「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年2/26日分:荒木和博の巻)

クーデターの話(R4.2.26): 荒木和博BLOG
 5分48秒の動画です。タイトルで読む気が失せます。
 「226事件が起こった日だからクーデターにちなんだ話」てそんなことが北朝鮮拉致被害者救出と何の関係があるのか。何の関係もない。
 226事件自体は勿論北朝鮮拉致と何の関係もない。「日本でのクーデター未遂」といえば他にも

◆戦前の『三月事件』、『十月事件』(いずれも1931年、計画段階で摘発)、『宮城事件』(1945年、映画『日本のいちばん長い日』で取り上げられた)
◆戦後の『三無事件』(1961年)、『三島事件』(1970年)

などありますが全部北朝鮮拉致と何の関係もない。
 勿論「北朝鮮でのクーデター」なんか起こるわけもない。まあ起こったら、かえって拉致解決に逆行しますが。しかし「北朝鮮でクーデターでも起こればいいのに」と放言した過去があるのは荒木なので心底呆れますが。
 「韓国でのクーデター(朴正熙全斗煥)」も北朝鮮拉致被害者救出と関係ない。
 なお、荒木は荒木和博も、朴正煕や全斗煥をそんなに高く評価するのなら、拓殖大学の紀要や極右雑誌でないまともな学術誌に彼らの時代制約もふくめて論じる論文でも投稿したらどうか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でわかるように朴正熙全斗煥には甘く、金大中は敵視しています。
 まあ、226事件はこじつければ、「北朝鮮と関係がある」つうか、「クーデターなんかそんなに簡単に成功するわけがない、だから北朝鮮でクーデターなんか起こるわけがない」つうことを実感しますが。
 それにしても荒木が「昭和天皇226青年将校にそれなりに同情していた」と嘘をいいだしたのには吹き出しました。
 226事件については

【刊行年順(刊行年が同じ時は著者名順)】
◆須崎慎一*1二・二六事件』(1988年、岩波ブックレット
◆高橋正衛*2二・二六事件(増補改版)』(1994年、中公新書)
筒井清忠*3二・二六事件とその時代』(1994年、講談社学術文庫→2006年、ちくま学芸文庫
◆北博昭*4二・二六事件全検証』(2003年、朝日選書)
◆須崎慎一『二・二六事件』(2003年、吉川弘文館)
筒井清忠二・二六事件青年将校』(2014年、吉川弘文館)
澤地久枝『妻たちの二・二六事件(新装版)』(2017年、中公文庫)

などいろいろな本がありますが「まともな本ならば」どの本を読んでも荒木の言うようなことはどこにも書かれていない。
 むしろ昭和天皇青年将校に対してマジで怒っていました。全然同情してない。 
 それがよくわかるのが例えば山下奉文の話です。

山下奉文 - Wikipedia
 妻は永山元彦陸軍少将(騎兵第2旅団長)の長女・久子。義父・永山少将が佐賀県出身で、佐賀出身の「皇道派*5幹部」真崎甚三郎とつながりがあったため、女婿である山下も皇道派と見なされるようになった。
 また、山下は安藤輝三が所属していた歩兵第3連隊長を以前務めていて、安藤と面識があり、当時安藤ら青年将校の動向を探っていた「統制派」片倉衷*6によれば、安藤に「岡田首相(226事件当時の首相)はぶった斬らんといかんな」などと皇道派の幹部として安藤らに理解を示すような発言をしていたという。
 しかし1936年(昭和11年)2月に二・二六事件が起こると、山下の義妹・永山勝子によると、山下は「何!、やったかッ」と大声で叫び、そのあとは沈黙したという。彼女によると山下は「陛下の軍隊を、自分たちの目的のために使うなんてもってのほかだ」といかにも悔しそうであったともいう。山下は同調者ではないかと周囲からは見られており、山下宅の電話は事件前から逓信省陸軍省軍務局(事件後は戒厳司令部)によって盗聴されていた。
 決起部隊が反乱軍と認定されることが不可避となった折に、「皇道派幹部」山下(当時、陸軍省軍事調査部長)の説得で青年将校は自決を覚悟した。このとき山下は川島陸軍大臣と本庄*7侍従武官長を通じて、彼らの自決に立ち会う侍従武官の差遣を昭和天皇に願い出たが、これは昭和天皇の不興を買うことになった。この件に関して『昭和天皇独白録』には「本庄武官長が山下奉文の案を持ってきた。それによると、反乱軍の首領3人が自決するから検視の者を遣わされたいというのである。しかし、検視の使者を遣わすという事は、その行為に筋の通ったところがあり、これを礼遇する意味も含まれていると思う。赤穂義士の自決の場合に検視の使者を立てるという事は判ったやり方だが、背いた者に検視を出す事はできないから、この案を採り上げないで、討伐命令を出したのである」とある。
 また『木戸幸一*8日記』にも「自殺するなら勝手になすべく、このごときものに勅使なぞ、以ってのほかなり」とあり、青年将校を擁護する山下に対し、天皇重臣の評価は極めて低かった。
 事件収拾後、山下は軍から身を引く覚悟も固めたが、川島陸軍大臣が慰留につとめ、朝鮮・龍山の歩兵第40旅団長への転任(明らかに左遷)という形で軍に残った。しかし、事件の影響で陸軍の主流から外れ、一時、陸軍航空総監(陸軍航空本部長兼務)を務めたことを除き、陸軍三官衙陸軍省参謀本部教育総監部)から遠ざけられて「支那駐屯混成旅団長」「北支那方面軍参謀長」「関東防衛軍司令官(満州)」「第25軍司令官(マレーシア)」「第1方面軍司令官(満州)」「第14方面軍司令官(フィリピン)」と外回りに終始した。このように二・二六事件は山下の人生に最後まで大きなマイナスをもたらすことになった。

 なぜ、山下が「侍従武官の差遣」を要望したのか。
 それは「自らと、自らが属する皇道派グループの保身」を図った「皇道派幹部」山下が「投降すべきだ」と説得したときに青年将校たちが「昭和天皇の勅使が来れば自決してもいい」といいだしたからです(但し、後で紹介する『強硬派』磯部浅一は『自分たちは何一つ悪いことはしていない』『相沢三郎陸軍中佐(永田鉄山陸軍省軍務局長暗殺犯)のように法廷闘争すべきだ』として『絶対に自決しない』と主張した)。
 しかしこれはかえって「何であんな奴らに勅使を送る必要があるのか。すぐに討伐しろ」と昭和天皇の激怒を招いただけで勅使は送られませんでした。勿論勅使が送られなかったことで青年将校たちは「自決の意思」を撤回します。「野中四郎の自決」「安藤輝三の自決未遂」は野中、安藤の「個人的意思」にすぎません。
 あげく山下は事件収束後、左遷されます(これは山下だけではなく川島陸軍大臣や本庄侍従武官長も昭和天皇の不興を買い、事件後、予備役編入されています)。
 山下は「第25軍司令官(マレーシア)」として「マレー作戦」によって「マレーの虎」と呼ばれ国民的英雄になりますが、1)昭和天皇、2)「226事件後、軍の実権を握った東条英機陸軍大臣(第二次、第三次近衛内閣)ら統制派」に疎まれたため、ついに「外回り」から軍中枢に戻ることができませんでした。
 なお、一時は「東条首相の側近だった武藤章陸軍省軍務局長)」が結局東条と対立し「第14方面軍参謀長(フィリピン)」に左遷され「第14方面軍司令官だった山下の部下」になったのは「皮肉な話」だと思います。
 なお、話が脱線しますが、226事件では青年将校は「真崎甚三郎*9を首相にせよ*10」と「天皇に推薦する」ように川島陸軍大臣に要望します(他にも「統制派を左遷しろ」などいろいろ要望していますが、メインは真崎の首相就任)。クーデターで大統領になった「韓国の朴正熙全斗煥」「エジプトのシシ」などと違い自分たちが首相になろうとは全く動いていない。
 しかも昭和天皇や川島の身柄を拘束して『言うことを聞かないと殺すぞ』などと恫喝して、『言うことを聞かせよう』ともしない。
 基本的には「昭和天皇や川島が自分たちの言うことを聞いて、真崎を首相にしてくれる」と根拠もなく信頼している。この点は「奇妙なクーデター」ではあります。
 そのため、「昭和天皇の厳罰方針」に磯部は「昭和天皇は愚かだ」と激怒して

『獄中日記』 磯部浅一
◆八月六日
 天皇陛下 陛下の側近は国民を圧する漢奸で一杯でありますゾ、御気付キ遊バサヌデハ日本が大変になりますゾ、今に今に大変なことになりますゾ
◆八月十日
 陛下 われわれ同志ほど、国を思い陛下のことをおもう者は日本国中どこをさがしても決しておりません、その忠義者をなぜいじめるのでありますか、朕は事情を全く知らぬと仰せられてはなりません、仮りにも十五名の将校を銃殺するのです、殺すのであります、陛下の赤子を殺すのでありますぞ、殺すと言うことはかんたんな問題ではないはずであります、陛下のお耳に達しないはずはありません、お耳に達したならば、なぜ充分に事情をお究め遊ばしませんのでございますか、なぜ不義の臣らをしりぞけて、忠烈な士を国民の中に求めて事情をお聞き遊ばしませぬのでございますか、何というご失政ではありましょう。
 こんなことをたびたびなさりますと、日本国民は陛下をおうらみ申すようになりますぞ
◆八月十日
 天皇陛下 何という御失政でござりますか、なぜ奸臣を遠ざけて、忠烈無双の士をお召し下さりませぬか。
◆八月二十五日
 天皇陛下は何を考えてござられますか、なぜ側近の悪人輩をおシカリあそばさぬのでござります
◆八月二十八日
 陛下が、私どもの義挙を国賊叛徒の業とお考えあそばされていられるらしいウワサを刑務所の中で耳にして、私どもは血涙をしぼりました、真に血涙をしぼったのです。
 陛下が私どもの挙をおききあそばして、「日本もロシヤのようになりましたね」と言うことを側近に言われたとのことを耳にして、私は数日間気が狂いました。
 「日本もロシヤのようになりましたね」とははたして如何なる御聖旨かにわかにわかりかねますが、何でもウワサによると、青年将校の思想行動がロシヤ革命当時のそれであるという意味らしいとのことをソク聞した時には、神も仏もないものかと思い、神仏をうらみました。
 今の私は怒髪天をつくの怒りにもえています、私は今は、陛下をお叱り申し上げるところにまで、精神が高まりました、だから毎日朝から晩まで、陛下をお叱り申しております。
 天皇陛下 何というご失政でありますか、何というザマです、皇祖皇宗におあやまりなされませ。

などと天皇に悪口しますが、その磯部ですら「天皇を殺してやりたい」などとは言わずに

『獄中日記』 磯部浅一
◆八月十日
 陛下がどうしても菱海の申し条をおききとどけ下さらねばいたし方ございません、菱海は再び陛下側近の賊を討つまでであります、今度こそは宮中にしのび込んでも、陛下の大御前ででも、きっと側近の奸を討ちとります。
 おそらく陛下は、陛下の御前を血に染めるほどのことをせねば、お気付きあそばさぬのでありましょう、悲しいことでありますが、陛下のため、皇祖皇宗のため、仕方ありません、菱海は必ずやりますぞ。

どまりでした。戦前の「天皇崇拝教育」のすさまじさを実感します。


日本の特殊性(R4.2.25): 荒木和博BLOG
 6分程度の動画です。タイトルで読む気が失せます。
 そんなことが「拉致の解決」と何の関係があるのか。何の関係もない。こじつけですら荒木も動画内で「拉致の話」などしません。
 しかもタイトルから予想がつくように日本の特殊性について(R4.1.20): 荒木和博BLOGの二番煎じです。
 それにしても荒木が「日本は海外に今は領土はない(昔は台湾、韓国、南樺太などがあったが)」といったのは「事実」なので、いいとしても「太平洋戦争も東南アジアを日本領にしようとしたわけではない」と言い出して絶句しました。
 「太平洋戦争はアジア解放の戦争」と強弁する気なのか。まず第一に「明らかに大嘘」である。
 第二にそんなことが拉致の解決と何の関係があるのか。何の関係もない。

*1:神戸大学名誉教授。著書『日本ファシズムとその時代』(1998年、大月書店)

*2:1923~1999年、著書『昭和の軍閥 』(2016年、講談社学術文庫

*3:東京大学教授。著書『石橋湛山』(1986年、中公叢書)、『時代劇映画の思想』(2000年、PHP新書→2008年、ウェッジ文庫)、『西條八十』(2005年、中公叢書→2008年、中公文庫)、『昭和十年代の陸軍と政治:軍部大臣現役武官制の虚像と実像』(2007年、岩波書店)、『近衛文麿』(2009年、岩波現代文庫)、『帝都復興の時代:関東大震災以後』(2011年、中公選書)、『昭和戦前期の政党政治:二大政党制はなぜ挫折したのか』(2012年、ちくま新書)、『満州事変はなぜ起きたのか』(2015年、中公選書)、『陸軍士官学校事件:二・二六事件の原点』(2016年、中公選書)、『戦前日本のポピュリズム:日米戦争への道』(2018年、中公新書)など

*4:著書『日中開戦』(1994年、中公新書)、『軍律法廷』(1997年、朝日選書)、『戒厳』(2010年、朝日選書)、『戦場の軍法会議』(2016年、新潮文庫

*5:皇道派荒木貞夫陸軍大臣(犬養内閣)の時代に陸軍次官だった柳川平助(第二次近衛内閣で司法相)、陸軍省軍務局長だった山岡重厚、人事局長だった松浦淳六郎、軍事課長だった山下奉文、参謀次長だった真崎甚三郎、参謀本部第三部長だった小畑敏四郎、参謀本部作戦課長だった鈴木率道などが皇道派とされる。彼らは「226事件後、陸軍の実権を握った統制派」によって陸軍中枢(陸軍省参謀本部)から排除されていきます(皇道派 - Wikipedia参照)。

*6:1934年(昭和9年)の陸軍士官学校事件では陸軍士官学校中隊長の辻政信らと共に、皇道派に属する村中孝次大尉、磯部浅一一等主計の逮捕に関与した(村中と磯部は後に軍を免官)。1936年(昭和11年)の二・二六事件では片倉を恨んでいた磯部に銃撃されて負傷している。(片倉衷 - Wikipedia参照)

*7:満州事件当時の関東軍司令官。戦後、戦犯指定されたことを苦にして自決

*8:第一次近衛内閣文相、厚生相、平沼内閣内務相、内大臣を歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*9:226事件当時、皇道派のボス。台湾軍司令官、参謀次長、陸軍教育総監を歴任

*10:ちなみに青年将校が岡田首相とともに「斎藤内大臣(元首相)」「高橋蔵相(元首相)」を襲撃(斎藤、高橋は暗殺するが岡田は暗殺できず)したのは「真崎の首相就任にとって斎藤と高橋が邪魔だったから」です。重臣であり「首相経験者」でもある斎藤、高橋は岡田暗殺後に「次期首相」になる可能性がかなりありました。なお「単なる偶然」にすぎませんが斎藤首相、高橋首相の前任者(犬養首相、原首相)はいずれも右翼テロで暗殺されています。