兵庫知事、不信任案可否が焦点に 衆院選迫り各会派難しい判断迫られる - 産経ニュース
86議席中「自民37、維新21*1、公明13、立民系のひょうご県民連合9、共産2*2、無所属4」だそうですが、維新以外には知事(維新系)を積極的にかばう動機はないでしょうが問題は不信任案が提出されたとして「維新が賛成するかどうか」「維新が反対した場合、どういう展開になるか」ですね。
「維新が全員反対*3」でも「他が全員賛成すれば不信任案議決はできます」が、自民や公明は「維新が反対」だと腰砕けになる危険がある反面、「最近の支持率低迷(知事をかばうと余計支持率が下がる)」で維新が知事の切り捨てに動く可能性もあり、現時点では「不信任案が提出されるかどうか」も含め何とも動向が読めません。勿論「今は居直ってる知事」も「もはや逃げ切れない(不信任案が議決されるし、その場合、議会解散で対抗しても維新の議席が減るだけでかえって知事が苦境になる)」と観念し、岸田のように辞意表明する可能性もゼロではないでしょう。
【追記】
出直し選でも斎藤氏支援せず 維新、9日に辞職要求 兵庫知事文書問題巡り - 産経ニュース
ついに維新も「斎藤切り」に動くようです。
「出直し再選挙では前回のような自民、維新共闘は恐らく無理(維新知事はほぼあり得ない、自民系か立民系になる)」「斎藤氏が『こうなったら維新も道連れにする』と不信任案議決に、逆ギレで議会解散したら維新の議席減は確実」でしょうが「維新以外全ての会派(自民、公明、共産)が、県民連合の提出する不信任案に賛成の見込み」の中「維新だけ反対」ではイメージダウンで「仮に自民総裁選挙後、解散総選挙なら大敗は避けられない」「当初かばったので、今から知事を切ってもダメージゼロではないが、かばい続けるよりマシ、維新系知事の消滅や逆ギレ解散による議席減リスクは我慢する」と判断したようです。果たして斎藤氏は
1)岸田のように観念して辞意表明か(勿論それ狙いでの維新の斎藤氏への通告でしょうが)
2)不信任案議決後に辞意表明か、
3)「逆ギレ議会解散→不信任案再可決」後に辞意表明か。いずれにせよ「3」と言う形ですらもはや「辞任は不可避」でしょう。
なお、さすがに辞任したら「再出馬」はしないのではないか(維新も「再出馬しても支持しない」で斎藤切りをアピールしてるだけで再出馬がありうるとは考えてないでしょう)。それとも「そこまで醜態をさらす」のが斎藤氏なのか。
NHK放送文化研究所が中高校生を対象に令和4年に実施した調査(1183人回答)では、結婚後に夫婦別姓を望む回答はわずか7・0%しかいない。
恐らくは「あなたは結婚後、夫婦別姓にしますか」と聞いた場合に賛成意見が少ないと言うだけの話でしょう。
問題になってるのは「選択的別姓」なのだから、考慮すべきは「あなたは選択的夫婦別姓制度の導入に賛成しますか」であり「他人が夫婦別姓にしたいならすればいい(私はしないが)」が今や大多数でしょう。「別姓強制」ではなく選択制なのに、反対するまともな理由が何処にあるのか。
なお、夫婦別姓(あるいは同性婚)の場合がわかりやすいですが「自分がするか(やりたいか)」と「他人がすることを容認するか」は違います。
例えば「被選挙権年齢の18歳引き下げ(現状は参院議員、知事が30歳、それ以外が25歳)」に高校生や大学生が賛成しても、それは引き下げられたら自分が出馬するという話では必ずしもない。
「日本共産党の党首公選制」を主張する事(例:松竹)は「公選制になったら自分が出馬したい」(以下略)(そもそも党員でないと選挙権がない)。
「自民党や立民党の党首選挙」について「推薦人は不要として党員なら無条件で出馬できるべき」だと主張することは「その場合、自分が出馬したい」(以下略)。
その点を間違って、アンケート調査するととんでもない失敗になります。
世界の潮流に乗り遅れるとの意見も承知しているが、こう愚考している。日本は日本のやり方でいいと認めるのもまた多様性ではないかと。
「例は何でもいい」ですが、夫婦別姓に限らず「死刑廃止」「同性婚合法化」「女性天皇」(いずれも世界的な潮流)などでも産経らウヨから語られる「反対意見(世界の潮流など関係ない)」ではあります。一方で「例は何でもいい」ですが、例えば「憲法九条」については「日本の独自性(左派、リベラル派の立場)」として認めようとはせず「世界の常識に反する」呼ばわりだから全くデタラメですが。
なお、その理屈だと、産経が批判する「共産党一党独裁(現状だと中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバ、過去においてはソ連、旧東欧、カンボジアなど)」「イスラム神権体制(イラン、アフガンのタリバン)」なんかも多様性になります。
しかし、多様性とはあくまでも「LGBTなど」少数派(マイノリティ)の人権擁護が目的であり、人権擁護に反する多様性など論外でしょう。
多様性それ自体に意味があるわけではない。