(ボーガス注:先日なくなられた)アントニオ猪木さんと武村正義元官房長官は、平成のある時期、党*1は違えど同じ国会議員として活躍し、不思議な共通点がある。
猪木さんは、家族でブラジルに移住後、朝鮮半島出身の力道山に見いだされてプロレスラーになる。長崎生まれと称していた力道山の望郷の思いを知る彼は、平壌で1日19万人を動員した伝説のプロレス興行を打った。師匠思いの彼は、北とのパイプを持ち続けた。
▼武村氏も北朝鮮から信頼されていた。きっかけは、滋賀県知事時代の訪朝だ。びわ湖毎日マラソンの目玉として北の有名選手を呼ぶため、主催の毎日新聞幹部が「訪朝団長になってほしい」と要請、快諾したのだ。
▼北は大歓迎し、金日成主席と面会させた。かの国の意図がどこにあったかは、言わずもがな。北との近さを米国は警戒し、武村氏が重要閣僚を務めた細川政権も村山富市政権も日米関係はぎくしゃく*2した。
安倍国葬反対デモに「故人や遺族に無礼だ」と抜かしてた産経が訪朝経験がある猪木氏、武村氏を「北朝鮮の手先」扱いし悪口雑言です。
自分のやってることが「故人や遺族に無礼だ」とは思わないのか。
心底呆れます。
なお、細川政権官房長官時代はともかく、武村氏が蔵相だった村山内閣は
村山内閣 - Wikipedia
【名前のあいうえお順】
◆運輸相:亀井静香
その後も橋本内閣建設相、自民党政調会長(小渕、森総裁時代)を歴任。
なお、村山内閣建設相、官房長官(改造内閣)を務めた「村山の側近」野坂浩賢(元鳥取県議)とは、亀井が鳥取県警警務部長時代からの仲であり、村山政権誕生の功労者は野坂と亀井とされる。森幹事長の首相擁立を決定したいわゆる「自民党五人組」の一人(当時は自民党政調会長)。
◆外相:河野洋平(改造内閣でも留任)
その後も小渕、森内閣で外相
◆経済企画庁長官:高村正彦
その後も小渕内閣外相、森内閣法相、第一次安倍内閣防衛相、福田内閣外相、自民党副総裁(第二次安倍総裁時代)など歴任
◆自治相・国家公安委員長:野中広務
その後も小渕内閣官房長官、自民党幹事長(森総裁時代)を歴任。森幹事長の首相擁立を決定したいわゆる「自民党五人組」の一人(当時は自民党幹事長代理)。
◆通産相:橋本龍太郎(改造内閣でも留任)
その後、首相。首相退任後も、森内閣で行革相
◆文相:与謝野馨
その後も小渕内閣通産相、小泉内閣経済財政担当相、自民党政調会長(小泉総裁時代)、第一次安倍内閣官房長官、福田、麻生内閣経済財政担当相、麻生内閣財務相など歴任
村山内閣 (改造) - Wikipedia
【名前のあいうえお順】
◆環境庁長官:大島理森
その後も森内閣文相、小泉内閣農水相、自民党国対委員長(森、第一次安倍、福田、麻生総裁時代)、幹事長、副総裁(谷垣総裁時代)など歴任
◆文相:島村宜伸
その後も橋本、小泉内閣で農水相
◆総務庁長官:中山正暉
その後も小渕、森内閣で建設相
◆運輸相:平沼赳夫
その後も森内閣通産相、小泉内閣経産相など歴任
◆自治相・国家公安委員長:深谷隆司
その後も小渕、森内閣で通産相
◆建設相:森喜朗
その後、自民党総務会長(橋本総裁時代)、幹事長(小渕総裁時代)を経て首相
ということで上記の通り「自民党も政権の一角」で「村山内閣閣僚」にはその後も「大臣や党三役など政府、与党の重要ポストを歴任した人間(首相となった橋本氏、森氏など)」がいますがその辺り産経はどう評価するのか。「村山内閣に入閣した連中は自民党の汚点だ」というのか。
それとも都合が悪いから、さきがけ代表・武村蔵相や社会党委員長・村山首相には悪口しても他の自民党閣僚には黙りか。
【参考:力道山】
力道山 - Wikipedia
1963年1月、韓国政府の招きで訪韓。記者会見で「20年ぶりに母国を訪問でき感無量です。長い間日本語ばかり使っているので、韓国語はさっぱり」と言い、最後に「カムサ・ハムニダ(ありがとう)」と付け加えた。その模様を『東京中日新聞』が「力道山、二十年ぶりに母国へ」の見出しと写真入りで掲載したところ、これまで朝鮮半島出身であることを隠し続けていた力道山は、帰国後これを知り激怒したという。