珍右翼・高世仁に悪口する(2023年9/17日分)

関東大震災の虐殺100年によせて8 - 高世仁のジャーナルな日々

 (ボーガス注:小泉内閣と同数の史上最多の)5人の女性閣僚*1を起用しても、副大臣26人と政務官28人の計54人は全て男性議員で女性議員はゼロ。2001年に副大臣政務官が導入されてから「女性ゼロ」は初めてだという。

 是非以前に「はあ?」ですね。
 そこは「副大臣政務官の女性も増やします」でしょうに。しかも「ゼロは今回が初めて」て。「女性大臣で増やしたから副大臣政務官がゼロでも構わない」という価値観は理解できません。
 それにしても岸田は「適材適所」と居直っていますが、それは素直に理解すれば「大臣にふさわしい女性議員は与党に5人いたが、副大臣政務官にふさわしい女性議員は与党に一人もいなかった」という意味であり「はあ?」でしかないでしょう。

 三浦しをん*2は「骨太の方針」という言葉にイラっとするという。
「『骨太』って自分で言うの。言語感覚がおかしいです」。
 言葉を大事にする作家が我慢できなくなるのも当然だ。

 「骨太」は勿論小泉*3政権(2001年)から始まった用語でその後も歴代自民政権(安倍*4、福田*5、麻生*6、菅*7、岸田*8)が踏襲してるもので、「岸田が考案した物ではない」ので「今更かよ」です。
 「政権支持率の低い岸田なら何を言ってもいいと思ってるのか?」とむしろ三浦氏や高世に不愉快です。
 なお、正式名称は「経済財政運営と改革の基本方針」で小泉内閣から設置された「経済財政諮問会議」で原案が決定されてから閣議決定されます(以上骨太の方針 - Wikipedia
を参照)
 なお、俺の「言語感覚」的に「はあ?」なのは

最近よく聞く「一丁目一番地」ってどこ? - 日本経済新聞(若狭美緒)2011.2.8
 最近、「最優先課題」などの意味で「一丁目一番地」と表現するのをよく聞きます。
 「一丁目一番地」を取り上げる国語辞典はまだほとんどなく、2009年10月にデジタル大辞泉小学館)に収録されたのが目につくくらいですが、新聞紙面では1980年代から見られる語です。橋本*9内閣の梶山静六*10官房長官(当時)が行政改革を「一丁目一番地」と言い、小泉純一郎首相(当時)が郵政民営化を「小泉改革一丁目一番地」と呼ぶなど、政治関係の記事での使用が圧倒的な数を占めます。
 2009年の政権交代以後、鳩山由紀夫*11首相(当時)が地域主権改革を「まさにこの内閣の一丁目一番地」などと繰り返し発言したのを機に広まりを見せ、新聞に登場する回数が急増しています。
 「辞書になくても意味が通じ、よく使われるのが興味深い」と話すのは現代語の用例採集で知られる飯間浩明*12三省堂国語辞典編集委員
 「東京都千代田区永田町1の1」には日本の測量の基準となる「日本水準原点」があり、日本初の西洋風ホテルである帝国ホテルが建つのは「千代田区内幸町1の1」。1丁目1番地はいわゆる「一等地」の場合が多く、「一丁目一番地」には重要なもの、原点というイメージがあるのかもしれません。

「一丁目一番地」の政策的一致は揺るがず 互いにリスペクトを/志位委員長 共闘にのぞむ基本姿勢を表明2021.4.8
 共闘の道に踏み出した「一丁目一番地」が、安保法制廃止と立憲主義回復にあるということです。志位氏は、「一丁目一番地」での政策的一致が主要野党間で揺らいでいないと指摘し、「この土台が揺らがない限り、わが党は菅政権打倒と政権交代の大局に立ち、共闘成功のためにあらゆる力を尽くす」と決意を示しました。

という「一丁目一番地与野党問わず使用されるが、政界以外ではまず聞かない)」ですね。「優先課題でええやろ、わかりづらいだけやん」と思う。

 大地震の直後から、警察は多くの社会活動家を検束した。その中には、戦後の政界で名を成す浅沼稲次郎や麻生久*13らもいた。

 この文章では「戦後、社会党委員長の浅沼」だけでなく麻生も「戦後活躍した」ように読めてしまいますが、麻生は1940年に死去しています。

*1:因みに小泉内閣は扇国交相、川口環境相、田中外相、遠山文科相、森山法相。岸田内閣は加藤子ども政策等担当相、上川外相、自見地方創生等担当相、高市経済安保等担当相、土屋復興相

*2:2006年8月に『まほろ駅前多田便利軒』で2006年上半期の直木賞を受賞(三浦しをん - Wikipedia参照)

*3:宇野内閣厚生相、宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*4:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*5:森、小泉内閣官房長官を経て首相

*6:橋本内閣経企庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)等を経て首相。首相退陣後も第二~四次安倍、菅内閣副総理・財務相を経て、現在、自民党副総裁

*7:第一次安倍内閣総務相、第二~四次安倍内閣官房長官を経て首相

*8:第一次安倍、福田内閣沖縄・北方等担当相、第二次、第三次安倍内閣外相、自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)を経て首相

*9:大平内閣厚生相、中曽根内閣運輸相、海部内閣蔵相、自民党政調会長(河野総裁時代)、村山内閣通産相等を経て首相。首相退任後も森内閣で行革相

*10:竹下内閣自治相・国家公安委員長、宇野内閣通産相、海部内閣法相、自民党国対委員長(海部、宮沢総裁時代)、幹事長(宮沢総裁時代)、橋本内閣官房長官等を歴任

*11:新党さきがけ代表幹事、細川内閣官房副長官等を経て首相

*12:著書『辞書を編む』(2013年、光文社新書)、『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか?』(2013年、ディスカヴァー携書)、『三省堂国語辞典のひみつ』(2017年、新潮文庫)等

*13:1891~1940年。戦前、浅沼が参加した社会大衆党の書記長。1940年、斎藤隆夫代議士の反軍演説について斎藤の衆議院除名に賛成の立場を取り、「欠席、棄権」の形で反対に回った党首(委員長)の安部磯雄をはじめ、鈴木文治(友愛会創設者)、片山哲(戦後、社会党委員長、首相)、西尾末広(戦後、社会党書記長、片山内閣官房長官、芦田内閣副総理、民社党委員長)、水谷長三郎(戦後、片山、芦田内閣商工相、右派社会党政策審議会長、民社党国会議員団長)、松本治一郎らを党除名処分とし、自らが後任の党首となったため、現在では「軍部の横暴に加担した」と批判される(なお、浅沼は除名に賛成)