珍右翼・高世仁に悪口する(2023年7/26日分)(副題:中村哲にも悪口する)

中村哲が見た「飽食の国」日本 - 高世仁のジャーナルな日々

 去年、1年間に自殺した人の数は全国であわせて2万1881人となり前年から874人増えた。
 根本的にはコスモロジ―(人生観・世界観・宇宙観)が問題だと本ブログで繰り返し書いてきた

 高世のアホさには心底呆れます。高世が「貧乏のどん底」で毎日の食事もまともに取れず「ブログ記事を書く経済的、精神的余裕」がなく、妻子も知人、友人もおらず一人孤独で、重病(末期ガンなど)で「死んだ方がまし」と思えるような「すさまじい苦痛」を日夜味わっていても、つまり「想像を絶するような不幸」であっても、果たして「コスモロジー」の「成果」で自殺しないのかどうか。勿論「ネルソン・マンデラ(1964年に終身刑判決を受け、1990年に釈放されるまで獄中)」など「強靱な精神の持ち主」も世の中にはいますが、小生は大多数の人間(勿論小生もその一人)はそんなに精神的に強くはなく「恵まれた環境にあるから自殺しないだけ」だと思っています。例えば昨年の「自殺の増加」は明らかに「コロナ不況や物価高(つまり生活苦)の影響」でしょう。
 問題は「不遇な環境(コロナ不況や物価高等)を改善すること」であって「不遇な環境でも死なない強靱な精神」を求めるなど「高世はふざけるな!」と思いますね。

 中村哲医師が凶弾に斃れたのが2019年12月4日。その年の4月1日発行の『ペシャワール会報』(No.139)に中村さんの「飢餓の国vs飽食の国」という原稿が載っている。2回に分けて紹介する。
『テレビの番組は四六時中、美食の作り方や、評判の店や料理を紹介する。味見をして「うーん、おいしい!」と叫ぶ場面が頻繁に登場する。』

 但し、勿論「飽食の国」日本国内にも未だに「美食」など味あうことのできない貧乏人は存在します。
 またテレビや週刊誌の「美食」はほとんどが「B級グルメ」であり高級料亭などまず登場しません。
 そうした認識がないらしい中村氏には俺は高世と違い全く好感は持てません。

 「日本でも栄養失調の子が問題になっているのに、アフガニスタン」と言う者もある。つい怒り心頭、日本の豊かさや便利さを呪う発言が飛び出し、孤立していく。

 赤字部分は「一面の真理」です。何も貧困は海外に行かないと見られないわけではない。中村氏の「日本国内の貧困」に対する無理解が、日本国内の「貧困者本人」「貧困者の支援者」等からこうした悪口を呼んだのではないか。

 かつては飢餓を体験した世代が社会の中堅にいた。

 「太平洋戦争末期」ですね。以前も別記事で書きましたが、当然ながら「1941年の開戦当時」から飢餓だったわけではありません。飢餓状態で米国に戦争を仕掛けるほど日本もさすがにキチガイではない。
 あの戦争は「日本は世界の大国」「米国相手でも勝利可能」と思い上がった日本政府が「国民に塗炭の苦しみを味あわせた」という「黒歴史」です。

 彼らが社会の中堅であった時代、飢餓の問題は多くを語ることなく同情と支援の手が差し伸べられた。

 例えば、拙記事今日の産経抄(2023年7/18日分)(副題:戦災孤児を見捨てた戦後日本)(追記あり) - bogus-simotukareのブログで触れた「金田茉莉氏」等、「日本社会に見捨てられ中には、『火垂るの墓』の清太少年のように餓死した戦争孤児」のことを考えれば「えー、そうか?、明らかに事実に反するだろ?」ですね。繰り返しますが高世の紹介する中村氏には俺は「何一つ共感できず」、むしろ「中村はアホか。バカは黙れ」という反感や不快感しか感じません。それにしても『火垂るの墓』で戦争孤児の問題を描いた(しかも興行的にも成功した)高畑勲はやはり偉大です。


「人生の目的はしあわせ」でいいのか4 - 高世仁のジャーナルな日々
 珍右翼・高世仁に悪口する(2023年7/26日分) - bogus-simotukareのブログで批判した「人生の目的はしあわせ」でいいのか3 - 高世仁のジャーナルな日々の続きです。
 「誠実に生きること」が「幸せの追求」よりも大事と言いたいらしい高世です。
 但し「誠実に生きること」と「幸せの追求」は対立するわけでも矛盾するわけでもないので言ってることがおかしい。
 「誠実に生きながら幸せを追求すること」はいくらでもできる。また「誠実に生きる」なんてことは「当たり前の話」です。何処の世界に「幸せを追求するためには不誠実で何が悪い」なんて奴がいるのか。
 結局「人生の目的が幸せ追求」では「良くないこと」を何らまともに説明できない高世です。
 そもそも高世仁の幼稚なデマ自慢を平然と垂れ流すNHKの馬鹿さとクズぶりに本気であきれ返る - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)という「クズ」「腐れカス」「デマ野郎」の高世が良くも「誠実に生きることが大事」などとほざけたもんです。