高世仁に突っ込む(2020年6/19日分)

横田滋さんの逝去によせて11 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 高世仁に突っ込む(2020年6/18日分) - bogus-simotukareのブログで取り上げた高世記事横田滋さんの逝去によせて10 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。

 破産申し立てをしたのは2ヵ月近く前だったが、コロナで裁判所が動かず、だいぶ遅れて破産開始決定になった。こちらは「まな板の鯉」で、早くやってほしいが、手続きが終わるまでこれから3ヵ月近くかかりそうだ。もっとも、生死にかかわるような重大なことではないので、ご心配なきよう。

 「会社更生法民事再生法じゃないんだねえ(つまり会社を建て直すことはせず完全に消える)」つうのが率直な感想です。
 ああ、それと「ブログ書く元気がある」高世さんのことは最初から心配してません。いや俺は「高世さんが大嫌い」なので、個人的には高世さんが今回の借金問題で、自殺しようと餓死しようと、「会社を破産させるなんて無責任だ」と逆ギレした債権者に殺されようと知ったことではありませんが。

 この連載では、拉致問題の動きを決定づけた、被害者側の二つの決断を取り上げてきた。
 1997年1月の横田滋さんによる「めぐみさん実名公表」の決断、そして2002年10月の蓮池薫さんによる「北朝鮮に戻らない」決断だ。

 前者はともかく後者は「北朝鮮に戻らない決定は俺たちの説得の成果だ」という安倍や救う会の宣伝によって、連中が「不当な政治力」を行使し「日朝国交正常化交渉を妨害したり、田中均氏を退官に追い込んだり」するきっかけになったので俺は「帰国した拉致被害者5人の大きな間違いだった」と今でも思いますね。
 あのときに一度、北朝鮮に帰るべきだったと。
 せめて帰らないまでも救う会や安倍が「北朝鮮制裁」や「日朝国交正常化交渉反対」を叫ぶのを、帰国拉致被害者やその家族たちは容認しないで、反対しないまでもせめて「我々をそう言うあなた方の右翼的、反北朝鮮的な政治的思惑に利用しないで欲しい」と最初からはっきり言って欲しかったですね。まあ、今更言っても仕方ないことですが、そう俺は思っています。あのときに北朝鮮に「5人が戻らなかったこと」や5人が「安倍や救う会の右翼的言動を黙認したこと」が「拉致敗戦の始まり」だったのではないか。

 2014年3月、横田さん夫妻はモンゴルで、めぐみさんの娘で「孫」にあたるウンギョンさんとその夫、二人の間に生まれた10ヵ月の「ひ孫」と会い、同じ建物で3日間を過ごした。
 それがどれほどの喜びだったかは、帰国後の記者会見での夫妻の表情を見ればわかる。

 ならば、高世は「1回だけじゃなくてもっと会った方がいいですよ」「孫と会わないとめぐみさんに会えるという因果関係には無いでしょう」「家族会や救う会が会うことに反対したって関係ないじゃ無いですか。あなた方は高齢でいつ亡くなってもおかしくない。孫と会いたくないんですか?。あなた方ご夫婦は彼らのために生きてるんですか?。違うでしょ。自分のために生きてるんじゃ無いですか?。家族会や巣くう会は所詮、赤の他人ですよ。あなた方のことを本当に理解しているかも、あなた方のことを本当に考えてるかも分からない」「孫に会うことであなた方が救う会や家族会から離れていって、彼らの政治的広告塔として使えなくなることを恐れて面会に反対してるだけかもしれない」「他の拉致被害者華族は、孫に会おうと思えば会えるあなた方に嫉妬して、嫌がらせで面会に反対してるだけかもしれない」等と何故言わなかったのか。
 いやそもそも高世は「2002年小泉訪朝時点」で「孫に会うべきですよ」と言うべきでしたが、せめて何で「2014年3月以降」にそう言わなかったのか。
 しかしウンギョンさんももう「32歳」だそうです。
 「え、中学生(15歳)だったじゃん?」と思ったんですが、よく考えれば、それは小泉訪朝のあった2002年のことで、もう17年以上経ってますからね。「ウンギョンさんの子どもさん」も今7歳だそうです。横田滋氏が病死するのも当然ではあります。

 横田さん夫妻が孫娘に会うまでには、その存在が判明して実に12年もの年月が経っていた。それはなぜか。
 横田さん夫妻ともに、すぐに孫娘に会いたいという気持ちは強かった。しかし、当時の政治的な事情でその願いはかなわなかった。支援団体「救う会」が、「会えばお母さんは亡くなったと言わされる」と反対したからだ。
 私も当時、横田さん夫妻が北朝鮮に行って「ヘギョン」さんに会うことには反対した一人だった。

 「『アンチ北朝鮮のためなら孫と祖母の面会を妨害しても構わない』と考える家族会や救う会という『人間のクズ共』が面会に反対したのに対し、夫婦が『あなたらの要望は断る』『祖母が孫と会って何が悪い』と速攻で拒否しなかった」からですね。「12年もうだうだ悩んでいたから」です。
 そして高世も高世自身が「恥知らずにも平然と書くように」面会に反対した「人情を介さない人間のクズ」の一人でした。
 それにしても「孫に一度会ったにもかかわらず」、その後、優柔不断な性格から、救う会、家族会の圧力に抗しきれず、「結局1回しか会わず、そのまま病死したのが横田滋」です。このままだと横田早紀江も全く同じパターンになるでしょう。