常岡浩介に突っ込む(2021年10月4日分)

常岡浩介がリツイート
◆福田充*1
 自民党にはもう入れたくない人、しかし野党共闘も信用できない人、それでも棄権はしたくない人、そういう人たちの層が無党派層の一部として増大していても、その受け皿が国民民主か維新くらいしかないという日本の不幸。こんな状況なのに国民民主と維新の支持率は全く上がらない。今は岸田御祝儀状態。

 吹き出しました。「維新」「国民民主」のどこが自民と違うのか。自民と変わらない「自民の二軍」だから「自民支持層も自民批判派も」支持しないわけでそんなことを残念がるとは「お前らはアホか」ですね。しかも国民民主はともかく維新など「大阪でコロナを蔓延させても自らの非を認めない」「デマで大阪市労組を中傷」「河野談話否定論を放言」など「下劣な行為(違法行為すらある)」に事欠かない「ごろつき集団」なのに。
 しかし、「福田某のウヨツイート」にこういうリツイートをする常岡は「商売ウヨ」か「ガチウヨ」かはともかく、「ウヨ」なのでしょう。その結果、以前、常岡浩介に突っ込む(2021年9月25日分) - bogus-simotukareのブログで批判したような「レベルの低い反共放言」をしてしまう。  
 しかし「国民民主や維新の支持率の低さ」でわかるようにそんなんに共感する人間は少ないし、あげく「野党共闘支持を表明する高世仁」からは過去には常岡、高世『イスラム国とは何か』(2015年、旬報社)という共著まで出したのに完全に見捨てられたわけです。
 高世の知人友人にはおそらく「野党共闘支持が多く」、下手に「野党共闘に敵対的な常岡」との関係を続けるとそうした友人との関係がマジでやばいのでしょう。
 一方でおそらく「常岡本『イスラム国とは何か』の売れ行きの悪さ」から「常岡の無能さ(常岡本人が吹いてるほどの力はない)」が露呈されると共に、「どう見ても他人の感情に対して無神経な常岡(おそらく常岡は、高世相手にも無礼の数々を働き、謝罪もろくにしない)」との関係で「不愉快な思いをすること」も多く、「常岡とはつきあわない(メリットがない上に、無神経な常岡との付き合いで不愉快になることが多いから)」と決めたのでしょう。
 たぶん「常岡の無能さ&無礼さ」で奴と縁切りした人間は他にも「多々いる」のではないか。
 常岡が長崎放送を辞めたのも、「今の体たらく」を見るに、奴が自慢するような話ではなく単に「無作法の数々で会社に居づらくなった」だけかもしれない。
 常岡としては「フリーになれば大儲け」と勘違いしていたのでしょうが、「常岡の無能さ」はひとまずおくにしても、フリーになっても「人間との付き合い」は当然「せざるを得ない」。
 よほど「人間性の酷さを我慢できる売れっ子ライター」でない限り、常岡が「周囲の反感を買って今のような体たらくになる」のは「退社当時から既に明白だった」のではないか。
 この点、本多ファンの「何故、筑紫氏や鳥越氏(いずれも1989年退社)のように独立しないのか」という指摘に対して、「1989年執筆のコラム」に

◆フリーになれば記事を書いてるだけではなく、営業もしなければならない。サラリーマン記者として月給が毎月入ってくる甘い話とは違う*2

【新聞記者からキャスターに転身】
筑紫哲也氏(朝日)、鳥越俊太郎氏(毎日)
【新聞記者からフリーライターに転身】
◆上前淳一郎氏*3(朝日)、本田靖春*4(読売)など
新聞社を退社して成功した人間がいるからといって私が成功するとは限らない

と言う趣旨のことを書いて「朝日を独立などしなかった本多勝一氏」などは「常岡(長崎放送)や福島香織(産経)とは違い」、「実に賢明だった」といえるでしょう。正直、1989年当時において

本多勝一 - Wikipedia参照
◆『アメリカ合州国』、『カナダ・エスキモー』、『戦場の村』、『中国の旅』、『ニューギニア高地人』(いずれも、1981年、朝日文庫)
◆『殺される側の論理』(1982年、朝日文庫)
◆『アラビア遊牧民』、『殺す側の論理』(いずれも、1984年、朝日文庫)
◆『子供たちの復讐(上) (下)』(編著、1986年、朝日文庫)
◆『憧憬のヒマラヤ』、『冒険と日本人』(いずれも、1986年、朝日文庫)

といった著書がある「朝日のエース記者が随分と現実的(?)だ」と驚いたので記憶に残っています。

*1:日本大学教授。著書『メディアとテロリズム』(2009年、新潮新書)、『テロとインテリジェンス:覇権国家アメリカのジレンマ』(2010年、慶應義塾大学出版会)、『リスク・コミュニケーションとメディア』(2010年、北樹出版)、『大震災とメディア:東日本大震災の教訓』(編著、2012年、北樹出版)など

*2:なお、1989年当時は今と違い「メルマガ」「ブログ」はないことに注意が必要です。

*3:1934年生まれ。1959年、朝日新聞社に入社。社会部記者を経て、1966年、退社。1977年、初の著書『太平洋の生還者』(文芸春秋→後に1980年、文春文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『週刊文春』に1984年~2002年までコラム「読むクスリ」を長期連載。ただし、2002年以降、著述は途絶えている。著書『巨人軍・陰のベストナイン』(1982年、角川文庫)、『支店長はなぜ死んだか』(1982年、文春文庫)、『洞爺丸はなぜ沈んだか』(1983年、文春文庫)、『イカロスの翼:美空ひばりと日本人の40年』(1985年、文春文庫)など(上前淳一郎 - Wikipedia参照)。

*4:1933~2004年。1955年、読売新聞社に入社。 1964年、売血の実態を抉ったいわゆる「黄色い血」追放キャンペーンは大きな反響を呼び、献血事業の改善につながった。その功績から「東の本田、西の黒田(清)」と称えられる読売のエース記者だった。1971年、退社。1984年、売春汚職事件の報道で一時「名誉毀損容疑」で逮捕された立松和博・読売記者を取り上げた『不当逮捕』(1983年、講談社→後に1986年、講談社文庫)で講談社ノンフィクション賞受賞。著書に、吉展ちゃん誘拐殺人事件を取材した『誘拐』(1981年、文春文庫→2005年、ちくま文庫)、金嬉老事件を取材した『私戦』(1982年、講談社文庫→2012年、河出文庫)や『村が消えた:むつ小川原・農民と国家』(1985年、講談社文庫)、『疵:花形敬とその時代』(1987年、文春文庫→2009年、ちくま文庫)、『警察(サツ)回り』(1989年、新潮文庫→2008年、ちくま文庫)、『評伝・今西錦司』(1995年、講談社文庫→2012年、岩波現代文庫)などがある。(本田靖春 - Wikipedia参照)