「珍右翼が巣くう会」メンバー・黒坂真に突っ込む(2020年11月12日分)

黒坂真リツイート
 日本共産党歴史観では、戦前の転機は昭和十年ですか。満洲事変は昭和六年ではないですか。日本共産党満洲国建国は侵略ではないと考えますか。志位さんの呟きに満洲国の話がない。
志位和夫
 戦前のターニングポイントは、1933年の滝川事件に続く、1935年の天皇機関説事件。「国体明徴宣言」が出され、その後10年間は、子どもにまで「国体」=天皇絶対の国家体制が徹底的に叩き込まれた。
 その結果がアジアと日本に甚大な惨禍をもたらした侵略戦争。この過ちを繰り返してはなりません。

 レベルの低い詭弁すぎて唖然ですね。
 志位氏は「学術会議会員の不当な任命拒否」と言う話をしているから「滝川事件」「天皇機関説事件」という「学問弾圧事件」に触れても満州事変には触れないだけの話です。そこでこんなツイートをするのは誰が見ても「話のすり替え」でしかない。ここまで酷いリツイートを平然と出来る馬鹿右翼も黒坂ぐらいのもんです。もちろん志位氏が満州国「建国」を「侵略」と評価してることは言うまでもありません。
 ちなみに1935年といえば1935年 - Wikipediaによれば「真崎甚三郎・陸軍教育総監が更迭」され、それを永田鉄山陸軍省軍務局長(統制派)の差し金だと永田を憎悪する皇道派の相沢三郎による「永田暗殺事件」が起きた年でもあります。
 皇道派の暴走は永田暗殺ではおさまらず、翌年1936年には226事件が勃発。
 高橋是清蔵相、斎藤実内大臣渡辺錠太郎陸軍教育総監といった側近を暗殺された昭和天皇は激怒。ついに「226の青年将校の多くを銃殺」「真崎や荒木貞夫皇道派を予備役編入する」などと皇道派に徹底的な粛清を加え、陸軍は東条英機ら統制派の天下になります。
 1935年の「真崎甚三郎・陸軍教育総監の更迭」が、皇道派を憤激させ、1935年の永田暗殺と1936年の226事件を招き、さらに日本の軍国主義化を助長したという意味でも「1935年は一つの分岐点だった」かと思います。