安倍前首相と同じように「私にも弱いところがある」と思うと不思議と「薄汚い人間のくず」である彼らに腹も立たなく、「すみません」やっぱり腹は立ちますね。人間ができてないもんですから。
まあ「冗談は止めて」マジレスすると「モリカケの安倍」「救う会の西岡、島田、荒木」みたいなクズには腹が立って一向に構わないと思いますね。俺が「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2/23分:高世仁の巻)(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ、高世仁に突っ込む(2019年10月31日分) - bogus-simotukareのブログで批判したダライ・ラマの「中国政府を恨んでない」と言う「嘘八百のきれい事発言」と同じで、村木氏も本心では「検察その他」に今も腹を立ててるでしょうし。
そもそも「怒るべき時には、怒るべきだ」「人間のくずに怒って何が悪い」「むしろ怒りを忘れたら人間としておしまいだ」と俺は思っています。それは俺や村木氏にも「人間的欠陥がある」なんてこととは全く関係ない。
そう言う俺は、ダライや村木氏のようなきれい事よりも
クルド避難民に援助を決めた緒方貞子さん - 高世仁の「諸悪莫作」日記
緒方さんの活動の原動力は何かと聞かれた緒方さん、「(ボーガス注:不正義を是正しなければいけないという)怒り」と答えたそうだ。
という緒方貞子氏*3に大いに共感します。高世仁に突っ込む(2019年10月31日分) - bogus-simotukareのブログにも書きましたが、俺はブログ記事を書く場合「怒り」があると書きやすいので(例:家族会や救う会への怒り)。
まあ、それはともかく。「村木氏のきれいごと」には別に腹も立ちませんが、「中国政府を恨んでない」ときれい事を抜かしながら「敵(中国政府)の敵は味方」という党利党略で「高須クリニック」など、日本ウヨと野合して恥じない「人間のクズ」「糞坊主」「カス野郎」ダライと「ダライの不愉快な仲間たち(チベット亡命政府一味やダライの愚行を容認する阿部治平、I浜Y子、Mukkeなど自称支援者たち)」には腹が立ちますね。
むしろ緒方氏のように正直に「中国政府への怒りが私の原動力だ(ダライ一味)」と言えばいいのに。まあダライと言えば「オウム麻原からの一億円受領」も忘れてはならない不祥事です(拙記事「オウム問題から逃げ続けた人間」?。ああ、「麻原から1億円もらった」ダライラマのことですね、Mukkeさん(毒) - bogus-simotukareのブログ参照)。俺はダライが「オウムの件」を公式に謝罪しない限り、ダライを許す気など全くありません。ダライには俺は「憎悪や軽蔑」といった負の感情しか無い。
なお、こういうダライ一味への悪口(オウム麻原から1億もらったクズは黙れ、など)を書くから俺はMukkeやI浜Y子、阿部治平のようなチベットキチガイ(ダライの不愉快な仲間たち)には「中国シンパ」「チベット差別者」呼ばわりされて非常に嫌われます。
◆村木
大好きなサラ・パレツキーの『サマータイム・ブルース』(早川書房)に、「生きていれば多くのことが降りかかってくる。だけど、それをどういう形で人生の一部に加えるかはあなたが決めること」という言葉が出てきます。1度目に読んだ時はなんの印象も残らなかったのですが、長年一緒に仕事をしてきた人が拘置所に差し入れてくれて2度目に読んだ時、まさに(ボーガス注:冤罪事件に遭った)私に合った言葉だと感じました。この試練の中でも、自分らしくいようと思えました。
「サマータイム・ブルース」サラ・パレツキー著 ”人生を終わらせるか、始めさせるか” - 幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー
本より引用;
(兄と父を殺された少女ジルに、犯人を捜すよう頼まれた女性探偵ウォーショースキーがジルに言ったことば)
「あなたが何をしてても、あるいはあなたになんの罪もなくても、生きていれば多くのことが降りかかってくるわ。
お父さんとお兄さんが殺されたのも、その一例だけど、それらの出来事をどういう形で人生の一部に加えるかは、あなたが自分で決めること。
世をすねるもよし、といっても、あなたはそういう性格じゃなさそうだけど。
または、それをこやしにして成長するもよし」
書き換えてみましょう。
大好きなサラ・パレツキーの『サマータイム・ブルース』(早川書房)に、「生きていれば多くのことが降りかかってくる。だけど、それをどういう形で人生の一部に加えるかはあなたが決めること」という言葉が出てきます。1度目に読んだ時はなんの印象も残らなかったのですが、同じ拉致被害者でありながら、横田夫妻などと違い『救う会を批判できる蓮池透氏』に合った言葉だと感じました。
『北朝鮮による家族の拉致』という『人生経験』を『救う会への媚びへつらい』という間違った形で『人生の一部に加え』孫のウンギョンさんにろくに会おうともしない横田夫妻の愚劣さを心の底から軽蔑します。一方で蓮池氏は大いに尊敬します。
「あなた(滋や早紀江)が何をしてても、あるいはあなたになんの罪もなくても、生きていれば多くのことが降りかかってくるわ。
めぐみさんが拉致されたのも、その一例だけど、それらの出来事をどういう形で人生の一部に加えるかは、あなたが自分で決めること。
救う会に死ぬまで政治利用されるのもよし、または、蓮池氏のように救う会批判するもよし」
◆朝日新聞インタビューシリーズ『金丸訪朝から30年 日朝外交これまで、これから』
「小泉訪朝後18年に及ぶ拉致敗戦(拉致の風化)」「横田滋死去」「安倍の退陣」によりこうした記事が書かれるようになったかと思うと感無量ですね。もっと早く書いて欲しかったところではありますが贅沢は言いません。書いたことをひとまず評価したい。それにしても俺は「朝日の牧野」は、今日の中国&朝鮮・韓国ニュース(2019年6月27日分) - bogus-simotukareのブログ、「珍右翼が巣くう会」に突っ込むほか(2020年5/23分:荒木和博の巻) - bogus-simotukareのブログで批判したように、「反北朝鮮のウヨ」だと思っていたので非常に意外です。
「一緒に泥舟を漕ごう」金丸訪朝から30年 対北朝鮮外交の活路はどこに:朝日新聞GLOBE+2020年9月27日
安倍政権は拉致問題を最重要課題と位置づけながらも、7年9カ月の長期政権下で進展を得ることができなかった。
これまで北朝鮮との交渉に関係したできるだけ多くの当事者のインタビューを通して考えてみたい。
第1回の舞台は、今から30年前の「金丸訪朝」。金丸信*4・元副総理の次男で、当時の訪朝に同行し、今もたびたび北朝鮮を訪れている金丸信吾氏に聞いた。(朝日新聞編集委員・牧野愛博*5)
金丸信吾氏については拙記事今日の朝鮮・韓国ニュース(2019年10月15日分)(追記あり) - bogus-simotukareのブログや金丸信吾氏のこの発言に、拉致被害者家族らはどのように反応するのか(無視だろうが、それではどうしようもないというものだ) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)も参照下さい。金丸インタビュー記事の紹介を続けます。
1990年9月28日、訪朝した金丸元副総理と社会党の田辺誠委員長が、朝鮮労働党との間で、日朝国交正常化に向けた政府間交渉を促す3党共同宣言に署名した。当時、「日朝の扉を開けた」「土下座外交」など、訪朝への賛否は大きく分かれ、宣言中の「十分な償い」という表現が大きな反発も招いた。
◆牧野
金丸訪朝では何が起きていたのですか。
◆金丸
北朝鮮側が「(ボーガス注:金日成・国家)主席が金丸先生とだけ話をしたいと申していますが、お受けいただけますか」と言ってきた。
会談は昼食を挟んで夕刻まで続き、国交正常化のための政府間交渉を始めることで合意した。ただ、決めたのはそれだけで、後に北朝鮮への戦後賠償の表明だとして問題視された「戦後45年間の謝罪、十分な償い」という表現も含め、3党共同宣言の文案についての協議は行われなかった。
会談の最後に、父が「(1983年から北朝鮮に乗組員2人が抑留されていた第18)富士山丸はどうなっているのか」と尋ねた。「2人の行為が貴国の法律に違反したことはその通りで謝罪する。ただ、8年も抑留され、2人も反省していると思う。人道的措置として釈放してほしい」と要請した。
金日成は「結構です。釈放しましょう。金丸先生の帰国チャーター便で帰らせるようにします」と言ったが、父はその申し出は断った。父は「寛大な決断に、心からお礼申し上げる。ただ、日朝政府間交渉の開始合意の見返りのような行動は避けるべきだ。2つの問題は次元が違う。バーターにするのは、金日成主席に迷惑になるかもしれない。労働党創建記念日の10月10日に祝賀訪問団を送るから、そのときに帰して欲しい」と語ったという。
父は宿舎に戻ってくると私に「小沢一郎*6(当時の自民党幹事長)に電話しろ」と命じた。父は小沢氏に「いっちゃん、1カ月後に日帰りで良いから日程を作ってくれ」と頼んだ。それで10月10日に小沢氏と社会党(ボーガス注:委員長)の土井たか子氏らが訪朝して、2人を解放した。
その夜、金日成がお別れのあいさつに招待所にやってきた。金日成は「これで私と金丸先生は同じ船に乗った。しかし、泥舟になるかもしれない。私と金丸先生とで力を合わせ、泥舟になっても国交正常化という目的地に向かってこいで行きましょう」と笑顔で語っていた。
「9月28日会談で10月10日訪朝なら1ヶ月後と違うやん。約2週間後やん」ですがその辺り、金丸信氏もアバウトな性格なんでしょうか。
しかし、こういうときに「10月10日の朝鮮労働党創設記念日」つう言葉がすぐに出る辺りやはり大物政治家は違いますね。我々、日本人だと10月10日つうと「昔の体育の日(今はハッピーマンデーで日時が変動する)」「1964年東京五輪開会の日(ここから10月10日が体育の日になった)」ですが。金丸インタビュー記事の紹介を続けます。
◆牧野
3党共同宣言ができるまで、どのような経緯があったのですか。
◆金丸
「戦後45年間の謝罪、十分な償い」の表現などで対立した。私が川島さん*7(後の外務事務次官)に「この表現を入れたら、日本で問題になりますか」と聞くと、「外交では問題になるかもしれない。ただ、これは政府ではなく政党の宣言。金丸先生が腹をくくるなら良いのではないか」という答えだった。それで父に「おやじさんが泥をかぶるなら、これでいいかもしれません」と伝えた。
父は「俺が泥をかぶればいいのか」と言ってまとめた。父は後に「本来なら1965年に韓国と同時に国交正常化しているべきだった。謝罪という表現は、1965年から今までの金利のようなものだ」とも語っていた。日朝3党共同宣言<骨子>
●過去に日本が36年間朝鮮人民に与えた不幸と災難、戦後45年間朝鮮人民が受けた損失について、謝罪し、償うべきだと認める。海部自民党総裁は金日成主席への親書で、不幸な過去への深い反省と遺憾の意を明らかにし、日朝関係改善の希望を表明。日本政府が国交関係を樹立すると同時に、損害に対して十分償うことを認める
●できるだけ早期に国交関係を樹立すべきだ
●両国間の直行航空路を開設することが必要
●日本のパスポートの「北朝鮮除外条項」の削除が必要
●朝鮮は1つであり、南北の平和的統一は朝鮮人民の民族的利益に合致
●地球上のすべての地域から「核の脅威」をなくすことが必要
確かに「1965年の佐藤*8内閣の日韓国交正常化と同時、あるいは数年後(たとえば1972年の田中内閣の日中国交正常化と同時期など)に」北朝鮮との国交が樹立できれば良かったと思いますが、それは残念ながらできませんでした。
金丸インタビュー記事の紹介を続けます。
◆牧野
金丸訪朝を契機に1991年から1992年にかけ、計8回の国交正常化交渉が行われました。
◆金丸
私はこの時期に、計10回訪朝した。うち7回は金日成と会談した。政府間交渉も行き詰まり、1992年10月に佐川急便事件で(ボーガス注:世論の批判に抵抗できずに)金丸が議員辞職したため、北朝鮮との関係は途切れた。
「不祥事による議員辞任」は当然のこととはいえ、また「金丸氏が失脚せず死ぬまで議員だったとしても国交正常化した保証はない」とはいえ、金丸議員辞任は「日朝国交正常化」という観点では大きな痛手だったと言えるかもしれません。なお、「話が脱線します」が、金丸氏が議員辞任したことで、金丸氏に重用されていた小沢一郎氏が党内で失脚。小沢氏が巻き返しを狙って自民党を離党して、新生党を結成、細川*9、羽田*10内閣を成立させたことで日本政治は大きく変動することになります。、
それにしても「金脈問題による田中*11首相辞任」「ダグラスグラマン疑惑による岸*12元首相の議員辞職(議員辞職後も、子分の福田赳夫*13元首相や女婿の安倍晋太郎*14を通じて隠然たる政治力があったとは言われますが)」「リクルート事件による竹下首相辞任」「東京佐川問題による金丸氏の議員辞職(まあ金丸氏も1996年に病死しており、1992年の議員辞職時点で既に一線を退いてもおかしくない年齢ではありましたが)」という過去の事例を考えるに「安倍がモリカケや桜を見る会でも首相を辞めずに居直ったこと」は「自民党と日本社会の嘆くべき劣化」と言わざるを得ません。
金丸インタビュー記事の紹介を続けます。
◆牧野
その後、どうやって北朝鮮とのパイプが復活したのですか。
◆金丸
2002年5月に金養建*15(キム・ヤンゴン)から突然、招待を受けた。「久しぶりに来ませんか」という話だった。訪朝すると、金養建が「日朝は停滞していたが、今年は劇的に動くでしょう。金丸先生と主席は亡くなったが、当時携わった方として、2人が約束した国交正常化のために色々と協力してほしい」と言った。
私が「なぜ、劇的に進むのか」と尋ねても答えなかったが、2002年9月に日朝首脳会談が実現した。それから、私はたびたび訪朝し、最後に昨年、22度目の訪朝をした。
1)2002年5月時点で「小泉訪朝」がほぼ決まっていたこと、2)それを親しい関係の金丸信吾氏にはそれとなく示唆したものの、金丸発言を信じれば詳細については金丸氏には伝えなかったこと、3)金丸氏も「父・金丸信の訪朝のような動きが水面下であるのか」と思いながらもそれについては深く尋ねなかったことがうかがえます。
ちなみに「小泉政権成立」が「2001年4月」、小泉政権の支持率が大幅に下がった「田中*16外相更迭」が「2002年1月」です。
小泉訪朝の動きはいつから始まったのか、田中氏更迭による支持率低下を受けて始まったのか、それとも森*17前首相時代から「首相訪朝を目指す動きはあったのか」等気になるところです。
金丸インタビュー記事の紹介を続けます。
◆牧野
安倍政権は最重要課題にすえた日本人拉致問題を解決できませんでした。
◆金丸
安倍首相は昨年、「今度は私の番だ。無条件で日朝首脳会談を行う」と語った。その後、平壌で宋日昊(ソン・イルホ。朝日国交正常化交渉担当大使)に、日朝関係の現状について尋ねた。
宋は「何もない。安倍の発言は、単なる日本国民に向けた、『私はやっています』というパフォーマンスに過ぎない。拉致が解決して一番困るのは安倍だ。今の状況が一番いいのだ」と言った。
2002年9月の日朝首脳会談で、北朝鮮側は2つのことに怒っていた。
ひとつは「拉致被害者の一時帰国」という約束を破った。
もう一つは、金正日総書記が準備した食事を拒んだことだ。日本は弁当持参で、水も準備したペットボトルで飲んだ。北朝鮮は侮辱されたと思った。外交的に非礼な行動だった。
そしてその二つを差配したのが(ボーガス注:当時、小泉内閣官房副長官だった)安倍首相だった。安倍首相が、拉致問題を武器に首相になったのは間違いない事実だ。最後には、振り上げた拳を下ろせなくなった。北朝鮮から譲歩を引き出したいなら、自分たちも譲歩しないと難しい。
◆牧野
なぜ、金丸元副総理と金日成主席は信頼関係を作れたのでしょうか。
◆金丸
父の口癖は「外交は信頼」「信頼なくして外交はできない」だった。主義主張は全く違うが、人間として信頼できると思ったのだろう。
◆牧野
次の政権で拉致問題は解決できるでしょうか。
◆金丸
誰が総理になっても、劇的に変わるとは思えない。例えば、「横田めぐみさんは死亡したかもしれない」と言う政治家はいないだろう。本当に生きていてほしいが、「横田さんは死亡した」という北朝鮮の主張とは対立し、対話の糸口はつかめないだろう(ボーガス注:ウンギョンさんの存在を認めながら、めぐみさんを隠すのは不自然なので、めぐみさんは死んでいるとみるのが合理的推測でしょう。俺は「真実は常に一つ!(村木厚子さんも大好きな名探偵コナンの台詞(逆転の一冊 村木厚子『名探偵コナン』が無罪の私を救った (1/4):日経ARIA参照))」という価値観なので嘘は書けません)。
また、「北朝鮮に拉致された可能性を否定できない」とする特定失踪者が800人以上いる。北朝鮮が過去、拉致を行ったことは事実だが、特定失踪者全員が北朝鮮に拉致されたとは信じられない(ボーガス注:何せ国内で発見された特定失踪者が複数いますからねえ。なかには足立区女性教師殺人事件 - Wikipedia(特定失踪者認定された女性が国内で他殺体で発見された上、犯人は北朝鮮とは何の関係も無かった)なんてふざけた話もあります)。安倍政権はその特定失踪者も含めた「全員の帰還」を求めていた。
強硬な政策だけでは拉致問題は解決しない。圧力をかけ続けても、自尊心の強い北朝鮮は絶対に屈服しない。「一億玉砕」を唱えた昔の日本に似ている。日朝国交正常化こそ、拉致問題や核・ミサイル開発などの懸案を解決する近道だ。
北朝鮮は「(2014年に拉致被害者らの再調査で合意した)ストックホルム合意について、日本は『北朝鮮は調査もしていない』と言うが、我々は中間報告を渡そうとしたのに、日本が受け取りを拒否した。死亡を認めることになるという心配があるからだろう」と言っていた。
◆次回は、2002年9月の小泉純一郎首相訪朝と平壌での日朝首脳会談に尽力した田中均・元外務審議官に聞きます。(9月28日配信予定です)
金丸訪朝によって、第18富士山丸船長、機関長は帰国できたわけで、この点は大いに評価したいと思います。息子・信吾氏が語るように『挫折した』とはいえ金丸氏が明らかに「日朝国交正常化」の推進を目指していたことで、ろくに金丸氏を評価しないのが「国交正常化反対」「アンチ北朝鮮」救う会や家族会の連中、あるいは連中とズブズブの高世仁ですが。連中は9/28前後にこんな記事は勿論書きません。
まあ、9/28を注目しないのは救う会、家族会に限りませんが。9/17(小泉訪朝)が有名で「マスコミも9/17に小泉訪朝回顧報道をよくする」のとは大きな違いです。今回の朝日記事を大いに評価すると共に、改めて金丸氏に「第18富士山丸船長、機関長帰国の功績」で大いに評価したいと思います。
ちなみに「話が脱線しますが」
9月28日 - Wikipedia
1977年 :ダッカ日航機ハイジャック事件(9/28に事件発生、交渉の結果10/3に人質が解放される)
ということで「金丸訪朝による三党合意(1990年)」以外にも9/28にはビッグな事件がありますが、金丸訪朝同様に話題にならないですね。
「話を元に戻しますが」ということで金丸訪朝だけで無く、小泉訪朝も9月でしたが、これは「単なる偶然なのか、それとも小泉訪朝を9月にすることによる金丸訪朝オマージュ」なのか?
なお、カーター*18訪朝、トランプ・金正恩会談は
1994年のジミー・カーター訪朝 : 島田洋一ブログ (Shimada Yoichi blog)
六月十五日、カーターは軍事境界線を越えて平壌に入る。金日成との会談は、核問題を中心に、二日間、延べ十時間に及んだ。
この間、ワシントンでは、六月十六日朝から、ホワイトハウスに大統領以下幹部が集まり、対北朝鮮政策をめぐって大詰めの協議が行われていた。
ゴア*19副大統領、クリストファー*20国務長官、ペリー*21国防長官、シャリカシュビリ統合参謀本部議長らが、思い思いの格好でCNNのライブ中継に見入る中、画面に登場したカーターは、金日成がIAEA査察官の駐在継続に同意し、米朝協議が続いている間、使用済み燃料の再処理を凍結すると約束した、これは「非常に重要かつ前向きのステップ」であり、米側はただちに高官協議を再開すべきである、そして「米政府が安保理制裁決議に向けた働きかけを停止した」旨、自分から金日成に伝えておいたと語った。
2018年米朝首脳会談 - Wikipedia
2018年6月12日にシンガポールで開催された、アメリカのドナルド・トランプ大統領と北朝鮮の金正恩国務委員会委員長兼朝鮮労働党委員長による史上初の米朝首脳会談。
ということで6月です。これも「単なる偶然なのか、それともトランプ・金正恩会談を6月にすることによるカーター訪朝オマージュ」なのか?
【田中均】「叫ぶだけでは解決しない」 日本に足りない、対北朝鮮外交に必要なもの:朝日新聞GLOBE+2020年9月28日
1990年9月の「金丸訪朝」を知っているだろうか。金丸信元副総理らが北朝鮮を訪問し、日朝国交正常化交渉開始などを政府に勧告した共同宣言に日本の自民党と社会党、朝鮮労働党が署名した。あれから30年。安倍政権は最優先課題とした拉致問題を解決できず、対北朝鮮外交は手詰まり感が目立つ。なぜ、日朝関係は進展しないのか。2002年の日朝首脳会談の開催に尽力した田中均*22元外務審議官に聞いた。(朝日新聞編集委員・牧野愛博)
◆牧野
なぜ、(ボーガス注:金丸訪朝以降、田中さんが関わった小泉*23訪朝での拉致被害者帰国を除いて)30年間、日朝関係は進展しなかったのでしょうか。
◆田中
日朝関係が進展してこなかった理由は、とりもなおさず北朝鮮が核・ミサイル開発を進め、国際社会との対立関係を作ってきたからだ。日本が北朝鮮の核ミサイルに脅かされる状況の中では、日朝関係を進展させたいと思っても進展できるものではない。北朝鮮との関係を進めるためには核問題・ミサイル問題の解決が不可欠となる。
◆牧野
6者協議共同声明という大きな戦略を、なぜ生かせなかったのでしょうか。
◆田中
もちろん、北朝鮮が現実に検証できる形での核放棄に至らなかったことが最大の理由だが、その間、関係国もみな、北朝鮮問題を内政の道具にしてしまった。
米国の場合、トランプ大統領が前任のオバマ大統領との差異を示し、大統領選再選に向けての実績にするため、北朝鮮を対話に引き込んだ。韓国でも、文在寅*24(ムン・ジェイン)政権が国内の革新と保守の政治の駆け引きに南北関係を使っている。中国の優先事項は明らかに米中関係。中国は米国と正面衝突したくないと考えているが、北朝鮮を米中関係に役立たせる材料の一つと考えている。
そして日本の安倍政権にとっても北朝鮮問題は国内支持を固める材料となった。日本人が被害者となった拉致問題は、戦後続いたとする「自虐史観」を振り払う材料となり、北朝鮮を厳しく批判し、強硬策に出ることが国内支持を高めることにつながった。
安倍首相は8月28日の辞任の弁で「拉致問題をこの手で解決できなかったことは痛恨の極み」と述べたが、果たして問題解決の戦略を持っていたのだろうか。
外交には相手がある。本当に問題を解決したいのなら、内政を前面に出してはいけない。
◆牧野
拉致問題解決のため、(ボーガス注:平壌に)連絡事務所の設置が必要だと主張されています。
◆田中
「拉致(ボーガス注:被害者を帰せ)」と叫んでいるだけでは、問題は解決しない。(ボーガス注:2002年の小泉訪朝後、18年間の拉致敗戦という)これまでの事実がそれを厳然と物語っている。
相手と話し合う枠組みなしで、問題が解決するだろうか。米国も国交はないが、ニューヨークの北朝鮮国連代表部を通じて意思疎通している。中国やロシアは大使館があるし、韓国も独自の南北ルートを持っている。
お互いに権力や権限のある人物と交渉しない限り、解決には導けない。
(ボーガス注:家族会、救う会、拉致議連からは)「連絡事務所を作れば、北朝鮮の思うつぼだ」という批判もある。しかし、北朝鮮の権力とつながる糸口を作らなければ、何も進まない。拉致被害者の調査も、日本が現地で北朝鮮と共同で行うべきだ。
◆次回は、拉致議連の会長も務めた石破茂衆院議員に、政治と世論のあるべき関係について聞きます。(9月29日配信予定です)
【石破茂】「北朝鮮は恐ろしい」では交渉は動かない 政治は世論の誘惑に負けるな :朝日新聞GLOBE+2020年9月29日
金丸信元副総理らが訪朝し、日朝国交正常化交渉開始などを政府に促した3党共同宣言に署名してから、9月28日で30年になる。日朝関係はなぜ進展しないのか。自身も訪朝経験があり、「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」(拉致議連)会長も務めた石破茂*25衆院議員に聞いた。(朝日新聞編集委員・牧野愛博)
◆牧野
なぜ、(ボーガス注:金丸訪朝以降、小泉訪朝での拉致被害者帰国を除いて)日朝関係は30年も動かないのでしょうか。
◆石破
与野党問わず、多くの政治家が「北朝鮮は悪逆非道な国だ」と決めつけて、問題を解決するよりも、「北朝鮮は恐ろしい」と考える国民世論の支持を得ようとしてきた。この主張には、「北朝鮮はやがて崩壊するに違いない」「本当の米朝戦争は起きない」という二つの前提があったと思う。
この主張が繰り返されたため、(ボーガス注:金丸氏が訪朝した)30年前よりも「北朝鮮はとんでもない国だ」という意識が強まり、日朝関係は改善されなかった。
◆牧野
前回や今回の自民党総裁選で、日朝が相互に連絡事務所を作ることを提案しました。
◆石破
今の状況が続いても、何も解決しない。拉致問題は解決せず、北朝鮮は核とミサイル開発を着々と進めた。これが30年間に起きた事実だ。政治家は「北朝鮮は許せない」と言うが、現実の状況は北朝鮮に有利に動いているという認識を持つべきだ。
連絡事務所をまずつくり、一歩ずつ信頼を作ることから始めるしかない。
◆牧野
北朝鮮に対する戦略も含め、日韓関係をどうすべきでしょうか。
◆石破
個人は嫌いなら絶交すれば良いが、国は引っ越すことができない。ひたすらに相手をあしざまに言うことは許されないだろう。関係が悪化するなかでも、相手のことを知る努力をすべきだ。
◆次回は北朝鮮問題を巡る6者協議の日本代表も務めた、佐々江賢一郎元駐米大使に聞きます。(9月30日配信予定です)
北朝鮮とのタフな交渉、疑い深い相手との接し方 元トップ外交官の目:朝日新聞GLOBE+2020年9月30日
金丸信元副総理が訪朝し、日朝国交正常化を促す3党共同宣言に署名してから、9月28日で30年になる。30年間、(ボーガス注:カーター訪朝による米朝核合意(『北朝鮮は悪の枢軸』ブッシュ子が事実上廃棄)や小泉訪朝による拉致被害者帰国など一部を除き)北朝鮮の核開発も日本人拉致問題も進展を見せていない。30年を経て浮き彫りになった問題と今後の課題は何か。北朝鮮問題をめぐる6者協議日本代表も務めた佐々江賢一郎*26元駐米大使に話を聞いた。(朝日新聞編集委員・牧野愛博)
◆牧野
まず、核・ミサイル開発ですが、どうして解決できないのでしょうか。
◆佐々江
最大の根本的な問題は、北朝鮮が交渉相手に抱く深い猜疑心だ。常に相手を疑い、「自分たちをだまそうとしているのでないか」と考えている。このため、可能な限り、核やミサイルを温存しながら、暫定的な合意に持ち込もうとしてきた。
◆牧野
北朝鮮外交官との交渉は難しそうですね。
◆佐々江
本当に交渉したいなら、大きな声で強く相手を責めるだけでは成果を得られない。自分たちの立場を主張することは大事だが、相手を交渉者として認めることも大切だ。
日本の場合、世論が日本人拉致問題を引き起こした北朝鮮に厳しい態度で臨むことを望む空気がある。ただ、人間的な話し合いもなければ、北朝鮮側は心を開かないだろう。
特に北朝鮮の場合、常に交渉相手を疑っていて、「自分たちをだまそうとしているのではないか」「裏をかかれるのではないか」と考えている(ボーガス注:実際、日本は日朝平壌宣言を事実上反故にし「だました」わけですが)。こちらの発言が本当なのか、必ず検証しようとする。北朝鮮の表舞台の交渉者には常に監視がついているため、うかつなことも言えない。
ただ、善人が悪事を働くこともあれば、悪人が善行を施すこともある。北朝鮮も全て悪人ばかりということはない。交渉の際に強硬な姿勢を見せていても、時折、個人的な違う顔をのぞかせることがある。そのときを逃さずに、こちらが反応できる感性があるかどうかも重要だ。
また、北朝鮮では本当の権力者は前面に出てこない。どうやってディープ・ステート(権力機関)とつながるのかも大事な問題だ。
金丸訪朝団など、1990年代に相次いだ日本の政治家の訪朝をみても、最初からけんか腰では交渉は成立しないことは明らかだ。
◆牧野
独裁国家の北朝鮮に経済支援する意味がないから、正常化しない方が良いという意見もあります。
◆佐々江
確かに、金正恩体制を強く締め上げるべきだという声は(ボーガス注:家族会、救う会、拉致議連、産経など右翼を中心に)ある。
北朝鮮の体制をどのように評価するのかが重要だ。北朝鮮は90年代、飢餓で大勢の人が死んだが、独裁体制は続いている。経済の一部も自由化しており、今日明日にも体制が崩壊するということはないだろう。
体制が続くという前提であれば、接触した方が良い。例え、敵対国であっても、対話が全く無い状態は危険だ。冷戦時代の米ソも対話は続けた。対話しないと、何も動かない。
◆次回は北朝鮮をめぐる6者協議の米国代表を務めた元国務次官補のジェームズ・ケリー氏に米国の視点を聞きます。(10月1日配信予定です)
「常駐事務所設置論」「早期体制崩壊の可能性否定論」など、概ね賛同できるので紹介しておきます。まあ、ここでの田中氏や石破氏、佐々江氏のような主張をイタズラに敵視するのが救う会と家族会ですが。
北朝鮮と渡り合ったアメリカ外交官が見る「日朝交渉、打開の道は」:朝日新聞GLOBE+2020年10月1日
金丸信元副総理が訪朝し、日朝国交正常化交渉を促す3党共同宣言に署名してから27日で30年になる。日本の最大の同盟国である米国は、日朝の動きをどうみてきたのか。北朝鮮をめぐる6者協議の米国代表も務めたジェームズ・ケリー元米国務次官補に聞いた。(朝日新聞編集委員・牧野愛博)
◆牧野
金丸元副総理に会われたことはありますか。
◆ケリー
1980年代に数回会ったことがある。金丸氏らが訪朝する際、当時のベーカー*27米国務長官が北朝鮮の核開発について言及するよう依頼したことがある。
◆牧野
米国は(ボーガス注:小泉訪朝)当時、日朝国交正常化を認める考えだったのですか。
◆ケリー
我々は、日朝が秘密交渉を行っていることを知っていたし、日朝が国交正常化すると言えば、認めていただろう。日本は主権国家だし、当時は世界第2位の経済大国だった。自らが求めることを実現させる力があった。
日本は核開発問題を無視していなかったし、日朝平壌宣言は核について言及していた。小泉純一郎首相は訪朝の1週間ほど前、J・W・ブッシュ*28大統領とこの問題について協議も行った。当時、小泉政権は発足から間もない時期だったが、小泉氏とブッシュ氏の間には強い信頼関係が築かれていた。
しかし、日朝国交正常化の動きを押し戻したのは、(核問題ではなく)日本人拉致問題という日本国内の事情だった。
◆牧野
どうすれば、中国は北朝鮮核問題に協力してくれるでしょうか。
◆ケリー
中国が朝鮮半島の安定をより重視しているのは事実だが、北朝鮮の非核化を巡って協力を取り付けられないわけではない。中国は北朝鮮が核を保有することや中朝国境地帯で核実験を行うことを好まない。
中国は状況を不安定化させてまで北朝鮮に非核化を迫らないが、逆に言えば、北東アジアの安定に貢献すると思えば、積極的に貢献するだろう。
◆牧野
金正恩政権をどう評価しますか。
◆ケリー
金正恩氏は、2002年の日朝首脳会談の結果から、拉致を認めたことは誤りだったという教訓を得ていると思う。金正日総書記は日本からの経済協力を期待して拉致を認めたが、逆に日本を動揺させ、次々に疑惑を生む結果になった。
北朝鮮は、疑惑に回答できる状況ではないとみているため、日本と距離を置いている。核開発問題が解決されるまでは、米韓などと切り離して日本と交渉できる状況にもないと考えているだろう。
北朝鮮が菅政権を批判「安倍のまねをして拉致問題に未練」 - 産経ニュース
「あらゆる手段で在任中に拉致を解決したい」というまともな意味で安倍や菅に「拉致へのこだわり」があればいいですが、単に「家族会に適当なリップサービスを言って丸め込む」&「ただの北朝鮮叩き」ですからね。有害無益でしか無い。
【九州正論懇話会】元本紙記者・阿部雅美氏が講演 「拉致問題、政府の尻たたき続けよう」(1/3ページ) - 産経ニュース
今更「1970年代の産経の拉致疑惑報道がもっと注目されていれば」だの「竹下*29内閣時の宇野*30外相、梶山*31国家公安委員長答弁(北朝鮮拉致疑惑を政府として初めて認めた)がろくに報じられず、当時、世間もあまり騒がなかったのが痛かった」だのもないもんです。
小泉訪朝(2002年)から「18年も放置プレイであること(いわゆる拉致敗戦)」とそんなことと何の関係があるのか。
単に「産経の拉致報道を評価しなかった世間が悪い」と自画自讃してるだけのくだらない話です。
そもそも1970年代から今と同様の「デマ報道」だったからこそ、産経の拉致報道など信用されなかったという話です。産経とてどこまで本気で「北朝鮮拉致疑惑」等と言っていたことやら。
*1:福田内閣金融等担当相、自民党政調会長(谷垣、第二次安倍総裁時代)、第二次安倍内閣経産相、第四次安倍内閣経済財政担当相などを経て第四次安倍、菅内閣外相
*2:東京大学名誉教授。著書『歴史としての社会主義』(1992年、岩波新書)、『金日成と満州抗日戦争』(1992年、平凡社)、『歴史としての野坂参三』(1996年、平凡社)、『北朝鮮:遊撃隊国家の現在』(1998年、岩波書店)、『朝鮮戦争全史』(2002年、岩波書店)、『テロルと改革:アレクサンドル二世暗殺前後』(2005年、山川出版社)、『ある戦後精神の形成:1938〜1965』(2006年、岩波書店)、『日露戦争 起源と開戦(上)(下)』(2010年、岩波書店)、『これだけは知っておきたい日本と朝鮮の一〇〇年史』(2010年、平凡社新書)、『北朝鮮現代史』(2012年、岩波新書)、『領土問題をどう解決するか』(2012年、平凡社新書)、『「平和国家」の誕生:戦後日本の原点と変容』(2015年、岩波書店)、『慰安婦問題の解決のために』(2015年、平凡社新書)、『アジア女性基金と慰安婦問題:回想と検証』(2016年、明石書店)、『米朝戦争をふせぐ:平和国家日本の責任』(2017年、 青灯社)、『レーニン:二十世紀共産主義運動の父』(2017年、山川出版社世界史リブレット人)、『ロシア革命』、『スターリン批判・1953〜56年:一人の独裁者の死が、いかに20世紀世界を揺り動かしたか』(以上、2018年、作品社)、『安倍首相は拉致問題を解決できない』(2018年、青灯社)、『韓国併合110年後の真実:条約による併合という欺瞞』(2019年、岩波ブックレット)、『朝鮮戦争70年』(共著、2020年、かもがわ出版)など
*3:上智大学名誉教授。国連難民高等弁務官、国際協力機構 (JICA) 理事長など歴任。著書『難民つくらぬ世界へ』(1996年、岩波ブックレット)、『満州事変』(2011年、岩波現代文庫)、『私の仕事:国連難民高等弁務官の10年と平和の構築』(2017年、朝日文庫)、『聞き書 緒方貞子回顧録』(2020年、岩波現代文庫)など
*4:田中内閣建設相、三木内閣国土庁長官、福田内閣防衛庁長官、自民党国対委員長(大平総裁時代)、総務会長、幹事長(中曽根総裁時代)、中曽根内閣副総理、自民党副総裁(宮沢総裁時代)など歴任
*5:朝日新聞編集委員(朝鮮半島)。元朝日新聞ソウル支局長。著書『北朝鮮秘録』(2013年、文春新書)、『金正恩の核が北朝鮮を滅ぼす日』(2017年、講談社プラスアルファ新書)、『ルポ 絶望の韓国』(2017年、文春新書)、『北朝鮮核危機!全内幕』 (2018年、朝日新書)、『ルポ「断絶」の日韓:なぜここまで分かり合えないのか』(2019年、朝日新書)、『韓国を支配する「空気」の研究』(2020年、文春新書)
*6:中曽根内閣自治相・国家公安委員長、自民党幹事長(海部総裁時代)、新生党代表幹事、新進党党首、自由党党首、民主党幹事長、「生活の党」代表など歴任
*7:駐韓公使、外務省アジア局長、総合外交政策局長、駐イスラエル大使、外務事務次官など歴任。しかし次官在任中に機密費不正流用事件や鈴木宗男問題により引責辞任。次官退任後もら宮内庁式部官長、侍従長を歴任(川島裕 - Wikipedia参照)
*8:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相、科学技術庁長官などを経て首相
*10:中曽根、竹下内閣農水相、宮沢内閣蔵相、細川内閣副総理・外相などを経て首相
*11:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相
*12:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相
*13:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官などを経て首相
*14:三木内閣農林相、福田内閣官房長官、自民党政調会長(大平総裁時代)、鈴木内閣通産相、中曽根内閣外相、自民党幹事長(竹下総裁時代)など歴任
*15:1942~2015年。朝鮮労働党国際部長、統一戦線部長などを歴任(金養建 - Wikipedia参照)
*16:村山内閣科学技術庁長官、小泉内閣外相、野田内閣文科相などを歴任
*17:中曽根内閣文相、自民党政調会長(大平総裁時代)、宮沢内閣通産相、村山内閣建設相、自民党総務会長(橋本総裁時代)、幹事長(小渕総裁時代)などを経て首相
*18:ジョージア州知事を経て大統領。2002年にノーベル平和賞を受賞
*19:温暖化問題への取り組みで2007年にノーベル平和賞受賞。著書『不都合な真実』(2017年、実業之日本社文庫)
*20:ジョンソン政権司法副長官、カーター政権国務副長官、クリントン政権国務長官など歴任
*21:カーター政権国防次官、クリントン政権国防副長官、国防長官など歴任
*22:外務省経済局長、アジア大洋州局長、外務審議官(政務担当)などを歴任。現在は日本国際交流センターシニア・フェロー、日本総合研究所国際戦略研究所理事長。著書『プロフェッショナルの交渉力』(2009年、講談社)、『外交の力』(2009年、日本経済新聞出版社)、『日本外交の挑戦』(2015年、角川新書)、『見えない戦争』(2019年、中公新書ラクレ)
*23:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相
*24:盧武鉉政権大統領秘書室長、「共に民主党」代表を経て大統領
*25:小泉内閣防衛庁長官、福田内閣防衛相、麻生内閣農水相、自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣地方創生担当相など歴任
*26:外務省経済局長、アジア大洋州局長、外務審議官、外務事務次官、駐米大使などを歴任。現在は日本国際問題研究所理事長
*27:レーガン政権大統領首席補佐官、財務長官、ブッシュ父政権国務長官、大統領首席補佐官など歴任
*29:佐藤、田中内閣官房長官、三木内閣建設相、大平、中曽根内閣蔵相、自民党幹事長(中曽根総裁時代)などを経て首相
*30:田中内閣防衛庁長官、自民党国対委員長(三木総裁時代)、福田内閣科学技術庁長官、大平内閣行政管理庁長官、中曽根内閣通産相、竹下内閣外相などを経て首相
*31:竹下内閣自治相・国家公安委員長、宇野内閣通産相、海部内閣法相、自民党国対委員長(海部、宮沢総裁時代)、幹事長(宮沢総裁時代)、橋本内閣官房長官などを歴任