「私がここにいるわけ」高校生に語るコスモロジー① - 高世仁のジャーナルな日々
去年10月に文部科学省が公表した「令和3年度(2021年度)児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によると、2021年度は前年度比で不登校生徒が5万6747人(23.7%)増加し、総数は29万5925人と30万人に迫ったという。不登校がいちがいに“悪い”わけではないが、この結果は自己も他者も肯定できずに悩む生徒たちが増えていることを示唆する。
不登校の理由は様々でしょうに何を根拠に自己も他者も肯定できずに悩む生徒たちが増えていることを示唆と高世は決めつけるのか。
本気でそう思い込んでるのか、家族会と巣食う会の見解と違う報道ができずに高世仁の北朝鮮報道は自滅した(関川夏央もたぶん同じ) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が指摘するような「家族会、救う会に媚びるために結論ありきで話を進めた」ような「結論ありきで話を進めたい、ろくでもない事情がある」のかはともかく、高世のアホさにはいつもながら呆れます。
大事なことはこんな決めつけではなく「不登校の生徒」をどう支えていくかでしょう。勿論、解決策は「登校」では必ずしもないでしょう(登校できればそれが一番いいでしょうが)。
近年、若者の自殺が増加傾向にあると報じられている。
「命の電話」など、実行寸前で自殺を思いとどまらせることは、もちろん大事なのだが、あくまで応急措置である。「自殺したい」などと思わないような心を育てることにこそ、社会の目を向けたいと思う。
「そんな心が育つのなら苦労しない」と言いたいですね。
自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧 - Wikipedia
【1923年】
◆有島武郎(作家)
不倫関係にあった人妻・波多野秋子とともに自殺
【1927年】
◆芥川龍之介(作家)
【1948年】
◆太宰治(作家)
愛人関係にあった山崎富栄と共に自殺
【1960年】
◆火野葦平(作家、1938年(昭和13年)「糞尿譚」により芥川賞を受賞
【1972年】
◆川端康成(作家、ノーベル文学賞受賞者)
等でわかるように
生きていても処刑(死刑)は免れないであろう
◆浅井長政、朝倉義景、松永久秀、武田勝頼(いずれも織田信長に敗北)
◆柴田勝家(豊臣秀吉に敗北)
◆豊臣秀頼(徳川家康に敗北)
◆大塩平八郎(大塩の乱の実行者)
◆久坂玄瑞(蛤御門の変で幕府軍に敗北)
◆西郷隆盛(西南戦争で明治新政府に敗北)
◆野中四郎(226事件の実行者、実際自決しなかった仲間たちもその後死刑執行。なお、野中の自殺直前に彼の上司にあたる井出宣時*1が会っているため、責任問題を恐れる井出に自殺を強要されたという説がある。)
◆都井睦雄(津山事件の犯人)
の自殺
あるいは「明治天皇に殉死した乃木希典」のような特殊ケースは話が別ですが、多くの著名人が「恐らく何らかの精神的な悩み」から自殺しています。「一般人に比べれば経済面等で恵まれてる」と思われる著名人ですらこれです。
そして過去にも以下のように高世を批判しましたが
高世仁に突っ込む(2021年1/28日分) - bogus-simotukareのブログ
世界に蔓延する「ブルシット・ジョブ」 - 高世仁のジャーナルな日々
高世のように「社会問題(自殺の増加など)」を「個々人の心のあり方」に原因を求めてしまってはそれこそ「悪名高い、いわゆる自己責任論」でしかない。そんな行為はむしろ「自殺するのは自殺者の心のあり方に問題があるからだ」でかえって自殺を助長しかねません。
高世の馬鹿さには呆れて物も言えません。本気で高世がこう思ってるのか、「インチキ自己啓発セミナー講師の高世」として「金儲けのため」に「嘘八百並べ立ててる」のかはともかく(とはいえ俺だったらこんな高世のインチキ自己啓発セミナーでは全く救われませんが)。
ジンネット倒産後、高世もどこまで落ちぶれれば気が済むのか。こんなことを抜かす高世はもはや「ジャーナリスト」としてやっていく気は全くないのでしょう。
珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年8/27日分)(副題:今日も高世に悪口する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ
子どもたちの自殺を食い止めるには - 高世仁のジャーナルな日々
自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧 - Wikipediaを見て解るように「世間的には成功者と見なされる著名人」だって川端康成 - Wikipedia(ノーベル文学賞受賞者、1972年死去)
など、「様々な理由」で自殺している人間がいるのであって「自殺防止」なんてのは高世が放言するほど「甘い話ではない」でしょう。
【追記】自殺したいなどとすぐに考えない「命を大切にする心」は、自己肯定感の高さが核心だと思う。
こういう高世の物言いにはいろいろと違和感を感じますね。
まず第一に「自殺しないように命を大切にする心を育む」のではなく「自殺を考える人間を周囲が精神的に支える」と言う問題の捉え方を何故高世はしないのか。
何というか「自殺は自殺者の心の持ち方の問題」と言ってるように聞こえ、「自殺を考える人間を精神面で支援する社会のありよう」という考えはないのか、「すべてを自殺者の心の問題にする気か」と言いたくなります。
第二に「自己肯定感の高さ」とやらがどうでもいいとはいいませんが、それよりも「家族や友人の存在」「仕事や学業、趣味でのやりがい」「好きなもの(好きな食べ物、音楽、芸能人など)」などといった「まだ死ねない」「死んで花実が咲くものか」と思えるものがどれだけあるかが問題ではないか。もちろんそれらも「広い意味」では「自己肯定感」に含まれるでしょうが。
珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年8/31日分)(副題:今日も高世に悪口する) - bogus-simotukareのブログ
子どもたちの自殺を食い止めるには2 - 高世仁のジャーナルな日々そもそも自殺したくなくなる心をつくるという、いわば予防に踏み込むことが必要だと私は思っている。
珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年8/27日分)(副題:今日も高世に悪口する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログでも批判しましたが何故高世は「強い心なら自殺しない」と個人の自己責任にしてしまうのか。
「弱くてもいいじゃないか、周囲が支えれば」「つらければ弱音をはけばいいじゃないか」「社会全体で自殺を予防しよう」という考えが何故できないのか。
小生は自分が「そんなに精神的に強くない」と自覚してるし、ほとんどの人間は「そんなに精神的に強くない」と思ってるので高世のような考えには全く賛同できません。
高世は例えば竹内結子 - Wikipedia(まあ例は誰でもいいのですが)に対して「弱い心だから自殺したのだ」というのか。自殺者に対して無礼にも程がある。
という高世のように問題を「自殺者の心の問題」にするのは最悪の「自己責任論」だと思います。大抵の人間は「失業」「重病」「(東日本大震災等での)肉親との死別」などの「精神的ショック」を受けて「それでも絶対に自殺しない」ほど「強固な精神」を持ち合わせてはいないでしょう。
「自殺の動機になるようなことをできる限り減らすこと(差別や貧困などの社会問題の解決:しかし岸田政権は大軍拡で貧困問題をかえって悪化させる方向に動くから呆れます、勿論そんなことをすれば少子化克服にも逆行するでしょう、「狭義の少子化予算(子育て予算)」さえつければ少子化克服できるというモノではない、まあ子育て予算だってどれほどつけるか疑問ですし、子育て予算増額と軍拡を両立させるために、他の医療、福祉予算をカットするのでは本末転倒ですが)」「自殺を考えるほど悩んだ人間を支える仕組み(鬱病なら病気の治療、失業なら復職支援など)」といった社会の取組が大事でしょう。「いのちの電話」にしても高世のように「対処療法」とバカにしていい話ではない。
私はサングラハ教育心理研究所のコスモロジー・セラピー・インストラクターとして、若者向けセラピーの一つのひな型を自分なりに作ってみたいと思う。
いかにも胡散臭そうな民間資格です。
ご感想、ご意見をお待ちしています。
ということなので以下、ご意見を書いていきます。俺のような否定的意見は高世は平然と無視でしょうが。
高校生くらいの知識レベルで理解できる内容とし、私が、宙(そら)くんという架空の高校2年の男の子―私の甥っ子―に語っていくという設定で進める。
別にそんな設定にしなくても「高校生時代の高世の娘に語る」と言う設定でいいでしょうに。多分娘ですら「はあ?、私の父親ってバカなの?」でしょうが。
自分はなぜ生まれてきたんだろう、何のために生きてるんだろう、そういうのを大まじめに考えてみようってわけ。
前も高世は似たような寝言をほざき、以下のように俺も高世を批判しました。
珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年6/21日分) - bogus-simotukareのブログ
「リンゴ日報」を買い支える市民のふんばり - 高世仁のジャーナルな日々私たちがなぜ生まれてきたかを問うことは、どう生きるべきなのかという「倫理」を考えることにもなります。
なぜ産まれてきたと言えば、身もふたもないことを言えば「(セックスか人工授精かはともかく)両親が子作りしたから」ですよね。それ以上でもそれ以下でもない。何か目的があって我々は生まれてきたわけではない。
そして「何故生まれてきたか」と「どう生きるべきか」は全く関係が無い。
もし高世が「親のおかげで生まれてきたのだから、親の希望を叶えるべきだ」と言うなら勘違いも甚だしいでしょう。
結局どう生きるべきかは「自分の価値観に従って生きる」しかないし、その場合、価値観は色々です。
「仕事のため」「家族のため」「社会のため」「趣味のため」、まあ色々生きる意義、目的はあるでしょうがこれらは個人個人が自分で考えて見つけるしかない。何か「こうすればどう生きるべきか答えが見つかる」なんて、そんな便利な話はどこにもないでしょう。
変な宗教にさそうつもりじゃないから(笑)、安心して。
といったところで高世の寝言は「変な宗教」と似たようなもんでしょう。そして高世がはまってるらしいサングラハ教育心理研究所とやらは「変な宗教」と似たようなもんでしょう。
遠回りなようだけど、心が元気になれると思うんだ。どうかな?
完全に遠回りであり「アホか」ですね。
多くの場合「心が元気でない」のは「貧困(その結果による大学進学断念など希望の断念)」「大学受験の失敗(不合格)」「失業(サラリーマンの場合)や倒産(自営業の場合)」「失恋や離婚」「病気」「家庭不和(夫の不倫、子どもの非行など)」「親の介護(ヤングケアラーなど)」など「何らかの悩みを抱えているから」です。そうした「悩み」を何らかの形で解決するのが「近道」であり、かつ「正攻法」でしょう。
ぼくたち人間は、体と心でできているよね。とっかかりにまず、体は何でできているのか、考えてみようか。
体は、筋肉、脂肪、血液、骨といろいろなものでできているよね。これらを元素にまで分解していくと、おもに水素、炭素、酸素、窒素の四つになる。この四つの元素で、体重の96%を占めてるらしい。
なんて言い出す高世にはいつもながら呆れます。そんなことが「悩みの解消」と何の関係があるのか?
*1:歩兵第3連隊長、歩兵第18旅団長、旅順要塞司令官など歴任