珍右翼・高世仁に悪口する(2024年3/9日分)

私がここにいるわけ① - 高世仁のジャーナルな日々

 若者の自殺が増加傾向にあると報じられている。
 「命の電話」など、実行寸前で自殺を思いとどまらせることは、もちろん大事なのだが、あくまで応急措置である。
 「自殺したい」などと思わないような心を育てることにこそ、社会の目を向けたいと思う。
 現代人の好ましい人生観の形成には、岡野守也*1主幹が提唱してきた、現代科学にもとづくコスモロジー・セラピーが非常にすぐれていると確信し、学んできた。これを広く普及し、多くの人がよりさわやかに生き、若者がレジリエンスある人生観をもつようになるよう、微力ながら貢献したいと思っている。

 高世は以前も似たような「世迷い言」を書きそのたびに俺も「似たような批判」をしていますが、また批判を書きます(過去の批判記事の紹介は省略しますが「岡野守也」でググればヒットすると思います)。
 自殺については原因(身体障害や重病など健康の悩み、いじめやパワハラ、経済苦、「受験失敗、失業や失恋、離婚、あるいは愛する肉親との不幸な死別(事故や犯罪被害)などの精神的挫折」など)はいろいろであり対処方法(いじめやパワハラならそうした無法の撲滅)も色々です。そして俺は「大抵の人間はそんなに強くない」「簡単なことで自殺する」「俺が自殺しないのは単に自殺を考えるほどの不幸、例えば『学校でのいじめ』『職場でのパワハラ』『深刻な貧困や差別』『重度の身体障害』などがないからだ」と思っています。
 例えば高世は自殺者やその遺族、例えば「コロナ禍の中で自殺した俳優の竹内結子三浦春馬とその遺族」「近畿財務局の自殺した官僚(森友疑惑)とその遺族」「宝塚のパワハラ自殺者とその遺族」などに「心が弱いから自殺した」と言える度胸があるのか。「ない」なら「こんなことは言うべきではない」。
 もちろん「ある」なら高世はクズです。「竹内や三浦のことを勝手に決め付けるな」「パワハラ自殺はパワハラする方が悪い。パワハラ犯人を免罪するのか」「財務官僚を自殺に追いやった安倍首相らを免罪するのか」と遺族や「遺族の支援者」に当然の反発をされるのが落ちです。
 そして仮に「心の強化」は必要としてもそれが何で「他の宗教(キリスト教創価学会等)や哲学ではなく岡野守也」なのか。
 高世がやってることは「不幸のどん底にある人間」に対して「私はホニャララ(キリスト教創価学会等)の信仰で救われた」として布教活動する信者と何処が違うのか。
 まだ「私が救われたからあなたも救われるのではないか」と自分の体験限定で「善意で布教する信者」の方が「現代人は病んでいる」と言い出す高世よりマシではないか。

*1:著書『唯識のすすめ:仏教の深層心理学入門』(1998年、NHKライブラリー)、『自我と無我』(2000年、PHP新書)、『コスモロジーの創造:禅・唯識・トランスパーソナル』(2000年、法蔵館)、『生きる自信の心理学』(2002年、PHP新書)、『唯識と論理療法』(2004年、佼成出版社)、『道元コスモロジー』(2004年、大法輪閣)、『よくわかる般若心経』(2004年、PHP文庫)、『空海の『十住心論』を読む』(2005年、大法輪閣)、『いやな気分の整理学』(2008年、NHK生活人新書)、『仏教とアドラー心理学』(2010年、佼成出版社)、『コスモロジーの心理学』(2011年、青土社)、『「日本再生」の指針:聖徳太子『十七条憲法』と「緑の福祉国家」』(2011年、太陽出版)、『ストイックという思想』(2012年、青土社)、『「金剛般若経」全講義』(2016年、大法輪閣)等