「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年9/1日:荒木和博の巻)(副題:『男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け』に触れています)

世の中「正解」はないという話(R3.9.1)
 5分22秒の動画です。
 正確には「正解はない」ではなく

・人間は神様ではないので、必要な情報すべてを入手して、その情報に基づいて正しい結論が出せると限らないことが『多い』

ということですね。不十分な情報で決断しないといけないこともあるし、情報が十分でも「その解釈を間違って」間違った決定をすることもある。一方、「正解があるケース」も勿論あります(後述しますが、例えば『多数の犠牲者を出した太平洋戦争や文革はしない方が良かった』と言うことについて争いなどないでしょう)。
 例えば「大失敗」や「大成功」なら、「大成功したから正解」「大失敗したから間違い(しない方が正解)」ですよねえ。たいていの場合「大成功でも大失敗でもない(ちょぼちょぼの成功)」から「正解と言えるか解らない」になるわけですが。
 まあ、「大成功」の場合は

・「男はつらいよ」は渥美清にとって、「大都会、西部警察など石原プロ作品の刑事ドラマ」は渡哲也にとって大成功だったが、その結果、けっきょく渡哲也は、渥美清と同じ轍を踏んだと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)と言う意味では『ある意味』失敗だった

などという『皮肉な場合』もあります。こういうのは確かに「ある意味正解はない」かもしれない。
 なお、「話が脱線しますが」とはいえ

渥美清 - Wikipedia
◆映画八つ墓村 (1977年の映画) - Wikipedia(1977年、金田一耕助*1
 原作は横溝正史推理小説
テレビ朝日ドラマ田舎刑事 - Wikipedia(1977~1980年まで4作、主演:杉山松次郎刑事)
 第1作『時間(とき)よ、とまれ』は「土曜ワイド劇場」の初回作品。1995年8月5日には土曜ワイド劇場枠で『時よとまれ』のタイトルでリメイクされた(主演:矢沢永吉)。
渡哲也 - Wikipedia
テレビ朝日ドラマ浮浪雲 - Wikipedia(1978年*2、主演:浮浪雲(はぐれぐも))
 原作はジョージ秋山のマンガ。なお、ビートたけし主演で1990年にTBSでもドラマ化されている。

なので渥美も渡も『しがらみによって出演数が少なくなった』とはいえ、「男はつらいよ」、「大都会、西部警察など石原プロ作品の刑事ドラマ」以外の出演も一応はあります。
 それはともかく、

・太平洋戦争での日本敗戦
毛沢東文革

みたいな大失敗では「正解はない」といったら「バカか」という話にしかならない。従って「当たり前」ですが、「正解があるケース」も勿論あります。
 さて「男はつらいよ」でも確か、第17作『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』(1976年公開*3)で岡田嘉子

男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け - Wikipedia参照
「(人間には)ああすりゃよかったなあという後悔と、どうしてあんなことをしてしまったんだろうという後悔がある」

という趣旨の台詞を吐きます*4が要するにここで荒木が言ってるのはそういうことです。
 それにしても話が脱線しますが、こんな台詞を岡田に言わせるなんて、山田洋次も「何か残酷だなあ」感はある。
 岡田嘉子 - Wikipediaを見れば解りますが、
1)岡田は戦前の人気女優だったが、共産主義に傾倒し、「同じく共産主義に傾倒していた」恋人の杉本良吉(演出家)とスターリンソ連に亡命
2)しかしスターリン粛清の中で、杉本はスパイの濡れ衣で銃殺刑。岡田は禁固10年
という事を知っていればどうしてもこの台詞は「そういう目で見てしまう」。
 もしかしたら、「逆に」岡田はむしろこの台詞に「日頃思ってることが言えて良かった」感があったかもしれませんが、それは今となっては解らないでしょう。
 話を元に戻しますが、荒木がこんなことを言うからといってそれはもちろん決して

・巣くう会や家族会の方針も、もしかしたら間違ってるかもしれない
蓮池透氏や田中均氏、和田春樹氏など『巣くう会、家族会』に批判的な人間の方が正しいかもしれない

なんて「謙虚な精神」など全く意味していません。

・正解がないんだから、小泉訪朝から18年経っても拉致が解決しないからといって巣くう会や家族会が間違ってるとは限らない

というただの居直りです。どれほどクズなのか。

【参考:『男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け』】

男はつらいよ全作品覚え書ノート 第17作「寅次郎夕焼け小焼け」1976年7月24日封切り
 この映画には宇野重吉さんの初恋の人、志乃役で往年のスター、岡田嘉子さんが出演している。彼女の体から出るあのオーラはいったいなんだろう。
私、近頃よくこう思うの。人生に後悔はつきものなんじゃないかしらって。
 ああすればよかったなあ…という後悔と、もうひとつは、どうしてあんなことしてしまったのだろう…、という後悔
…」
 この言葉は、あとから考えると、岡田さんの人生そのものであり、岡田さん以外の人には言えないセリフだったと今でも確信している。
 岡田さんは14年後に日本を去り、ソ連に戻り、かの地で独り寂しく永眠された。
 ソ連に戻る際、友人の杉村春子さんが「日本の方が暖かいのに」となんとか止めようとしたが、岡田さんは寂しそうに笑い、「東京のあわただしい空気より、静かなモスクワの方が肌に合うんですよ。それに私を愛してくれた2人の男が眠っている国だし」と杉村さんに言ったそうだ。
 役者は人生が出る、生き様が出る。渥美さんや、岡田さん、宇野さん、笠さんを見ているとそう思う。撮影現場で一生懸命体当たりの演技をしてもしょうがないのだ。そんな甘い物ではない。勝負すべきは日々の孤独の中での生き様なのだから。

『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』 | 新・法水堂
 シリーズ第17作。
 恒例の夢のシーンは人食いザメと車船長との対決。寅さんは髭をたくわえていつになく真剣。源公は下半身が食いちぎられているという凝りようで、気が触れてしまったさくらは足を残して、サメの餌食に……。ああ、この頃『ジョーズ』がヒットしたんだなぁということがよく分かりますな。
 本作の旅先は兵庫県龍野市(現・たつの市……なんだって平仮名にしたのかねぇ)。
 「赤とんぼ」の作詞家・三木露風の出生地ということで本作のタイトル。
宇野重吉さん扮する日本画の大家・池ノ内青観もこの地の出身という設定で、青観を迎える龍野市の観光課係員が寺尾聰さんという親子共演。
 青観初恋の人・志乃役が岡田嘉子さん。これがまた気品のある老婦人でねぇ。ソ連への逃避行などはググって頂くとして、こういった謂わばレジェンド的な俳優を起用するあたりに山田監督の敬意が感じられる。
 マドンナは太地喜和子さんなのだけど、龍野芸者ぼたんと寅さんとは恋仲というよりは、同志といった感じ。さくらは旅から帰ってきた寅さんの様子を見て心配するが、本当に惚れた相手なら「所帯を持とう」などと軽く言ったりはしないであろう。もっともぼたんの方は次第に寅さんに惚れていったようではあるけど。
 ストーリー的にもぼたんに恋人が出来て振られる、といういつものパターンではなく、鬼頭という男に金を騙し取られたぼたんを寅さんが何とか助けようという展開になっている(後の黄門様*5がこんな悪いことをしていたなんて!)。
 最終的に金を工面するために青観先生のところに出向く寅さんだけど、金のために絵を描くことは断られる。ここでの寅さんは「ちょろちょろっと絵を描いてくれ」などと発言していて、芸術に関して理解のないところを露わにしてしまっている。
 そうは言いつつもぼたんのために絵を描いてやった青観先生、ええ人や…。

*1:市川崑映画の金田一石坂浩二)、TBSドラマの金田一古谷一行)などはともかくこの映画での金田一は重要人物ではあっても主役とはいえません。主役は寺田辰弥役の萩原健一でしょう。

*2:時期的にはちょうど日本テレビ『大都会』(1976~1979年)、テレビ朝日西部警察』(1979~1984年)と同時期です。

*3:岡田は1972年に帰国し、日本での『最初の女優復帰作品』がこの『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』(1976年公開)です(例えば岡田嘉子|松竹映画『男はつらいよ』公式サイト| 松竹株式会社参照)。

*4:小生は映画を見たわけではなく、後述しますが、この台詞は山田洋次が『岡田の前半生とひっかけたのではないか』という話として聞いたことがあります。

*5:TBSドラマの三代目黄門・佐野浅夫のこと。佐野浅夫 - Wikipediaによれば、『2006年5月2日放送のテレビ朝日『名奉行! 大岡越前』第2シリーズ第三話 「仇を追って40年…男と女、愛と憎しみのお白州!」のゲスト出演を最後に俳優活動から遠ざかっている』