「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年2/28分:荒木和博の巻)

都会と拉致(3月1日のショートメッセージ): 荒木和博BLOG
 6分20秒程度の動画です。

 令和3年3月1日月曜日のショートメッセージ(Vol.333)。都会と拉致について、今日調査会のメルマガ「調査会ニュース」に副幹事長の杉野が書いたもの(下記リンク)とあわせてご覧下さい。
大都市での一人暮らし【調査会NEWS3404】(R03.3.1) : 荒木和博BLOG

 ということで大都市での一人暮らし【調査会NEWS3404】(R03.3.1) : 荒木和博BLOGの与太と内容はほとんど変わりません。大都市での一人暮らし【調査会NEWS3404】(R03.3.1) : 荒木和博BLOGについては下で突っ込んでいます。


大都市での一人暮らし【調査会NEWS3404】(R03.3.1) : 荒木和博BLOG

 拉致というと日本海側の寂しい海岸を思い浮かべる人もいるでしょう。実際に政府認定拉致被害者17名の多くは日本海側で偶然に拉致をされたことになっています。しかし調査会に寄せられた約470名の失踪者*1で最も多いのは東京、大阪、名古屋といった大都市です。

 馬鹿馬鹿しいとしか言い様がないですね。特定失踪者など「国内で40人も発見されており拉致などでは全くない」。
 まあ、百歩譲って「特定失踪者が仮に拉致だとして何?」ですよねえ。北朝鮮に対して「北朝鮮拉致だ」として帰国を要求できるだけの確実な証拠がある話で無ければ何の意味も無い。
 なお、俺個人は「拉致というと日本海側の寂しい海岸を思い浮かべ」たりはしません。つうか、そんなことはどうでもいい。問題は北朝鮮に対して「間違いなく拉致だ!」と言える確実な証拠がある失踪者(政府認定拉致被害者)について、日本政府が外交交渉で取り戻すだけの話です。それ以上でもそれ以下でもない。
 まあ、それはともかく大都市で失踪者は多いでしょうねえ。大都市に出てきて知り合いがいれば良い。
 知り合いがいなければ悩みを抱えても相談できる人が無くて孤独感を感じて自殺する人、失踪する人も居るでしょう。自殺して遺体が発見されなければそれは失踪者になります。そうした「都会の冷たさ」はまさに「東京砂漠(内山田洋とクールファイブ)」ですよねえ。
 あるいは、人間交差点 - Wikipedia矢島正雄原作、弘兼憲史・画)の「東京イメージ」なんかもそうした「都会の冷たさ」ですね。
 それはともかく、あるいは大都市で身寄りのない人間が、犯罪(殺人など)や事故に巻き込まれてもなかなか気づかれにくい。なかには「犯罪発覚の恐れが低い」ということで、そうした「孤独な人間」をターゲットにして犯罪をする人間もいるでしょう。あるいは別にそうした企みでターゲットにしなくても「被害者が身寄りの無い孤独な人間だった」ので結果的に犯罪が露見しないこともあり得る。
 ただし、それは当然ながら北朝鮮拉致とは何一つ関係が無い。そうした犯罪者は何も「北朝鮮工作員に限られない」わけです。


韓国鉄道旅行の話(2月28日のショートメッセージ): 荒木和博BLOG

 令和3年2月28日日曜日のショートメッセージ(Vol.332)。韓国で鉄道旅行をしていたときの話をいくつか。

 9分30秒程度の動画です。
 「これは拉致問題解決が目的の動画じゃねえのかよ?」「お前の鉄道趣味の話なんかするな、バカ!」ですよねえ。
 よくもまあ、家族会も荒木の馬鹿さに怒り出さないもんです。
 さて動画内容ですが

1)鉄道写真が趣味の荒木は、韓国でも同様に写真撮影した
2)軍事独裁政権下(1980年代の全斗煥政権)の韓国では「鉄道写真撮影」は「機密情報に該当する」として原則不可だったが、「北朝鮮の脅威」も大分薄れていたので「原則」は単なる建前にすぎず、形骸化し、隠し撮りなどせず、公然と撮影しても特に問題視されないことが多かった。問題にされる場合も「こういうことは今後しないように」と説諭されて、「写真撮影中止」「撮影フィルムを相手に渡す」レベルで、違法行為を理由に事情聴取や逮捕なんて事はまずない
3)日本もそうだが、韓国でもモータリゼーションの影響で近年はローカル鉄道の経営は厳しい(日本のように廃線になった鉄道も当然ある)

だそうです。まあ、拉致の解決には何一つ関係ないですね。

【参考:鉄道趣味と軍事機密(戦前日本の場合)】

戦前も鉄っちゃんっていたの? | Japan's Wartime and Postwar Periods Recorded
 戦時体制が次第に強まっていくに伴い、鉄道趣味にとっては冬の時代がやってきました。
 1939年9月には、鉄道省令第17号として、「国有鉄道軍用資源秘密保護規則」が定められ、列車に関する諸元を記録することや、特定の場所での撮影が許可制となる等、軍事機密の保護のために鉄道趣味に対する締め付けが厳しくなってきました。
 そしてついに1944年3月、「決戦非常措置要綱ニ基ク旅客輸送制限ニ関スル件」と題する閣議決定により、不要不急の旅行が制限され、100km以上の旅行に対して警察署の証明書が必要となり、また乗車券の販売枚数割当等も行われました。
 戦後に発行された同好会誌である『Romance Car』に掲載された記事によれば、実際にスパイと間違えられて連行され取り調べを受けた事実も存在していました。

*1:いわゆる特定失踪者のこと