◆黒坂のツイート
確かに「第8回大会(1961年)=ハンガリー動乱(ハンガリー事件)(1956年)の頃とほぼ同時期」の日本共産党はそのようですが、
1956年ハンガリー人民のたたかい どう考える?2008.1.12
ハンガリー事件の起きた56年は、党がまだ自主独立の立場を確立する途上でした。それに、党の国際活動がまだ広がっておらず、情報がきわめて限られた状況も加わって、全体としては、「反革命鎮圧のためのソ連軍の介入」とのソ連やハンガリーの党の説明を受け入れる誤った態度をとりました。
その後、日本共産党自身がソ連の覇権主義の干渉*1を大々的に受け、また、ソ連が他国の主権を武力で次々と踏みにじる現実*2を目にするなかで、党は、過去の問題であっても、ハンガリー事件を見直す必要があるとの結論に達しました。
党は82年、(ボーガス注:党史)『日本共産党の60年』で、ハンガリー事件は「ソ連の年来の大国覇権主義のおしつけや、それとむすびついた官僚主義に反対する勤労人民のたたかいが爆発し、危機的な事態をひきおこした」ものとし、事件の評価と当時の党の見解についての再検討を提起しました。
そして88年、(ボーガス注:党史)『日本共産党の65年』でハンガリー事件の経過を詳しく明らかにし、「全体として外国からの反革命の策動とはいえないもの」、「(ソ連の)軍事介入は、社会主義の大義、民族自決権に反する干渉行為であった」と評価を正しました。
ということで
1)その後、日本共産党のハンガリー動乱についての見解は修正された(もちろんこの修正を「遅かった(もっと早く修正して欲しかった)」などと批判することは可能でしょうが、『慰安婦は公娼』など、デマで居直る黒坂には少なくともそんな批判をする資格はないでしょう)
2)1960年代のプラハの春弾圧や1980年代のアフガン侵攻は発生当初からソ連を批判していた
わけでいつもながら黒坂には「やれやれ」です。
黒坂真
日本共産党本部の皆さん。志位さんは、どんな場合でも平和的・合法的に社会変革を進めることが日本共産党の一貫した立場と宣伝していますが、内乱は平和的、合法的な社会変革でしょうか
https://twitter.com/shiikazuo/status/1436339705759485956
◆志位和夫
どんな場合でも、平和的・合法的に社会変革の事業を進めるということが、日本共産党の一貫した立場です。
◆カクサン部長
#ひるおび 八代発言。
「志位委員長は最近『敵の出方』の言い方やめようと言ったが、共産党はまだ〝暴力的な革命〟を党の要綱として廃止してない」
志位発言はコレ。どんな場合でも平和的・合法的に改革。暴力革命の方針などもってないことを明快に語ってる。
公共の電波でこんな中傷はダメでしょダメ
「内乱」云々とは何のことかと言えば、「徳田書記長時代(北京機関時代)の火炎瓶闘争や山村工作隊など」ですね。
『再審裁判についての重要判例』である最高裁の『白鳥決定』で知られる白鳥事件(白鳥警部射殺事件)もこの頃の話です。
「話が脱線しますが」、白鳥事件自体は再審無罪となりませんでしたが、この決定以降
【昭和の四大死刑冤罪】
免田事件 - Wikipedia
1983年に再審無罪
財田川事件 - Wikipedia
1984年に再審無罪
松山事件 - Wikipedia
1984年に再審無罪
島田事件 - Wikipedia
1989年に再審無罪
などで再審無罪判決が出ることになります。
「話を戻しますが」それはともかく「何年前の話だよ(呆)」て話です(白鳥事件については「共産党犯行説」「犯行否定説(例えば、警察の謀略だった菅生事件(1952年)のような謀略と見なす)」がありますがそれについてはここでは論じません)。
ちなみに白鳥事件が1952年、徳田の死去が1953年、6全協で宮本顕治氏*3が書記長に就任し、実権を握ったのが1955年であり、約70年前の話です。
志位委員長が1954年生まれ、小池書記局長が1960年生まれなので、現執行部は徳田時代には勿論、直接の関わりはない。
今時「山村工作隊(あるいは白鳥事件、北京機関)ガー」なんて産経や国基研のような反共ウヨですらまず言わない。黒坂がどんだけ異常かと言うことです。まさかとは思いますが黒坂はこんなことで「例の安倍政権・閣議決定」や「閣議決定ガー」と言う八代の「デマ」居直りを正当化する気なのか。
【9/17追記】
馬鹿馬鹿しいのでコメントはしませんが、ここ数日の黒坂のツイートは「共産党は今でも暴力革命」と放言する「TBSひるおびの八代」や「加藤官房長官」を擁護したいのか、「敵の出方論ガー」ばかりです。呆れて二の句が継げませんね。