「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年7/4分:荒木和博の巻)

「オレやら!」放送拡大【調査会NEWS3021】(R01.7.3): 荒木和博BLOG

<特定失踪者データ>
◎氏名:宮本直樹
◎失踪年月日:平成14(2002)年3月3日

 小泉訪朝が「平成14(2002)年9月」なので常識的に考えて拉致の訳がない。まあ荒木だと小泉訪朝後の失踪すら平気で特定失踪者認定ですが。

◎失踪の状況:
 3日午後3時半頃、「今夜は夕飯いらない」と言って東京都荒川区の自宅を出ていった。その夜は友人のところへ行ったのだろうと両親は全く心配しなかったが、5日朝、福岡県新門司港海上保安庁より電話で「3日19時10分東京発のフェリー船室に荷物だけ残し本人が見あたらない」との連絡。荷物には免許証、財布、眼鏡、コンタクトレンズなど身の周りのもの一切が残されていた。東京湾フェリー乗り場から乗ったと思われるが、降りた形跡なし。同フェリーは朝5時に新門司港(福岡)着。

 フェリーに乗って「降りた形跡が本当にない」のであれば「自殺か他殺か、事故死(海に転落して死亡)」としか理解できないですよね。


第13回特別検証「能登東岸」について【調査会NEWS3022】(R01.7.4): 荒木和博BLOG

13:30 和倉温泉着・昼食

 「お前、和倉温泉に物見遊山に行ってるだけじゃねえのか」ですね。

<特定失踪者データ>
◎氏名:永島康浩
◎失踪年月日:平成14(2002)年4月30日

 「繰り返しますが」小泉訪朝が「平成14(2002)年9月」なので常識的に考えて拉致の訳がない。まあ荒木だと小泉訪朝後の失踪すら平気で特定失踪者認定ですが。

◎失踪年月日:平成14(2002)年4月30日
◎当時の居住地:栃木県国分寺町(現下野市
◎失踪の状況
 その年の10月4日夕方、国分寺町(当時)役場の方から自宅に電話が入り「康浩さんらしい人が病院に運ばれた」と連絡が入る。本人確認をしてもらおうと姉がその病院の番号に電話をすると、折り返し電話をくれるとのことでいったん切って待機する。しかし30分たっても連絡ないので、再び電話すると「現在使われておりません」のアナウンスがあった。

 普通に考えて
1)『国分寺町(当時)役場の方』とは何者なのか
2)いったん通じたが、その後、通じなくなった電話の番号とは一体何なのか
を調べる以外に手はないでしょうね。調べてもどうにもならなかったのでしょうが。