【最初に追記】
高倉健とのコンビで知られる映画監督の降旗康男氏が亡くなった - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で拙記事をご紹介頂きました。いつもありがとうございます。
【追記終わり】
高倉さんは、昭和31年に映画デビューする。昨日訃報が伝えられた降旗康男監督は、その翌年に東映東京撮影所に入社した。撮影所で出会った二人がコンビを組んだ作品は、『鉄道員』を含めて20本にも及ぶ。
・『獄中の顔役』(1968年)
・『新網走番外地 流人岬の血斗』(1969年)
・『捨て身のならず者』、『新網走番外地 大森林の決斗』、『新網走番外地 吹雪のはぐれ狼』(1970年)
・『ごろつき無宿』、『新網走番外地 嵐を呼ぶ知床岬』、『新網走番外地 吹雪の大脱走』(1971年)
・『新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義』(1972年)
・『冬の華』(1978年)
・『駅 STATION』(1981年)
・『居酒屋兆治』(1983年)
・『夜叉』(1985年)
・『あ・うん』(1989年)
・『鉄道員』(ぽっぽや)(1999年)
・『ホタル』(2001年)
・『単騎、千里を走る。』(2005年)
・『あなたへ』(2012年)
などですね。
・昨日訃報が伝えられた降旗康男監督は(中略)実は(ボーガス注:降旗氏の祖父と父が政治家という)2代続く政治家の家に生まれた。父親の徳弥氏は、吉田茂内閣で逓信大臣を務め、その後故郷の長野県松本市の市長となる。
・(ボーガス注:徳弥氏の)3人の息子はいずれも政治嫌い。(ボーガス注:映画監督となり、また熱心な共産党支持者である?)降旗さんは、なかでも変わり種と新聞で紹介されている。財産を政治で使い果たし、『井戸塀*1二代』と題した回想録を残した父親について、不器用で一本気な政治家だったと振り返っていた。
「へえ?」ですね。父親がどんな政治家なのか知りませんが、そんな降旗氏は
各界著名59氏が表明/「日本共産党の躍進に期待します」
戦意高揚 加担せぬ/高畑勲・降旗康男・山田洋次監督ら/秘密法反対映画人の会
都議選 “共産党の躍進に期待します”/著名人51氏がエール
などでわかるように父親とは違い、共産党支持の立場だったわけです。そして政治家の息子でありながら安倍*2現首相や石破*3元自民党幹事長、小泉*4元首相や福田康夫*5元首相のようには世襲政治家にはならなかったわけです。
【参考:井戸塀について】
一滴の水: 井戸塀政治家
30数年前韓国ロビーストとして著名な参議院議員がいた。
議員になる前は産經新聞の政治記者だった。
記者時代は杉並区和田にある平屋の小さな都営住宅の住民だった。
ひとり娘はバレリーナで、親交があった。
その娘からホームパーティへの誘いがあった。
二期目に入った議員の住まいは、武蔵野・御殿山の高級住宅に移っていた。
これを機会に、この家族の誘いは一切断っている。
昔は資産家や有力者が政治家になった。
しかし辞める時には「井戸と塀」しか残っていないと言われた。
清廉潔白な人物が私財を投げ打って国のために尽くしたのである。
今は県営住宅から立候補し、引退する時には大御殿に暮らしている。
これも「金とモノ」にしか価値観を持たなくなった結果なのか。
どんなに時代が変わろうとも、小生が憧れ尊敬してやまない政治家は、田中正造(後日記す)ただひとりだ。
井戸塀代議士 佐藤清文
・「井戸塀」とは、政治活動や選挙運動に私財をつぎこみ、最後には井戸と塀しか残らない代議士を意味する。これは、「政治家たるもの公でなくてはいかん」という美談や「政界に足を踏み入れると財産をなくす」という警句として語り継がれている。
・藤山愛一郎元経済企画庁長官は「最後の井戸塀政治家」と呼ばれているが、最も有名なのは田中正造だろう。この伝説の代議士が亡くなったとき、井戸と塀どころか、持ち物は信玄袋一つだけだったと伝えられている。
彼は几帳面な人物で、第一回衆議院議員選挙の際の歳出入を帳面に残している。それによると、選挙運動費は3400円なのに対し、議員歳費は800円である。かりに4年の任期満了でも歳費だけでは選挙費用でさえ賄いきれない。しかも、明治32年(1899年)に成立した議員歳費値上げに(ボーガス注:国民が苦しい生活なのに政治家がそんなことをするのはおかしいと)反対し、歳費を全額辞退している。田中正造は、結局、代議士としての政治活動やその後の足尾銅山鉱毒反対運動で私財すべてを使い果たしている。彼は、間違いなく、近代日本における政治家の理想像だと言ってよい。
・「井戸塀」には、実は、さらに含意がある。それは、井戸と塀しか残らないのだから、代議士は一代限りで、(ボーガス注:たとえば三代世襲の安倍晋三のようには)世襲などできないという意味である。実際、戦前は世襲代議士がほとんどいない。戦後も初めの頃は、吉田茂*6でさえも、政治資金は三女和子の婿麻生太賀吉*7に頼っている。炭鉱王だった麻生は九州各地の別荘を売り払って工面し、吉田の首相在任中に、その資産は半分に減っている。吉田の息子健一は、周囲が何と言おうと、政界入りを拒否*8し、戦後を代表する文芸批評家の一人となっている。
「絹のハンカチ」藤山愛一郎の夢は叶わなかった | 文春写真館 - 文藝春秋BOOKS
巨額の私財を投じて政治活動にまい進し、自民党総裁選に四度挑戦した藤山愛一郎は、ついに夢を果たすことはかなわず、「絹のハンカチが雑巾になった」と評された。晩年、財産として井戸と塀しか残らなかったという意味で「最後の井戸塀政治家」とも呼ばれた。
明治三十年(一八九七年)、東京生まれ。父は王子製紙の重役だった。
父が築いた藤山コンツェルン傘下の大日本製糖社長となる。日東化学工業や日本金銭登録機の社長を経て、昭和十六年(一九四一年)、四十代の若さで日本商工会議所の会頭に就任する。
終戦後、公職追放にあうが、昭和二十五年に復帰。翌年、日本商工会議所会頭に再任される。その後、初代日本航空会長にも就任した。
昭和三十二年、民間人のまま、岸*9内閣の外務大臣に就任する。昭和三十三年の総選挙で衆議院に当選。外相として、日米安全保障条約改正に取り組んだ。
昭和三十五年、岸内閣退陣にともない、自民党総裁選に出馬したが、池田勇人*10に敗れた。その後、岸派から離脱し、自らの派閥を立ち上げた。自民党総務会長、経済企画庁長官を歴任。その後も三度総裁選に立候補したが、いずれも敗れた。この間、派閥の維持と総裁選に莫大な私財を投じたため、資産を失うことになる。
一方で、親中国派*11議員として活動、昭和四十五年十二月、日中国交回復促進議員連盟を結成し、政界引退後も国際貿易促進協会会長を務め中国とのパイプ役を担った。昭和六十年没。
第111回 藤山愛一郎(その二)岸信介の要請で外務大臣に就任。そして日本最後の「井戸塀政治家」へ---(福田 和也) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)
「井戸塀政治家」という言葉をご存じだろうか。
国事のために自らの財をはたいて奔走し、結局残ったのは「井戸」と「塀」だけという、今では絶滅したのではないかと思われる、殊勝な政治家のことである。
藤山愛一郎は日本における最後の「井戸塀政治家」といえるのではないだろうか。
第111回 藤山愛一郎(その二)岸信介の要請で外務大臣に就任。そして日本最後の「井戸塀政治家」へ---(福田 和也) | 現代ビジネス | 講談社(2/2)
保阪正康*12の「『藤山愛一郎』を裸にした男」(『新潮45』1993年10月号)によれば、愛一郎は新聞記者に、「父の財産には手をつけない。しかし父からもらった財産は私のだから、そのすべてを政治に使う」と洩らしたという。
「父からもらった財産」というのは、株、土地、家屋などで、その総額は、当時の貨幣価値で100億円をはるかに超え、150億から200億円であったと推定される。
同記事によると、「すべてを政治に使う」と言いながら、実際のところは「30億か40億ほどだろう」と予想していたらしい。
まさか本当に全財産を失うことになるなどとは思っていなかったのだ。
第112回 藤山愛一郎(その三)選挙資金調達で財産を使い果たす。だが、「いささかも悔いは残らない」(福田 和也) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)
・昭和33年5月の総選挙である。この選挙で愛一郎は議席を獲得したが、『政治わが道 藤山愛一郎回想録』では選挙資金について、こう記されている。
「まったくの素人だったこともあって、かなりの額を注ぎ込まねばならなかった。選挙通と自称する、いわゆる選挙ゴロのブローカーが寄ってたかって『この地区はいくら票が出るから、このくらい出しなさい』といって持っていく。(中略)選挙が終わった後でもまだ、ブローカーたちは『あなたのために、部屋を借りて運動した』などといって、部屋代や電話代、自動車賃などのツケを回してきた」
・安保改定の国内調整が進んでいるさなか、当時自民党の幹事長だった川島正次郎*13が愛一郎の事務所を訪れ、「安保をPRしなければならない。カネを出してほしい」と言い、1000万円を出したら、翌週また来て「もう1000万円・・・・・・」と、さらに1000万円持っていったという。
・総裁選がきっかけとなって、党内に藤山派が誕生し、「藤友会」と名づけられた。
この派閥がまた、金喰い虫となった。
「同志の選挙の応援以外に、盆、暮れには慣例となっている『中元』『モチ代』がいる。それに、総裁選挙のときには、こちらの陣営の人たちに『活動費』を渡さなければならない。このような場合の『金一封』の単位は、最初のころの30万円から100万円、佐藤*14政権になってから、そのベースが少なくとも2倍にはなった」(同前)
「『藤山愛一郎』を裸にした男」(保阪正康)によれば、藤山派と称する政治家のなかには同志のふりをしてカネをもらい、全く動かなかった人も少なくなかったという。またそういう輩は、飲食代や芸者代など、あらゆる領収書を愛一郎のもとに送り付け、その支払いに愛一郎の金はどんどん流れていったのである。
39年、愛一郎は再び総裁選に挑んだ。今度は三選を目指す池田勇人、佐藤栄作、愛一郎三人の争いであったが、これが現在も語り継がれるほどの〝超金権選挙〟となった。
1人100万円という金一封がばらまかれ、二派から金をもらう人間は「ニッカ」、三派から金をもらう人間は「サントリー」と呼ばれた。
結果は池田が242票、佐藤が160票、愛一郎が72票だった。
この選挙に愛一郎は運動費を含めて10億円を使ったと言われている。
選挙資金調達のために、愛一郎は本邸と土地を売った。
大口の購入先は近畿日本鉄道。1万5100平方メートルの土地と本邸で総額9億3000万円だったという。
総裁選後すぐ、秘蔵の絵画コレクションも手放すことになる。
ピカソ、マチス、ルノワール、岸田劉生、梅原龍三郎、安井曽太郎などの作品を合わせ、10億円近い価値があるといわれていた。
贋物も多かったという説はあるものの、億単位で売れたことは確かだ。
財界の友人たちは、自分の金を出さずに財界から集めろ、と助言したが、愛一郎は全く聞く耳を持たなかったという。
昭和41年12月の総裁選に愛一郎は、佐藤栄作に対抗して出馬したが、敗退。
43年の総裁選では佐藤の三選を阻止しようと出馬の意志を示したが、結局立候補しなかった。この頃、藤山派はわずか六人になっていた。
50年2月、舌がんが発見され、9月には政界引退を表明。晩年は車いす生活となり、60年2月22日死去した。
最後に残ったのは、六本木のマンションと京橋の六階建てのビルのみであったという。
愛一郎は自らの政治家人生をこう振り返っている。
「自分自身で考えていた言動をすべて尽くしたわけではないとしても、ある程度までわがままを通したし、ある程度まで行動したという気がする。その意味ではこの18年は思い出多いとともに、そうそう本質を曲げないでやってきたという満足感もある。いささかも悔いは残らない」(同前)
【参考:吉田健一について】
■吉田健一(1912年(明治45年)~1977年(昭和52年):ウィキペディア参照)
・三島由紀夫とは、友人だったが、1960年代前半に仲違いしている。一説によると、三島が新居に移った時、部屋に置いてある家具の値段を吉田が大声で次々と値踏みしたのがきっかけだったともいう。また、ジョン・ネイスン『三島由紀夫-ある評伝』(新潮社)によると、「鉢の木会」の月例会の席上、三島の書き下ろし長編『鏡子の家』を、その面前で「こんなものしか書けないんだったら、会からは出てもらわなくちゃな」と酷評した事も大きいとされる。さらに、三島がモデル小説『宴のあと』に関して有田八郎元外相(第一次近衛、平沼、米内内閣)と揉めた際、有田と旧知の間柄(有田は父・茂の元同僚)だった吉田が、間に入り事態の収拾にあたった事を三島が「有田の肩を持っている」と悪く取ったためとも言われている。
・父・吉田茂(1878~1967年)の実像を最もよく知る人物であるが、父の思い出を語ることは多くなかった。一説には、母・雪子の死(1941年10月7日死去。享年53歳)後に父が長年関係があった新橋の芸者こりん(本名は坂本喜代)を、事実上の後妻として迎えたことに健一が反発していたからだと言われている。
■著書
・『英国の文学』、『ヨオロッパの世紀末』(岩波文庫)
・『旨いものはうまい』 (角川春樹事務所グルメ文庫)
・『英国の文学の横道』、『英語と英国と英国人』、『交遊録』、『東西文学論・日本の現代文学』、『文学概論』、『文学人生案内』、『文学の楽しみ』、『ヨオロッパの人間』、『ロンドンの味』(講談社文芸文庫)
・『英国に就て』、『東京の昔』(ちくま学芸文庫)
・『私の古生物誌』(ちくま文庫)
・『汽車旅の酒』、『書架記』、『父のこと』、『わが人生処方』、『私の食物誌』(中公文庫)など
日米首脳会談 トランプ米大統領に抱きつく安倍首相と、媚びないメーガン妃の違いとは(木村正人) - 個人 - Yahoo!ニュース
タイトル「トランプ米大統領に抱きつく安倍首相と、媚びないメーガン妃」から予想できる通りの内容、つまりは「安倍批判の一種」です。
しかしこの文章の書き手・木村が「元産経ロンドン支局長」というのだからびっくりです。産経を辞めることで木村は「安倍への悪口が気軽に言える」ようになったのでしょう。
一方、産経を辞めたら逆に「安倍万歳にブーストがかかったバカ」が福島香織です(苦笑)。
なお、なぜメーガン妃がトランプに距離を置くかといったら「彼女(元ハリウッド女優)がリベラル派だから」というのもあるでしょうが、結局の所、英国王室が「英国保守党支持者も英国労働党支持者も、つまり英国民の多数がトランプに距離を置いてるのに王室がトランプに接近しても国民多数の反発を買って王室の将来が危うくなるだけだ」と認識してるからでしょう。
裏返せば「日本人多数にはトランプに対する批判意識がまるでない」という話の訳ですが。
■どうでもいい話「文科省幹部の名前がルビがないと読めない人間ばかりで困る」
「捜査に協力し、厳正に対処」 キャリア官僚逮捕で文科省 - 産経ニュースに出てくる「生川浩史(いくかわ・ひろし)官房長」も「おいかわ?、いくかわ?」「ひろふみ?、ひろし?」ですが他も「何だかなあ」揃いであることに気づきました。前川元次官はルビなしで読めますが。以下は「俺はこれはルビがないと読めないな」という方だけを紹介しておきます。
幹部名簿:文部科学省
【大臣官房】
・文部科学審議官
芦立訓(あしだて・さとし)
・総括審議官
瀧本寛(たきもと・ゆたか)
・審議官(総合教育政策局担当)
平野統三(ひらの・むねみつ)
・人事課長
池田貴城(いけだ・たかくに)
・政策課長
柿田恭良(かきた・やすよし)
・国際課長
奈良哲(なら・さとし)
・総務調整官(国会担当)
南野圭史*15(のうの・けいし)
【総合教育政策局】
・政策課長
寺門成真(てらかど・しげちか)
・生涯学習推進課長
根本幸枝(ねもと・こうえ)
・地域学習推進課長
中野理美*16(なかの・りみ)
【初等中等教育局】
・局長
永山賀久(ながやま・よしひさ)
・初等中等教育企画課長
望月禎(もちづき・ただし)
【研究振興局】
・参事官(ナノテクノロジー・物質・材料担当)
黒澤弘義(くろさわ・ひろき)
【研究開発局】
・地震・防災研究課長
工藤雄之(くどう・かつゆき)
【スポーツ庁】
・国際課長
粂川泰一(くめかわ・ひろかず)
まあ、「超難読」ではないものの、あまりポピュラーな名前の読み方ではないですね。
「捜査に協力し、厳正に対処」 キャリア官僚逮捕で文科省 - 産経ニュース
自宅だけでなく職場でも注射器が発見されたというのだから完全に病気ですね。発覚の危険が高いし、普通、職場でやろうとは思わないでしょう。さすがにそこまで依存症になると行動に異常性が出て、周囲から通報され、いわゆる麻取の捜査対象になるということでしょうか。
同省の生川浩史官房長は28日、「一連の不祥事からの信頼回復に全省をあげて取り組んでいるさなかで、誠に遺憾。捜査に最大限に協力して、全容の解明を踏まえ厳正に対処する」とのコメントを発表した。
まあ立場上、こう言わざるを得ないでしょうが、「佐野太科学技術・学術政策局長、川端和明国際統括官(役職は当時)の東京医科大等からの収賄(生川官房長のいう「一連の不祥事」)」や「高石邦男・元文部次官のリクルート汚職」のような権力犯罪ではなく、個人的犯罪ですからねえ。「他にも逮捕者が出て文科省内で覚醒剤が蔓延していた疑いが浮上しない限り」、俺個人はあまり「組織としての文科省」を非難する気はありません。
児童ら19人刺され2人死亡 自殺の51歳男、計画的犯行か 川崎襲撃事件 - 産経ニュース
犯行直後、自殺とは意味不明ですね。殺された方々も実に不運です。こういう事件はどう見ても「殺された側に非がある(例:嫁いびりに耐えかねた嫁が姑を殺害)」という話ではないでしょう。いや「非があれば殺していい」という話ではないですが。
【政界徒然草】与党、丸山氏への懲罰動議を模索か 「女性の店へ」発言発覚で事態一変(1/4ページ) - 産経ニュース
「前例を作りたくない」て「自民はアホと違うか」ですね。丸山レベルの暴言なら辞任勧告が出ておかしくないし、そういう自民は「今後、丸山レベルの暴言が自民から出る可能性がある」とか「今思えば、過去にされた自民議員のAという暴言が丸山レベルだった」とかいうのか。
事態は22日に急変した。丸山氏が「戦争」発言をした際、大声で「女性のいる店で飲ませろ」などと語り、禁止されている宿舎からの外出を試みたことなどが判明したのだ。
関係者によると、丸山氏は「俺は日本の国会議員で不逮捕特権がある*17」などと話し、政府関係者が玄関先で羽交い締めにして止めたという。「失言したら即決議案」という前例ができることへの懸念とは、別次元の問題になりつつあるとの指摘もある。
というよりは「前例ガー」への評判が悪い中、「方針変更の口実」を「戦争発言」以外に別に求めたというだけでしょう。
*1:「井戸塀政治家」の略。「選挙など政治活動に金をつぎ込んで、その結果、屋敷を売り払い、井戸と塀しか残らなくなった」という意味で「選挙など政治活動に金がかかることのたとえ」。あるいは「政治活動で利権をあさらないクリーンな政治家」のたとえ。政治に金をつぎ込んだ結果、親の代からの藤山財閥を崩壊させたといわれる藤山愛一郎(自民党藤山派総帥。岸内閣外相、自民党総務会長(池田総裁時代)、池田、佐藤内閣経企庁長官など歴任)が「井戸塀」の例として良くあげられる。あるいは「足尾鉱毒事件の田中正造」なども井戸塀でしょう。最近はあまり使われない言葉かと思います。まあ、野党はともかく与党に今、そんな政治家がいるかどうか。
*2:岸信介元首相の孫、安倍晋太郎元自民党幹事長(竹下総裁時代)の息子
*3:鳥取県知事、自治相(鈴木善幸内閣)などを歴任した石破二朗の息子
*7:麻生炭鉱社長。麻生太郎・現第四次安倍内閣副総理・財務相の父。
*8:まあ吉田健一の場合政治家に興味もなかったし、母の死後、愛人を父・吉田茂が事実上の後妻にしたことで仲が悪かったそうですが(ウィキペディア「吉田健一」参照)
*9:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相
*10:元大蔵次官。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相などを経て首相
*11:岸内閣外相就任時において既に藤山は「中国ビジネスを重視する財界人」として有名でした。つまりはあの「台湾ロビー」岸ですら「中国ビジネスをそれなりに重視していた」ということです。
*12:著書『死なう団事件:軍国主義下のカルト教団』、『眞説 光クラブ事件:戦後金融犯罪の真実と闇』(以上、角川文庫)、『60年安保闘争』(講談社現代新書)、『農村青年社事件:昭和アナキストの見た幻』(筑摩選書)、『五・一五事件』、『孫文の辛亥革命を助けた日本人』、『東條英機と天皇の時代』、『三島由紀夫と楯の会事件』(以上、ちくま文庫)、『後藤田正晴』、『陸軍省軍務局と日米開戦』(以上、中公文庫)、『蒋介石』(文春新書)、『「きけわだつみのこえ」の戦後史』、『参謀の昭和史 瀬島龍三』(以上、文春文庫)、『松本清張と昭和史』(平凡社新書)など
*13:自民党川島派総帥。吉田内閣行政管理庁長官、自民党幹事長(岸総裁時代)、池田内閣北海道開発庁長官、自民党副総裁(池田、佐藤総裁時代)など歴任
*14:吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相、科学技術庁長官などを経て首相
*15:小泉内閣の南野法相が「のうの」と読みますが「南野陽子」は「みなみの」です。
*17:不逮捕特権があるのは「日本の捜査当局」に対してであってロシアは関係ありませんし、不逮捕特権は「現行犯逮捕」の場合には及びません。現行犯逮捕でも「国会の要求があれば釈放する必要があります」がこんな話で釈放要求が出るわけもない。また不逮捕特権があっても国会が許諾すれば逮捕は可能です。丸山の主張は全くのデタラメです。