「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年6/12日分:荒木和博の巻)

◆荒木ツイート

荒木和博がリツイート
◆レブラくん(RBRA)予備役ブルーリボンの会
 北朝鮮に拉致された疑いのある失踪者。横須賀付近では40数名とかなり多い。有本恵子さんを拉致した『よど号犯』の八尾恵氏も横須賀でカフェを開いていた

 その程度のことで「横須賀の失踪者」を根拠レスで北朝鮮拉致扱いしようというのだから呆れて二の句が継げません。


1960年体制の話(R4.6.15): 荒木和博BLOG
 8分50秒の動画です。

1955年 - Wikipedia日本共産党第6回全国協議会 - Wikipedia参照
◆7月27~29日
 日本共産党第6回全国協議会(六全協)を開催。北京にいた徳田球一書記長が2年前の1953年に死亡していたことが発表され、第一書記に野坂参三、書記局員に紺野与次郎*1、志田重男*2宮本顕治*3を選任した。
◆10月13日
 日本社会党が左派と右派の分裂状態を4年ぶりに解消(社会党再統一:鈴木茂三郎委員長(左派社会党委員長)、浅沼稲次郎書記長(右派社会党書記長))
◆11月15日
 社会党の再統一に刺激され、二大保守政党自由党緒方竹虎*4総裁,石井光次郎*5幹事長、水田三喜男*6政調会長)と日本民主党鳩山一郎総裁、岸信介幹事長)が合併し、自由民主党が誕生する(保守合同:当初は総裁を置かず「総裁代行委員」を置き、鳩山一郎(首相で日本民主党総裁)、緒方竹虎自由党総裁)、三木武吉日本民主党総務会長)、大野伴睦自由党総務会長)の4人が務めた。後に鳩山一郎総裁、岸信介幹事長、石井光次郎総務会長、水田三喜男政調会長)。

ということで「戦後政治のメインプレーヤー(自民、社会、共産)が1955年に誕生した(共産の場合は正確には『徳田体制の正式な終了→再スタート』ですが)」という意味の「1955年体制」なら有名ですが、1960年体制(1960年1月24日に民社党が誕生したことを重視)なんてのは「元民社党職員」荒木が勝手に言ってるだけで一般的な用語ではありません。
 荒木曰く

 「1960年体制研究会」を私と遠藤浩一 - Wikipedia氏、福井義高氏*7で以前やっていた

などと言っていましたが、果たして「著書などの形で研究成果は物になったのか」どうか。そんな話が何もないので物にならなかったのでしょうが。
 荒木は

 1960年代には『民社党結党』(1960年)以外にも池田,佐藤内閣による高度経済成長(1960年代全体)、安保闘争、浅沼・社会党委員長暗殺(1960年)、日韓国交正常化(1965年)などいろいろと重要な事件があった

と強弁していますが、何も「重要な事件があったのは1960年代だけではない」。そもそも、それなら「1960年代体制」とでも言うべきだろうし、まあ、「口から出任せ」でしょう。実際には「民社党が1960年にできたこと」を最重要視してるのでしょう。
 いずれにせよそんなことは拉致とは全く関係ない。
 荒木が「元民社党職員」とはいえ全くふざけています。拉致問題がテーマのはずの動画で、拉致に全く関係ない「自らの所属政党」について話を始めるバカは荒木ぐらいでしょう。
 さて、動画タイトル「1960年体制」とは関係ない話も荒木はいくつかしていて、その一つが

萩原遼 - Wikipedia氏の編集した雑誌『拉致と真実』(萩原遼 - Wikipediaによれば2014~2017年まで全12号、1年3号ペースの発行)が大量に余ってるので、欲しい方は連絡ください。送付します。送料だけで結構です(雑誌の料金はいらない)。

つうのには吹き出しました。「いろいろと面白い情報があります」とは言ってる物の本心は「廃棄したいけど、廃棄に金をかけるくらいなら欲しい奴に配ろう。萩原も2017年に亡くなって5年も経つし、配ってももはや誰も文句言わないだろう。萩原生前にやると奴が怒りそうだが」程度の話でしょう。どれほど「希望が来る」のかはともかく、随分と萩原も馬鹿にされたもんです。

【参考:1955年と1960年の出来事(上で紹介した事件は除く)】 
 ということでいろいろ大事件があった1955年、1960年ではあります。

1955年 - Wikipedia参照
◆4月18日
 インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議開催。平和十原則を採択
◆5月11日
 紫雲丸事故(犠牲者168名)
◆5月14日
 ワルシャワ条約機構結成
◆8月6日
  第1回原水爆禁止世界大会開催
◆9月10日
 日本が関税および貿易に関する一般協定 (GATT) に正式加盟
◆9月30日
 俳優ジェームズ・ディーンが交通事故死。
◆11月11日
 世界平和アピール七人委員会結成(植村環*8茅誠司*9下中弥三郎*10上代たの*11平塚らいてう*12、前田多門*13湯川秀樹*14
◆11月12日
 ドイツ連邦軍発足により西ドイツの再軍備はじまる。
◆12月1日
 モンゴメリー・バス・ボイコット事件(ローザ・パークス

1960年 - Wikipedia
 カメルーン(1月1日)、トーゴ(4月27日)、マダガスカル(6月26日)、 コンゴ共和国(6月30日)、ニジェール(8月3日)、チャド(8月11日)、中央アフリカ共和国(8月13日)、ガボン(8月17日)、セネガル(8月20日)、マリ(9月22日)、ナイジェリア(10月1日)、モーリタニア(11月28日)など、アフリカにおいて当時西欧諸国の植民地であった地域の多数が独立を達成した年であることに因み、アフリカの年と呼ばれる。
◆2月13日
 フランスが、サハラ砂漠で初の原爆実験。アメリカ、ソ連(現在のロシア)、イギリスに次ぐ第4の核兵器保有国となる。
◆2月23日
 皇太子明仁親王(現・上皇)と同妃美智子(現・上皇后)の第1子として、浩宮徳仁親王(現・天皇)が誕生
◆4月19日
 韓国で李承晩打倒を叫ぶ市民が蜂起(4.19人民蜂起)、四月革命が開始。4月27日に李承晩大統領が辞任。
◆5月3日
 創価学会第三代会長に池田大作が就任。
◆6月10日
 安保闘争東京国際空港でジェイムズ・ハガチー米大統領報道官の一行がデモ隊に包囲され、アメリ海兵隊のヘリが救助(ハガチー事件)
◆6月15日
 改定安保条約批准阻止の全学連7000人が国会に突入。樺美智子死亡
◆6月19日
 新安保条約が成立
◆7月27日
 経済協力開発機構OECD)創設
◆9月14日
 石油輸出国機構OPEC)結成
◆10月12日
 浅沼稲次郎社会党委員長が右翼・山口二矢に暗殺される。山口は11月2日に拘置所内で自殺
◆12月27日
 池田*15首相、所得倍増計画を発表


北朝鮮拉致問題講演会 群馬県など主催、玉村町で18日「どう救い出すか」 - 産経ニュース
 荒木が講師だそうです。そりゃこういう形で「永遠に行政から金がもらえる」のだから荒木が「拉致を解決する気がない」のも当然でしょう。


なぜ北朝鮮は崩壊しなかったのか(R4.6.14): 荒木和博BLOG
 6分35秒の動画です。「お前の目的は拉致被害者救出じゃねえのか?。北朝鮮打倒が目的か?」「北朝鮮打倒すれば拉致被害者が帰国するのか?」と心底呆れます。
 「北方領土返還」を主張する人間が「なぜプーチン政権は崩壊しないか?」「プーチン政権が崩壊すれば島が帰ってくる(勿論根拠レス)」と言うくらい馬鹿馬鹿しい。
 さて、「北朝鮮は何故崩壊しなかったか」といえば「荒木の主張に関係なく」俺の考えを言えば、やはり「中露の経済支援」が大きいでしょう。
 中露にとって「北朝鮮という緩衝国」の存在は意義があるでしょう。「統一韓国」で「在韓米軍が撤退する」ならともかく撤退するどころか、「新しい中韓、露韓国境(今までの中朝、露朝国境)に米軍が駐留」なんかしたら中露にとって全く迷惑です。
 「ロシアのウクライナ侵攻→プーチン政権崩壊→北朝鮮にとっての悪影響(ロシアによる北朝鮮支援の減少)」という可能性は無論ありますが、その場合でも「中国の支援」がありますからね。また仮に「プーチン政権」が崩壊したとしても後継政権が「国益判断から北朝鮮支援」すれば、ロシアの支援は続くわけです(ソ連崩壊後もエリツィンプーチン北朝鮮を支援したように)。勿論、こうした中露と事を構えてまで米国も「打倒北朝鮮」なんてしない。
 また「下手な形で政権崩壊してシリアやアフガンなどのように内戦になるくらいなら政権が続いた方がいい」つう「国民の消極的な支持」もあるでしょう。


お陰様で800号になりました(R4.6.13): 荒木和博BLOG
 政党や企業のように半永久的に「存在することが想定されてる物」なら「お陰様で800回」でもいいでしょう。
 しかし、荒木らの場合「拉致が解決すれば解散する建前」なので「長く続く」ということは「拉致問題で成果がない」ということであり「恥ずかしいこと」ですが、勿論荒木らにそんな常識はありません。むしろ「拉致が解決しない方がいつまでも拉致が飯の種にできていい」という「クズの集まり」が荒木ら「拉致右翼」です。こんな連中とつるんでいる拉致被害者家族会には心底呆れます。


上田電鉄の話(R4.6.12): 荒木和博BLOG
 5分6秒の動画です。拉致とは全く関係ない荒木の「鉄道趣味話」です。
参考

上田交通 - Wikipedia
【歴史】
◆1916年(大正5年)9月17日
 丸子鉄道設立。上田交通はこの年を創立年としている
1920年大正9年)1月5日
 上田温泉軌道設立。11月に上田温泉電軌に社名変更
◆1939年(昭和14年)9月1日
 上田温泉電軌が上田電鉄に社名変更
◆1943年(昭和18年)10月21日
 上田電鉄と丸子鉄道が合併し上田丸子電鉄を設立
◆1969年(昭和44年)5月31日
 上田交通に社名変更
◆2005年(平成17年)10月3日
 鉄道部門が子会社・上田電鉄として独立。現在は長野県上田市上田駅から別所温泉駅までを結ぶ別所線のみ運行
【事業】
 不動産業を主力とし、それ以外にも駐車場業や広告業、宿泊業(上田東急REIホテル)などを営んでいる。

*1:1910~1977年。共産党東京都委員会委員長、常任幹部会委員など歴任(紺野与次郎 - Wikipedia参照)

*2:1911~1971年。芸者遊びによる党の資金浪費疑惑を追及されて1956年に失踪し、1957年に除名された。1971年に胃癌のため、郷里兵庫県の病院にて死去(志田重男 - Wikipedia参照)

*3:1908~2007年。1958年に書記長に、1970年に委員長に、1982年に議長に、1997年に名誉議長に就任(宮本顕治 - Wikipedia参照)

*4:吉田内閣官房長官、副総理、自由党総裁など歴任

*5:吉田内閣商工相、運輸相、岸内閣副総理、池田内閣通産相、佐藤内閣法相など歴任

*6:石橋、岸内閣通産相、池田、佐藤内閣蔵相など歴任

*7:青山学院大学教授(会計学)。著書『中国がうまくいくはずがない30の理由』(2006年、徳間書店)、『会計測定の再評価』(2008年、中央経済社)、『鉄道は生き残れるか』(2012年、中央経済社)、『日本人が知らない最先端の「世界史」:不都合な真実編』(2021年、祥伝社黄金文庫)、『たかが会計:資本コスト、コーポレートガバナンスの新常識』(2021年、中央経済社

*8:1890~1982年。日本YWCA会長

*9:1898~1988年。日本学術会議会長、東大総長など歴任

*10:1878~1961年。平凡社創業者

*11:1886~1982年。日本女子大学学長

*12:1886~1971年。日本婦人団体連合会会長、国際民主婦人連盟副会長など歴任

*13:1884~1962年。東久邇宮、幣原内閣文相、東京通信工業(後のソニー)社長など歴任

*14:1907~1981年。京都大学名誉教授

*15:吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相、などを経て首相