「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2023年5/13日分:荒木和博の巻)

◆荒木ツイート

荒木和博
 令和5年5月14日日曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1125号。55年前の青梅橋駅、現在の東大和市駅です。

 8分50秒の動画です。拉致とは全く関係なく荒木の「鉄道趣味」云々です。「青梅橋駅」については以下を紹介しておきます。

東大和市駅 - Wikipedia
 拝島線*1の駅。1950年の開業当時は「青梅橋駅」と称した。
 青梅橋は1963年に駅付近の野火止用水が暗渠化されたため現存しないが、「青梅橋交差点」として名前が残っている。また、交差点の近辺には青梅橋公園、青梅橋東公園、青梅橋医院など橋の名を冠した施設も存在している。
 1979年に駅名が変更されるが、これは青梅駅青梅線*2)に行きたい人が間違えて青梅橋駅で降りることが度々あり、当時の東大和市長が西武鉄道に駅名変更を打診したことで実現した。

青梅橋駅だった東大和市駅 | あきぼうのブログ
 青梅橋駅だったけれど野火止用水が暗渠化されたことで「青梅橋」が消失して、駅名が東大和市駅へと改称されてしまったとあります。

荒木和博
 令和5年5月12日金曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1123号。昭和40年代前半(1960年代後半)、各地で男子高校生が失踪します。

 7分14秒の動画です。

失踪者リスト | 特定失踪者問題調査会
【年齢は失踪時、日付は失踪日】
◆水島慎一、18歳、1968年2月9日
◆斉藤裕、18歳、1968年12月1日
今井裕、18歳、1969年3月2日
◆大屋敷正行、16歳、1969年7月27日

といったいつもの「特定失踪者」であり、北朝鮮拉致と見なすまともな根拠は何もありません。

荒木和博
 令和5年5月11日木曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1122号。よく聞かれる質問*3です。答えは「今やっているかどうかは分からないけれど、必要と思えばいつでもやるでしょう」になります。

 5分18秒の動画です。
 荒木ですら「今も間違いなくやってる」と放言できないのが興味深い。まあ「今やっているかどうかは分からないけれど、必要と思えばいつでもやるでしょう」でも十分非常識ですが。予想通りですが動画内で「体制変革しない限り拉致がなくなる保障はない」と放言です。荒木の目的が「拉致被害者救出」ではなく「北朝鮮体制打倒」であることがよくわかります。
 なお、ご存じの方もいるでしょうが荒木は

失踪者リスト | 特定失踪者問題調査会
【日付は失踪日】
◆角田麻衣(2002年11月13日)
◆沖田徳喜(2003年2月1日)
◆水嶋弥寿志(2003年9月8日)
◆高見到(2003年10月5日)

ということで「2002年9月の小泉訪朝以降の失踪者」も特定失踪者認定しています。
 なお、「もうやらない」「そもそもやりたくてもやれない」と考えるのが常識でしょう。
 「今後もやる気」なら小泉訪朝で拉致を認めるわけがない。そして「小泉訪朝時点」で既に「拉致を仮にしたくてもできはしない(勿論そもそもやる気もないでしょうが)」でしょう。日本の政府、社会に「拉致疑惑」がモロバレなのにそんなことができるわけがない。ましてや「末端の暴走で中央は知らなかった」という言い訳付きとは言え、「北朝鮮も自ら犯行を認めた今」やれるわけがない。
 そんな拉致行為を日本国内で許すほど日本警察も無能ではないでしょう。海外なら日本警察の影響力が及ばないとはいえ、有本恵子さんのように「騙されて北朝鮮に行く人間」もまずありえない(そもそも海外の警察もそんな行為を許さないのではないか?)。
 荒木の放言は「北朝鮮朝鮮戦争のように南侵する可能性があるか?」「自衛隊が旧軍の226事件、宮城事件のようなクーデターをやる危険性があるか?」と言う質問に「あります」と答えるくらい非常識です。
 なお、「自衛隊クーデター(あるいは日本軍国主義化)の恐怖」は少なくとも三島事件(1970年)、統合幕僚会議議長・栗栖弘臣の「超法規発言」(1978年)の影響もあって、1970年代においては「少なくとも一部左派」にとって「主観的」には「(可能性は低いとは言え)あります」でした。
 それがよくわかるのが、山上たつひこ『光る風』(1970年発表)、藤子不二雄A赤紙きたる』(1971年発表)、山本薩夫映画『皇帝のいない八月』(1978年公開)です。

*1:東京都小平市小平駅から昭島市拝島駅までを結ぶ、西武鉄道鉄道路線

*2:東京都立川市立川駅から東京都西多摩郡奥多摩町奥多摩駅を結ぶ東日本旅客鉄道JR東日本)の鉄道路線

*3:本当にそんな質問があるかは勿論怪しい。