珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年6/25日分)

横田夫妻とウンギョンさんの写真公開の真実2 - 高世仁のジャーナルな日々
 珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年6/24日分) - bogus-simotukareのブログで触れた横田夫妻とウンギョンさんの写真公開の真実 - 高世仁のジャーナルな日々の続きです。

 「拉致問題がどうなっているのかが見えず悶々としていたが、今回の出版でよくわかった」との声がたくさん寄せられている。

 蓮池『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(2015年、講談社)で既に「有田氏や高世が言ってるようなこと」は指摘されてるので「何を今更。高世はどや顔してるんじゃねえよ、バカ」です。

 「救う会」、「家族会」、内閣の三位一体のもたれあいが政府に不作為=外交努力をサボらせることを招いている構造に切り込まないメディアの責任は大きい。

 自分も過去には「そうしたメディアの一員だった」「横田夫妻から還暦祝いを受けるほどけじめがなかった(例えば有田芳生氏の拉致問題についての本が発売され、その解説を高世仁が担当するとのこと - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)」癖に良くも言ったもんです。
 なお、今回、高世が語る「写真公開の真実」とは予想通り

珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年6/24日分) - bogus-simotukareのブログ
 「有田氏が文春に提供した写真は勿論、横田夫妻から有田氏が提供を受けた物だし、文春に写真掲載することも事前に有田氏から説明を受けて了解していた」のに「救う会、家族会の有田批判」に結局、横田夫妻が同調し「有田氏を裏切った」という話

でした。まあ、こんなことは有田本や高世記事など読まなくても「常識で考えて分かる話」ですが。

 西岡氏の発言を追っていくと、モンゴルでの横田夫妻の孫娘一家との面会を喜んでいない本音が露骨に現れている。
 「北朝鮮側はこの写真を有田先生*1に渡して、何らかの意図があるわけですね。それを公開してもらう。横田家は満足してると、こんなにニコニコしてると、良かったねと。(百田氏の「プロパガンダに使われたんやね」との発言を受けて)という風に思われるんじゃないか」。
 (ボーガス注:孫である)ウンギョンさんや(ボーガス注:ウンギョンさんの娘である)ひ孫と会って「ニコニコ」したら「(北朝鮮の)プロパガンダ」になる(!)というのだ。どうやら西岡氏らからすれば、横田夫妻は孫娘一家と初めて面会しても喜んではいけないらしい。

 予想通りの西岡発言ですが、であるのならば「何故あった!」と横田夫妻を非難してしかるべきでしょう。
 それができないのだから全く矛盾しています。
 まあ矛盾してるのはこんな西岡と付き合い続け「ウンギョンさんとの面会を一度で辞めた」横田夫妻も同じですが。

 モンゴルでの面会が2か月後の14年5月の「ストックホルム合意」への伏線となり、拉致問題をむしろ進展させる結果になったこともあらためて付け加えたい。

 前も書きましたが俺的には「そういうことはどうでもいい」。
 極論すれば「拉致解決に逆行しようとも*2」、祖父母は孫と会うべきです。当たり前の話でしょう。
 「拉致解決に逆行するから会うな」とはどれほど冷酷なのか。
 そして前も書きましたが、「俺とほとんど同じ主張」は「奥歯に物が挟まった文章」とはいえ、「米村敏朗氏(元警視総監、元内閣危機管理監)」が2010年(今から12年前)に書いています。勿論「警察官僚」、それも「警察庁警備局外事課長、警視庁公安部長、警察庁警備局長を歴任した元公安」の彼が北朝鮮シンパのわけもない(米村文章については例えば人間考えることはそんなに異ならないらしい - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)。
 つまりは高世だって「腹をくくれば」2010年時点で米村氏レベルの家族会、救う会批判は「書けたはず」です。まさか「米村氏が2010年に気づいたことを当時の僕は気づかなかったんです(高世)」ではないでしょう。単に「高世に勇気がなかった」だけです。
 なお、人間考えることはそんなに異ならないらしい - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2010.10.18)で「ボーガスさんの家族会、救う会批判に賛同する(俺の要約)」という「お褒めの言葉(それ以前、そんなお褒めの言葉は多分誰からももらってない)」に感激したことが今に至るまで、こうした「救う会、家族会批判」記事を書くことにつながっています。
 正直「書きたいから書いてるけど、無名人の俺の文章なんてほとんど誰も読んでないんだろうなあ」と思っていたので「非常に感激した」。
 一方でid:kojitakenは「サディスト」などと俺を悪口するわけでまあ、「世の中はいろいろ」ですね。
 なお、米村文章は

【魚拓】【物来順応】前警視総監・米村敏朗 「レオニー」に思う拉致事件 - MSN産経ニュース2010.10.16
 この秋公開の映画「レオニー」の試写会に行った。世界的な彫刻家イサム・ノグチの母、レオニー・ギルモアの生涯を描いた松井久子監督の映画である。
 イサム・ノグチについては、ご承知の方も多い*3と思うが1904年ロサンゼルス生まれ。父は日本人の詩人、野口米次郎。3歳の時、母レオニーとともに日本に渡り、幼少期の11年間を日本で過ごした。今から約100年前のことだ。
 正直言って、松井久子監督(以下、松井さん*4と呼ばせていただくこととしたい)のことは全く知らなかった。きっかけは、試写会の1カ月ほど前、「レオニー」完成まで7年に及んだ松井さんのプロダクション・ノート的な講演を聞いたことだった。
 その折、松井さんにレオニー役の英国人女優エミリー・モーティマーについて「とてもいい女優ですね」と申し上げたところ、「警視総監をしていた人がエミリー・モーティマー知っているなんて」とひどく驚かれた*5

という書き出しで俺は最初は「はあ?。レオニー?。イサム・ノグチ?(レオニーの息子)。エミリー・モーティマー?(レオニー役の女優)。拉致と関係ねえじゃん。何が言いたいんだ、このオジさん?」と思いながら読んでました。
 最後まで読んで

【魚拓】【物来順応】前警視総監・米村敏朗 「レオニー」に思う拉致事件 - MSN産経ニュース2010.10.16
 「レオニー」を見て、(ボーガス注:『母レオニーの息子・イサムへの愛』からの連想で?)北朝鮮による一連の拉致問題に思いが及んだ。
 一連の拉致問題についていつも思うことだが、どうしてこれほどまでに複雑に扱われなければならないのか。人として、親としてもう一度わが子を、わが肉親を(ボーガス注:レオニーが息子イサムを抱きしめた(?)ように、横田夫妻も孫を)抱きしめたい。ただそれだけのことではないか。
 (ボーガス注:孫を使って横田夫妻を懐柔しようとしているに違いない)北朝鮮を相手に「お前はなんと甘いことか」という向きもあろう。
 しかし何事にしても(ボーガス注:「横田夫妻救う会や家族会に従うべきだ」「北朝鮮の政治工作に乗せられるな」などという?)既成概念が優先し、またそれがあらゆる意味で桎梏となっているように思う。その前に(ボーガス注:横田夫妻が孫に会うという)人として当たり前のことが当たり前に行われることである。

というその主張(奥歯に物が挟まったわかりにくい表現だが明らかに「横田夫妻は孫に会うべきだ」と主張している)に大いに共感しましたが。
 こういう書き出しでない平凡な文章だったらむしろ読まなかったかもしれない。

*1:「先生」と呼んでも「先生と呼ばれるほどのバカじゃない(川柳)」的なニュアンスであり、有田氏に対して西岡が「何の敬意もない」のには呆れます。それだったら「氏」「さん」といった普通の敬称でいいでしょうに。

*2:まあ逆行することがあるとは思いませんが

*3:俺は無知なので「ご承知ではなかった」ですが。

*4:松井というとどうしても最近は「大阪維新のクズ市長」を連想してしまいますね。勿論俺はあんな奴に「さん」などつけませんが

*5:俺個人はこの米村文章に当時「奥歯に物の挟まった分かりづらい文章」とはいえ、『警視総監をしていた人が北朝鮮を利する」と攻撃されかねない救う会、家族会批判をするなんて』とひどく驚いた。米村氏の文章が理解できなかったのか、これを掲載した産経にも驚きましたが。