珍右翼・高世仁に悪口する(2023年12/10日分)

ウクライナからコスモロジーへ - 高世仁のジャーナルな日々

 (ボーガス注:自殺の)「原因」としては、おそらく、受験や就職の失敗、家族や友人との人間関係、いじめ、健康上の理由、成績の不振、失恋、経済的な問題などが挙げられてくるだろうが、それら外部の要因は、ほんとうの「原因」ではない。
 また、自治体での取り組みでは、「命の電話」のような、自殺決行直前に食い止める策が予算措置を受けて取り上げられる。しかし、どんな困難があっても、自殺しようなどと考えないような価値観、人生観をもつようにすることが根本的な対策ではないか。報告会では、いまや新しいコスモロジーを打ち立てなければならないと、壮大な展望を語った。
 ポカンとしている人*1もいたが、強い関心を示してくれた人がけっこういて、これからも意見交換することになった。楽しみである。

 以前も高世は同様の与太を飛ばし、俺もそのときに批判していますが「大抵の人間は弱い生き物であり、受験や就職の失敗、失恋や離婚、失業、重病、『不慮の事故(交通事故)等による妻子等との死別』、『学校でのいじめや職場でのパワハラ』等『精神的苦痛、挫折』で簡単に自殺する(勿論俺も含めて)」という認識を俺は持っています(勿論、現時点において俺は自殺など幸いにも考えていませんが、それは「単に今幸せなだけだ」と思っています)。
 そもそも自殺自体は勿論「最近の出来事」ではない。
 過去にも以下の著名人(?)が自殺している。高世は彼らについても「精神的に弱いから自殺した」と悪口する度胸があるのか?

自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧 - Wikipedia
川路聖謨(1868年死去)
 江戸幕府において、勘定吟味役佐渡奉行、小普請奉行、大坂町奉行勘定奉行外国奉行などの要職を歴任。江戸城開城を聞きピストル自殺
乃木希典(1912年死去)
 歩兵第1旅団長(日清戦争)、台湾総督、第3軍司令官(日露戦争)など歴任。明治天皇大葬の9月13日夜、妻とともに自刃。
松井須磨子(1919年死去)
 女優。恋人*2だった劇作家・島村抱月(1918年死去)がスペイン風邪で死亡したことにショックを受け後追い自殺
有島武郎(1923年死去)
 作家。不倫関係にあった人妻と心中
◆太田圓三(1926年死去)
 帝都復興院土木局長。「帝都復興院疑獄」追及を苦にして自殺。詩人の木下杢太郎(本名・太田正雄)は弟。
◆水城圭次(1927年死去)
 軽巡洋艦『神通』艦長(海軍大佐)。『神通』と駆逐艦『蕨』が衝突し119名の死者を出した『美保関事件』で、艦長を更迭され、業務上過失致死罪で軍法会議に起訴されたことを苦にして自殺。なお水城自決の報をアメリカ滞在中に聴いた山本五十六大佐は、三和義勇補佐官が「死んでも仕方がない」と発言したことに対し、厳しく叱責したという。
◆草刈英治(1930年死去)
 海軍中佐。ロンドン海軍軍縮条約締結に「統帥権干犯」として反対していた草刈は、軍縮会議全権である財部彪*3浜口内閣海軍大臣が乗車していた東海道線車中にて抗議自殺。自決当時、軍令部の同僚であった草鹿龍之介は草刈が「帰国した全権団が歓迎されていること」に衝撃を受けたと述べ、松本清張は『昭和史発掘』で、草刈は財部海相の暗殺を決意したものの、結局実行できず自決を選んだと見ている。
佐藤次郎(1934年死去)
 テニス選手。1930年の全日本テニス選手権でシングルス優勝。1931年からデビスカップの日本代表。1933年には全英、全仏シングルスでベスト4に進出。特に全仏の準々決勝では、「1934~1936年に全英シングルスを三連覇した」英国の名選手フレッド・ペリーを破ったことで評価を高めた。1934年4月にマラッカ海峡で投身自殺。残された遺書では、慢性の胃腸病を患い、国の期待に応えることができないことについて「とてもテニスが出来ません」「この醜態さ、何と日本帝国に対して謝ってよいか分かりません。その罪は死以上だと思います。私は死以上のことは出来ません」と書かれていたという。
◆山田長三郎(1935年死去)
 陸軍省軍務局兵務課長(陸軍大佐)。1935年8月12日に発生した永田鉄山暗殺事件(相沢事件)において、殺害された永田軍務局長(陸軍少将)と、東京憲兵隊長・新見英夫大佐と共に軍務局長室に在室していた。新見は、永田をかばって相沢三郎中佐(後に死刑)に斬りつけられ、重傷を負ったが、山田は局長室から姿を消して無傷だった。そのため事件後、「上官を見捨てて逃げ去った軍人にあるまじき卑怯な振る舞い」と批判を受け、山田は事件から約2ヶ月後の10月5日に「不徳の致すところ」という遺書を残し自殺。
◆菅源三郎(1942年死去)
 「長崎丸」船長。1942年5月17日に長崎丸が長崎港外で機雷に接触して沈没。菅は救出され、軍側の伝達不足が原因で長崎丸側の責任は無しとされた。しかし死者13名、行方不明26名という惨事の責任を感じて、3日後の5月20日に東亜海運長崎支店ビルの屋上で割腹自殺。没後の菅は今治市厳島神社に祀られた他、母校である愛媛県立西条高等学校には胸像が、東京海洋大学海洋工学部越中島キャンパス(東京都江東区)に石像が建立されている。
◆小泉親彦(1945年死去)
 陸軍省医務局長、第三次近衛、東条内閣厚生相を歴任。戦後、GHQの戦犯指定を苦にして自殺
近衛文麿(1945年死去)
 戦前、首相(1937年6月~1939年1月、1940年7月~1941年10月)。戦後、GHQの戦犯指定を苦にして自殺
◆橋田邦彦(1945年死去)
 第二次、第三次近衛、東条内閣文相。戦後、GHQの戦犯指定を苦にして自殺
◆本庄繁(1945年死去)
 満州事変(1931年)当時の関東軍司令官。戦後、GHQの戦犯指定を苦にして自殺

 問題は「挫折した人間を周囲が支援すること」であり「いのちの電話」はそうした支援の一つです。
 高世のように「強い心を持とう」では「周囲に相談すること→弱さの証明」となってしまい「強い人間とみられたい→相談せずに追い詰められて自殺」とかえって自殺を助長しかねません。高世は「俺は強い人間だ」と勘違いしてるのかもしれませんが、俺個人は「お前が単に自殺を考えるほどの不幸に直面しなかったからだろ」「お前の周囲にお前を精神的に支えてくれる家族や友人知人がいたからだろ」「高世は思い上がるな」と本当に不愉快です。


生きているだけでも大変な奇跡 - 高世仁のジャーナルな日々

《生きているだけでも大変な奇跡》
 世界的な遺伝学者の村上和雄さん*4が、同じく世界的な遺伝学者の木村資生(もとお)さん*5の言葉を引用して、次のように言っている。

 木村資生という有名な遺伝学者がおります。その木村さんによれば、「生き物が生まれる確率というのは、一億円の宝くじに百万回連続で当たったのと同じくらいすごいことだ」といっておられます。人間はこの世に生まれてきただけでも、この自然界で大変な偉業を成し遂げたのであり、現在、自分が生きているということはまさに奇跡中の奇跡、素晴らしいことなのだともっと自覚するべきではないかと思います。
 あなたが今この世に存在して、生きているだけでもまさに大変な奇跡なのです。
村上和雄『生命の暗号―あなたの遺伝子が目覚めるとき*6』サンマーク文庫 P169-170)

 我々は勝手に生きているのではなく、「生かされている」ことを自覚するとき、生きることに対する感謝と自信が湧いてくる。

 前も高世は似たり寄ったりのことを書き、俺もその時に批判していますが、こんな物言いに何の意味があるのか?
 例えば「パワハラに耐えられず自殺した宝塚歌劇団の女性」がこんな物言いで生きることに対する感謝と自信がわいてきて「自殺を止める」のか?。
 全く馬鹿馬鹿しい。
 なお、高世が紹介した村上は以下のような人物で手放しで評価することには相当に問題があるでしょう。

村上和雄 - Wikipedia
 天理教の信者。生命の存在はダーウィンの進化論では十分に説明できないと考え、サムシング・グレート*7と呼ぶ存在を想定し自身の立場が「知的設計論*8インテリジェント・デザイン)に近い」と述べているが、自著『科学者が実感した神様の働き』(共著、1999年、天理教道友社)でサムシング・グレートを「あれは親神様のことです」と書き、サムシング・グレート天理教の「親神様」のことであると認めている。
 2007年2月21日、茨城県高校教職員組合は、茨城県の県立高校で使用されている道徳教科書の『生命のバカ力』(村上著、2003年、講談社+α新書)からの引用部分が特定の宗教(天理教)を広める内容だとして、政教分離の観点から、茨城県教育委員会に是正措置を求めた。これに対して県教委は問題がないとの見解を示している。

*1:俺もこちらの方に該当しますね。

*2:但し島村は既婚者で、不倫関係

*3:加藤友三郎、第2次山本、加藤高明内閣、第1次若槻、濱口内閣で海軍大臣

*4:1936~2021年。筑波大学名誉教授。著書『バイオテクノロジー』(1984年、講談社ブルーバックス)、『今こそ日本人の出番だ:逆境の時こそ「やる気遺伝子」はオンになる!』(2013年、講談社+α新書)、『そうだ! 絶対うまくいく! 幸せ遺伝子オンになる生き方』(2013年、PHP文庫)等

*5:1924~1994年。国立遺伝学研究所名誉教授。文化勲章受章者。著書『分子進化の中立説』(1986年、紀伊國屋書店)、『生物進化を考える』(1988年、岩波新書)等

*6:2004年刊行

*7:関連著書として『サムシング・グレート』(1999年、サンマーク文庫)、『世界は1つの生命からはじまった:サムシング・グレートからの贈り物』(共著、2004年、きこ書房)、『サムシング・グレートの導き』(共著、2007年、PHP研究所)、『神(サムシング・グレート)と見えない世界』(共著、2013年、祥伝社新書)等

*8:但し、知的設計論自体が「キリスト教天地創造説の言い換えにすぎない」と言う批判を受けている。