高世仁に突っ込む(2020年8/2日分)

「ありがとう」が存在しない社会 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 林鄭月娥行政長官は31日夜、記者会見し、ことし9月6日に予定されていた立法会の議員選挙について「新型コロナウイルスの感染が広がっており、市民の安全を守るため」として1年間延期すると発表した。
 コロナ禍のなかでも、イスラエル(3月2日)、韓国(4月15日)、シンガポール(7月10日)と各国で総選挙をやっているのだから、「コロナ」云々は口実にすぎない。

 俺も「香港がそこまでコロナ禍が深刻だ」と言うニュースは見聞きしてないので「コロナ禍」云々は口実では無いかと疑いますが、とはいえ、ここでの高世の主張は「その理屈はおかしい」ですね。
 問題は「香港の現状が選挙延期を不可避とするほどコロナ禍が深刻かどうか」であって、それは「イスラエル、韓国、シンガポール」とは全く関係ない。
 「イスラエルシンガポール」はともかく、特に韓国なんか「韓国モデル」と言う言葉があるほどの「コロナ封じ込め優等生」だから、なおさらおかしい。
 高世の主張「イスラエルシンガポール、韓国」云々は「大相撲や野球は現在、日本国内で無観客でやってる。東京五輪も同様の形で今年できたのでは無いか」と言うくらい無茶苦茶でしょう。色々な違いを無視してそういうことを言うのはまともな人間の言うことでは無い。
 何で仮にも「日本電波ニュース報道部長」まで務めた男がこんなに言うことがトンチキなのか。まあ、高世がアホなことを言うのは昨日今日始まったことではありませんし、高世がこういうアホだからこそ、高世の会社ジンネットも倒産したのでしょうが。

 香港当局はまた、米国籍の人を指名手配するという、これまた尋常でない措置を採ってきた。
 《香港警察が国家安全維持法(国安法)違反の疑いで、米国籍を持つ香港出身の民主活動家、朱牧民(サミュエル・チュー)氏を指名手配したことが分かった。国安法は、容疑者の国籍や犯罪を行った場所を問わずに適用すると規定しており、この規定の初適用とみられる。》
 国安法の第38条である。施行直後、条文を読んで私は「まさか!?」と仰天したのだったが、なんと実際に適用したのだ。

 外国籍を持つといったところで「生まれも育ちも香港(日本の在日朝鮮・韓国人のようなケース)」なのだから小生や高世のような「生まれも育ちも外国」のケースと違います。
 指名手配の是非はともかく、高世が大騒ぎするほどの話では無い。
 ついでに言えば「処罰自体が表現の自由に対する不当な規制に当たらない」「欧米や日本でも処罰対象になってもおかしくない」のなら指名手配それ自体にも何の問題も無い。
 問題は「処罰自体が表現の自由に対する不当な規制に当たるかどうか」「欧米や日本でも処罰対象になってもおかしくないかどうか」であって外国籍云々はある意味どうでもいい話です。「処罰されてもおかしくない行為」なら外国人だって処罰されることは何ら珍しくない。
 もちろん多くの国家安全維持法批判派は「処罰自体が表現の自由に対する不当な規制に当たる」「欧米や日本では処罰対象にならない」と批判するわけですが(と書かないと中国シンパ呼ばわりする馬鹿がいるのでお断りしておきます。いやこう断っても、中国シンパ呼ばわりする馬鹿はいますが。「中国が現実に行ってる取り締まりの是非はともかく法輪功邪教であり、法輪功に何の問題もないかのような主張をする澤藤はおかしい」と俺が澤藤統一郎の「常軌を逸したアンチ中国」を嗤う(2020年7/15日分)(副題:法輪功は間違いなく邪教ですよ!、澤藤さん)(追記あり) - bogus-simotukareのブログで書いたのに、澤藤統一郎の憲法日記 » これが、法輪功を邪教と決め付ける根拠?で「中国の取り締まりを正当化するのか」と書き「まともに他人の文章も読めないらしい馬鹿さ」を露呈した澤藤統一郎とか)。
 「業務上横領、背任」で日本検察に起訴されたカルロス・ゴーンとか、「外国人処罰自体」はいくらでも例はあるでしょう。

 自由を徹底して封殺する、なりふりかまわぬ姿勢。我々の世界への挑戦である。

 やれやれですね。「中国シンパ」と言う誤解(以前もMukke、id:noharraやI濱Y子、澤藤統一郎にそうした誤解をされましたが)を恐れず言えば「何でお前ら中国の時だけそんなに騒ぐの?」ですね。
 世界には独裁的国家は山ほどあるわけです。それら「全てをくまなく批判しろ」とまでは言いませんが高世のような輩は「中国ばかり(あるいは中国だけ)」批判しますからね。
 それ「人権を口実にした」ただの反中国では無いのか。高世(あるいはMukke、id:noharraやI濱Y子、澤藤統一郎)のような反中国の態度は「日本の隣国だから」「安保理事国で、経済大国で国際社会に与える影響が大きいから」、中国に注目せざるを得ないといういいわけは通用しない「異常な反中国」だと俺は思っています。なんて言うと彼らからは「中国シンパ」扱いされるのでしょうが。

・僕は採集狩猟民に興味があって旅を続けてきたけれど、彼らの何に自分が引きつけられているのかといったら、「平等社会」なんですね。
・肉や魚を採っても、焼き畑でイモやバナナをつくっても、腐ってしまうから蓄えることができない環境なんです。
 蓄えないということは、人を囲い込むことができませんよね。余剰がなければ貯め込む人間がいないわけで、持つ者と持たざる者が生まれない平等な社会が成り立つ。

 僕とは高世では無く「関野吉晴氏*1」ですが、仮に関野氏の言うように平等なのだとしても、こういう平等は魅力的な平等とは言いがたいですよね。「皆、貧乏な平等」ですから。「皆が豊かな平等」が「目指すべき平等」ではあるでしょう。

*1:著書『グレートジャーニー・地球を這う〈1〉南米アラスカ篇』(2014年、ちくま新書)、『グレートジャーニー・地球を這う〈2〉ユーラシア~アフリカ篇』(2005年、ちくま新書)など