【追記】
1) 李英和氏の死があまり報じられないことが、対北朝鮮や拉致問題への関心の実情ではないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でこの拙記事をご紹介頂きました。ありがとうございます。
2)
黒坂真がツイート
Blogを更新しました。
黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 李英和教授(関西大)の「北朝鮮収容所半島」(小学館、平成7年刊行)より思う。2020年4月15日
少し前ですが、李英和・関西大教授がお亡くなりです。若い頃*1、李教授に北朝鮮と在日本朝鮮人総連合会の実状について、いろいろ教えて頂きました。李教授の「北朝鮮秘密集会の夜*2」「北朝鮮収容所半島*3」は、北朝鮮と在日本朝鮮人総連合会の実状を暴いています。左翼には未だタブー。
ということで李の死去報道から大分遅れてですが「島田や三浦に続いて」黒坂も李の死去に触れました。
それにしても「左翼には未だタブー」て(苦笑)。タブー云々以前に李なんてもはや世間から忘れ去られた存在と言っていいでしょうに。
そして今時「北朝鮮も朝鮮総連も一切批判しません」なんて左派がどこにいるのか。いずれにせよ「どんなつきあいをしていた」のか知りませんが黒坂、島田、三浦のような「レベルの低いプロ右翼」と付き合ったからこその「李の晩年の惨状」なのであり「李の不徳のいたすところ」というべきでしょう。
【追記終わり】
李英和さんが亡くなられました | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2020年4/4分:島田洋一の巻)(追記あり) - bogus-simotukareのブログで李英和の死について「ツイートで言及した島田洋一」を除き、俺の観測範囲限定ですが「荒木和博、三浦小太郎ら」反北朝鮮ウヨ活動家がツイッターやブログで触れてないと書きましたが、三浦が自ブログでついに触れました。
ご本人とご遺族の意志は、基本的に報道などはしてほしくないということだったと聞いております
なるほどねえ、だからこそ「訃報記事が全然ネットにない」上に「死因が訃報記事に記載されてない」わけです。こうなると「近親者のみの葬儀、告別式」だけやって終わりで、学者の死後に良くある、いわゆる(弟子や同僚などによる)「偲ぶ会開催」「追悼本発行」や「李の著作全集発行」も何もやらないのかもしれない。
「善意に理解すれば」ウヨ連中が、島田、三浦と言った一部を除いて李の死亡に触れないのも「遺族感情への配慮」でしょう。いや実際どうなのかはわかりませんが。
私にとって李さんは、北朝鮮独裁体制の民主化を求めた「RENK(救え!北朝鮮の民衆 緊急行動ネットワーク)の活動家としての李さんです、その事をまずお断りしたいと思います。
そりゃそうでしょう。ウヨの三浦に「関西大教授(北朝鮮・韓国政治研究)」としての李が論じられるとは誰も思いません。
李さんは東京での講演会で「北朝鮮の子供が気の毒だから食糧を送ろう、という人にぜひ言いたい。北朝鮮の子供はトウモロコシだけじゃ生きていけないんです。自由に本を読み、勉強し、自分の人生を生きて行けるようにならなければ、本当の意味で生きているとは言えないんです」「独裁政権にもし支援するというのなら、断固、その政権の民主化を強く求めることです。その覚悟がないのなら支援などすべきではない。」という趣旨のことを力強く語っていたのは今もよく覚えています。
「お前はアホか」ですね。メシが食えない人間に対してやるべき事、それはまず「メシを食わせること」でしょう。
「商売や文化交流」ならともかく「緊急食糧援助」はやって当然の話です。
「メシだけ食わせればいいのか」なんてのは詭弁です。なら餓死させていいのか。
1980年代の日テレ「愛は地球を救う」のアフリカ支援も「アフリカは独裁国家が多いから」「飢餓の理由の一つは、独裁者の失政」といって「無意味」と評価するのが李や三浦なのか。
民主化だってそう簡単にできることじゃない。大体三浦らウヨ連中が民主化を叫ぶのはほぼ「中国と北朝鮮限定」です。
「キューバ、ベトナム、ラオス(共産国)」「サウジやカタール(王制)」「エジプト(軍事独裁)」などの民主化は主張せず、中国と北朝鮮のみに「民主化」を叫ぶ運動に何の説得力があるのか。
「朴チョンヒ・韓国」「ピノチェト・チリ」といった軍事独裁を容認した連中の、中国と北朝鮮のみに「民主化」を叫ぶ運動に何の説得力があるのか。それは民主化ではなく、「ただの反中国、反北朝鮮」です(三浦らウヨの多くは「小国で日本から遠く離れても居るので眼中にないだけ」かもしれないが「キューバ、ベトナム、ラオス(共産国)」の民主化は叫ばないので彼らの「中国、北朝鮮民主化」は反共主義とは少し違うでしょう)。
李さんは私のことなど眼中になかったからでしょう、歴史観や政治観*4では違う私が時々来ることも気にも留めていませんでした。
さすがに李も三浦の「南京事件否定論」「河野談話否定論」を公然と支持するレベルには転落していなかったようです。「そのレベルにまで転落した」ぺマ・ギャルポがいかにあほかということです。
志村けんさんをしのびつつ、グループとしてのドリフターズの偉大さを再確認 | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
志村が「ドリフの事実上の解散後(1985年のTBS『8時だョ!全員集合』終了後)」も、TBS『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS、1986~1992年)、フジ『志村けんのバカ殿様』(1986年~)、『志村けんのだいじょうぶだぁ』(1987~1993年)など「ドリフメンバーとは離れた形」でコメディアンとして活動したことを考えればむしろこうした物言いは志村に失礼だと俺個人は思います。
このグループがいかに音楽家としても偉大だったか
ウィキペディア「ザ・ドリフターズ」にも書いてありますが
1)ドリフがコメディ色を強めたのは結成以降のこと
2)ビートルズ来日初公演で前座を務めた
3)「いい湯だな」をTBS『8時だョ!全員集合』、フジテレビ『ドリフ大爆笑』のエンディングで使用しヒットさせたのはドリフ
ですからね。それなりの音楽グループとして評価できるとは思います。
ドリフ以前にデューク・エイセスが「いい湯だな」を歌っていますがドリフ程にはヒットしませんでした。
なお、この「いい湯だな」、実は「群馬県の観光ソング」であり「デュークエイセス版」では「草津、伊香保、万座、水上」という群馬の温泉地しか出てきませんがドリフ版では「登別、草津、南紀白浜、別府」と大幅に変更されており、今ではドリフ版のほうがむしろ定着しています(ウィキペディア「いい湯だな」参照)。
なお、ドリフ以前にも「クレイジーキャッツ(植木等、谷啓、ハナ肇など)」「フランキー堺」など「ドリフのようなコミックバンド」をやっていた人間が当時は多数おり、当時は「そういう時代だった」わけです。
こういう素晴らしいコメディアンの死を政治家は都合よく利用しないでほしい。
言ってることが全く意味不明ですね。「利用する」とは具体的にどういう意味なのか。「政治家」とは具体的に誰を想定しているのか。
むしろ三浦らウヨのほうこそ、たとえば「有本嘉代子(拉致被害者・有本恵子の母)の死」など他人の死を都合よく政治利用しているクズではないのか。
いずれにせよ、具体的に言ったら「どこが政治利用だ!」などと批判されると思ってあいまいにぼかしてるのでしょうが、はっきり書けないあたり三浦の姑息さ、せこさにはいつもながらあきれますね。id:noharraも三浦のようなクズと良く付き合えるもんだと「ある意味」感心します。
【追記】
気になったので「志村けん、政治利用」でググったら以下の記事がヒットしました。三浦の言う「政治利用」とはこれらのどれかかもしれません。
志村けん国民栄誉賞候補に!? しかし“政治利用”という声も… (2020年4月3日) - エキサイトニュース
・4月1日放送の特番『志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう』(フジテレビ系)の平均視聴率が21.9%(ビデオリサーチ調べ/関東地区)の高視聴率だったことが4月2日に分かった。
・「まさかの平均視聴率20%超えで、フジテレビの番組スタッフもかなり驚いているようです。視聴率が低迷しているフジにとって見れば、まさに志村けんさん様様でしょうね。日本テレビも4日に『天才!志村どうぶつ園』の2時間スペシャルを放送予定ですが、こちらも今から高視聴率が期待されています。一方、TBSにはドリフのキラーコンテンツ『8時だョ!全員集合』がありますから、こちらもいずれ特番が組まれるのは間違いないでしょう。現在、ファンからのリクエストが殺到している状況だそうです」(エンタメ誌記者)
・「現在、志村さんに対して、お笑い界初の“国民栄誉賞”*5が授与されるのではないかとウワサされています。もし現実になれば、かなりの名誉でしょうね。しかし授与に関しては、志村さんの死因となった新型コロナウイルスが依然、感染拡大しているため、このタイミングでは“政治利用”とも取られかねません。しばらくは様子見すると思われます」(芸能記者)
「最後の功績」志村けんさんへの小池知事のコメントが炎上。政治に利用されているみたいでモヤモヤする | ニコニコニュース
2020年3月29日に新型コロナウイルス肺炎で亡くなった志村けんさん。30日、都庁で行われた会見で、東京都の小池百合子*6知事が志村けんさんについて言及しました。
その中で下記のようにコメントしています。
『コロナウイルスの危険性について、しっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、その最後の功績も大変大きいものがあると思っています。』
ネットには「それは違うと思う」「あまりにも心が無さすぎる」「志村けんが亡くなったことで新型コロナウイルスへの認識を改めた人が多いのは事実と思う。しかし、”最後の功績”のようにそれを美化することには同意できない。」などの声が寄せられています。
大スターである志村さんが亡くなったことで、結果的に新型コロナウイルスの怖さをやっと身近に感じたという人もいると思います。しかし、志村さんはその為に亡くなったわけではないし、出来れば生きたいと思っていたに違いありません。