「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年5/29分:荒木和博の巻)(追記あり)

米国で書かれ昭和5年に翻訳出版された『日米未来戦』の話(R3.5.29): 荒木和博BLOG

 令和3年5月29日土曜日のショートメッセージ(Vol.422)。米国の軍人が書いて昭和5年に邦訳が出た日米が戦うシミュレーション小説の話です。どの程度米国の世論に影響を与えたのかは分かりませんが、あちらさんはこんな頃からこんなことを考えていたのだなあと考えさせられます。

 6分程度の動画です。
 なお、荒木に寄ればこの邦訳には、海軍幹部である

◆谷口尚真*1
◆小林躋造*2

の序文がついてるそうです。谷口も小林もいわゆる「条約派(対米宥和派)」なので「反米右翼の荒木」とは違い、そうした思惑からの序文でしょう(もちろん、谷口、小林が海軍において非主流派であり、海軍が対米戦に突入したことは今更言うまでも無いでしょう)。
 動画タイトルだけで「アホか」ですね。そんなことが拉致問題と何の関係があるのか。何の関係もない。この動画は「拉致の解決」が目的では無かったのか。
 しかも荒木らウヨは「日米安保堅持」を主張しているのに、こんな米国誹謗を始めるとはどういう神経なのか。
 荒木は「対日架空戦記ガー」といって対米戦争の責任を米国に転嫁しようとしますが、当時は日本の側にも「同様の対米架空戦記があった」のでお互い様です。こうした架空小説は単に「日本(米国)の国民の中に、米国(日本)を仮想敵としてみなす人間(反米or反日主義者?)が少なからずいた(そしてそれなりに売れてたらしい)」という証明にはなっても、米国(日本)の政府や「国民多数」が対日戦(対米戦争)を本気で考えていたことの証明には全くなりません。
 正直、日本政府が対米戦争を真面目に考え出したのは「日本の仏印進駐」への「米国の対抗措置」である「対日石油、くず鉄禁輸」以降のことでしょう(いわゆる石油じり貧論)。一方で米国は「大国・米国相手に日本が開戦する」などと言う暴挙があるとは予想していませんでした。仮に緒戦で日本が勝てたところで長期戦に持ち込まれれば、国力の差から「日本必敗」だからです(実際に日本が緒戦で勝利しても最後に敗北した)。
 少なくとも米国の主観的には「対日禁輸」は「禁輸が嫌なら、日本は俺の言うことを聞け。蒋介石政権打倒なんか諦めろ、仏印からも撤退しろ」などと言う話であって、「のめない条件で日本を挑発して、切れさせて、期待(?)通りに日本が切れて、攻撃してきたら『正当防衛』として日本をボコボコにたたきのめす(当然、たたきのめすための事前準備は万全)」つう話ではない。
 真珠湾攻撃の成功は「米国の油断」と言う要素が明らかにありました。米国が「日本軍のハワイ攻撃」を予想して、防備をがっちりしていれば「国力の差」から日本が惨敗し、戦争は「日本敗北」で早期に終了していたでしょう。
 なお、ウヨ連中には「この動画での荒木」に限らず、

排日移民法 - Wikipediaガー
オレンジ計画 - Wikipediaガー
◆対日石油禁輸、くず鉄禁輸ガー、ハルノートガー

などといって、「太平洋戦争の責任」を米国に責任転嫁しようとする馬鹿がいますが、言いがかりも甚だしいですね。
 まず排日移民法。これは1924年に出来た法律であり、当然ながら1941年の対米開戦にはストレートには繋がりません。
 次にオレンジ計画ですが、日本以外にも「ブラック計画(対ドイツ)」「レッド計画(対英国)」などの戦争計画はありましたし、これらの戦争計画は「米国から仕掛ける」と言う話でもない(カラーコード戦争計画 - Wikipedia参照)。一方で日本の側も海軍には米国を、陸軍にはソ連を仮想敵とした戦争計画が長年ありました(ただし海軍の伝統的な対米戦争計画は、日本に来る米国艦隊を迎え撃つという『日露戦争での日本海海戦パターン』であり、山本五十六*3真珠湾攻撃とは違いますが)。
 最後に「対日石油、くず鉄禁輸」「ハルノート」ですが、米国が要求した「仏印からの撤退」「中国からの撤退(蒋介石政権打倒による中国完全植民地化の断念)」を蹴飛ばし、対米開戦したことに合理性があったのか。
 米国は日本に「朝鮮、台湾、南樺太など全ての植民地を放棄しろ」と要請したわけでは全く無い。「満州事変(1931年)以前に戻せ」といっただけです。それがそんなに飲めない無法な要求だったのか。
 どっちにしろ「太平洋戦争は米国が悪い、日本は悪くない」と居直ることと拉致解決と何の関係があるのか。「繰り返しますが」何の関係もない。拉致被害者家族会も荒木のようなバカと良く付き合えるもんです。

【参考:対米、対日架空戦記

架空戦記 - Wikipedia
 第二次世界大戦前の昭和初期(1930年代)にかけては、現実味を帯びてきた日米戦争をテーマにした小説が多数刊行された。しかしこれらの作者は海軍少佐の福永恭助を始めとした軍人や政治活動家が自らの政治的主張を広めるために書いたものが多く、文芸作品としては概して出来が悪いと評される。作品の中には、日米双方が架空の新型兵器を次々開発して戦う『日米戦争未来記』(1920年、樋口麗陽)などSF要素を持つ作品も存在し、これらは「日本SFの一つの潮流」と後の研究者から評価を受けている。
 日本以外でも、1897年にはハミルトン・米国海軍大尉の『日米開戦未来記』、1925年にはイギリスの元海軍情報機関員ヘクター・C・バイウォーターによる『太平洋大海戦』、1930年*4アメリカ陸軍少佐ジョージ・フィールディング・エリオットによる『米国武官の見たる日米未来戦』といったものが書かれているが、日本側と同じく政治主張が主目的の作品が多く、次第に忘れられていった。

会津信吾*5平田晋策の生涯から一部抜粋
 バイウォーターの著書があらわれた1920年代は、軍備縮小の時期にあたり、日本の出版界はおりから日米未来戦ものがブームになっていた。
 第一次大戦後、国力の発展にともない世界の5大国に仲間入りした日本は、アメリカに対抗して軍拡競争にやっきとなり、大正9年の議会では大幅な予算をあてて八八艦隊の建造計画が承認された。ところが大正10~11年にアメリカの提唱で開催されたワシントン会議で、英・米・日・仏・伊の5ヵ国間に海軍軍縮条約が締結され、日本の軍拡案は頓挫した。
 政府は欧米との対立を避けて協調外交路線をとった。しかしワシントン会議につづく排日移民法制定や、ハワイ沖大演習などのアメリカの対日行為に、日本国内の反米感情は沸騰した。その世論の現われが、一連の日米未来戦ものというわけである。
 稲生典太郎氏「明治以降における『戦争未来記』の流行とその消長」(「国学院大学紀要」第7巻)によれば、ワシントン会議前年の大正9年からロンドン会議前年の昭和4年までの10年間に、フィクション・ノンフィクションあわせて46点の戦争未来記が出ており、そのほとんどは日米開戦を論じたものだった。

会津信吾平田晋策の生涯2から一部抜粋
 「昭和遊撃隊」は平田の処女長編で、しかも「新戦艦・高千穂」と並ぶ彼の代表作である。
 アメリカの煽動で、中国空軍が揚子江上の日本の艦隊を無警告爆撃し、その報復に日本が米国艦を撃沈したことから、日米太平洋戦争の火蓋が切って落とされる。
 以下、物語は絶対的物量差で臨むアメリカに、少数精鋭技術で対抗する日本というテーマに沿って、平田の想定する太平洋戦争のプログラムが進行していく。
 ところが、「昭和遊撃隊」には、内容の異なる改作版がある。昭和10年2月、大日本雄辯会講談社から出た単行本がそれである。
 オリジナル版では日本とアメリカの対戦だったのが、単行本では日本人と同祖の海洋民族国家 “八島王国” と、南米の白人国 “アキタニア” に変わった。
 考えられる理由は、当局の検閲をクリアするための措置、ということである。
 昭和8年暮、「日の出*6」新年号附録の福永恭助『小説 日米戦未来記』が、輸送先のホノルル税関で全冊没収されるという事件がおきた。フィクションの中の仮想敵国が、現実に国家間の緊張を招いたわけである。
 オリジナル版「昭和遊撃隊」をそっくり単行本化すれば、発禁の憂き目にあう危険性は充分にある。
 『昭和遊撃隊』発禁の予感は、すでに「少年倶楽部*7」連載中から、うすうす持っていたようである。アメリカの表記が途中から○国、A国と変わるのは、そのためだろう。
 実は平田はすでに一度、発禁処分を喰った苦い経験があった。昭和5年に、『売国的回訓案の暴露』という単行本が安寧秩序紊乱の烙印を押されたのである。その記憶が、平田に改稿を決意させたのだろう。同時に講談社編集部からの要請もあったに違いない。人気小説が発禁処分を受ければ、「少年倶楽部」のイメージ・ダウンにもつながりかねない。おそらく両者の危惧懸念が一致して、自主改稿に至ったものと思われる。
 もっとも(ボーガス注:検閲官にとって)問題なのは当事国をはっきり日本とアメリカにしてしまったことだったようで、オリジナル版と単行本とでは基本的なストーリーに大差はない。それにしても舞台を架空国に置きかえただけで通用するとは、ずいぶんおかしな話である。いかにもタテマエにこだわる役人仕事、といった印象をうける。

探偵小説ミステリー読書記録 日米架空戦記集成 中公文庫 長山靖生編
 よもやこのようなマニアックすぎる作品集が文庫本で出ようとは誰が想起し得たであろうか? というほどの作品集。
 有本芳水「空中大戦争」、浅野一男「空中軍艦未来戦」、海野十三空行かば」、福永恭助「暴れる怪力線」、那珂良二「海底国境線」、立川賢「桑港けし飛ぶ」、河岡潮風「日米石胆力戦争」、阿武天風「日米戦争夢物語」、横溝正史「慰問文」、大阪圭吉「空中の散歩者」、三橋一夫「帰郷」。

上田信*8大正期における日米未来戦記の系譜から一部抜粋
「児童文学研究」第29号(1996.11.1 日本児童文学学会)に発表
(2)日米未来戦記の成立
 日米未来戦を素材とした未来予測や空想小説の類が頻繁に出版され始めるのは、明治期の末頃からである。その理由は日米関係の急速な変化にあった。日露戦争の頃までは、米国の外交政策は日本に対して好意的であったが、戦後、両国関係は急速に冷え込んでいった。ことに、米国における日系の移民排斥をめぐっては、日本国内における反発の動きが強まったからである。
 この当時、成人を読者対象とした二冊のベストセラーが相次いで出現している。即ち、ホーマー・リー(Homer Lea)の『日米戦争』(池亨吉訳 一九一一年一〇月三一日 博文館 原書は The Valor of Ignorance 1909)の翻訳刊行と、水野広徳の『次の一戦』(一九一四年六月三〇日 金尾文淵堂)の刊行である。
 『日米戦争』は小説ではなくノンフィクションの未来予測である。
 この著作の内容は日米戦争が勃発し、陸海軍ともに弱体な米軍は連戦連敗。ついに日本陸軍が米国西海岸に上陸し、この地を占領するという荒唐無稽なものである。こうした敗戦を描くことによって米国の軍備の不足に警鐘を打ち鳴らし、陸海軍の増強を説いている。
 『次の一戦』はフィクション仕立ての近未来小説である。筆者は、現役の海軍中佐。日露戦争中は水雷艇隊の指揮官を務め、日露戦争を描いたノンフィクション『此の一戦』(一九一一年三月一八日 博文館)で名を馳せた。『次の一戦』の内容は、緒戦で日本が勝利を収めるが、米国は大西洋艦隊を回航して優位に立ち、主力艦隊どうしの決戦に勝利するというものである。この著作はパナマ運河の開通直前に執筆されているが、物語中では既に運河は開通。米国大西洋艦隊の存在が日本にとって軍事的脅威になったとされている。
 いずれの著作も、自国の敗北を描くことによって敵国の強大さを説き、軍備増強を訴えたものであった。
 子どもむけには、宮崎一雨が「小説日米未来戦」を「少年倶楽部」に長期連載(一九二二年一月号~二三年二月号)し、人気を博した。連載終了後の一九二三年八月二五日には単行本『日米未来戦』(大日本雄弁会*9)が出て、版を重ねている。
(3)日米未来戦記の展開
 樋口麗陽は「第二次世界大戦 日米戦争未来記」「日米戦争未来記続編 第二次世界大戦未来記」を「新青年*10」に長期連載(一九二〇年九月号~七月号、同年七月号~二一年三月号)し、話題となった。
 大正期の末になると、英国人バイウオーター(Hector C. Bywater)の『日米関係未来記 太平洋戦争』(堀敏一訳述 一九二五年九月一二日 民友社*11 原書はThe Great Pacific War 1925)が成人むけに出版され、ベストセラーとなった。
 この頃、宮崎一雨は「日米大決戦」(「少年世界*12」一九二六年一月~二七年一二月号)を著している。一方、阿武天風は「愛国小説 太陽は勝てり」(「少年倶楽部」一九二六年一月~二七年一一月)を長期連載。
(4)子どもむけ日米未来戦記の特質
 宮崎一雨の「日米未来戦」の連載は、ワシントン海軍軍備制限条約(主力艦の保有を制限)の締結交渉とほぼ同時進行でなされている。
 それは、日米未来戦ものの執筆動機が、日本の海軍力が劣勢であることを広く知らしめ、ワシントン海軍軍備制限条約に反対することにあったからである。
 しかし、実はここに大きな矛盾がある。つまり、宮崎一雨の物語中では弱体な日本海軍は大いに苦戦するが、最後には勝利を収めることになっている。「日米未来戦」では新兵器(秘密結社の潜航艇隊)を登場させ、「日米大決戦」では巡洋艦に戦艦用の巨砲を装備するという空想的な方法により、戦局を一気に逆転させた。
 このように、海軍力が圧倒的に不利であるにもかかわらず、空想上の新兵器の登場によって戦局は一挙に覆される。それは、子どもむけの読物である限り、たとえ未来戦であっても日本の敗戦というストーリーを受け入れる土壌がなかったからだと思われる。
 戦えば必ず勝つという建て前が、子どもたちの精神形成に与えた影響は大きい。
 しかし、最終的に日本海軍が敗戦するというシナリオにまで踏み込まない限り、海軍力の劣勢を説く作者の主張と矛盾することになってしまう。圧倒的に有利な新兵器があるのならば、海軍力の増強など不必要だからである。だから、日本の海軍力の弱体ぶりを強調するのであれば、日本の敗戦を描かねばならない。水野広徳やホーマー・リーがともに自国の敗戦を描いているのは、こうした理由からである。
(5)おわりに
 歴史的に見ると、プロレタリア児童文学のような例外はあるが、日本の児童文学は社会との関わりの中で子どもを描くことは希であったと言われる。しかし、日米未来戦記の歴史を見ていくと、善悪は別として、これらが極めて政治的・軍事的な意図をもった読物であったという事実がわかる。

日米架空戦記 : 塩はうまくてまずいですから一部抜粋
 戦前に「少年倶楽部」っていう少年向けの雑誌がありまして、大正から昭和初期にかけて数多くの「架空戦記」が掲載されてました。
 このジャンルで非常に人気のあった作家が宮崎一雨。
 その中でも代表作と呼べるのが「日米未来戦」っていう話。
 「日米未来戦」が「少年倶楽部」に発表されたのは大正11年(1922年)。

【追記】
 長くなりますので、コメ欄の応答はこちらに書くことにします。

id:Bill_McCrearyさん
 私も同感ですが、本多勝一氏はどうも真珠湾攻撃にかんしてルーズヴェルト陰謀論者みたいですね。

 本多氏の

◆『中国の旅』(1981年、朝日文庫)
◆『冒険と日本人』(1986年、朝日文庫)
◆『南京への道』(1990年、朝日文庫
◆『日本環境報告』(1992年、朝日文庫)
◆『先住民族アイヌの現在』(1993年、朝日文庫)
◆『リーダーは何をしていたか』(1997年、朝日文庫)

などに親しんできた俺からすれば「非常に残念」ですね。
 もちろん「沖縄基地問題(基地被害を押しつけ)」「ベトナム侵略、グレナダ侵攻、アフガン戦争、イラク戦争などの対外軍事行動」「黒人差別問題」「過去の南米軍事独裁政権支援(CIAによるピノチェトクーデターの支援など)」「パレスチナ問題(露骨にイスラエルびいき)」等を理由に「米国に批判的な日本人」は本多氏以外にもいます(俺もその端くれです)。
また

◆『戦場の村』(1981年、朝日文庫)
 ベトナム戦争がテーマ。
◆『アメリカ合州国』(1981年、朝日文庫)
◆『新・アメリカ合州国』(2003年、朝日文芸文庫)

と言う著書がある本多氏が「米国に批判的」なのも当然ですが「米国批判=ルーズベルト陰謀論」ではないわけです。
 日本共産党などは別にそんな陰謀論は支持しない。
 ちなみに「架空戦記」「ルーズベルト陰謀論」といえば週刊ヤングマガジン連載の三田紀房架空戦記漫画『アルキメデスの大戦』が「モロにルーズベルト陰謀論」なんで「編集部と作者はアホか?」とうんざりします。

 それにしても荒木ばかりでなく、右翼の連中の太平洋戦争は米国が悪い、日米安保条約絶対支持というデタラメもいい加減にしたらどうか(苦笑)。

 ですよねえ。しかもそれを「拉致問題解決の為の宣伝」が建前の動画でやるのが意味不明です。
 「拉致問題」で北朝鮮に悪口するのは分かる。なんで米国に悪口するのか。しかも「朝鮮戦争で米国が勝利してれば1970年代の拉致は無かった」ならまだしも「ハルノートガー」「日本は米国にはめられた」。拉致に何一つ関係ない。
 動画ではそんなことはさすがに荒木は言っていませんが、まさか「太平洋戦争が無ければ、日本が植民地・朝鮮を放棄することも無く北朝鮮誕生は無かった→拉致が起こったのはハルノートで日本をはめた米国のせいだ」と言い出す気か。

 そういう連中はGHQの民主改革を批判・非難しますが、それがあったからこその今日にいたるまでの日本人の親米の姿勢、日米安保支持でしょう。
 米国はソフトパワーで日本人の心をとらえることに成功したわけで、ハードパワーだけなら(ボーガス注:ハンガリー動乱プラハの春弾圧などによる)東欧でのソ連への恨み、まああえて言えばチベットでの中国への恨み*13などと同じく、日本がそんなに今日親米のわけがない。

 とはいえ「沖縄などの米軍基地被害」と言う問題も一方ではあるわけで、浅井基文氏などもコラム|21世紀の日本と国際社会 浅井基文のページで嘆いていますが「『パレスチナ問題での米国の異常なイスラエルびいき』など、日本と直接関係ない問題はひとまず置くとしても、日本国内限定でも沖縄基地問題のような問題があるのに何故、日本人多数派は米国べったりなのか。強者に媚びるのが日本人か」つう思いを感じますね。
 なお、「中東の反米」はかなりの部分は「米国の異常なイスラエルびいき」による「米国の自業自得」でしょう。米国がもっとイスラエルに批判的であれば状況はかなり違うでしょう。
 なお、「農地改革」「財閥解体」など、多くの「戦後改革」は戦前から「日本国内の社民勢力など(後の日本社会党など)」によって主張されたものの「社民勢力の政治的無力さから政治的に実現できなかったもの」がほとんどであり、「米国オリジナル」というものはほとんどないでしょう。そう言う意味では日本側にも「戦後改革を受け入れる動機」はあったわけです。

 ナチスドイツが今日でも欧州のいろいろなところで恨み骨髄なのも、つまりは抑圧態勢の故でしょう。

 とはいえ、「今のドイツ」自体はポーランドやフランスといった隣国との関係は「ホワイト国除外、靖国参拝の安倍前首相」等「戦争に無反省な政治家が与党幹部の日本」と違い、「概ね良好」かと思います。この点「それなりに立派なドイツ」「酷すぎる日本」ですね。
 まあ、「河野談話」など「反省の動き」もそれなりにあるわけですが、それを台無しにしたのが前首相・安倍です。

 それはそうと「架空戦記」自体は、今日の日本でも過去も将来もネタにしているものがたくさんあるわけで、特定の国がどうしたこうしたというものではないでしょう。荒木がこの件で米国を非難するのなら、それは日本に帰ってくるし、またそれは他の国でも同じでしょう。

 ですよねえ。荒木の挙げた事例とは大分性格が違いますがたとえば俺が知ってるのだと

架空戦記 - Wikipedia参照
半村良戦国自衛隊
 『SFマガジン』1971年9月号、10月号に連載(後に角川文庫から刊行)。1979年に戦国自衛隊 (映画) - Wikipediaとして映画化。また、2005年には戦国自衛隊1549 - Wikipedia*14が作られた。
(ボーガス注:戦国自衛隊 (映画) - Wikipediaには映画の完全なネタバレがあります。)。
戦国自衛隊 - Wikipedia参照)
志茂田景樹『戦国の長嶋巨人軍』(1995年、実業之日本社
 半村良戦国自衛隊』のパロディ小説。精神鍛錬の一環で自衛隊体験入隊した長嶋茂雄率いる読売巨人軍が戦国時代にタイムスリップする。
かわぐちかいじの諸作品】
沈黙の艦隊 - Wikipedia
 1988~1996年までモーニング(講談社)に連載
ジパング (漫画) - Wikipedia
 2000~2009年までモーニング(講談社)に連載。自衛隊が太平洋戦争当時の日本にタイムスリップするという設定。
空母いぶき - Wikipedia
 2014年~2019年までビッグコミック小学館)に連載。2020年から続編『空母いぶき GREAT GAME』がビッグコミック小学館)に連載中。

なんかがありますね。

*1:1870~1941年。海軍兵学校校長、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長など歴任。「条約派」であることから1933年に「大角人事」(艦隊派の大角岑生海軍大臣(犬養、斎藤、岡田内閣)による条約派左遷人事)で予備役に編入された(谷口尚真 - Wikipedia参照)。

*2:1877~1962年。海軍省軍務局長、海軍次官連合艦隊司令長官、台湾総督、小磯内閣国務大臣(翼賛政治会総裁兼務)など歴任。226事件直後、「艦隊派226青年将校にも好意的だった山本英輔(海軍航空本部長、連合艦隊司令長官など歴任)」が責任を取らされて予備役編入されたときに小林も予備役編入されているが山本と違い、「小林には特に落ち度が無い」ため、「山本の予備役編入に反発する艦隊派を黙らせるため」、条約派の小林が不当にも道連れ(人身御供)にされたと言われている。(小林躋造 - Wikipedia参照)

*3:1884~1943年。海軍航空本部長、海軍次官連合艦隊司令長官など歴任

*4:年代から考えてこれが荒木の紹介した架空戦記では無いか?

*5:著書『新・日本SFこてん古典』(共著、1988年、徳間文庫)、『快男児 押川春浪』(共著、1991年、徳間文庫)など(會津信吾 - Wikipedia参照)

*6:1932~1945年まで新潮社が発行していた大衆雑誌

*7:1914~1962年まで発行された講談社の雑誌(少年倶楽部 - Wikipedia参照)

*8:岡崎女子大学教授。著書『謎とき名作童謡の誕生』(2002年、平凡社新書)など(上田信道 - Wikipedia参照)

*9:講談社の前身

*10:1920年1月に創刊され、1950年7月号まで続いた博文館の雑誌。江戸川乱歩のデビュー作『二銭銅貨』(1923年4月号)、小栗虫太郎黒死館殺人事件』(1934年4月~12月号)、横溝正史八つ墓村』 (1949年3月~1950年3月号、病気のため連載を中断している間に廃刊となり、雑誌『宝石』で連載が再開)が連載されたことで知られる(新青年 (日本) - Wikipedia参照)

*11:1887~1933年まで存在した出版社(民友社 - Wikipedia参照)

*12:1899~1933年まで出版された博文館の雑誌(少年世界 - Wikipedia参照)

*13:ただし「チベット解放」を契機に「封建農奴制」「神権政治」が廃棄され、近代化もされてるわけで、この点は「話は単純ではない」ように思います。ソ連支配が無くても近代化はしたであろう東欧とはそこが大きく違う。

*14:ウィキペディアを見るだけでも分かりますが戦国自衛隊1549 - Wikipediaは「自衛隊が戦国時代にタイムスリップした」という設定以外は原作や1979年映画とは大幅に違っています。