土師守の主張に全く賛同できない

「納得のいく理由知りたい」 神戸連続児童殺傷25年で土師淳君の父 - 産経ニュース
 以前も別記事で書きましたが、そもそも「土師に対して説明しなければいけない法的義務」はありません(なお、俺個人は「道徳的義務もない」と思っています)。
 かつ、土師の敵対的な態度を見れば「説明する気も失せる」でしょう。「そんな理由で殺したのか」と悪口雑言*1するであろう人間の前でなど「よほど精神力の強い人間」でもなければ説明したくはないでしょう。
 「どんな理由でも、真摯に語ってくれるのなら非難などせず我慢して聞くつもりだ。今すぐ話せない(話したくない)のならいつでもいい。話したくなったら話せばいい」位の「寛大な態度」でもない限り向こうが話したがるわけがない。土師の態度は明らかにそうじゃないですからね。
 そもそも「元犯人が犯行動機を説明できる」と土師が思うのも「何だかなあ」ですね。小生もさすがに「殺人ほどの愚行」はしませんがいくらでも「何で俺はあのときにあんなバカなことをしたのだろう。当時、なんであんなバカなことを考えたのか、今となっては自分でも訳が分からない。本当に恥ずかしいがうまく説明できない(恥ずかしいので詳細は書きませんが)」と思うことはいくらでもありますのでね。土師には「そういう事は一度もないのか」と聞きたくなります。まあ多分そうではなく土師に「想像力がないだけ」だと思いますが。
 まあ、俺が「当事者でないから」こういうことが言えることは否定しませんが「元犯人が真人間になったらしいこと(今のところ再犯などのネガティブ報道はない)」に「それなりに」納得して過去を忘れた方がいいんじゃないですかね。
 恨みをこのように放言したところで何ら建設的でない。
 つうか、土師がここまで「憎悪の心」を継続してることがある意味「恐ろしい」ですね。25年も経ってるのに『恨むことに空しさや疲労感を感じない』んでしょうか?
 「俺も土師と同じ立場になればこういう憎悪の鬼になるのだろうか?。それとも違うのだろうか?」とは思います。
 そして産経もこんな恨み節を記事にして何が嬉しいんですかね?

 加害男性から医療少年院を仮退院後の16年以降、弁護士を通じて毎年手紙が届いていた。しかし、事件から丸20年となった29年を最後に途絶え、今年も届かなかった。

 元犯人なりに誠意を見せたものの、敵対的な態度しか見せない土師に「精神的に疲れ果てた」ということじゃないか。何も「加害者だからといって被害者遺族(土師)に一生糞味噌に罵倒されるいわれもない」でしょう。
 そしていかに加害者といえども「感情を持つ人間」であり、土師の態度が敵対的なら「何も関係を持たない方がむしろお互いに幸せではないか」「事件については今後、表舞台で語る気はないので、土師さんもいい加減、マスコミ相手に私を非難するのは辞めて欲しい」と思ったとしても非難できないと俺個人は思います。
 「相手が許すまで誠意を尽くすべきだ」というのは「ある種の正論」でしょうが人間はそんなに精神的に強くないでしょう。


神戸連続児童殺傷25年 子供への想い変わらず 土師守さん手記全文 - 産経ニュース

 今年も加害男性からの手紙は届いていません。以前から言い続けていることですが、何故(なぜ)、私たちの次男の命が奪われなければいけなかったのかについて、私たちが納得するような解答を求め続けています。彼は、私たちの問いに答える義務があると考えています。

 何度も書きますが「そんな手紙を送る法的義務」はどこにもありません(なお、俺個人は「道徳的義務もない」と思っています)。
 そして「納得できる回答」なんて無理でしょう。どうすれば、土師的に「納得できる回答」なのか。
 そもそも「見ず知らずの少年を殺害する」などはっきり言って「まともな理由」の訳がありません。だからこそ「医療少年院で治療」のわけです。
 説明するとしたら「誰でもいいから殺したいという殺人衝動があった」位の説明しかないのではないか。
 それで土師は「納得する」のか。おそらく納得しないでしょう。むしろ「そんな理由で殺したのか」と攻撃するのではないか。
 だったら加害者側が「まともな説明なんか無理だ。平たく言えば『当時の俺が人でなしでバカでキチガイだった』つう話でしかない。親として恨みを抱えてるのは分かるがいい加減許して欲しい」という気持ちになり、土師に応じなくなるのは無理もないでしょう。
 まあ、この件に限らず「大抵の犯罪」には「納得できる理由」なんかありません。大抵の犯罪は回避できたし、被害者にも落ち度はない。
 そして、被害者に落ち度がある場合(例:DVに耐えかねて妻が夫を殺害など)だって「犯罪は正当化できない」し、遺族も「落ち度があるから殺されて当然だ」などと納得しないでしょう。そういう意味で土師の主張は俺には「全く理解も共感もできない」ですね。

 「全国犯罪被害者の会あすの会)」は、18年に及ぶ活動で犯罪被害者を取り巻く環境を大きく改善しました。犯罪被害者等基本法の成立、被害者参加制度、賠償命令を盛り込んだ刑事訴訟法の改正、殺人事件における公訴時効廃止等、多くの法律や施策の制定を実現してきましたが、メンバーの高齢化等のため4年前に解散しました。しかしながら、代表幹事をされていた岡村(勲)弁護士が、特に経済補償について、4年前に比し全くの改善が認められないことに憤りを感じ、ご自分の最後の仕事にしたいという思いで私たちに声をかけて頂き、「新あすの会」が創立されました。

 赤字部分(高齢化云々)には「おいおい(呆)」ですね。
 そもそも「犯罪被害者がゼロになること」は言うまでもなく「ありえないこと」です。そこは「メンバーの高齢化」で会が消滅してもおかしくない

◆「満州引き揚げ者の会」「広島、長崎原爆被爆者の会」「東京大空襲被災者の会」など「あの戦争の経験者の会」
◆「水俣病患者の会」「イタイイタイ病患者の会」「森永ヒ素ミルク被害者の会」「カネミ油症事件被害者の会」など公害患者の会
拉致被害者家族会

など「その性格上、メンバーが増えることはあり得ない会」とは違う。
 「あすの会」は「犯罪被害者一般の会」であって

日航機墜落事故(1985年、業務上過失致死)の被害者の会
地下鉄サリン事件(1995年、殺人)の被害者の会

などといった「特定の犯罪被害者の会」ではないのだから、「あすの会」が「社会の共感を得られる団体」だったなら「言葉が変かもしれません」が、「犯罪被害者の多くがひっきりなしに入会して長く続いた」でしょう。
 つまりは【1】「厳罰化」に傾斜したことや【2】岡村ら幹部が独裁的な会運営をしたことなどで「経済支援は眼中にないのか?」「特定の人間が独裁的に運営する会には入りたくない」と多くの犯罪被害者家族に敬遠されたのではないのか。
 青字部分(経済補償云々)にも「おいおい(呆)」ですね。
 そもそも「あすの会」は厳罰主張ばかりしてきたのではなかったのか。「あすの会」がもっと経済補償の問題を主張していれば事態は改善していたでしょう。
 そしてこれは「俺の邪推」であって根拠があるわけではありませんが、「新あすの会」において実は「岡村も土師も実権はない」のではないか。
 「経済支援を中心に運動を行いたい犯罪被害者たち」が新団体を結成した上で「岡村や土師の知名度を利用しよう」と参加を依頼し、「もはやほとんど忘れられた存在になった岡村ら」が「昔の栄光(?)」を取り戻したくて参加要請に応じただけではないのか。
 従って「岡村、土師流の厳罰主張」に賛同できない俺の「願望込み」ですが「経済補償」を最重要課題とする「新あすの会」において実際には「岡村や土師の活躍する場」はないでしょう。
 「名誉顧問」的な地位で祭り上げられるのが実際ではないか。

*1:そもそも「見ず知らずの少年を殺害する」などはっきり言って「まともな理由」の訳がありません。だからこそ「医療少年院で治療」のわけです。まあ「まともな理由」というか「殺される側に落ち度があるケース(例:DVに耐えかねて妻が夫を殺害など)」なら遺族が納得するかと言えばそうでもないと思いますが。