中国・上海で小学生の英語試験禁止 習思想は必修化: 日本経済新聞
「小学校で英語教育などやりすぎだ」という「ゆとり教育的な思惑」でしょう。日本だって「小学校から英語教育をする必要はない」という意見はある。
是非はともかくこれを「反米主義(この日経記事の論調)」と見なすのはまともではありません。
◆楊海英のツイート
楊海英
モンゴル人留学生は政治的発言しないで、勉強しなさい、と「アドバイス」する日本人がいる。そのような人は勘違いしている。
もちろん政治活動がしたければすればいい。仮に「学問がおろそかになった」としても当人がそれで納得してるのならそれまでの話です。とはいえ「留学生」であるなら「南京事件否定論、河野談話否定論などを放言し戦前日本の非を認めない」日本ウヨと野合するような「非学問的な行為」はやめてほしいもんです。
楊海英
今日は@終戦の日。日本は戦争に負けたというよりも、「負けた」との思想に負けたのだ。一度負けただけで、未来永劫にわたり、負けた、と落胆する必要ない。謝罪し続ける*1必要もない。
「はあ?」ですね。実際問題、負けたわけです。そして「例は何でもいい」ですが、「大義名分のある闘い(田中正造の足尾銅山鉱害での闘いなど)」なら負けても「田中は政治的には明治政府に負けたが道義的には勝った」「田中の思いを生かして公害撲滅に頑張ろう」などといってもいいでしょうが、あの戦争にその種の「大義名分」がどこにあるのか。
あの戦争から導き出される教訓は「勝算がない上に大義名分もない戦争」「回避可能な戦争」はすべきでない、そして「開戦後、敗色濃厚なら政治家は国民の命を守るため早急に降伏すべき」という話でしかない。楊の物言いはおよそ「学者の肩書き」を持つ人間のやることではない。楊がそういう右翼活動(それもデマまみれ)がやりたいのなら「学者を辞めてからやれ」と言いたい。しかしいい加減「楊の共同研究者や共著者」「楊の著書の版元」も「こうした右翼放言に賛同しない」のであれば、楊と縁切りすべきではないか。
楊海英
ほとんどの講演会で聞かれる。「南北(内外)モンゴルはいつ、どうして分かれたのか」と。日本が南即ち内モンゴルを(ボーガス注:満州国や蒙古聯合自治政府の一部として)支配下に置いたからだよ!
「つまり、満州事変(そしてその後の中国侵略)はやるべきではなかった、ということですか?。で、そんなあなたが何故、満州事変などを正当化する日本ウヨと、反中国で野合するのですか?」ですね。楊の脳みそは全く理解不能です。
楊海英
廖承志*2は(中略)1966年9月13日に名門北京大学でスピーチ。
「我が国は海外に二千万人の華僑を有し、驚嘆すべき力だ。その内の百分の一の20万人が敵の後方でゲリラ戦を始めたらどうなる」
世界は正にその通りに浸透されている。日本はどんな対策を講じるが問われている。
吹き出しました。仮に楊の指摘通りの廖発言が事実あったとして、現実問題として「20万人のゲリラ戦」など「敵(西側諸国)の後方」で当時なかったわけです。
ましてや、文革当時の廖発言が今の中国において何の意味があるのか。
何が
世界は正にその通りに浸透されている。日本はどんな対策を講じるが問われている。
なのか。完全なデマの垂れ流しです。いい加減、静岡大学(楊の勤務校)、岩波書店、講談社、筑摩書店(楊の著書の版元)なども楊に苦言を呈したらどうなのか。
そもそも当時、「劉少奇国家主席」「鄧小平副首相」など「廖承志よりずっと上の立場」の人間すら「最高指導者」毛沢東にそそのかされた文革派によって打倒されたことを考えればこれが廖承志の本心か怪しい。おそらくは保身のために「やたら勇ましい発言をした」というだけでしょう。
まあ、華僑のパワー*3はすごいでしょうが、基本的に彼らは「商売人」でしかありません。当然、持ってるパワーも「商売人としてのパワー(経済力や人脈)」でしかない。全くもって楊海英静岡大学教授も、完全にトンデモの域だと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)ですね。