今日の産経ニュース(2019年9月21日分)

同性婚も改憲議論の対象に 自民・下村選対委員長 - 産経ニュース
 【産経抄】9月23日 - 産経ニュースが紹介する「宇都宮地裁真岡(もおか)支部判決」が主張するように改憲しなくても同性婚を認めることができる(現行憲法24条は同性婚を認めてもいないが禁止してもいない)というのが通説ですが、それはさておき。
 九条改憲論への警戒を弱めたいということはわかりますが「本気とはとても思えない」ですね。よくもまあこんな心にもないことが言えるもんです。

【産経抄】9月23日 - 産経ニュース
 先週不可解な判決があった。
宇都宮地裁真岡(もおか)支部が、同性カップルを「内縁(事実婚)」に準じる関係だったと認め、法的保護の対象になるとの判断を示した。訴訟は30代女性が相手の不貞行為をきっかけに関係が破綻したとして約630万円の損害賠償を求め、110万円の支払いを命じた。
▼婚姻は両性の合意のみに基づいて成立-という憲法24条を持ち出し「同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」などと余計なことも言っている。案の定、「同性婚」への大きな一歩という論調も一部に出た。だがもちろん日本で同性婚は認められない。判決が同性婚につながるわけでもない。

と産経が「宇都宮地裁真岡(もおか)支部判決」に悪口するように同性婚どころか「同性カップルの法的保護一般」を否定するのが日本ウヨですからね。


【浪速風】サンマ不漁 中国、台湾は考えよ - 産経ニュース
 「タイトルからして」産経らしい駄記事です。サンマ不漁に「中国や台湾の漁業が全く無関係とはいえない」ようです。とはいえ日本の漁船が全く無罪のわけでもないし、気象条件という問題もある。
 「中国や台湾だけが悪く、日本が無罪であるかのような記事内容」は明らかに事実に反しますし、それこそ「不漁の原因を直視すること」ができずに事態を悪化させる危険すらあるでしょう。


【昭和天皇の87年】「日本が敗戦国となつた時には…」 首相を本気にさせた天皇の一言 - 産経ニュース

 日独伊三国同盟が成立した昭和15年9月以降、日米関係は、一気に危険域へと達した。
 同盟締結後の10月12日、米大統領ルーズベルト*1は「独裁者たちの指示する道を進む意図は毛頭ない」とする強硬な演説を行い、同月30日に蒋介石政権への1億ドル追加支援を発表、12月には対日禁輸品目の範囲を拡大するなど、日本への圧力を強めていく。
 外相、松岡洋右が同盟締結に踏み切った根底には、欧州で快進撃を続けるドイツとの関係を強化し、ドイツの斡旋(あっせん)により日ソ関係をも修復し、日独伊にソ連も加えた威圧によってアメリカの妥協を引き出すという、したたかな狙いがあった。松岡の目論見は、無残に打ちのめされたといえよう。

 彼が最も熱心な「三国同盟論者の一人」とはいえ、彼一人で決めたわけでもない。そもそも彼は首相でも天皇でもなく一外相にすぎません。松岡ばかり非難するのは不適切でしょう。

 アメリカからの原料輸入がストップすれば、日本は資源を求めて南方に目を向けざるを得ない。南方に植民地を持つフランスの降伏で南進論が一気に高まり、日本軍は9月、蒋介石支援の輸送ルート遮断を名目に北部仏印(フランス領インドシナ)へ進駐。これに反発してアメリカがくず鉄の全面禁輸に踏み切ると、日本軍はさらに南部仏印への進駐を本格検討するなど、事態は悪い方へ、悪い方へと転がり落ちていった。

 既に指摘しましたが「北部仏印進駐」では松岡外相(第二次近衛内閣)ですが「南部仏印進駐」では豊田外相(第三次近衛内閣)なので松岡ばかりが悪いわけではありません。

 大政翼賛会はやがて近衛の真意とは真逆の、軍部の方針を支えるだけの組織になり果てていく。

 と言って軍部に責任転嫁する産経ですが、226事件の結末などでもわかるように天皇の権力は絶大でした。天皇が本気で戦争を止める気なら止められたわけです。
 また、大政翼賛会には既存の政党政治家が多数参加していますし、彼らは単純な軍部の操り人形ではありません。軍部の責任は大きいですが、すべてを軍の責任にして天皇や政治家、「軍以外の官僚」を免罪しようとするのは土台無理があります。

 親日派汪兆銘が1940(昭和15)年3月、日本の意を受けて新政府を樹立するも中国民衆の支持は得られず、参謀本部などがひそかに進めてきた蒋介石政権に対する裏面工作(桐工作)も、10月には頓挫した。何をやってもうまくいかなかったのだ。

 中国から撤退すればいいものを「多数の人命を失い、費用も投じたのに、何ら利権も得られずに撤退できない」と利権に固執し、しかし、利権をえられる見込みもなく蒋介石政権との戦争を続け泥沼にはまり込む日本です。
 なお、汪兆銘 理想と現実1
汪兆銘 理想と現実2
が指摘していますが日本が汪兆銘の要望を蹴飛ばし、自分の都合のいいことばかりを汪に押し付けたことが、彼が「日本の傀儡扱い」され民衆の支持が得られなかった理由です。

 昭和天皇は、破滅の戦争の足音が近づいてくるのを、感じ取っていたのではないか(※3)。
(※3) 昭和天皇は重大局面に備え、(ボーガス注:閑院宮伏見宮という)皇族が務める陸海両総長の更迭検討を指示、参謀総長杉山元*2(10月3日)、軍令部総長永野修身*3(16年4月9日)が就任した

 産経が言うようなことではなく「日中戦争にいっそう本腰を入れた」だけの話でしょう。

 9月16日、参内した近衛に言った。
 「自分は、この時局がまことに心配であるが、万一日本が敗戦国となつた時に、総理も、自分と労苦を共にしてくれるだらうか」(※4)
(※4) 近衛はこのとき、伊藤博文*4明治天皇に「(日露戦争で敗戦したら)爵位勲等を拝辞し、単身戦場に赴いて討ち死にする覚悟です」と言上した例を挙げながら、「自分も及ばずながら誠心御奉公申上げる覚悟です」と奉答した。翌日の閣議でこのやりとりを聞いた外相の松岡洋右は、声をあげて泣き出したという

 実際には近衛は「戦犯指定を苦に自決し」、一方、昭和天皇は訴追されずに生き延びました。まあ近衛が自決せずとも、彼が訴追されればおそらく、東条英機元首相らとともに死刑判決でしょう。そして近衛も「靖国に合祀された」のでしょう。


【昭和天皇の87年】ドイツと“心中”!? 三国同盟に突き進んだ松岡洋右の真意は - 産経ニュース

 第2次近衛内閣は、早くも27日の大本営政府連絡会議で「世界情勢ノ推移ニ伴フ時局処理要項」を決定した。ドイツに降伏したフランスとオランダが東南アジアにもつ植民地*5を日本の勢力下に置くため、(1)独伊両国との政治的結束の強化(2)対ソ国交の飛躍的調整(3)対米英開戦の覚悟-を盛り込んだ、政軍連携の外交方針である。阿部信行*6内閣以降の「中道外交」を一気に転換するものといえよう。

 平たく言えば「フランスやオランダを速攻で降伏させたドイツの軍事力」に期待し「ドイツの力を借りれば、中国、英米恐れるにたりず(いずれ英国も降伏するだろう)」「場合によっては米英戦もオーケー、十分勝算がある(もちろん日露戦争のような双方痛み分けを想定しており、さすがに米国本土上陸とか首都ワシントン占領とか考えてませんが)」、そして「可能ならドイツが降伏させたオランダ植民地インドネシアとフランス植民地ベトナムを日本のものにしちまおう」つう話です。「ドイツが仲間ならば対米戦争は可能」が考えとして甘かったことは今更言うまでもないでしょう。

 昭和天皇が憂慮したのは言うまでもない。陸軍参謀総長*7と海軍軍令部総長*8に説明を求め、軍令部総長から《日米開戦の場合、持久戦になれば不利が予測されるため、特に資材の準備が完成しない限り軽々に開戦すべきではない旨の言上》を受けると、翌日、侍従武官長*9に《(陸海)両軍の歩調が十分揃(そろ)わない観があることから、陸軍が無理に海軍を引き摺らないよう注意することを御下命》になったと、昭和天皇実録に記されている(27巻121、123頁)。

 昭和天皇があくまでも問題にしてるのは「大国・米国に勝てるのか」つう話です。それ以上でもそれ以下でもない。一方で彼は中国から撤退する考えはない。
 そこで
1)中国から撤退しない限り米国との対立は消滅しない
2)しかしドイツをバックにすれば米国恐れるに足りず、戦争しても勝算がある
と政府や軍に説明されれば彼は「なら戦争していい」になってしまうわけです。

 松岡の案は四相会議や臨時閣議でも了承され、9月19日の御前会議で最終確認された。その際、枢密院議長の原嘉道*10が、同盟によりアメリカの対日圧力が強まり、石油や鉄の禁輸措置に踏み切るだろうと懸念を示したが、松岡は強気だった。

 四相会議の四相とは「近衛*11首相、松岡*12外相、東条*13陸軍大臣、吉田*14海軍大臣」ですね。松岡ばかりを悪者にしたがる産経ですが「最も熱心だったのが彼」だとしてもそれにほかの人間も賛成した以上、松岡ばかりを責められる話でもありません。そこには「中国から撤退しない限り米国との関係はよくはならない。しかし撤退できるのか、していいのか」「米国との関係がよくならなければ対米戦争もありうるがその場合ドイツと手を組んだ方がいいのではないか」という松岡の主張に対抗するすべがなかったからでしょう。
 結局「中国から撤退する」という選択をとらない限り、どうにもならなかったということです。
 また「日独伊三国同盟」それだけが対米関係を悪化させたわけでもない。その後、日本が1940年の北部仏印進駐(第二次近衛内閣)と、1941年の南部仏印進駐(第三次近衛内閣)に踏み切ったことも対米関係を悪化させています。
 これらの行為で米国の反発を買い、屑鉄禁輸、石油禁輸などの経済制裁を食らっています(しかし、米国の制裁は陸軍を中心に「石油じり貧論」を理由とした対米戦争論をかえって助長した)。
 なお、第二次近衛内閣の外相は松岡ですが、第三次近衛内閣の外相は豊田貞次郎*15(海軍出身)であり「豊田は松岡と違い、戦後なぜか戦犯訴追されなかった」ものの松岡ばかりが悪いわけではありません。

 (ボーガス注:緒方竹虎*16著「米内光政を憶ふ-三国同盟をめぐつて」(月刊誌「文芸春秋」昭和24年8月号収録)によれば)締結後、東京朝日新聞主筆緒方竹虎が前首相の米内光政に聞いた。
 「米内*17、山本*18(五十六)の海軍が続いていたら、徹頭徹尾反対したでしょうか」
 米内は、「無論反対しました」と答えた後、しばらく考えてからこう付け足した。
 「しかし殺されたでしょうね」

 そもそも「なぜ続かなかったか」ということですね。そこには米内や山本を「引きずり下ろす動きがあり、それに米内らが抵抗できなかったから」でしょう。「殺される」以前の話です。そして「政治的に米内らを葬ることが可能なら」殺す必要などどこにもないわけです。しかも山本に至っては最終的には「日米開戦(真珠湾攻撃)の実行者」になりました。
 なお、「日独伊三国同盟や日米開戦に反対した」とはいえ米内や山本は「そうした事態を引き起こした原因」である日中戦争については別に和平派ではありません。その点で彼らには明らかに限界があります。


「資本論」意義訴える 共産・志位氏が出版講演 - 産経ニュース
 もちろん産経は共産党をほめてるわけではなく「淡々と客観的記述」ですが、内容は「反共極右」ではなく普通です。

参考

https://twitter.com/shiikazuo/status/1174947469018271744
志位和夫
「新版『資本論』刊行記念講演会」
 今日から約2年かけて、新版『資本論』を刊行していきます。この間刊行された『資本論草稿集』の研究をもとに、エンゲルスによる編集の功績とともに問題点を前向きに解決し、全体にわたる翻訳の改訂を行ったものです。どうかご活用を!


【ソウルから 倭人の眼】“告げ口”に意気込む韓国 原発処理水に旭日旗(1/3ページ) - 産経ニュース
 旭日旗はともかく、地元漁協からも「魚が売れなくなる」として反対の声が出ている、つまり日本国内からも批判がある「汚染水放出問題」を「韓国ガー」とは産経は完全に頭が狂っています。
 こうした産経のふざけた態度は「地元漁協を中心に」批判を受けざるを得ないでしょう。

*1:海軍次官ニューヨーク州知事などを経て大統領

*2:陸軍省軍務局長、陸軍次官、陸軍航空本部長、参謀次長、陸軍教育総監、林、第一次近衛内閣陸軍大臣、北支那方面軍司令官、参謀総長、小磯内閣陸軍大臣など歴任。戦後、自決

*3:軍令部次長、横須賀鎮守府司令長官、広田内閣海軍大臣連合艦隊司令長官軍令部総長など歴任。戦後、東京裁判中に病死。のちに靖国に合祀

*4:貴族院議長、枢密院議長、首相、韓国統監など歴任。元老の一人。

*5:フランスはフランス領インドシナベトナムなど)、オランダはインドネシア。なおインドネシアを日本が勢力下に入れようとするのは「太平洋戦争開戦後」ですがフランス領インドシナは、1940年の北部仏印進駐(第二次近衛内閣)と、1941年の南部仏印進駐(第三次近衛内閣)ということで「開戦前から日本軍を進駐」させています。

*6:陸軍次官、台湾軍司令官、首相、朝鮮総督など歴任

*7:当時は閑院宮

*8:当時は伏見宮

*9:当時は蓮沼蕃

*10:田中義一内閣司法大臣、枢密院議長など歴任

*11:貴族院議長、首相を歴任。戦後、戦犯指定を苦にして自殺。

*12:満鉄総裁、第二次近衛内閣外相など歴任。戦後、戦犯裁判中に病死。のちに靖国に合祀

*13:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相など歴任。戦後、死刑判決。のちに靖国に合祀

*14:連合艦隊司令長官、阿部、米内、第二次近衛内閣海軍大臣支那方面艦隊司令長官、横須賀鎮守府司令長官など歴任

*15:海軍省軍務局長、海軍省航空本部長、海軍次官、第二次近衛内閣商工相、第三次近衛内閣外相、鈴木内閣軍需相など歴任

*16:戦前、朝日新聞常務、専務、主筆、小磯内閣内閣情報局総裁など歴任。戦後、東久邇宮内閣書記官長(内閣情報局総裁兼務)、吉田内閣官房長官、副総理、自由党総裁など歴任。

*17:林、第一次近衛、平沼内閣海軍大臣、首相、小磯、鈴木、東久邇宮、幣原内閣海軍大臣など歴任

*18:海軍省航空本部長、海軍次官連合艦隊司令長官など歴任