今日の中国ニュース(2023年6月30日分)

【産経抄】6月30日 - 産経ニュース

 還暦を超えた世代*1の映画ファンなら共有できるはずだ。昭和48年の暮れに封切られた*2カンフー映画燃えよドラゴン」を見たときの衝撃である。
 来月で没後50年*3を迎える。
▼「Be water(水になれ)」。
 香港で行われた民主化要求デモを支えてきたスローガンである。明確なリーダーを立てず、複数のグループがSNSを通じて集まる。つまり警官の取り締まりに対して、柔軟に対応しようという意味で使われた。米ワシントン大学で哲学を学んだブルース・リーの言葉だった。
▼もっともそんなデモを弾圧するために習近平政権によって導入されたのが、香港国家安全維持法(国安法)である。施行されてから本日で3年となった。
▼現在の香港に言論と表現の自由は一切存在しない。映画の世界でも検閲が強化され、「中国化」が急速に進んできた。後継者*4のアクションスター、ジャッキー・チェン*5「親中」の立場を明確にしている。
▼「燃えよドラゴン」の前作「ドラゴン怒りの鉄拳」では、20世紀初頭の上海を支配する日本人が悪役だった。ブルース・リーが健在なら、ドラゴンの怒りの矛先を、香港映画の自由を奪った中国共産党に向けるのではないか。 

 リーが反体制的だったと見なす根拠はない*6ですし、産経が悪口する「ジャッキー」等、他のカンフー映画俳優と似たり寄ったりの態度だったでしょうね。香港デモがリーの言葉を利用したのは「注目を集めるため」でしかないでしょうし。
 なお、産経の言うジャッキーの「親中」の立場については以下を紹介しておきます。

ジャッキー・チェン - Wikipedia
 2019年には「逃亡犯条例改正案」をめぐる香港の混乱に対して香港政府、中国政府を支持するキャンペーン「五星紅旗を守る14億人」に参加。
 2020年、「国家安全法」の香港への導入について、2千人を超える香港の芸能関係者と連名で支持を表明。
 近年、ジャッキーは中国共産党との関係を重視する動きを見せ、大陸寄りの姿勢が鮮明となっており、香港では「裏切り者」との批判を受けている。タレントの周来友はジャッキー・チェンに「裏切り者」の烙印 中国本土に8億円豪邸を購入 | 東スポのニュースに関するニュースを掲載で「ジャッキーはかつて天安門事件が発生した1989年当時、テレサ・テン(1953~1995年)を始め、数々の香港スターたちと共に中国共産党を批判し、学生たちを支持するため、大規模なイベントにも参加しました。現在のジャッキーについて複雑な思いを抱くファンも多いのではないでしょうか」と指摘している。

「ジャッキー・チェン」のスキャンダルが絶えない理由 元恋人との隠し子疑惑や娘の貧困報道も(3/3)〈dot.〉 | AERA dot. (アエラドット)
 周来友氏はジャッキーの「思想」についてこう分析する。
「ジャッキーは、よくネット上で『戯子(宮廷道化師に似た中国での芸能人の蔑称)』と揶揄されていますが、彼自身はもともと思想信条や理念はなく、その時々で態度を変えてきました。以前、彼が親日家だったのは、日本に経済的パワーがあり、チヤホヤしてくれるファンも多かったから。今はそれが中国に変わったというわけです。一方で、何事も人脈で動く中国社会と彼の性格の親和性が高かったという面もあります。同世代の香港の俳優チョウ・ユンファ*7などが中国的なコネクションで物事が動くことに嫌気が差し、一線を引いて中国と付き合っているのとは対照的ですね。ジャッキーには中国の水が合ったということです」

1)ジャッキー以外にも国家安全法支持を表明した香港芸能人がいること(勿論、一方で批判した芸能人や態度表明しなかった芸能人もいた)
2)ジャッキーも天安門事件当時には中国批判声明に参加していること
がわかります。結局けっきょく香港の中国における相対的地位の低下、利用価値の低下に話は尽きると思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)という状況変化(映画興行において香港より中国全土の方が重要)がジャッキーの変化を生んだのでしょう。テレサ・テン(1997年の香港返還前の1995年に死去)が今、生きていたとして、彼女が「ジャッキーのように変化しなかったかどうか」は何とも言えないでしょう。
 なお没後50年ですがリーがなくなった1973年には

1973年 - Wikipedia1973年の日本 - Wikipedia
◆4月4日
 尊属殺重罰規定違憲判決(最高裁初の違憲判決)
◆8月8日
 金大中事件
◆9月11日
 チリクーデター
◆10月6日
 第四次中東戦争
◆10月23日
 江崎玲於奈ノーベル物理学賞受賞が決定
◆11月1日
 巨人が南海を4勝1敗で下し日本シリーズ9連覇(V9)達成
◆11月29日
 大洋デパート火災(死者104人)

などがあり、「ジョンソン元米国大統領」「石橋湛山*8元首相」「画家のピカソ」「落語家の古今亭志ん生(5代目)」「詩人パブロ・ネルーダピノチェトクーデターでの暗殺)」などの没年でもあります。

*1:今年還暦(60歳)だと、1963年(昭和38年)生まれですね。古希(70歳)を超えた世代(1953年(昭和28年)生まれ)ならともかく、還暦を超えた世代って、一番若いと昭和48年当時は「小学生」なんで「おいおい、産経(苦笑)」ですね。小学生でそんなにカンフー映画なんか見ますかねえ?

*2:1973年の日本公開映画 - Wikipediaによれば昭和48年(1973年)にはスピルバーグ監督映画『激突!』、有吉佐和子小説の映画化『恍惚の人』、菅原文太主演のヤクザ映画『仁義なき戦い』、『仁義なき戦い・広島死闘篇(シリーズ2作目)』、『仁義なき戦い・代理戦争(シリーズ3作目)』(寅さんでも「年に二作」なのに「年に三作」とは当時の『仁義なき戦い』人気のすごさが窺えます)、山田洋次監督映画『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』、『男はつらいよ 私の寅さん』、小松左京原作のSF映画日本沈没』、創価学会の動員があったのか、作品のできはともかく、興行的には成功した『人間革命』等が日本で公開された

*3:リーは「1940~1973年(享年32歳)」なので早死にですね。

*4:カンフー映画の人気者としての地位」の後継者という意味であって、リーの弟子でもなければ、「リー2世」として映画会社が宣伝したという話でもないでしょう。

*5:1954年生まれ。映画『スネーキーモンキー 蛇拳』、『ドランクモンキー 酔拳』(以上、1978年)、『クレージーモンキー 笑拳』(1979年)、『ヤングマスター 師弟出馬』(1980年)、『プロジェクトA』(1984年)、『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985年)等でアクションスターとしての地位を確立。『ラッシュアワー』(1998年)、『ラッシュアワー2』(2001年)、『ラッシュアワー3』(2007年)等(但しこれらのハリウッド映画は米国では成功したが、香港では不人気だったとされる)によってハリウッド進出も果たし、2016年、アカデミー名誉賞を受賞(ジャッキー・チェン - Wikipedia参照)

*6:日本人が悪役なのは「当時のカンフー映画の多くがそうだった」と言うだけの話でリーが日本に批判的だったという話ではないでしょう。

*7:1955年生まれ。1984年に『風の輝く朝に』でアジア映画祭主演男優賞を受賞。そして1986年の『男たちの挽歌』(同作品で香港電影金像奨最優秀主演男優賞を受賞)が大ヒットし、一躍スターとなる。1986年~1987年の2年間は主演作が合計17本と、まさに「チョウ・ユンファ黄金期」であった(チョウ・ユンファ - Wikipedia参照)

*8:吉田内閣蔵相、鳩山内閣通産相等を経て首相