「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年7/12分:高世仁の巻)

政治を口にすると「危ない人」になる日本 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 一般論として「芸能人の政治発言が珍しくない欧米と違い」日本において「自民党や財界を恐れてテレビ局、ラジオ局」がタレントの「政府批判的な」政治的発言を好まないこと、それが安倍政権になってからさらに悪化したことは事実でしょう。
 自民党から出馬するタレント議員(例:元テレ朝アナウンサーの丸川珠代*1)は珍しくなくても「社民党(後に民主党民進党立憲民主党)から出馬した横光克彦氏(テレビ朝日特捜最前線』の刑事役で人気)」のような野党タレント議員は多くはありません。
 ただし、高世が紹介する田村淳のコメントは「あまりにも抽象的すぎて」なんとも評価できないですね。
 何せ「テレビ局かラジオ局か」、「田村が司会なのか、コメンテーターなのか」、「なぜ田村は竹島発言ツイッターが下ろされた理由だと思ったのか、はっきりそのように相手から言われたのか」、具体的なことは何も分かりません(田村の発言は、彼が司会を務める文化放送の番組中でのものなので、この局が文化放送でないことだけは確かでしょうが)。
 そもそも「韓国に媚びてる」とウヨから非難されかねない発言、例えば

竹島問題では韓国の主張の方が正しいと思う」
竹島問題についてはもう島の返還は諦めてはどうか」
竹島問題について日本の言い分が正しいと決めつけるのはどうか、韓国の主張にも虚心坦懐に耳を傾けたい」
竹島問題については当面は棚上げにしたらどうか」
竹島の日記念式典を日韓関係に配慮して島根県はやめたらどうか」
「何らかのバーター取引しないと島は戻らないと思う」
竹島を北半分は日本、南半分は韓国とか、日韓共同統治とかしたらどうか」

ならまだしも、「竹島問題についてはICJに提訴したらどうか(田村ツイート)」で本当に下ろされたりするのか。
 もしかして「ICJで争う必要などない!。そんなことを言い出すなんて韓国の主張に一理あると認めてるようなもんだ!」「だから北方領土だってICJで争う必要はない!」つう非難なのか?(当たり前ですが「裁判で片をつける」つうのは一般論としていえば「相手に一理ある」と認めてるわけではありません。一般論で言うなら「交渉で解決しない」なら実力行使するわけに行かないし裁判のような法的手段以外には手はありません)
 それとも「そんな提訴を日本がしたら日韓関係が悪化する」という批判か?(安倍の無法をテレビ局がろくに非難しないことを考えるととてもそうは思えませんが)。
 もちろん仮に「田村の発言が事実だ」としても「具体的に説明すること」は「あまりにもリスキー」でしょうがこんな抽象的な発言を、高世のようにそのまま鵜呑みにする気には俺はなりませんね。田村の「思い込み」の可能性が否定できないからです。
 なお、政治的発言で下ろされた有名な話では「1973年のマエタケ(前田武彦)の『共産党万歳』事件(当時は田中角栄*2内閣)」がありますね。
 あるいは政府批判ではないのですが、落語家・5代目柳家つばめ(1928~1974年)*3が、NETテレビ(現在のテレビ朝日)の演芸番組で、新作落語佐藤栄作*4の正体』を演じ、佐藤首相(当時)を茶化したら*5、佐藤側の逆鱗に触れ、しばらくテレビから干されたなんて話もあります。
 なお、この『佐藤栄作』の話、つばめ『創作落語論』にも出てきます。
 「そんなもん佐藤栄作が首相を辞めたらできないじゃないか」「永久的に残るのが落語だ、あんたのは時事漫才だ」云々とよく言われたそうですが、つばめは著書において「すぐに消える時事落語で何が悪いのか。時事漫才があるなら時事落語があってもいいはずだ」「(つばめ落語の善し悪しはともかく)時事落語自体は一向に問題ないと思う」「古典落語をいつまでも同じようにやってるのではマンネリで飽きられる」と反論しています。
 どんな落語はともかく、つばめ落語の一席 : 芸の不思議、人の不思議によれば、つばめが演じた新作落語として『佐藤栄作』以外には

つばめ落語の一席 : 芸の不思議、人の不思議
『落語政談 私は栄ちゃんと呼ばれたい』(1971年、立風書房
1、吉田茂*6を偲ぶ
   「追悼落語の一席。」
2、佐藤栄作の正体
   「ドキュメンタリー落語の一席。」
3、大山升田宿命の対決
   「名勝負落語の一席。」
4、獄窓の美濃部亮吉*7
   「都政落語の一席。」
5、アメリカ第七艦隊
   「軍事評論落語のケツマツ。」
6、ゲバラ*8日記
   ※「○○落語」で締めくくっていない。
7、川端*9文学の秘密
   「ノーベル賞落語の一席。」
8、古狐ド・ゴール*10
   「外務省教育落語の一席。」
9、毛沢東本伝
   「マルクス・アンド・エンゲルス落語、の一席。」
10、沖縄の王様
   「東支那海落語の一席。」
11、大学誕生記
   「『大学誕生記』という、バーカバカシイお笑い。」
12、松下幸之助
   「人生希望落語の一席。」
13、佐藤栄作の一日
   「ノンフィクション落語の一席。」
14、風雲児ナセル*11
   「アラビア砂漠落語の一席。」
15、妖剣三島由紀夫
   「緊急特報落語の一席。」
■『'73版つばめ政談 角さんどーする』(1973年、立風書房
1、頼むぜ角さん
   「国民悲願落語の一席。」
2、佐藤栄作の正体
   「ドキュメンタリー落語の一席。」
3、吉田茂を偲ぶ
   「追悼落語の一席。」
4、タレント議員伝
   「『タレント議員伝』の中から、一龍斎貞鳳*12の解剖という、変人落語の一席。」
5、獄窓の美濃部亮吉
   「都政落語の一席。」
6、恍惚の人*13
   「老人問題究明落語の一席。」
7、妖剣三島由紀夫
   「緊急特報*14落語の一席。」
8、松下幸之助*15
   「人生希望落語の一席。」
9、発明物語
   「科学技術振興落語の一席。」
10、毛沢東*16本伝
   「マルクス・アンド・エンゲルス落語、の一席。」
11、真説岡田嘉子*17
   「シベリヤ落語の一席。」
12、日本列島改造論反論
   「爆弾落語の一席。」

の名前が挙げられています。「新作が珍しくなくなった」今はともかく「古典落語全盛」の1960~1970年代当時においてはかなりの異端児だった*18と言っていいでしょう(しかも彼の師匠である五代目柳家小さん古典落語の名手です*19)。
 それはともかく、今の「安倍にびびるマスコミ」よりはましかもしれませんが、つまり「安倍以前」にそうした問題がなかったわけでは全くありません。

参考

前田武彦(1929~2011年、ウィキペディア参照)
・1953年の開局間もないNHK放送作家になりラジオやテレビの台本を書くようになった。
■1960~1970年代の活躍
・1960年代に入ってからはタレント活動が本業となり、洋楽チャート番組『東芝ヒットパレード』(TBSラジオ)などラジオ番組にパーソナリティーとして出演した。また、1968年から放送された『夜のヒットスタジオ(夜ヒット)』(フジテレビ)では司会者を務め、マエタケの愛称で呼ばれる人気司会者となった。
・1969年11月、それまでの司会者・立川談志の降板を受け、日本テレビの演芸番組『笑点』の司会に就任、翌年12月まで務めた。前田は落語家ではなかったため、もともと短期間の約束で司会を引き受けたが、最終的にスケジュールの都合で降板するまで約1年に渡って司会を務めた。
・『笑点』では新オープニングテーマ(中村八大作曲)の作詞も行った。
・さらに、『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ、1969年~1971年)、『ゴールデン洋画劇場』(フジテレビ)の初代映画解説者(1971年~1973年)を務め、タレントとして絶頂期を迎えることとなる。
共産党万歳事件
 1973年夏、前田は参議院議員選挙大阪府選挙区補選で、日本共産党公認の沓脱タケ子を応援。そして応援演説中に「沓脱さんが当選したら、当日の夜ヒットでバンザイをします」と発言。沓脱は自民党公認の森下泰(元森下仁丹社長)を破り当選し、前田は約束を守り番組エンディング後に万歳をした(ただし、この時はフジテレビに配慮し「取りあえず形だけはやっとこう」として「共産党」の名を一切出さず、この日放送のゲストだった東京ロマンチカの三條正人に向けて「三條君、お疲れさま。バンザーイ」と言っただけだった)。直後は特に問題にならなかったが、この選挙が国政補欠選挙で初めて共産党候補が自民党候補を破った選挙であったことや、右派の週刊サンケイが「マエタケ、共産党候補当選にバンザイ」と記事にしたことなどから騒動に発展。それが反共・右派である当時のフジテレビオーナー・鹿内信隆の逆鱗に触れ、同年秋(1973年9月)には夜ヒットの司会降板に繋がった。さらに、その他の出演番組からも降板、もしくは番組自体が打ち切りになることが相次ぎ、前田はその後数年間に渡ってテレビ業界で冷飯を食う羽目になる。その一方でラジオでは、1978年4月から1979年12月まで文化放送平日朝の生ワイド番組『マエタケの朝は自由大通り』のパーソナリティを務めた(前田『マエタケのテレビ半生記』(2003年、いそっぷ社)参照)。
■メディア出演復帰
 1980年代前半になると、前田はTBSテレビ『朝のホットライン』(1982~1987年)にお天気キャスターとして出演、「お天気マン」と呼ばれて徐々にテレビ出演の機会を増やしていった。また、俳優として、TBSの連続ドラマ『想い出づくり。』(1981年、森昌子が演じる主人公の父親役)や映画『釣りバカ日誌』シリーズ1及び3~ 8(1988、1990年~1996年、松竹、第1作では秋山専務*20、第3~8作では堀田常務*21)などに出演した。
■死去
 2011年8月5日、肺炎のため都内の病院で死去。82歳没。生前最後の仕事は、亡くなる約1か月前の同年7月16日に放送されたTBSラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』へのゲスト出演だった。最後のテレビ出演は、2010年5月23日に放映されたフジテレビ『ボクらの時代』での小沢昭一大橋巨泉との対談であった。
 前田の死去を受けて、長年の友人であった大橋巨泉は「ボクにとっては良き先輩、影響を受けた人」、萩本欽一は「教科書のような存在でボクにとっては大きかった人」とそれぞれ故人を偲ぶコメントを発表している。『笑点』の前任司会者だった立川談志も、週刊現代の連載「立川談志時事放談 『いや、はや、ドーモ』」で前田を偲んだが、談志自身も同年11月にこの世を去った。

*1:第三次安倍内閣環境相

*2:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*3:著書『創作落語論』、『落語の世界』(2009年、河出文庫

*4:吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相などを経て首相

*5:別に批判というほどのものではありません。

*6:戦後、東久邇、幣原内閣外相を経て首相。

*7:戦前、法政大学教授。戦後、東京教育大学(今の筑波大学)教授、都知事

*8:1928~1967年。キューバ革命の指導者の一人。革命後はキューバ国立銀行総裁、工業大臣を務めるが最終的には(カストロ首相との意見対立から?)キューバを去り、ボリビアでゲリラ戦を展開中に、ボリビア政府軍に身柄拘束され銃殺された。

*9:作家。日本初のノーベル文学賞受賞者

*10:フランス大統領

*11:エジプトの首相、大統領を歴任

*12:1926~2016年。講談師。一時、参院議員(自民党)、三木、福田内閣環境政務次官を務めた。

*13:1972年に、認知症の介護をテーマとした有吉佐和子の小説『恍惚の人』が出版され194万部のベストセラーになり『恍惚の人』は当時の流行後にもなりました(ウィキペディア恍惚の人』参照)。「恍惚」とは「感動や喜びなどで放心状態にあること」を本来は言いますが有吉小説発表後は「認知症の婉曲表現」になります。もともとは「恥知らず(例:モリカケの安倍)」を意味した『破廉恥』が永井豪ハレンチ学園』のヒットでその後は『ハレンチ』とかく場合は『明るいエロ』を意味するようになったり、もともとは「反倫理的行為(例:安倍のモリカケ)」を意味した『不倫』がTBSドラマ『金曜日の妻たちへ』のヒットで『浮気』と言う意味で使われるようになったことと似たようなもんです。

*14:もちろん「緊急特報」とはいわゆる三島事件のことです。

*15:パナソニック創業者

*16:中国共産党主席

*17:女優。戦前、左翼活動を理由にソ連に亡命したこと(ただ死皮肉にもスターリン粛清で酷い目に遭う)で知られる。1972年にいったん日本に帰国しているが、1986年にソ連に戻り、1992年にモスクワで病死。

*18:ただし弟弟子の談志とは違い、人間的には誰からも愛されるタイプの好人物だったようですが

*19:小生の持ってる、三遊亭円丈『ご乱心』(主婦の友社)には「新作落語を持ちネタとするなら、新作落語に理解のない円生より、柳家つばめを認めている、新作落語に理解のある小さんの弟子になればよかった。小さんだって名人でしょう」と言われたという円丈が「自分は円生の方が好きだし、(人間性はともかく)落語家としての腕は円生の方が上だと思ってる」という下りが出てきます。ちなみに円丈同様、自作の新作落語を持ちネタとする川柳川柳(旧名・三遊亭さん生。いわゆる落語協会分裂騒動の際に、「三遊協会には参加しない」という意見を表明したため円生から破門され、小さんの弟子として『川柳川柳(かわやなぎ・せんりゅう)』を名乗ることになる)も「なぜ小さんの弟子に最初からならなかったのか」と聞かれたことがよくあるそうです。

*20:第2作では庄司永健が、第3作以降では加藤武が秋山専務を演じた。

*21:第9作以降では鶴田忍が堀田常務を演じた。