珍右翼・高世仁に悪口する(2023年7/21日分)

「人生の目的はしあわせ」でいいのか2 - 高世仁のジャーナルな日々
 珍右翼・高世仁に悪口する(2023年7/16日分) - bogus-simotukareのブログで批判した「人生の目的はしあわせ」でいいのか - 高世仁のジャーナルな日々の続きです。

 「人間死んだら終わり」なのだから「せいぜい生きてるうちに楽しもう」という人生観が支配的になっている現代日本。だから、「人生の目的はしあわせ」になる。ここでの「幸せ」とは、「私」あるいは家族など「私たち」(「私」の延長)の「幸せ」だ。
 私の子ども時代には見られなかった、こういう利己主義的で軽い人生観が日本に浸透してきたのは、たぶんここ30年くらいだろう。

 おいおいですね。
 高世も本気と言うよりは「根拠レスで過去の日本をいたずらに美化する中村医師(故人)」と「そんな中村医師に傾倒する中村ファン」に媚びてるだけでしょうがデマも甚だしい。
 「利己主義的な人間」など「高世(1953年生まれ)のこども時代(1960~1970年代?)」にも「もっと昔」にも日本にはいくらでもいたでしょう。
 例えば「例は何でもいい」のですが、「水俣病(1956年に、熊本県水俣市の新日本窒素肥料(現・チッソ水俣工場附属病院長の細川一が水俣保健所に患者の発生を報告し、公式に確認:水俣病 - Wikipedia参照)」等の「過去の公害問題」を高世はどう理解するのか。
 なお「人間死んだら終わり(生まれ変わりなどない)なのだから、せいぜい生きてるうちに楽しもう」と言うことの何が悪いのか。勿論そうした価値観は「だから毎日を楽しくするために、精一杯生きよう」と言う話であって別に「利己主義」と言う話ではない。

 この人生観によれば、自分が幸せでなくなったら、つまり人生が思い通りにならずに不幸になったら、人生の目的は失われる。
 だったら「生きてる意味ない」、となり「死んだ方がまし」と自死へと向かっても不思議ではない。

 自殺(自死)の理由はいろいろですが以下の通り、自殺など「昔から多数あった」のに自殺問題を「個人の心の弱さ」で片付ける気なのかと高世には心底呆れます。

自殺した有名人の一覧 - Wikipedia参照
【自殺者の例:没年順】
川路聖謨(1868年死去)
 幕臣佐渡奉行、小普請奉行、普請奉行、奈良奉行、大坂東町奉行勘定奉行、海岸防禦御用掛、西丸留守居外国奉行等を歴任。1868年の江戸開城により「幕府滅亡が確実なこと」となったことに絶望して自殺したと見られる。自殺にピストルを用いたのは、当時、半身不随のために刀ではうまく死ねないと判断したからとされる。
◆北村透谷(1894年死去)
 作家
◆高木顕明(1914年死去)
 1910年、大逆事件無期懲役。また、所属する真宗大谷派から除籍処分(僧籍削除)。1996年、真宗大谷派から僧籍復帰の名誉回復がなされた。現在、出身の和歌山県新宮市内に顕彰碑が建つ。高木の評伝として大東仁*1『大逆の僧・高木顕明の真実:真宗僧侶と大逆事件』(2011年、風媒社)
有島武郎(1923年死去)
 作家。『婦人公論』記者・波多野秋子と心中
芥川龍之介(1927年死去)
 作家
◆河野寿*2、野中四郎*3(1936年死去)
 226事件の参加者。なお、野中と共に警視庁を襲撃した清原康平*4、鈴木金次郎、常盤稔(陸軍歩兵少尉)は事件後、無期禁固判決。
◆菅源三郎(1942年死去)
 1942年5月17日に菅が船長を務める長崎丸が長崎港外で機雷に接触して沈没。死者13名、行方不明26名という惨事の責任を感じて、3日後の5月20日に東亜海運長崎支店ビルの屋上で割腹自殺。没後、菅は愛媛県今治市厳島神社に祀られた他、母校である愛媛県立西条高等学校には胸像が、東京海洋大学海洋工学部越中島キャンパス(東京都江東区)に石像がそれぞれ建立されている(例えば【大人の遠足】長崎丸沈没の責任を取り自決した菅源三郎船長の石像が学生たちを見守り続け…東京海洋大・越中島キャンパス(1/3ページ) - 産経ニュース参照)。
◆古賀秀正、椎崎二郎*5、畑中健二*6(1945年死去)
 全員、クーデター未遂事件(宮城事件)の首謀者
◆小泉親彦*7近衛文麿*8、橋田邦彦*9、本庄繁*10
 全員、GHQの戦犯指定を苦にして自殺
◆安藤利吉(1946年死去)
 陸軍省軍務局兵務課長、南支那方面軍司令官等を経て、台湾総督(台湾軍司令官兼務)。蒋介石の中国政府に戦犯容疑で身柄拘束中に服毒自殺
太宰治(1948年死去)
 山崎富栄と共に玉川上水へ入水
火野葦平(1960年死去)
 作家。1938年、『糞尿譚』で芥川賞受賞
ヘミングウェイ(1961年死去)
 作家。1954年、『老人と海』が高く評価され、ノーベル文学賞受賞
円谷幸吉(1968年死去)
 1964年東京五輪・男子マラソン銅メダル
川端康成(1972年死去)
 1968年、ノーベル文学賞受賞
◆大場啓仁(1972年死去)
 自殺当時、立教大学文学部助教授。不倫関係にあった教え子(立教大学生)を殺害。その後、妻とこども2人を殺害し無理心中。事件発覚後に文学部長が責任を負って辞任し、総長も事件に関する調査報告書の完成を待って事件の約1年後に辞任した(大場啓仁 - Wikipedia参照)。
中川一郎(1983年死去)
 衆院議員(自民)。福田内閣農水相、鈴木内閣科技庁長官等を歴任。小渕内閣農水相小泉内閣経産相農水相自民党政調会長(第一次安倍総裁時代)、麻生内閣財務相等を歴任した中川昭一は息子
新井将敬(1998年死去)
 衆院議員(自民)。日興證券利益供与事件で新井への逮捕許諾請求が衆院で可決される直前に首つり自殺
中島洋次郎(2001年死去)
 衆院議員(自民)。1998年、海上自衛隊の救難飛行艇開発に絡む受託収賄容疑(1996年の橋本内閣防衛政務次官当時、富士重工業から収賄)等で逮捕、起訴。1999年、議員辞職。2000年9月に東京高裁で懲役2年の実刑判決。最高裁に上告中の2001年に首つり自殺。中島飛行機(現・SUBARU)創業者・中島知久平は祖父。竹下内閣文相を務めた中島源太郎は父
松岡利勝(2007年5月28日死去)
 第一次安倍内閣農水相。自殺前「事務所費疑惑」「緑資源機構談合疑惑」で追及を受けていた。
山崎進一(2007年5月29日死去)
 森林開発公団緑資源機構の前身団体、現・森林整備センター)元理事。「緑資源機構談合疑惑」で5月26日に家宅捜索を、26日から28日まで事情聴取を受けていた。
永田寿康(2009年死去)
 元衆院議員(民主党)。いわゆる「堀江メール問題」で2006年2月28日に、民主党から半年間の党員資格停止処分。3月31日に衆議院に辞職願を提出。4月4日の衆議院本会議で許可され辞職した。議員辞職後、民主党からの出馬を模索するが民主党側に相手にされなかったとされる。2009年1月3日、北九州市のマンションから飛び降り自殺。当時、永田はマンション近辺にある八幡厚生病院に入院していた。現場からは遺書とみられるノートが発見され、また空になった焼酎の紙パック(1.8リットル)も残されていた。
ロビン・ウィリアムズ(2014年死去)
 俳優。1998年には『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』でアカデミー助演男優賞を受賞

 あるいは「例は何でもいい」のですが、例えば

自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧 - Wikipedia参照
森友学園疑惑に絡んで自殺した近畿財務局職員・赤木俊夫氏(2018年3月死去)
◆コロナ禍の最中に自殺した「三浦春馬(俳優、2020年7月死去)」「竹内結子(女優、2020年9月死去)」「渡辺裕之(俳優、2022年5月死去)」「上島竜兵ダチョウ倶楽部メンバー、2022年5月死去)」
◆最近自殺した「りゅうちぇる

も高世にとっては「心が弱かったから自殺した」のか。
 そもそも「価値観の問題」に関係なく人間とは

愛する人間(妻子等)との死別。特に「犯罪被害」など不慮の死による死別
◆国籍差別、障害者差別、人種差別、性的マイノリティ差別等の差別
◆失業、失恋、大学入試失敗、離婚、「犯罪行為での逮捕」、「(経営者の場合)会社倒産」等の人生での挫折
◆重病や重い身体障害、精神障害
◆犯罪被害
◆貧困

等、「不幸で心がズタボロ」でも「それでも皆が生きていける」ほど強い人間ばかりではないでしょう。だから「こころの電話」のようなものもある。
 匿名の銃眼から平然と人を撃つ奴ら | inti-solのブログ - 楽天ブログのような「心の弱い人間でも生きられる社会」「自殺は自殺者の問題ではなく、むしろ自殺者を生み出す社会の問題」と言う認識は高世にはないのか。

*1:真宗大谷派僧侶。著書『戦争は罪悪である:反戦僧侶・竹中彰元の叛骨』(2008年、風媒社)

*2:226事件では牧野伸顕内大臣を襲撃。事件当時、所沢陸軍飛行学校生(陸軍航空大尉)。牧野襲撃時に負傷、東京第一衛戍病院熱海分院(現・国際医療福祉大学熱海病院)に入院していた河野の元に面会に来た兄・河野司(当時上野松坂屋勤務)に自決用の刃物を密かに持参するよう依頼した。1936年3月5日午後、軍服に着替えて病室を抜けだした河野は、兄から受け取った果物ナイフで割腹、頸動脈を突いて自決した。しかし果物ナイフだったことから致命傷にならず、16時間経った3月6日朝に死亡(河野壽 - Wikipedia参照)

*3:226事件で警視庁襲撃に参加。当時、陸軍歩兵大尉(歩兵第3聯隊第7中隊長)

*4:1914~2001年。1941年、恩赦で仮釈放。1942年、東肥航空工業を設立し、社長。1960年、日韓貿易協会専務理事(清原康平 - Wikipedia参照)

*5:以上、陸軍少佐

*6:陸軍中佐

*7:近衛師団軍医部長、陸軍軍医学校長、陸軍省医務局長、第三次近衛、東条内閣厚生相を歴任

*8:貴族院議長、首相を歴任

*9:東京帝国大学教授、第一高等学校長、第二次、第三次近衛、東条内閣文相を歴任

*10:関東軍司令官(満州事変当時)、侍従武官長(226事件当時)を歴任。娘婿の山口一太郎・歩兵第1連隊中隊長が226事件に参加し、そのため、本庄(当時、侍従武官長)が226事件実行犯に寛大な処分を求めたことで昭和天皇の反感を買い、事件後、予備役編入。予備役編入後も傷兵保護院(後に軍事保護院)総裁、枢密顧問官等を歴任