松竹伸幸に悪口する(2024年10/8日分)

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 松竹の今回記事は松竹伸幸に悪口する(2024年9/14日分) - bogus-simotukareのブログで批判した
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30数年ぶり歴史学者の手になる『日本通史』 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
と「大同小異」であり、批判内容も「以前とかなりかぶる」と思いますが書いておきます。

 30数年ぶり歴史学者の手になる『日本通史』

 「30数年ぶり」というのは恐らく「一人の歴史学者が書いた通史」ですね(複数の歴史学者が書いた通史なら30年も遡らなくても存在すると思います)。しかも「一人の歴史学者が書いた通史は30数年ぶり」は松竹の認識にすぎないので実際とは違う可能性があります*1。なお、「歴史学者の手になる」と書いてあるのは「素人のクズ本」なら、網野本以降にも例えば、通史として百田『日本国紀』(2018年、幻冬舎→2021年、幻冬舎文庫)があるからです。なお、問題は「通史として中身が良いかどうか」であり「一人で書いたかどうか」ではない。

 古代から現代までの歴史を、一人の歴史家だけで叙述する「通史」も存在していたのです。

 松竹はもしかしたら勘違いしてるのかもしれませんが通史とは「古代から現代までを書いた歴史書」であって「一人で書いたかどうか」は関係ない。実際、過去の通史には「複数執筆者の通史」はいくらでもあるし、その方が普通です。
 「一人で古代から現代まで書く」なんて「大谷の二刀流」みたいなもんで普通の人間にはできる話ではないし、無理にする必要もない。
 現在のように「古代史」「中世史」「近世史」「近現代史」が専門化、細分化してる時代は特にそうです。

 でも、1990年代後半の網野善彦*2の『日本社会の歴史』(上中下)*3以来、そういう「通史」は姿を消しました。なぜでしょうか。
 そこにあるのは、歴史観の敗北です。それをもたらしたのはソ連など社会主義の崩壊でした。

 まず第一に通史自体は消えてないと思います(複数執筆の通史でしょうが)。
 第二に既に指摘しましたが、「一人の人間が書く通史」なんか昔から一般的ではない。
 そもそも「史的唯物論なら通史が簡単に書ける」と言う話でもなければ、「史的唯物論者以外は通史を書かない」わけでもないので松竹の主張はどう見てもおかしい。
 そもそも松竹が持ち出す網野の通史(岩波新書)自体が「初版が1997年」でソ連崩壊(1991年)以降の刊行ですし。
 まさかとは思いますが、松竹は網野通史の刊行時期を「ソ連崩壊前」と勘違いしてるのか?
 それにしても「共産党を愛してる」と抜かす野郎が公然と「ソ連の崩壊で史的唯物論は無効になった」と公言(そう言えるかどうかは知識もないし、俺はマルクス主義を理由に共産を支持してるわけではなく「九条護憲」「脱原発」「消費税減税」等を理由に支持してるので、特に議論はしません)。
 共産党の指導理念は史的唯物論じゃないんですかね。「共産党の指導理念」を否定するこの男は一体何のために「除名無効訴訟」を起こしたのか。そんな野郎は立民や社民、れいわにでも入党したらどうなのか?
 これが「愛党精神はないが、除名は不当だから訴訟した。無効判決が仮に出ても復党する気はない」つうなら分からないでもないですが、ご本人、「党に戻りたい」と抜かしてますからね。まあ、どこまで本気か怪しいですが。
 それにしても「最近通史は下火だが、俺は小路田泰直*4に通史を書かせた。どうだ、すごいだろ」が平たく言えば、松竹の言ってることであり、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
 問題はその小路田通史が「評価に値する代物かどうか」ですが、それがまともに説明できないんだから呆れます。
 「日本史の素人」松竹に説明できないならせめて、「小路田ではない第三者歴史学者(勿論、小路田の弟子だの、友人だの、同僚だのではない、小路田に忖度する可能性がない人間がベスト)」に評論文でも書かせたらどうなのか。
 「最近通史は下火だが、俺は小路田泰直に通史を書かせた。どうだ、すごいだろ」レベルで読む人間がいると思ってるなら、松竹も呆れたバカです。
 まさかとは思いますが「通史の中身」はどうでも良くて「最近通史は下火だが、俺は小路田泰直に通史を書かせた。どうだ、すごいだろ」が松竹のやりたいことだったのか?
 小路田も松竹みたいなバカに編集を任せて良かったんですかね。まあ、小路田自身も「松竹と似たり寄ったりで、無駄に自尊心は強い(だから一人で通史を書いた)が、学者としては大した学者ではない」のかもしれませんし、そんな学者だからこそ「岩波書店」など「大手出版社」では「通史を出してくれない」のかもしれませんが。
 まあ今後、歴史雑誌等で、歴史学者によって小路田の本がどう批評されるのか(あるいは批評の価値無しとして無視されるのか)が気になりますね。
 俺が読んでいるのは歴史科学協議会編の月刊誌『歴史評論』だけですが、他にも
◆史学会編の月刊誌『史学雑誌』(山川出版社
◆日本歴史学会編の月刊誌『日本歴史』(吉川弘文館
歴史学研究会編の月刊誌『歴史学研究』(績文堂出版)
などいろいろあります。
 なお、上記は松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。「賛同コメントしか掲載しない」松竹のクズさには心底呆れます。

*1:なお、「一人の歴史学者が書いた通史は30数年ぶり」とは、網野『日本社会の歴史』(上中下)』(1997年、岩波新書)からのカウントらしいですが、それだと30数年ではない(27年になる)ので松竹がお粗末にも「1991年刊行」と刊行時期を勘違いしてる可能性があります。

*2:1928~2004年。神奈川大学名誉教授。著書『無縁・公界・楽』(1978年、平凡社→増補版、2016年、平凡社ライブラリー)、『日本の歴史をよみなおす』(1991年、ちくまプリマーブックス)、『中世再考』(2000年、講談社学術文庫)、『蒙古襲来』(2001年、小学館文庫)、『日本中世の百姓と職能民』(2003年、平凡社ライブラリー)、『中世の非人と遊女』(2005年、講談社学術文庫)、『日本の歴史をよみなおす』(2005年、ちくま学芸文庫)、『宮本常一「忘れられた日本人」を読む』(2013年、岩波現代文庫)、『日本中世都市の世界』(2013年、講談社学術文庫)、、『日本社会再考』(2017年、ちくま学芸文庫)、『歴史としての戦後史学』(2018年、角川ソフィア文庫)等

*3:1997年、岩波新書

*4:奈良女子大学教授。著書『日本近代都市史研究序説』(1991年、柏書房)、『憲政の常道』(1995年、青木書店)、『日本史の思想』(1997年、柏書房)、『国民<喪失>の近代』(1998年、吉川弘文館)、『「邪馬台国」と日本人』(2001年、 平凡社新書)、『国家の語り方』(2006年、勁草書房)、『邪馬台国と「鉄の道」』(2011年、洋泉社歴史新書y)、『神々の革命:『古事記』を深層から読み直す』(2012年、かもがわ出版)、『卑弥呼天皇制』(2014年、洋泉社歴史新書y)、『日本近代の起源』(2015年、敬文舎)、『日本憲法史』(2016年、かもがわ出版)、『日本史の政治哲学』(2023年、かもがわ出版)等。今回松竹が紹介した『日本通史』(2024年、かもがわ出版)も含め、近年、かもがわでの著書刊行(全て松竹の編集?)が多いのが興味深い。「除名問題等、政治面でも松竹支持」かどうかはともかく「編集者と著書の関係」では松竹と親しいのか?