◆荒木ツイート
荒木和博
令和5年12月18日月曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1343号。一時期もてはやされた「グローバリズム」という言葉も大分垢がついてきたような気がします。
5分7秒の動画です。そんなことが拉致被害者救出と何の関係があるのかと呆れます。
荒木和博
令和5年12月16日土曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1341号。21年前、平成14年(2002)9月17日、いわゆる「飯倉公館事件*1」のとき受けた衝撃の話です。
6分40秒の動画です。そんなことが拉致被害者救出と何の関係があるのかと呆れます。
荒木和博
令和5年12月15日金曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1340号。戦後78年ですが、「アメリカの戦後政策が悪い」といくら言っても仕方ないのではないでしょうか。
5分34秒の動画です。「アメリカの戦後政策」のせいで拉致が起こったとか、拉致が解決しなかったとか、アメリカが拉致解決を妨害してるとか、主張するのならともかく、そんなことが拉致被害者救出と何の関係があるのかと呆れます(拉致解決について言えば、小泉訪朝を考えれば「アメリカの戦後政策」のせいで解決しないとは言えないでしょうが。まあ、米朝国交が正常化してれば拉致解決ももっと楽だったかもしれませんが)。
そもそも「アメリカの戦後政策が悪い」と「ウヨの荒木」がいう「悪い戦後政策」とは一体何なのか?。
まあ
いったいどれだけ頭が時代錯誤なのか(そんなん日本の安全保障と何の関係もないじゃん。また秦郁彦と田村秀男の堕落ぶりもすさまじい) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
「皇室を支える仕組みの再建を」江崎道朗 評論家・麗澤大学客員教授 « ニュース « 公益財団法人 国家基本問題研究所
明治新政府は近代国家建設に際して、皇室を支え、お守りする仕組みを整備したが、その仕組みは戦後、占領軍によって解体されてしまった。占領軍の上部組織である極東委員会は1946年7月2日、「日本の新憲法についての基本原則」を決定、皇室民主化の方針が打ち出された。その結果、①(ボーガス注:主権者だった戦前と違い)国政についての発言権が剝奪され、②新皇室典範は憲法の下位に置かれ、③「宮中・府中の別」は否定され、④皇室自律主義も否定された。
これに伴い、明治時代から整備されてきた皇室関係法令、具体的には皇室令80件、付属法令38件が廃止された。当時の政府は独立回復後、関連法令を再整備するつもりであったが、結局は政府や議会の怠慢で再整備されずに今日に至っている。そんなの当然の成り行きだと思いますけど。まさか戦争であそこまでこっぴどく負けて、それで戦前通りの天皇制なんか維持することをGHQをはじめとする連合国が許すわけないでしょう。
ていうか、本来なら昭和天皇は戦犯となって死刑になっても文句の言える立場ではない。昭和天皇が東京裁判への訴追どころか退位さえしないですんだのは、つまりは政治取引ですが、それは天皇の政治特権のはく奪と不可分でした。さすがにいくらなんだって天皇を戦前戦中と同じ立場にしてそれで天皇万歳国家を続けるなんてことは、ありえない。
頭の中身がどれだけ時代錯誤なのか見当もつかない - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
「 皇位継承安定化に必須の学習院再生 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
学習院は江戸時代後期、孝明天皇の時代に皇族の子弟のための学校として発足した。明治、大正、昭和を通して宮内省の直轄学校だったが、敗戦でGHQの大鉈に切り刻まれた。まず皇室から切り離され、学習院は単なる民間の一教育機関となった。それまで皇室の資金で支えられていたのが、他の教育機関同様、文部省(文科省)の予算を貰うようになった。一方、戦後の風潮の中で学習院の教育は左傾化していった。
竹田氏が語る。
「なぜ左傾化したか。理由のひとつがGHQの政策です。GHQは日本弱体化には国柄の土台を崩し、日本を精神的に骨抜きにすればよいと考えた。第一の標的が皇室だったのは明らかです」学習院が左傾化したなんて言う事実はありませんが(「左傾化」でなく、まともな大学になったということです)、それがそのまま今日まで続いているのは、つまりは大筋で学習院もそれでいいと考えているということです。それは国民もおなじでしょう。皇室だってそうです。当たり前じゃないですか。
という「江崎、桜井、竹田」のような寝言だろうと予想はつきますが。
*1:荒木が勝手に「事件」呼ばわりしてるだけです。