有田芳生
なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(9) - 高世仁のジャーナルな日々
モンゴルでの感動の(ボーガス注:祖父母である横田夫妻と孫であるウンギョンさんの)出会い。「週刊文春」の早刷りが出た発売前日。横田早紀江さんに圧力電話をかけた面々がいます。そのひとりの女性評論家。
「こんな写真を出したらめぐみさんも他の被害者も殺されますよ」。
事実ならば、一体、何者だか「女性評論家だけでもいい」ので、名前を出して欲しいですね。
◆荒木和博「特定失踪者問題調査会代表、予備役ブルーリボンの会代表」の妻である「荒木信子*1」
◆予備役ブルーリボンの会幹事長である「葛城奈海*2」
◆毎度毎度「救う会集会の司会」をやってる「櫻井よしこ*3(国家基本問題研究所理事長)」
とか。
それにしても、「打倒北朝鮮」を放言してる連中がよくもいったもんです。「打倒北朝鮮」発言の方がよほど「めぐみさんも他の被害者も殺されますよ」でしょう。
なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(9) - 高世仁のジャーナルな日々
拙記事珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年6/4日分)その2(副題:2010年に「警察官僚」米村敏朗氏が言っていたことを今頃言い出す高世に呆れる) - bogus-simotukareのブログで批判した高世記事なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(8) - 高世仁のジャーナルな日々の続きです。
最近、近所の人ともっと知り合いになろうと思い、地域のシニア・カラオケ会に月に一度くらい参加している。
つまりはジンネット倒産前までは仕事にかまけて地域との付き合いがなかったのでしょう。日本のサラリーマンではありがちな話です。
そういえば、高世は「サイクリング」「家庭菜園」をやってたはずですが、それは「地域の人との付き合い」には生かせないんですかね?
時事ネタにひっかけた歌を唄おうと思って探したら、中島みゆきの「離卿の歌」に眼がとまった。
「離卿て何?」と思ってググったら「離郷」の誤記でした(さすがに高世も後で直すでしょうが)。
離郷の歌/進化樹 - Wikipedia参照
中島みゆきの46作目のシングル。2019年(令和元年)9月25日に発売。『離郷の歌』はテレビ朝日系ドラマ『やすらぎの刻〜道』(2019年4月8日から2020年3月27日まで放送)の主題歌として制作された
そうです。俺がパソコンで「りきょう」で打つと最初に出てくるのが「離郷(故郷を離れること)」で次が「離京(都を離れること)」なので「何で離卿なんて誤記を?」と首をひねります。
きのう6月5日は、横田滋さんの命日だった。
別記事でも書きましたがそんなことはほとんど誰も気にしなかった。ちなみに横田滋と同じ「2020年6月5日」には、川崎病の発見者川崎富作 - Wikipedia氏も死去しています。
横田夫妻は、ウンギョンさんとの家族写真の公開に反対していなかったばかりか、むしろ多くの人に見てほしいと思っていたのである。
滋さんの命日の昨日から、新潟市を走るバスに、拉致問題啓発のための写真が展示されはじめたが、その中には、横田夫妻がウンギョンさんの娘と一緒に満面の笑みで映る写真も含まれている。多くの人の目に触れるバスへの写真の展示を、早紀江さんが喜んで了解していることは言うまでもない。なお川崎市を走るバスにも、これらの写真が展示されている*4。
2016年の『週刊文春』でのモンゴルでの家族写真の掲載に、横田夫妻が反対したはずがないのである。反対だったのは「救う会」とその取り巻きだけなのだ。
にもかかわらず救う会や「その取り巻き(救う会言いなりの家族会主流)」に「写真掲載に反対」といわれるや「有田が勝手にやった」と言い出す横田夫妻はどうしようもないバカです。
高世は何故か、かばいますがまさか「暴力団の脅し」まがいのこと(監禁されたあげく「俺たちに従わないと殺す」など)がされたわけでもないでしょう。
「我々の言うことに従えないなら蓮池のように家族会から除名する」レベルで何でへたれるのか。単に横田夫妻が腰抜けなだけでしょうに。「蓮池氏のように覚悟を決めれば」いくらでも救う会批判できたはずです。
というか救う会と横田夫妻の関係はあくまでも「当事者と支援者」ですからね。当事者が「あなたの支援はいりません」と言われれば支援者はどうにもならない。
「重度障害者と支援者」「ホームレスと支援者」のように「当事者が重い障害や貧困で苦しい立場」であり「支援者のえり好みなどしてられない」というなら「酷い支援者でも渋々従う(いわゆる貧困ビジネスなど)」ということもありえますが、「横田夫妻と救う会」の場合は明らかにそうではない。
北朝鮮側が(ボーガス注:中学生の娘が暴力的に連行されたというインパクトの高さから)拉致被害者救出運動のシンボル的存在である横田夫妻を「懐柔」しようと狙っていることは確かだろう。
「北朝鮮シンパ」との誤解を恐れずに言えば俺は「懐柔されたって一向に構わない」と思いますね。
「あんたたち夫婦は宣伝マンとして有効だ。懐柔されたら困るから孫と会うな」てそんな非道な話がどこの世界にあるのか。
そこは家族会や救う会も「懐柔されたって一向に構わない。祖父母が孫と会いたがるのは人としての自然な感情だ。それを否定するような外道では我々はない」「我々はあなた方が家族会を去ったからって恨まない」「そんなことで衰退するような運動じゃないから気にするな」というのが「あるべき人の道」ではないのか。残念ながらその逆の「ゲス」が家族会や救う会でしたが。
まあ、しかし横田めぐみ(1964年生まれ、1977年の拉致当時13歳)に限らず
◆柳寛順 - Wikipedia参照
1902~1920年。三・一独立運動への弾圧で、1920年9月28日、西大門刑務所内で獄死した(享年17歳)とされるが、死亡の日時や場所には様々な説がある。1962年、韓国政府(朴正熙政権)がその功績を認めて建国勲章3等級「独立章」を授与。三・一独立運動から100年となる2019年に文在寅政権によって、建国勲章1等級「大韓民国章」を追加で授与することが決定した。2020年には殉国100年の記念切手が発行されている。
◆マララ・ユスフザイ - Wikipedia
1997年生まれ。2012年にタリバンに狙撃されて重傷(当時15歳)。2014年ノーベル平和賞受賞(当時17歳)。2017年には国連平和大使に任命された(当時19歳)。
とか若い女性が酷い目に遭うと注目を集めますね(例はここに挙げた二人以外でもいいのですが)。「横田めぐみ以外に拉致被害者がいる」ように「朝鮮総督府やタリバンに酷い目に遭った人間」は他にもいるわけですから。
そして「懐柔」されるかどうかはこちら次第だ。現に横田夫妻はウンギョンさんと面会したあとも拉致被害者の救出を訴え続け、活動を「おしまい」にしていない。
「北朝鮮シンパ」との誤解を恐れずに言えば俺はむしろ「懐柔された方が、救う会や家族会から離れた方が良かったんじゃないか」と思う醜態(その後も救う会や家族会に服従)でしたけどね。俺はあんな醜態を未だに現に横田夫妻はウンギョンさんと面会したあとも拉致被害者の救出を訴え続け、活動を「おしまい」にしていない。なんて言って評価する高世には心底呆れます。
あえて言えば「そういうことはある意味どうでもいい話」です。繰り返しますが「祖父母が孫と会いたがるのは人としての自然な感情だ。それを否定するような外道では我々はない」という話です。
一人また一人と帰国させつつ全員帰国につなげていくことも、政治の役割なのではないか。
ついに「オールオアナッシング(100かゼロか)はリスキーすぎる」「段階的帰国でも最終的に全員帰国になればいい」「全員帰国が難しくてもオールオアナッシングで帰国ゼロよりも段階的帰国で何人か帰国する方がまし」とまで言い出した高世です。人間、変われば変わるもんです。
横田滋さんは生前、親しい人の間では、「「救う会」の今のやり方では何も進まなくなる*5」と現状への危機感を隠さなかった。
私が拉致被害者救出運動について問題提起をしているのも、横田滋さんの遺志を尊重してのことである。
やれやれですね。
「死人の政治利用も大概にしろよ、高世!」ですね。方向性が違うとは言え「死人に口なし」の死人(横田滋)を勝手に政治利用して、滋の意思を踏みにじっているという意味では高世も救う会、家族会も何ら違いはない。救う会や家族会(特に滋の家族である横田早紀江や横田拓也)も高世同様「私たちは横田滋の遺志を引き継いでる」と主張しているわけです。そもそも何で高世はこんなバカなことを言うのか。
第一に滋が何を考えてるかなど「彼が死んだ今」もはやわかりようがない。
断言してもいいですが、おそらく今、滋が生きていたとして「優柔不断な性格」の彼は「高世の救う会、家族会批判に同調しなかった」でしょう。おそらく「人間的しがらみ」を断ち切ることができずに、妻・早紀江や息子・拓也らとともに高世を攻撃していたでしょう(滋自ら攻撃することは躊躇したとしても早紀江や拓也、あるいは家族会や救う会の高世攻撃を容認したでしょう)。高世がこんなことを言い出したのも「滋が死亡」し、救う会、家族会による「滋を使った個人攻撃」が不可能になったからではないのか。だからこそ高世は滋の生前にこんなことが言えなかったのではないか。そもそも「滋が死んでから言うくらいなら、滋が生きてるうちに言え*6」て話です。
第二にそもそも滋は神でも仏でもなく、ただの平凡な人間に過ぎない。彼の主張に無条件で従わないといけない理由はどこにもない。問題はそんなことではなく「拉致解決のために何が最善か」ということです。
「誰が何と言おうと関係ない。私は自分が最善だと思う道を主張する」といえない「小心な臆病者」高世には心底呆れます。
「救う会」が意見の異なる人々*7や団体を除名するなどして異分子を粛清し、硬直した組織になってきたことはすでに記した。集会は「内輪」だけで盛り上がる右翼の政治集会の観を呈している。この状況に内心不満をもつ被害者家族は、横田滋さん以外にもいたが「独裁体制」のもと、黙っているしかない。「救う会」の運動は末期的な症状を見せている。
高世もついにここまで言うようになったかと感慨深い。
しかし、もっとも責められるべきは「救う会」ではなかった。
(つづく)
次に高世が言うことは「当事者である家族会が一番悪い。家族会が救う会に対して毅然とした態度を取ればこんなことにはならなかった。少なくとも蓮池透除名などすべきではなかった。今からでも家族会は蓮池氏の除名を撤回し和解すべきだ」でしょうか。
はたまた「救う会を利用して首相に成り上がった安倍が悪い」と言い出すか。
俺個人の意見を言えば「モリカケ桜など他の問題」はともかく「少なくとも拉致問題では安倍の罪は軽い」ですね。安倍が首相を辞任して政治力をほとんど失っていた福田、麻生、民主党政権時代だって「拉致敗戦」のわけですから。
あくまでも安倍は「救う会や家族会を利用して首相に成り上がった」にすぎず拉致敗戦の主犯ではない。安倍は救う会や家族会が「バーター取引のために制裁解除していい」といえばいくらでも解除したでしょう。「解除反対」「バーター取引反対」「即時一括全員帰国」に固執したのはあくまでも救う会と「救う会言いなりの家族会」です。
勿論「安倍は救う会や家族会の意見を無視してバーター取引に動くべきだった」といえばその通りでしょうが、それは安倍だけでなく「安倍以外の首相にも該当すること」です。
あえて言えばやはり「当事者である家族会が一番悪い。家族会が救う会に対して毅然とした態度を取ればこんなことにはならなかった。少なくとも蓮池透除名などすべきではなかった。今からでも家族会は蓮池氏の除名を撤回し和解すべきだ」ですね。
モリカケ桜などの場合は「安倍に加担した官僚(例:財務省の佐川・元理財局長)」と安倍の関係は「上司と部下」です。
安倍に反対したら報復で左遷されかねない。だから不正に荷担していいとは言いませんが「同情の余地はある」。
家族会と安倍の関係はそうではない。蓮池透氏が最終的に『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(2015年、講談社)などで安倍批判に転じたようにいくらでも安倍批判できたはずです。
「家族会と安倍の関係」で「家族会は悪くない、安倍が悪い」なんていったら「安倍に逆らったら左遷人事されかねない」佐川元理財局長なんか批判できないでしょうに。
誤解を恐れずに言わせてもらえば今の家族会は矢田事件 - Wikipedia(1969年)、吹田二中事件 - Wikipedia(1972年)、八鹿高校事件 - Wikipedia(1974年)のような暴力行為を起こしながら、当時はろくに非難されなかった「一時期の部落解放同盟」を連想させます。
この結果、同和問題は半ばタブーとなり、「えせ同和行為」が起こる上に、はては
北九州土地転がし事件 - Wikipedia(1981年)、モード・アバンセ事件 - Wikipedia(2001年)、飛鳥会事件 - Wikipedia(2006年)のような「部落解放同盟構成員」という「えせでない本物の被差別部落出身者」が「行政相手にたかり行為をやる(政治的、道義的な問題だけでなく場合によっては詐欺、業務上横領、背任などの刑事犯罪が成立)」という笑えない事態にまで発展していきます。
*1:著書『なぜ韓国は中国についていくのか』(2014年、草思社)
*2:著書『戦うことは「悪」ですか』(2021年、扶桑社)
*3:北朝鮮関係の著書に『北朝鮮・北東アジアの緊張』(1999年、ダイヤモンド社)、『私は金正日との闘いを止めない』(編著、2008年、文藝春秋)(櫻井よしこ - Wikipedia参照)
*4:「展示するな」とは言いませんがそんなことをしても拉致被害者帰国には全くつながらないので実に馬鹿馬鹿しい。
*5:それが事実だとしても「親しい人(高世や有田氏?)の前でしか物が言えず救う会や家族会にはっきり物が言えない」時点で話になりません。高世がこんなことを言ったところで家族会、救う会は「滋さんは『我々から離れた蓮池透』とは違い、死ぬまで我々と行動を共にした。それが彼が我々を信頼していた何よりの証拠だ。『死人に口なし』とばかりに高世は嘘をつくな」「ならば高世は何故滋氏の生前にそう言わなかったのか?。それは高世が嘘つきだからだ。滋氏の生前に言えば、滋氏が嘘つきの高世を批判したからだ」などというだけでしょう。それにしても、高世がそういう攻撃を受けることを覚悟しながらこうしたことを言い出したことは実に興味深い(まさか高世もそうした攻撃を予想してないわけもないでしょう)。
*6:これは横田滋に限らず「多くの場合に該当すること」でしょうが。死んでから「遺志を生かしたい」といっても空しい話です。