ペマ・ギャルポの証言「現在のチベットは文化大革命時代と同じ弾圧下にある」(2019年6月30日 講演会報告) | 一般社団法人 アジア自由民主連帯協議会
いくら何でもさすがに文革よりはマシでしょう。
こんなんは「今のトランプ米国はマッカーシー赤狩りと同じ状況」「今のロシアはスターリン粛清と同じ状況」「今の日本は戦前ファシズムと同じ状況」並に無茶でしょう。
デマも大概にしてほしいですね。台湾に中国が軍事侵攻するとでも言うのか。
ウイグルから香港まで......中国の欺瞞政策が「火薬庫」をつくる | 楊海英 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
・中国共産党は1921年に結成された直後は、開明的な民族政策を打ち出していた。22年7月には、「モンゴルとチベット、回疆(イスラムの新疆)を民族自治連邦とする」と宣言。
1927年になると、共産党と中華民国の政権与党・国民党との対立が激しくなる。国民党は孫文の思想を受け継ぎ、民族同化政策を推進。例えば漢民族を内モンゴルに入植させて、モンゴル人の草原を耕地化した。共産党は国民党の同化政策を「反動」「反革命」と非難し、モンゴル人の支持を取り付けた。
1931年11月に共産党が江西省に中華ソビエト共和国を樹立。その憲法大綱に「諸民族に自決権を与え、中国から離脱して独立国家を樹立する権利を認める」と定めた。その後、国民党軍の掃討を受けて中国北部へ逃亡する際も、「チベット人の独立を支持する」とのスローガンを掲げていた。
内モンゴルに程近い陝西省延安に到着した後の1935年12月、毛沢東は宣言書を公布した。
「モンゴル人はコーカサス*2諸民族やポーランド人が(帝政ロシアから)独立したように、独立と自由の権利を有する」。
毛の民族自決を容認する姿勢に感動したモンゴル人は共産党を支持し、中華民国を打倒するのに協力を惜しまなかった。
結局、全ては裏切られた。1949年に共産党が打ち立てたのは民主連邦ではなく、人民共和国だった。自治区や自治州などを設置しても、実権を握る共産党書記は漢民族
毛沢東ら中国共産党指導部が約束を破ったと悪口する楊です。
この楊の指摘が正しいとして
1)蒋介石が内戦に勝利したとしてもチベット、ウイグル、内モンゴルの独立はなかった
2)プンワン(プンツォク・ワンギャル)が中国共産党に入党したのはある意味自然なことであった(このあたりのことは阿部治平の『もうひとつのチベット現代史:プンツォク=ワンギェルの夢と革命の生涯』(2006年、明石書店)が詳しいですが)
とはいえるでしょう。
そして、1)だからこそ楊が「中国共産党どころか漢民族全体を敵視し日本ウヨにこびへつらう転落の道に進んだ」ことも容易に想像がつきます。まあ楊の態度は最低最悪ですが。
CNN.co.jp : 「女性は魅力的でなければ」 ダライ・ラマが失言で謝罪
ダライ・ラマ、女性めぐる発言で謝罪=「より魅力的でないと」:時事ドットコム
ダライが聖人でも何でもないろくでも人間であることがよく分かるニュースだと思います。ダライと「その取り巻き連中」にはいつもながら軽蔑や憎悪と言ったネガティブな感情しか感じません。
それにしてもダライを謝罪に追い込んだ英国民(勿論中国シンパではない)は実に立派です。
トルコ大統領、中国非難から一転「ウイグルの人々は幸せに暮らしている」 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
トルコ大統領、新疆に肯定的 「人々は幸せに生活」=中国メディア - ロイターニュース - 国際:朝日新聞デジタル
トルコ大統領、中国非難から一転「ウイグルの人々は幸せに暮らしている」 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
・中国を訪問中のトルコのレジェプ・タイップ・エルドアン*3大統領は2日、習近平*4国家主席との首脳会談の中でこれまでの姿勢を一転させ、新疆ウイグル自治区の少数民族は幸せに暮らしていると語った。
同自治区ではウイグル人らイスラム系を主とする100万人以上の少数民族が施設に収容されているとみられ、中国政府による弾圧への批判が高まっている。
こうした中国政府のウイグル政策について、イスラム教国はおおかた沈黙を貫いていたが、トルコ外務省は2月に声明を発表。イスラム教徒でチュルク語系の言葉を話すウイグル人に対する中国政府の措置は「人類にとって大きな恥だ」と非難していた。
しかし新華社によると、2日に北京の人民大会堂で習氏と会談したエルドアン大統領は、批判的だった態度を軟化させ「トルコは常に『一つの中国』原則を支持している」と述べ「新疆ウイグル自治区の多様な民族が、中国繁栄の恩恵を受けて幸せに暮らしていることは確固たる事実だ。トルコは、同自治区と中国の関係に亀裂を生じさせようとする者を許さない」などと強調した。
AFPや朝日などの報道が事実だとしてこの掌返しは一体何なんでしょうか?。中国への非難は最初から「中国から何らかの譲歩を引き出すための計算に過ぎなかった(そして何らかの譲歩が得られた)」のか。はたまた「中国から強烈な反撃を食らって腰砕けになった」のか。