都議選での田村委員長「第一声」演説はどう改善したらいいか - 神谷貴行のブログ
「極めて少数の紙屋支持者」以外にはろくに相手にもされてない(紙屋ブログにもほとんどコメントがない)くせに「改善」と上から目線であることには心底呆れます。
せめて「田村演説に思うこと」「田村演説への私の評価(あるいは感想、不満など)」とか「より客観的で謙虚なタイトル」にしたらどうなのか。
「挑発かよ」と呆れます。俺が神谷の立場なら「こんなタイトル」をつければ、党支持層の反感を買うことはわかりきってるので、「より客観的で謙虚なタイトル」にしますね。
私は党から見ればすでに「一般市民」
「除名無効訴訟で復党を目指してる」と言う人間がこの物言い。「はあ?」ですね。なお「一般市民の物言い」だからといって当然に従う義務はありません。一般市民だって当然、意見は色々ですし。
川端康雄『ジョージ・オーウェル——「人間らしさ」への讃歌』 - 紙屋研究所*1
大もとのところでの信頼はあった。時間はかかっても、いろんな間違いをただして前に進めることができるのではないかという根本的な信頼感である。
「何で上から目線なんだよ」
「『私作る人、僕食べる人 - Wikipedia』ならぬ『あなた間違う人、私(紙屋)正す人』かよ。お前が常に正しいのかよ」
と紙屋には心底呆れます。
自分で思考せずに、党との「融合」感をもとにして現場で異端者の追放にいそしむ人々や、やはり「自分のアイデンティティーを放棄」し、追放された人々をいじめて楽しむ*2人々が「全能・不滅」感に酔う様を目の前で繰り返し見せられた。
(中略)
まさか1周遅れで、スターリン主義の亡霊そのものの「恐怖」を味わおうハメになるとは思いもよらなかった。
そこまで党に悪口するんだったら、見捨てて頂いて結構なんですけどね。「社会党を離党して新社会党を作った矢田部理」などのように、どうぞ新党でも作って活動して下さい。復党したいという人間の言う台詞じゃないでしょう。何様のつもりなのか。
それとも「復党したい」は嘘で「除名は不当だった」という裁判所の判決(お墨付き)が欲しいだけなのか。
指導部の末期症状 - 神谷貴行のブログ
はっきりそう書くことは自重してるが
このような指導部の末期症状ぶりは、現代日本においても、決して他人事ではないのだと思いました。
という書きぶり(赤字部分)からして指導部とは勿論(?)「共産党指導部(志位議長、田村委員長など)」のことでしょうが、「戦前の日本政府、日本軍(フランスを早期に降伏させた『ドイツの快進撃』に幻惑され、甘い考えで米国相手に戦争したあげく、敗色濃厚になっても、『ソ連を仲介とした和平構想』という現実的可能性に乏しい考えにすがる)」にあてつけて、ここまで党に悪口雑言するなら「社会党を離党して新社会党を作った矢田部理」などのように「紙屋新党」でも立ち上げたらどうなんですかね。
除名無効訴訟で紙屋が勝利し、復党できるか知りませんが、仮に復党できたとして「党内に紙屋を支持する勢力」など出来そうにないし、ここまで悪口するくらいなら、それこそ「紙屋新党」設立が自然でしょう。
まあ偉そうなことをほざいても「支持者が少ないので新党が作れない」というそれこそ「末期症状」が紙屋なのでしょうが。
むしろ
◆『党内外に俺たち(松竹や紙屋)の支持者はいる』『志位委員長(反党行為当時、現在は議長)ら執行部など怖くない』という『俺たちにはドイツが付いている、米国など怖くない(戦前日本)』並に甘い考えで反党行為に打って出たが、除籍されて、政治的に打つ手なし
◆党に悪口雑言するが、少数のシンパを除いて、ほとんど世間に相手にされてない
松竹と紙屋こそが「米国相手に無謀な戦争に打って出て、敗色濃厚になっても保身から降伏できない戦前日本政府」を連想させます。
それにしても
指導部の末期症状 - 神谷貴行のブログ2025.5.30
日本共産党の党首だった不破哲三さん
と不破氏には敬称をつける一方で、
志位和夫『Q&A 共産主義と自由──『資本論』を導きに』(1/5) - 紙屋研究所2024.9.20
日本共産党の志位和夫がローザ・ルクセンブルク財団本部で理論交流を行い
高校の政経の教科書から考える——志位和夫の『資本論』ゼミを聞いて思ったこと - 紙屋研究所2025.5.12
今回のような志位の講演
等と志位氏は「さん、氏」などの「敬称」も、「議長」等の「役職名」も無しで「呼び捨て」(呆)
だからといって、紙屋が不破氏を尊敬してるとは全く思いませんが。
*1:川端氏は日本女子大名誉教授。著書に『オーウェルのマザー・グース』(1998年、平凡社選書→増補版、2021年、岩波現代文庫)、『「動物農場」:ことば・政治・歌』(2005年、みすず書房)、『ジョージ・ベストがいた:マンチェスター・ユナイテッドの伝説』(2010年、平凡社新書)、『葉蘭をめぐる冒険:イギリス文化・文学論』(2013年、みすず書房)、『ウィリアム・モリスの遺したもの:デザイン・社会主義・手しごと・文学』(2016年、岩波書店)、『ジョージ・オーウェル』(2020年、岩波新書)、『オーウェル『一九八四年』:ディストピアを生き抜くために』(2022年、慶應義塾大学出版会)等
*2:少なくとも主観的には批判であっていじめでもなければ、楽しんでもないと思いますが。